木走日記

場末の時事評論

都知事選を「見苦しい戦い」にしたその主因を、加熱する週刊誌報道に求めることは誤り

 さて今週号では週刊文春に加えて週刊新潮も鳥越都知事候補の過去の『淫行』疑惑に関して大きく報道しております。


http://shukan.bunshun.jp/articles/-/6412

http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/

 鳥越氏側は早速先週の文春に対してと同様、新潮に対しても記事は「事実無根である」とし、告訴状を提出いたします。


http://shuntorigoe.com/archives/211

平成28年7月28日

弁護団からのコメント

本日、発売された週刊新潮鳥越俊太郎に関する記事につき、弁護士藤田謹也、弁護士五百蔵洋一は、本日、午前10時20分、東京地方検察庁に対し、刑法第230条名誉毀損及び、公職選挙法第148条第1項但書、同法第235条の2第1項違反で株式会社新潮社内酒井逸史に対する告訴状を提出しました。

これにより、週刊新潮の記事が事実無根であることを明確にしました。
今後につきましては、選挙運動に集中すべきであると考えます。

弁護士 藤田 謹也
弁護士 五百蔵洋一

 ・・・

 今回は本件に関して少しメディア論的考察を読者としてみたいと考えます。



●マスメディアのチキンジャーナリズムを補完するこの国のゴシップジャーナリズム

 この国のマスメディアのチキン体質はどこから来るのか、今回も鳥越氏の問題で主要紙がなぜこの問題を積極的に取り上げないのか、理由のひとつには、この国のメジャーなメディアがすべて所属している閉鎖的な「記者クラブ」の問題があることは間違いないでしょう。

 日本独特の仲良しクラブである「記者クラブ」では、役所や政党ごとに100を越える「記者クラブ」なる部屋を与えられ、選ばれし会員メディアだけが入室を許可されています。

 そして、お役所や政党側も限られた「記者クラブ」だけに会見や発表をして、彼らを優遇します。

 結果、会員メディアは本来客観報道対象である役所や政党に対しこびを売るように、へたに批判的な記事を書けなくなり、ただただ無批判にそれを垂れ流す「提灯持ち記事」を乱造していきます。

 その過程の中で報道する側とされる側にある種の「癒着」のような関係が成立してしまい、ついには報道するマスメディア側に独自取材能力が喪失し、公式発表に頼りきるチキンジャーナリズムが生まれるというわけです。

 主要全国紙5紙にしてもどの新聞を読んでも書いてある事が余り変わらないのは、公式発表に頼っているからです、そうすりゃ万一間違ってても自分達のせいじゃなくなるからという臆病(チキン)な保身論理がそこに働いているのです。

 で、そのようなマスメディアのチキン振りを補完しているのが、功罪両面ありながらですが、ときに暴走しがちで裁判沙汰も日常茶飯事の週刊誌・月刊誌を中心とした、いわゆるゴシップジャーナリズムであります。

 この国ではロッキード事件の昔より、数々の政財界の疑獄を暴くのが、メジャーなメディアより多くの場合週刊誌などのゴシップジャーナリズム(しかもしばしば立花隆のようなフリーランスのジャーナリストによる)の側であるわけです。

 彼らは、記者クラブに入れないから自力で取材をしなければなりません、だから政側・官側に遠慮が要りません。政治家の発表やお役所発表に頼らず独自で取材できるからこそ、ときとしてマスメディアが見落としてきた大スクープをうてるわけです。

 で、臆病なマスメディアはそのような週刊誌などがうったスクープを姑息にも系列スポーツ紙などを使って利用いたします。

 で世論の動向を見極めた上で、初めて自身の報道としてしれっと社説や記事報道をしてのけるのです。

 つまりマスメディアは、自分達は手を汚して政・官の怒りを買う取材をせず、ゴシップジャーナリズムにそれをさせ、そちらが手柄を立てるとわっと飛びついてくるだけなのです。

 多くの政・官のスキャンダルや疑惑の報道は、この国では次のステップで、マスメディアに利用されていくことになります。

 1:週刊誌などのゴシップジャーナリズムがスキャンダルスクープ記事掲載

 2:マスメディアは系列スポーツ紙の社会面や系列TVのワイドショーなどを活用してそれをしれっと報道

 3:社会的に十分に批判対象の問題になったと見なしたら、マスメディアでようやく批判論説を掲載する

 おそらく今回もこの流れをなぞることになりましょう。

 マスメディアのチキンジャーナリズムを補完しているのは、この国のゴシップジャーナリズムなのであります。

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●凋落一方の新聞社系週刊誌

 さて、社団法人日本雑誌協会のサイトから日本の総合週刊誌の最近の発行部数データを見てみましょう。

総合週刊誌 印刷証明付発行部数(2016年1月〜2016年3月)

総合週刊誌 印刷証明付発行部数(2016年1月〜2016年3月)

・データソース
社団法人 日本雑誌協会 総合週刊誌 印刷証明付発行部数(2016年1月〜2016年3月) 
http://www.j-magazine.or.jp/magadata/index.php?module=list&action=list&cat1cd=1&cat3cd=2&period_cd=32

 うむ、ご覧のとおり新聞系トップの「週刊朝日」は第8位に位置していますが、トップの「週刊文春」の発行部数の3分の一にも届いていない、厳しい売上状況であることがわかります。

 こうしてみると、上位はすべて出版社系週刊誌で占められており、新聞社系は、朝日・AERA(朝日新聞社系)、サンデー毎日(毎日新聞社系)、SPA!(産経新聞社系)すべて発行部数は低迷しています。

 すでに「週刊読売「週刊サンケイ」(*1)が部数低迷で廃刊に追い込まれた現在、新聞社系週刊誌の次の廃刊は発行部数最下位に喘いでいる「サンデー毎日」では?と業界では囁かれていますが、それはともかくなぜかくも新聞社系週刊紙は売れないのでしょうか?

 一言で言えばスクープが少なく記事構成がおとなし過ぎて「おもしろくない」からであります。

 この国では、日本記者クラブに属する大新聞はじめ地方新聞は自らを「クオリティペーパー」(私から言わせれば完全な勘違いとしかいえないのですが(苦笑)) と自認していますので、下半身関連の記事やゴシップネタを取り上げることはまずありません。

 そこを補っているのが「週刊文春」や「週刊新潮」の記事に代表されるゴシップジャーナリズムであります。

 出版社系のこれらの週刊誌はご存知のとおり、ガセネタを飛ばして多くの裁判沙汰を起こして敗訴したりしていますが、中には政治家の政治生命に止めをさすスクープも、このゴシップジャーナリズムである週刊誌から生まれているのもまた事実なのであります。

 繰り返しになりますが、「文春」(文芸春秋社)、「新潮」(新潮社)、「ポスト」(小学館)、「現代」(講談社)はそもそも日本新聞協会中心の日本記者クラブには参加していませんから、彼らは何の遠慮もなく新聞では決して載せれない政治家に関わるゴシップジャーナリズムに突き進めます。

 一方の新聞社系週刊誌は親会社が日本記者クラブの会員ですから、出版社系のような奔放な記事を飛ばすことはできません。

 そのようなことをすれば「仲良しクラブ」の調和を乱しかねないのです。

 ですから、閉鎖的な記者クラブを通じて政治権力と密な関係を築いている新聞社を親会社とする週刊誌は、 ゴシップを極めることは不可能で、紙面構成が地味でつまらないから、発行部数は凋落する一方なのです。

 ・・・

 まとめます。

 今回の都知事選をめぐる週刊誌等の加熱報道に対して憂える意見もネット上で見られます。

早川忠孝
2016年07月27日 19:20
壮絶なネガティブキャンペーン競争化した東京都知事選挙 
http://blogos.com/article/184984/

 失礼してエントリー冒頭部分を抜粋引用。

本格的なインターネット選挙運動時代に突入した証拠だろうと思うが、ここに来て壮絶なネガティブキャンペーン競争が始まった。

大勢が決まってしまっている今からでは遅過ぎると思うが、ずいぶん見苦しい戦いに様相が一変してしまった。
どこまで功を奏するのか分からないが、候補者本人をそっちのけにしての戦いになったことは間違いない。

 確かに「ずいぶん見苦しい戦いに様相が一変」してきております。

 しかし都知事選を「見苦しい戦い」にしたその主因を、加熱する週刊誌報道に求めることは誤りでありましょう。

 彼らのゴシップジャーナリズム報道を止めることは何人もできませんし、止めるべきではありません。
 そうではなく、言論には言論で反論することはせず、自らの説明責任を放棄して法的手段で「報道の自由」の封殺をするという、自己欺瞞に満ちた「ジャーナリスト」候補の事後対応の「見苦しさ」にこそ、その主たる原因があると考えるべきです。
 そしてそのような「ひどいタマ」を良く検討もせず安直に統一候補に祭り上げた野党4党の幹部の責任こそ問われるべきなのです。
 今回の都知事選、「見苦しい戦い」を招いたのは週刊誌の加熱報道では断じてありません。



(木走まさみず)



<テキスト>(修正)7/29 4:00
(*1)コメント欄のご指摘により「週刊サンケイ」は廃刊ではなく「SPA!」に名称変更されていました。本文を一ヶ所訂正しました。nenemuu様、ご指摘有難うございます。