木走日記

場末の時事評論

八ッ場は中止すべき〜利権に群がる魑魅魍魎達をあぶり出せ

●「受益圏の拡大と受苦圏の局地化」〜日本のダム建設が宿命的に有しているテーゼ

 4年前、インターネット新聞JanJanの市民記者だったころ、JanJan編集部よりあるダム建設に関する専門研究書の書評を依頼されたことがありました。

 当時の書評はこちらに記事になっております。

『ダム建設をめぐる環境運動と地域再生 対立と協働のダイナミズム』の書評
木走まさみず2005/02/18
http://www.book.janjan.jp/0502/0502163654/1.php

 この本自体は、「あとがきに記されているのだが、そもそも本書は、東北大学大学院にて著者が5年間の研究を総括した博士論文をもとにしたものであり、序章から終章まで論文形式の記述方法で一貫している専門研究書」なのであり、「その内容の専門性と徹底的なフィールドワークで実証した情報量と引用文献の量に圧倒されるが、環境社会学という手法により、理論的に環境問題を考えることの意味を学ぶことができる良書である」わけですが、当時自宅に届いた本の分厚さを見て、引き受けたことを後悔(苦笑)したことをよく覚えております。

 結局一冊の書評を書くためにだけで、3ヶ月ほど図書館にかようはめになりました。

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 大型ダムを上流の山村に建設するというスタイルの日本のダム建設は、そもそも「受益圏の拡大と受苦圏の局地化」というテーゼを宿命的に有しています。

●「受益圏の拡大と受苦圏の局地化」というテーゼ

 一般に多目的ダムの建設目的は、「利水」すなわち、工業用水や農業用水・生活用水の確保や電力発電と、「治水」すなわち主として下流域の大雨時の災害対策である。

 大型ダムを上流の山村に建設すると、「利水」「治水」両面でダムによる利益を得るのは下流域住民であり、その受益圏は広範囲に及ぶのに対して、ダムによる弊害は当該地域の山村に局地化する傾向にあった。

 従って当時の反対運動は地域的にも広がりはほとんどなく局所的な運動であり、そのスローガンも地域密着型の作為阻止型になりがちで先鋭化はするが、いわく「先祖伝来のオラが土地がダムに沈むのは断固反対」等、他地域からの共感は得られづらいものであった。
 
上述書評記事より抜粋

 これが環境問題が着目され始めた90年代に入ると、単純に上流部=「受苦圏」、中流部・下流部=「受益圏」であったのが、流域全体の生態系・流域環境を守るという環境保全運動に変容し、従来の「受益圏」であった下流部に「受苦圏」が広がり始めます。

●「森は海の恋人」運動

 1990年代になると、従来の単純な「受益圏・受苦圏論」では括れない新たな運動形態が展開される。その端緒となった活動が宮城県新月ダム建設計画において、気仙沼湾の牡蠣養殖業者達による上流域の植林活動、「森は海の恋人」運動である。

 長年海と関わりながら生活している養殖業者は「雪や雨の多い年には、牡蠣やホタテのおがり(成長)がいい」ということを生活知識として経験的に学び取っていた。本書によれば、上流部にダムが建設された場合養殖業にとって大きな脅威になると危機感をおぼえた彼らは、ダム建設予定地の上流部に大漁旗を持ち込み植林活動を行うようになる。

 この活動は「森は海の恋人」という理解しやすいキャッチフレーズと、マスメディア受けしやすい大漁旗を持ち込んでの「植林活動」という手法により、流域全体に大きな社会的勢力を形成していく。 また、上流域のダム反対運動とは、一線を引き活動自体のスローガンには「ダム反対」は掲げなかったのも大きな特徴であった。

●反対運動の性格変容

 この段階において、旧来の「受益圏・受苦圏論」のテーゼは崩壊する。本来、「利水」「治水」の面では、単純に上流部=「受苦圏」、中流部・下流部=「受益圏」であったのが、流域全体の生態系・流域環境を守るという環境保全運動に変容し、従来の「受益圏」であった下流部に「受苦圏」が広がったのである。

 さらに、従来の先鋭的・地域ローカルな反対スローガンから、ソフトな「環境保全運動」と反対運動そのものの性格が変容したために、結果として従来達成することのできなかった広範な層の社会的支持が得られたのである。

上述書評記事より抜粋

 一部の流域において、ダム建設により上流部だけが「受苦圏」ではなく流域全体が「受苦圏」であるという認識がされ始めます。

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●過疎地に膨大な金をつぎ込み多くの利権を生むこのやり方で、費用対効果など「科学」できうるはずがない

 このような社会的批判の高まりを受けて、政府は1998年から公共事業の再評価制度を導入します。

●公共事業見直し政策の展開

 一方、政府や自治体、行政側にも長良川河口堰や諫早湾干拓事業に代表されるように全国レベルでの環境運動の興隆と社会的批判の高まり、また、財政構造改革の最優先政策課題としての「公共事業費削減方針」により、1998年から公共事業の再評価制度が導入される。

 各地の反対運動と行政側の政策見直しの結果、2003年12月までに中止が決定されたダム事業は全国で112を数える。

上述書評記事より抜粋

 1998年から公共事業の再評価制度が導入されてわずか5年間で、これまで必要不可欠とされてきた全国のダム事業のうち、実に112事業が次々と中止が決定されます。

 すべてのダムで、治水・利水の両面での計画の再評価、そして予想される事業費をより厳しく費用対効果でふるいを掛けたら、100を越すダムが、それまで「必要」とされてきたダム達が、あっさりと「不必要」という結論が行政側から下されたのです。

 それでも2009年現在、全国で計画・建設中のダムは約140を数えるわけですが、実はこの1998年からの公共事業の再評価制度自体、民間レベルで考えれば実に甘い基準を採用しています、甘い基準の一つの例としては、それまでのダム建設にかかる事業費が多くの場合着工後に予定より費用がかさみ、ダムによっては予定の倍以上の費用計上しなければ完成しなかったことから、行政側の事業計画の費用算出手法それ自体の精度に問題があるのは自明なわけですが、そこは徹底的に見直されたわけではありません。

 主として利用目的つまり治水・利水の両面での計画の再評価が中心であり、その点で可及的要請のない事業は中止になっているのであり、事業計画の費用そのものを圧縮しようと努力しているわけではない点は重要です。

 大型ダムを上流の山村に建設するというスタイルの日本のダム建設は、そもそも「受益圏の拡大と受苦圏の局地化」というテーゼを宿命的に有してきました。

 つまり、直接の受苦圏である日本のダム建設予定地であった山村は、例外なく深刻な過疎化・高齢化問題を抱えております。

 そのような局所にこれまでのこの国の行政は、膨大なお金をつぎ込んできました、ダムができる以前から受苦圏者側に各種補償を手厚くして反対運動を切り崩します、水で埋まる道路や鉄道の代替工事、家や畑の代替用地確保、あげくは新用地の地滑り対策工事まで請け負います。

 そしてダム本体工事だけでなくこれらの関連工事に群がる多くの国交省管轄外郭団体とダムゼネコン企業達がこのダム事業の事業費を膨大させるプレーヤーとして参加しています。

 以下のPDFファイルの名簿をご覧いただければプレーヤーを余すことなく確認できます。

財団法人 日本ダム協会役員名簿
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/kyokaisigoto/disc0102.pdf

 過疎地に膨大な金をつぎ込み多くの利権を生むこのやり方で、費用対効果など「科学」できうるはずがありません。

 繰り返しますが、行政側の事業計画の費用算出手法それ自体の精度に問題があるのは自明ですが、この点では問題は何も解決されていません。

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●「激震 八ッ場ダム中止 将来不安口々に」〜読売新聞記事
 
 26日付け読売新聞記事から。

激震 八ッ場ダム中止 将来不安口々に

川原湯地区で住民総会
 長野原町川原湯地区の八ッ場ダム対策委員会総会が25日開かれ、高山欣也町長や国土交通省八ッ場ダム工事事務所の渋谷慎一所長のほか、住民ら計60人が参加、建設中止を表明した前原国交相への憤りや将来への不安を訴える声が噴出した。

 渋谷所長は「心配をおかけして申し訳ありません」と陳謝し、「国道など、ダム本体以外の生活再建にかかわる工事は、地元の意見を聞きながら、引き続き進めていく」と述べた。また、昨年度末で全体の2割に及ぶ未買収地について、渋谷所長は「生活再建計画のためにこれまで通り取得に努める」と話した。

 住民との質疑応答は約1時間半に及び、「来年度以降の予算はどうなるのか」「国道や移転代替地の完成はいつになるのか」など、厳しい口調での質問が続き、住民の1人が「代替案も持たずに来た大臣は無責任。本人に伝えろ」と声を荒らげる場面もあった。

■6都県が連携確認 幹部会議新設へ■

 八ッ場ダム建設に事業費を支出する6都県の担当課長による会議が25日、埼玉県庁で開かれた。各都県の幹部職員による連絡会議を設け、連携して対応を協議する方向で一致した。

 会議では、群馬県特定ダム対策課の坂井賢一課長が、23日に行われた前原国交相の現場視察の模様やこれまでの経緯を報告。他の都県からは、ダムを巡る各知事のこれまでの発言などが報告され、今後も情報交換を続けていくことを確認した。また、各都県の部長クラスによる「八ッ場ダム建設事業関係都県連絡調整会議」(仮称)を設置する方向で調整を進めることになった。

 会議は、前原国交相の中止表明に対し、ダム建設推進を求める各都県の知事から連携して対応する考えが出ていることを踏まえ、同ダムによる利水の恩恵が大きい埼玉県の呼びかけで開かれた。

■川辺川ダムの地元村議来県■

 前原国土交通相八ッ場ダムとともに中止を表明した川辺川ダム予定地を抱える自治体の一つ、熊本県相良村の村議が25日、長野原町を視察に訪れた。

 町役場を訪れた相良村議ら8人は、町の担当職員に最近の地元の状況や23日の前原国交相視察の様子などについて質問。村議からは、同村では村長がダム建設に反対していることなど、ダム建設を求めている長野原町とは立場が異なるとの説明もあった。

 村議らはその後、ダム関連の工事現場を視察した。

(2009年9月26日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20090926-OYT8T00106.htm

 50年以上前に計画が持ち上がった八ッ場(やんば)ダムに対し、地元住民は最初、反対の立場でありました。

 国との長期間の話し合いの結果、住民達は反対派と賛成派に分列、その間も地元経済は疲弊していき疲れ果てた住民達は次第に軟化し、2000年代に入ると、水没予定地の住民は次々と移転に応じていきました。

 現在、地元では、建設されるダムを目玉に、観光客を誘致して経済振興を図ろうとの動きもあります。

 こうした地元にとって、いまさら中止といわれて梯子をはずされては、生活基盤も揺らぎ納得できないのは無理からぬことであります。

 気の毒にもしかし、現在、この八ッ場ダム建設中止問題は、日本のこれまでの費用対効果の劣悪・非効率なハコモノ行政の象徴となっているのであります。

 別に八ッ場ダムに限ったことではありませんが、この八ッ場ダムの事業費は当初の2倍以上の4600億円に膨らみ続け、このまま建設を続ければさらに事業費が増える可能性は極めて高いのであります。

 よく言われることですが、ダムにしろ道路にしろ、日本の公共事業の土木事業費は国際比較しても異常に高い。

 上述したように高いだけでなく計画自体が甘い、いざ着工してみたら費用が倍に膨らむなんて当たり前、また計画時に役所が作成した将来における利用見通しもハコモノの必要性を強調するための極めて恣意性のある予測に基づいているものが多いのであります。

 費用対効果が疑わしいモノばかりです。

 なんでそんなに金が掛かるのか、民主党政権に交代した今、まずそこから徹底的にメスを入れるべきでしょう。

 利権に群がる魑魅魍魎達をあぶり出さなければなりません。

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経営資源の配分を誤り、非生産的な資金の投入を繰り返してきた日本

 民主党政権に日本の政権が交代しました。

 企業でいえば経営陣の全とっかえであります、ならば経営の抜本的な改革につながるものでなければならない、経営の改革とは、経営資源の配分を代えることであります。

 過去数十年を振り返ると、日本の経営の行き詰まりが如実にわかります、1995年度の日本の名目GDP(国内総生産)は497兆円でしたが、その後は、500兆円を越えたり、下回ったり、2008年度は497兆円で、95年度と同じであります。

 この間に「いざなぎ越え」と呼ばれた実質GDP成長が続いた時期もあるが、デフレ下で実数値は伸びないのだから成長の実感は乏しかったです、つまり、企業業績の説明なら「売上高は十数年間ほぼ横ばい」と言うべき状況でありましょう。

 一方でバランスシートは劇的に悪化しています。

 95年度末に326兆円だった政府債務は08年度末には846兆円へと増え、その名目GDP比は65%から170%に上昇しました。

 借金をこれだけ増やしても、売り上げを増やせなかった。

 ということは、経営資源の配分を誤り、非生産的な資金の投入を繰り返していたことを意味します。

 その象徴が高額で無駄なダム建設にあります。

 活用度の低い道路やハコモノへの投資は、一過性のムダづかいでは終わりません。

 その維持・管理の費用は後々までついて回り、地元自治体を含めてメンテナンス・コストの負担が続くのです。

 経費が増える一方で、リターンを生まないビジネスモデルを続けていくと、経営は破綻します。

 財政の持続可能性についての当然の懸念を、多くの国民が抱いているのは当然です。

 バラマキ政策との批判もある民主党が圧勝した一因が、実は財政の持続可能性への懸念にあることを民主党も認識すべきでしょう。

 八ッ場だけの損得を論じても意味はないでしょう。

 全国で計画・建設中の約140のダムをはじめ、多くの公共事業を白紙で洗い直し、そこに組み込まれた利権構造の解体を徹底的にまず行うべきです。

 利権に群がる魑魅魍魎達をあぶり出さなければなりません。

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 八ッ場は中止すべきです。

 民主党政権の存在価値は正にここだけに掛かっています。



(木走まさみず)