木走日記

場末の時事評論

日中歴史共同研究〜5年前からちっとも変わっていない中国当局のダブスタ

  歴史学者に言わせれば、歴史は3つのレベルに分けて考えることができるといいます。

 一番上のレベルが歴史観であり、次に当たるのが歴史認識、そしてそれらのベースにあるのが歴史事実であります。

 日本と中国の2国間で、正直、歴史観歴史認識で一致するには、現状では不可能であると言わざるを得ないと思います。

 それどころか、歴史の事実の一致ですらむずかしいのが現実であります。

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 1日付け毎日新聞記事から。

日中歴史共同研究:報告書を公表 南京事件隔たり埋まらず

 日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は31日、報告書を公表した。1937年の南京虐殺事件について、日中双方は虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致したが、犠牲者数を巡って中国側が「三十余万人」、日本側が「20万人が上限」と主張するなど、近代を中心に歴史認識の違いが改めて浮き彫りになった。

 報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の各章で、日中双方の委員論文を掲載。ただし、「天安門事件」(89年)などを含めた第二次世界大戦後の現代史部分は、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で非公表とされた。委員会は今後、新メンバーで第2期の共同研究を行う予定だ。

(後略)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100201k0000m010069000c.html

 日中歴史共同研究の報告書が公表されたわけですが、案の定といえましょう、戦時中の日本軍の侵略行為による中国側の主張する犠牲者数が、日本側と数字が大きく隔たりを見せました。

 毎日記事では「近代を中心に歴史認識の違いが改めて浮き彫りになった」と表現していますが、元々「歴史認識」の共有など日中両国間では不可能に近いわけですが、南京虐殺事件一つ取り上げても犠牲者数という「歴史事実」の共有すらできていないわけで「事実」の共有の上で成立する「認識」の共有などできるわけもないのです。

 またさらに問題だと思えるのは、「「天安門事件」(89年)などを含めた第二次世界大戦後の現代史部分は、国内世論への影響を懸念する中国側の要請で非公表とされた」事実であります。

 戦後65年の歴史を中国は現時点では他国と「歴史観」「歴史認識」どころか「歴史事実」すら共有する意思がないということです。

 ある日本側研究者は「現代史部分の認識の差が原因。天安門事件の評価など、共産党指導部の正当性を揺るがす問題に触れることを中国側が恐れた」と指摘しています。

 歴史研究を「愛国教育」の重要な柱と位置づける中国政府が委員に圧力をかけているとの見方さえ出ています。

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 南京虐殺については、犠牲者数の根拠だけでなく、日本国内に虐殺自体を否定する意見が一部に存在します。

 そのような意見を代表する形でしょうか、1日付け産経社説はこの報告書で日本側が「南京虐殺」を肯定したことを問題視しています。

【主張】日中歴史共同研究 「南京虐殺」一致は問題だ
2010.2.1 03:21
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010321006-n1.htm

 ポイントを抜粋。

 ただ、南京事件(昭和12〜13年)のくだりで、中国側の主張に引きずられているのは問題だ。
 日本側の記述は「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した」と「虐殺」を認めている。その数は、東京裁判で認定された「20万人以上」、中国が主張する「30万人以上」などの数字を挙げ、「日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」としている。
 しかし、「南京虐殺」や「南京大虐殺」は当時の中国国民党が宣伝したものであることが最近の実証的な研究で分かってきた。日本軍による集団的な虐殺の有無も、はっきりしていない。こうした日本側の研究状況を過不足なく正確に記述すべきだった。
 「南京虐殺」で認識が一致したといっても、共同研究に参加した学者間でのことだ。それがあたかも歴史の真実であるかのように、日本の教科書などで独り歩きするようなことは避けたい。

 「「南京虐殺」で認識が一致したといっても、共同研究に参加した学者間でのこと」であり、「それがあたかも歴史の真実であるかのように、日本の教科書などで独り歩きするようなことは避けたい」としています。

 まさにその点で一部中国紙も評価しているようです。

 2日付け毎日新聞記事から。

日中歴史共同研究:一部中国紙は評価、人民日報掲載せず

2010年2月1日 20時1分

 【北京・浦松丈二】1日付の一部中国紙は日中両国の有識者が公表した「日中歴史共同研究報告書」について「日本側は対中戦争の性格を侵略戦争と認めた」(新京報)などと評価した。

 時事紙、環球時報南京虐殺事件について「被害者数はともかく虐殺が起きたことを日本側学者が認めた」と指摘。「中日の学者の歴史問題への認識に接近がみられた」と評価した。

 一方、中国共産党機関紙・人民日報など主要紙は関連記事を掲載せず、国内世論の反発を恐れる中国政府の姿勢をにじませた。

http://mainichi.jp/select/today/news/20100202k0000m030051000c.html

 環球時報南京虐殺事件について「被害者数はともかく虐殺が起きたことを日本側学者が認めた」と指摘し、「中日の学者の歴史問題への認識に接近がみられた」と評価したそうであります。

 ところでこの記事で興味深いのは、実は中国メディアは「中国共産党機関紙・人民日報など主要紙は関連記事を掲載せず」にいることです。

 明らかに中国政府は本件で報道規制している模様です。

 1日付け読売新聞記事から。

NHKニュース、中国で一時放送中断…映像制限か

 【北京=関泰晴】中国で1月31日夜、日中両国の歴史共同研究報告書のニュースを報じていたNHKの海外テレビ放送が途中で一時、中断された。


 中国当局が、報告書に盛り込むことが見送られた1989年の天安門事件などの映像の視聴制限を図ったとみられる。

 報告書について、中国国内では国営ラジオが31日夜に報じたが、中央テレビのニュース番組では触れられなかった。

          ◇

 NHK広報局は、「天安門事件に関する放送が20秒ほど切れているのは確認している。ニュース映像が一時的に中断されたことは報道の自由を損なうもので遺憾。過去にもチベット問題などで同様のことがあり、機会をとらえて中国側には遺憾の意を伝え、善処を求めてきた。今後も同様の対応を取っていきたい」としている。

(2010年2月1日01時05分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100131-OYT1T00849.htm

 愚かにも中国当局は本件を報道する他国であるNHKの海外テレビ放送にまで映像の視聴制限を図ったのであります。

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 過去の日本の侵略による犠牲者は過大視し、自国の戦後史は完全に封印する中国当局

 デジャヴであります。

 私は5年前の2005年7月、今回と全く同じ中国当局歴史教育の問題を個人的に経験したのです。

 当時私はインターネット新聞JanJanの市民記者でありました。

 2005年7月JanJan編集部より、ある話題の本の書評記事を書くよう依頼されました。

 本の名前は『未来をひらく歴史』であります。

 著者は日中韓3国共通歴史教材委員会で、この本は「新しい歴史教科書をつくる会」による歴史教科書のオルタナティブ(代替案)として、日中韓の教育者たちが3年をかけて編纂してきた歴史の副教材という位置づけでした。

 当時の私の執筆したJanJanの書評記事はこちら。

『未来をひらく歴史』は未来を開けるのか?
木走まさみず
2005/07/17
http://www.book.janjan.jp//0507/0507159618/1.php

 書評を引き受けたのでさっそく読んでみたのですが、読み物としてはとても面白かったです。

 面白かったですがしかし、正直頭を抱えてしまいました。

 とてもユニークな構成で興味深い副読本でありましたが、個々の記述の詳細では、首を傾げたくなる信憑性に問題があると思われる箇所も散見されていたからです。

 書評記事という性質からあまり本の悪口を言うのも問題かなと思いましたが、指摘しないのは読者に逆に不誠実だと思い2点だけ触れておきました。

 一点は戦時中の記述で中国側執筆者による数字根拠のあいまいな一方的な犠牲者数についてでした。

 5年前の書評記事から抜粋。

残念ながら検証性を欠いた記述が散見される

 上記のような構成で興味深い副読本であるが、個々の記述の詳細では、首を傾げたくなる信憑性に問題があると思われる箇所も散見される。中でも特に中国側が執筆を担当した箇所にかなり偏った描写や中国政府発表の一方的な数字の転用が目立つようだ。

 たとえば、「第3章 侵略戦争と民衆の被害 3節 日本軍による中国民衆への残虐行為 2.南京大虐殺」において、被害者数の記述は以下のとおりである。

「1946年の中国政府の南京軍事法廷の調査によれば、日本軍によって集団虐殺され遺体焼却、証拠を隠滅されたものは19万人余り、個別に虐殺され、遺体を南京の慈善団体が埋葬したものは15万人余りでした。
 東京裁判の判決書では、『日本軍が占領してから最初の6週間に、南京とその周辺で殺害されて一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示される』としています」(126ページより引用)

 ここに現れている数字はその数字の信憑性に関して国際的に論争を巻き起こしているものである。このように国際的に定説が定まっていない数字を具体的に記載するのはいかがなものだろうか?

 また、「第3章 侵略戦争と民衆の被害 6節 日本の侵略戦争の失敗 1.中国の抗日戦争」において抗日戦争における中国側の損害についての記述は以下のとおりである。

 「中国政府の発表によれば、抗日戦争における中国の軍人と民間人の死傷者は総計約3500万人、財産の損害は約6000億ドルにのぼります。中国の人民は民族の独立と解放のために大きな犠牲を払ったのです。中国の抗日戦争は、日本の陸軍へ威力の60%以上および相当の海空軍力を牽制し、世界の反ファシズム戦争の勝利に大きく貢献しました。このことは、戦後、中国の国際的地位の向上をもたらしました。」

 この中国の犠牲者数に関しては、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は『文藝春秋』05年8月号の討論記事で以下のように発言している。

 「中国は東京裁判の当初、日中戦争で犠牲になった中国人の数は320万人であるとしていました。それがいつの間にか570万人に増えました。さらに国民党政府から中華人民共和国政府になると数字がとたんに増えて、2160万人というとんでもない数字になりました。最初の数字に比べると、7倍近くです。この2000万人強という数字がずいぶん長く、中国の公式の数字とされていました。ところが1995年、江沢民総書記の時代になって突如3500万人という数字を言い出してきました。
 (中略)
 ところが、中国の教科書、これは国定教科書で1種類しかありませんが、そこに書かれている数字は、1960年まで1000万人、85年には2100万人、95年には3500万人と、何の説明もなく増えていく一方です。」
文藝春秋8月号108ページより引用)

 本文では「死傷者」としているが、3500万という数字根拠が薄弱であることに変わりは無いと思われる。

 もう一点は、戦後の歴史、特に中国の戦後史が完全に無視されていたことです。

 5年前の書評記事から抜粋。

章の構成にかなり偏りがある〜ほとんど無視される各国の戦後60年の歩み

 特に残念だと思われるのは、目次を見ていただければ一目瞭然なのであるが、各国の戦後60年の歩みがほとんど記述されていない点である。

 日本軍の侵略戦争と朝鮮支配に関する詳述さに比し、第2次世界大戦後の各国の動勢に関しては、正直ほとんど描かれていないのである。

 日本で言えば、戦後平和憲法の元で平和主義国家として曲がりなりにも、一度の国内国外の流血紛争に関わらず経済を発展させてきたことや、中国に対する日本のODA援助には簡単にふれているが、ODAなどを通じての日本の国際貢献に対する評価はほとんどされていない。

 また、驚くべきことに、戦後中国の内政問題には1行も触れていないのである。チベット問題、天安門事件、中国ベトナム紛争にふれないのは、中国国内教科書と同様であるのでご愛敬なのかも知れないが、文化大革命大躍進政策に関しても1行も記述がないのである

 はたしてこれで東アジア近現代史と呼べるのであろうか?

 このままでは批判だけになってしまうので困った私はこの書評を次のようにまとめておきました。

 この副教材を読み終えて、正直、3国には歴史観歴史認識で一致するには、現状では不可能であると言わざるを得ないと思う。それどころか、歴史の事実の一致ですらむずかしいのが現実である。

 では、この本は価値がないのであろうか?否、この興味深い歴史副教材を肯定的に評価したいのは、3カ国の歴史学者等が3年の月日を費やして共同で歴史副読本を作成した今回の挑戦的試み自体が実にすばらしいことであるといえる。

 ただ、本書の現段階での内容では、無理に歴史観の一致までを目指してしまっているところに限界があるのではないだろうか?

 3カ国の今後の努力により歴史事実の共有することをまず目指してもらいたい。異なる国同士で完全に歴史認識歴史観まで一致させることはおそらく不可能である。しかし、互いの歴史観の差分を認め合った中で、互いに尊敬しあえる関係を構築することは可能であると思う。

 ・・・

 過去の日本の戦争犯罪には過度に数字を誇張してまで詳述し、しかし、戦後の中国の歴史は、文化大革命大躍進政策から天安門事件にいたるまで沈黙を守る。

 国際共同研究におけるこの日本の戦争犯罪は詳述し自国の触れられたくない歴史には沈黙する、この明確な中国当局の二律背反・ダブルスタンダードは何を意味するのでしょうか。

 中国政府がいままで自国民に施してきた共産党独裁の革命史観に基づく歴史宣伝と密接に関連づけられることは自明であります。

 すなわち、戦前の南京虐殺などの悲劇の加害者は日本ですが、戦後の文化大革命天安門事件などの悲劇の加害者が中国共産党政府自身である事実が、客観的学術的歴史研究を公表することすら体制批判をいっさい許されていない現在の中国では許されないのです。

 そのためには他国の海外ニュース放送も都合の悪いところは強引に中断します。

 中国当局の歴史国際共同研究のスタンスは今ご紹介したとおり5年前から何も進歩していません。



(木走まさみず)