木走日記

場末の時事評論

「くらま」が燃えた2つの理由

●「なにこれ。高いお金を出した割に民間船より弱いのね」〜奥さん、それ誤解なんですが(涙

 船首がはでに大破し火災した「くらま」のTV報道画面を見ながら、自衛隊にまったく関心も知識もない私の奥さんは、こうのたまいました。

 「なにこれ。高いお金を出した割に民間船より弱いのね」

 なんという浅はかな発言なんでしょ。

 いやいやいやいや、ちょっとそれは誤解なんだが、と思いつつ、しかしこの「燃え方」の激しさはこの「くらま」が日曜の『観艦式』に参加したことに遠因があると考えると、実はその『観艦式』に招待され護衛艦に乗船させていただいていた不肖・木走としては、なんとも複雑な申し訳ない気持ちでいっぱいになったのでした。

 事故原因の究明が待たれますが、今回はこの衝突事故について私の知りうる限りの情報にて、上記の私の奥さんのような単純な誤解を解きたいと考えます、『観艦式』でお世話になった、まじめで優秀な海自隊員諸氏の名誉のためにもです。

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●そもそも『観艦式』とは?〜素人木走による簡単解説

 今、私の手元には『祝 天皇陛下御在位20年』のサブタイトルが付いた『自衛隊観艦式(FLEET REVIEW 2009)』、今回のパンフレットがあります。

 軍オタでもない私が今回、前回(3年前)に続いて観艦式に招かれたのは、取材で知り合った自衛隊OB氏のお招きによるものであります。

(参考エントリー)

■[社会]衝突時、「あたご」は本当に後進していたのか?〜気になる夕刊フジ鈴木棟一氏の記事と海自OB氏の見解
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20080228

 で、このパンフレットには観艦式の歴史についてこう解説されています。

1 起源
 観艦式の起源は、1341年、英仏戦争の時、英国王エドワード3世が自ら艦隊を率いて出撃する際に、その威容を観閲したことに始まるといわれています。

2 旧海軍
 我が国では、明治元年天皇陛下をお迎えし、大阪・天保山沖で実施された観兵式が観艦式のはじまりであり、当時の兵力は6隻2452トンに過ぎませんでした。
(中略)
 旧海軍最後の第19回観艦式は、昭和15年横浜沖において実施された紀元2600年特別観艦式であり、艦艇98隻596000トン、航空機527機が参加した極めて壮大なものでした。

 うーむ、昭和15年といえば太平洋戦争勃発前年にあたるのでありますが、「艦艇98隻596000トン、航空機527機が参加」とは、ちょっとすごいスケールですねえ。

 で、現在の「観艦式」ですが、パンフレットによれば昭和32年以来、3年に一度の割合で実施されています、ちなみに今年の観艦式の規模ですが、艦艇29隻約100000トン航空機約50機といったところです。

 ちなみに、TV報道などでは日曜の総理大臣(今年は鳩山総理が海外で不在のため菅直人副総理でした)が観閲する「観艦式」本番だけが取り上げられることが多いですが、実際には金曜、土曜にもまったく同じ内容の「予行演習」が行われています。

 で実際の観艦式の内容ですが、これはもう私の体験談からお話するほうが早いでしょう。

 観艦式に参加する艦艇は横須賀基地をだいたい午前8時から9時頃までに次々に乗客を乗せて出航、お昼ごろ相模湾辺りで「観閲」および「訓練展示」が一時間近く実施されます、で横須賀基地に戻って下船するのがだいたい午後4時ぐらいであります。

 つまり招待客の立場でいうと、所要7時間のうち、実際の観艦式は正味1時間、残りの6時間は、乗船した護衛艦の艦内を見学したり、甲板などで自衛隊員とお話したり、あるいは潮風のもとでスヤスヤ居眠り(苦笑)したりと好き好きに過ごす事になります。

 で全29隻の観閲部隊の編成ですが、実は3部隊に分かれます。

 まず観閲する側です、「観閲部隊」と「観閲付属部隊」です。

 今年の場合ですが、「観閲部隊」は、先導艦「いなずま」観閲艦「くらま」随伴艦「こんごう」「あぶくま」の4隻、「観閲付属部隊」は「まきなみ」「うらが」「ちはや」「あすか」「てんりゅう」の5隻であります。

 主役はもちろん、本番で総理大臣が乗り込む観閲艦「くらま」になりますが、これら9隻は綺麗な2列縦隊を組みそれぞれたくさんの招待客を乗せています。

 一方観閲される側、「受閲艦艇部隊」であります。

 こちらは祝砲撃ったり、ロケット弾を試射したりヘリコプター発艦したり、観閲を受け、訓練を展示する側でありまして、今年の場合ですと、旗艦「あしがら」を先頭に、潜水艦やミサイル艇を含めて全20隻であります。

 実際の「観閲式」では、2列縦隊で進む「観閲部隊」と「観閲付属部隊」の間を、「受閲艦艇部隊」が逆方向から通り抜ける形でまず「観閲」が行われます。

 そしてその後双方がUターンして「訓練展示」が行われます。

 各30分、合計時間が約一時間であります。

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 さて、護衛艦の艦内ですが、艦橋も含めてかなりの場所が開放され、見学が許されています。

 ちなみに、私は今回「観閲付属部隊」の2番艦、掃海母艦「うらが」(5600トン)に乗船しましたが、艦橋を覗いたり、仕官休憩室にて、自衛官とコーヒーを飲みながら会話したり、けっこう艦内を見学しましたが、そうですね立ち入り禁止の箇所よりも見学可能箇所のほうが多かったと思います。

 私が感心するのは、海自隊員・乗組員達の乗客に対する極めて紳士的な態度であります。

 船内ではどんなことでも質問があれば優しく説明してくれますし、私のような素人に対してもおもしろい話をしてくれます。

 もうひとつ感心するのは、艦内が実に清潔に保たれていることです。

 ゴミひとつ落ちていません。

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 これは海自OB氏の受け売り話ですが、『観艦式』とは現在の海上自衛隊にとっては、その活動を国民に理解してもらえるための、3年に一回の大切な一大広報活動なのであり、そのために各乗組員は万全の準備をしてのぞむのだそうです。

 一般乗客を受け入れるために、艦内の備品の移動や清掃、外装の補修や清掃、この晴れの日にあわせて各艦は綺麗に身を清め、総理大臣を代表とした国民の観閲を受けるのであります。

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●『観艦式』からの帰りであった「くらま」にとって実に不幸な事故

 28日付け産経新聞記事から。

 【護衛艦衝突・炎上】「くらま」の電気線切断、塗料に引火で炎

 海上自衛隊護衛艦「くらま」と韓国籍の貨物船「カリナ・スター」の衝突事故で、くらまが激しく炎上したのは、電気ケーブルの切断で出た火花が塗料に引火した可能性が高いことが28日、分かった。衝突現場はカーブのうえ、関門海峡で最も幅が狭く、前の船を追い越そうとしたカリナ・スターがくらまの針路をふさぐように「逆走」したとみられる。防衛省は「衝突回避は困難だった」との見方を強めている。
 くらまは25日に相模湾で行われた観艦式に参加。政府要人らが視察で乗る「観閲艦」を務め、直前に塗装を施すのに使った塗料の残りを積載していた。塗料を収納している倉庫付近の燃え方が激しかった。
 倉庫のある艦首付近には、電気ケーブルが集中していることも判明。その部分が衝突でえぐられていたため、ケーブルが切れて出火し、塗料に引火したとみられる。くらまの艦長は衝突直前、艦首付近の隊員に退避を命じており、これがなければ隊員に大きな被害が出た恐れもある。
 衝突はカリナ・スターが前にいた船を追い越そうとした際に起き、船首から5〜6メートル後方の右舷側に穴が開き、くらまは船首が大破した。関門海峡港則法で右側通行が義務づけられ、遅い船を追い越す場合は左側を抜けていくが、衝突現場はカリナ・スターにとって右カーブで、加速すれば左側にふくらみやすい。

(後略)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/091028/dst0910282158021-n1.htm

 うむ、やはり「くらまは25日に相模湾で行われた観艦式に参加。政府要人らが視察で乗る「観閲艦」を務め、直前に塗装を施すのに使った塗料の残りを積載していた。塗料を収納している倉庫付近の燃え方が激しかった」と記事にあります。

 塗料とおそらくそれを薄める溶剤が、普段なら置かれないであろう艦首付近の倉庫に収められていたのでありましょう。

 普段なら揮発性で引火しやすい溶剤などをそのような場所に保管するなど考えづらいですが、上述したように、一般乗客を受け入れるために、艦内の備品の移動や清掃、外装の補修や清掃、『観艦式』にあわせて各艦は綺麗に身を清めてます、ましてや今回「くらま」は総理大臣が乗船する主役である「観閲艦」であります。

 今回は晴れの『観艦式』からの帰りであった「くらま」にとって実に不幸な事故でありました。

 ただ、なぜこれほど燃えたのか、その原因は、次の2点は考慮してほしいです。

 1.艦の外装を綺麗にするための塗料がいつも以上に多く保管されていた。
 2.艦内の一般客の利便性を確保するために、艦首や艦尾などに多くの備品が移動されていた。

 『観艦式』の帰りであったことがこの事故の損害を大きくしたのだと考えます。



(木走まさみず)