木走日記

場末の時事評論

集団自決判決:ふたつの複雑な悲しい想い

 今回は集団自決判決について個人的所感をまとめておきます。



 今日(29日)の日経を除く主要各紙社説から。

【朝日社説】集団自決判決―司法も認めた軍の関与
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

【読売社説】集団自決判決 「軍命令」は認定されなかった
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080328-OYT1T00793.htm

【毎日社説】沖縄ノート判決 軍の関与認めた意味は大きい
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080329k0000m070144000c.html

【産経社説】沖縄集団自決訴訟 論点ぼかした問題判決だ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080329/trl0803290218000-n1.htm

 各紙社説の論説のポイントを押さえて置きましょう。

 まず【朝日社説】は、今回の判決を「納得できる。高く評価したい。」としています。

 集団自決には手投げ弾が使われた。その手投げ弾は、米軍に捕まりそうになった場合の自決用に日本軍の兵士から渡された。集団自決が起きた場所にはすべて日本軍が駐屯しており、日本軍のいなかった所では起きていない。

 判決はこう指摘して、「集団自決には日本軍が深くかかわったと認められる」と述べた。そのうえで、「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけた。

 この判断は沖縄戦の体験者の証言や学問研究を踏まえたものであり、納得できる。高く評価したい。

 【読売社説】は、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ない」とした点に重きを置いております。

 判決は、旧日本軍が集団自決に「深く関与」していたと認定した上で原告の訴えを棄却した。

 しかし、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ない」とし、「命令」についての判断は避けた。

 【毎日社説】は、今回の判決が、「軍の関与認定にまで踏み込んだことは、歴史認識や沖縄の心、極限状況における軍と国民の関係を考える議論に一石を投じる」として、評価しております。

 大江健三郎さんの著作「沖縄ノート」などの記述で名誉を傷つけられたとして損害賠償や出版差し止めを求めた両島の守備隊長やその遺族の主張は全面的に退けられた。

 軍の関与認定にまで踏み込んだことは、歴史認識や沖縄の心、極限状況における軍と国民の関係を考える議論に一石を投じるもので、その意味は大きい。

 一方、【産経社説】は社説冒頭から、今回の判決を「教科書などで誤り伝えられている“日本軍強制”説を追認しかねない残念な判決」と批判しております。

 沖縄戦で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、元隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟で、大阪地裁は大江氏側の主張をほぼ認め、原告の請求を棄却した。教科書などで誤り伝えられている“日本軍強制”説を追認しかねない残念な判決である。

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●軍命令の有無という肝心な論点をぼかした分かりにくい判決

 プチリベラルのナショナリストとわけのわからぬスタンスの不肖・木走でありますが、この沖縄集団自決判決にはふたつの複雑な悲しい想いをもっております。

 ひとつは、「私たちは自決命令など出していません」という個人の名誉回復を争点にした今回の訴訟が、旧日本軍全体の話に責任を拡大して議論されてしまっている点です。

 裁判でも取り上げられた「集団自決が起きた場所にはすべて日本軍が駐屯しており、日本軍のいなかった所では起きていない」のは事実だとして、その歴史的全体的流れの中から「集団自決には旧日本軍が深くかかわった」と認定、原告の座間味島の守備隊長と渡嘉敷島の守備隊長(の弟)が「自決を命じた」かどうかは具体的物証もなく「真実と直ちに断定できない」にもかかわらず、「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけてしまっているわけです。

 これは明らかに「全体」の問題と「個別」の問題を混同しています。

 多くの冤罪事件にも通ずる「怖さ」を感じます。

 この裁判で問われているのは、座間味島の守備隊長と渡嘉敷島の守備隊長が「自決を命じた」とした「沖縄ノート」の記述か真実なのかどうか、その一点であります。

 「全体」の問題、日本軍の関与の有無は、訴訟の大きな争点ではないにも関わらず、「個別」の問題、軍命令の有無という肝心な論点をぼかした分かりにくい判決といえるでしょう。

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 原告側は控訴する構えであり、ここは上級審での審理を見守りたいです。

 客観的な事実の検証なくして、歴史の教訓を導き出すことはできません。

 一つ一つの事実を冷静に判断することが重要なのでありましょう。

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●「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」〜大田実(おおたみのる)中将の最後の大本営宛の電文に深く共鳴する

 今回の訴訟に関してはここは上級審での審理を見守りたいですが、この沖縄集団自決に関しては、私は裁判を離れてもうひとつの複雑な悲しい想いを抱いています。

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 以下有名な電文を再掲いたしましょう、1945年1月第4護衛隊兼沖縄特別根拠地隊司令官となり1万人の部隊を率いて沖縄本島小禄(おろく)半島(現在の那覇空港周辺)での陸戦を指揮しましたが,米軍の攻撃のために6月13日海軍壕内で自決(54歳)した大田実(おおたみのる)中将の最後の大本営宛の電文です。

左ノ電文ヲ次官ニ御通報方取計(とりはからい)ヲ得度(えたし)

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既二通信力ナク 第32軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非(あら)ザレドモ現状ヲ看過(かんか)スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆(ほとん)ド顧ルニ暇ナカリキ 然(しか)レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ 家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚 砲爆撃下 ‥‥(不明) 風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ 而(しか)モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹飯(ほうはん)婦ハモトヨリ 砲弾運ビ、挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮(しょせん) 、敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙(どくが)ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門(ぐんえいもん)ニ捨ツル親アリ 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ 身寄無キ重傷者ヲ助ケテ‥‥(不明)真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳(は)セラレタルモノトハ思ワレズ更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ 輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫 勤労奉仕、物資節約ヲ強要セラレテ 御奉公ノ‥‥(不明)ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ‥‥(不明)コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島実情形‥‥(不明)一木一草焦土ト化セン 糧食6月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄縣民斯(か)ク戦ヘリ

 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 この「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」で結ばれている電文は、とても有名なのですが、「沖縄県民は斯く(このように)戦ったのだから,後世沖縄を決しておろそかにはせず,平和になったあかつきには,沖縄県民に格別の配慮をして欲しい」との願望で締めくくっているわけですね。

 この電文には,これまでの決別電の典型であった『天皇陛下万歳』も,『皇国ノ弥栄(いやさか=いよいよ栄えること)ヲ祈ル』という文言は皆無であります。

 勇ましい戦いの報告もありません。

 指揮官としての作戦報告もありません。

 そこにはただひたすら,第2次大戦唯一の地上戦となった沖縄戦の惨状と沖縄県民の筆舌しがたい苦難を述べているのです。

 さらに,軍はそれらを顧みる余裕がなかったと悔いた後,沖縄県民は斯く(このように)戦ったのだから,後世沖縄を決しておろそかにはせず,平和になったあかつきには,沖縄県民に格別の配慮をして欲しいとの願望で締めくくっているわけです。

一木一草焦土ト化セン

糧食6月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄縣民斯(か)ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 沖縄地上戦の悲惨さと大田実中将の日本軍に忠誠を尽くし犠牲になった沖縄県民への熱い想いが少ない文字の中に見事に表現されています。

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●集団自決判決:ふたつの複雑な悲しい想い

 「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」願ったこの大田実中将の「沖縄県民への共感と畏敬の念」に私は深く共鳴いたします。

 沖縄県民に起きた全体の悲劇からすれば、集団自決に軍がどう関与したのかは本来瑣末な話なのかもしれません。

 63年前、太平洋戦争末期において、日本領土内の雄一の地上戦で、事実として多くの無辜の民がその命を奪われたのです。

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 沖縄への共感は過去のものであってはなりません。

 今日の日本の安全保障政策においても、在沖米軍基地の存在を無視しては語ることはできません。

 在日米軍の実に四分の三が、狭い沖縄に存在していることは、現在までこの国が沖縄の負担と犠牲を継続している事実を象徴していると思います。

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 個別の個人の名誉回復訴訟は客観的な事実の検証を粛々と積み上げ、司法が正しく判断してほしいです、上級審での審理を見守りたい。

 この悲しい裁判は個人の名誉回復訴訟なのであり、旧日本軍の断罪という「全体」でもって、「個別」の事実の積み上げを省くことはしないでほしいです。

 この裁判とは別に、「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」願った大田実中将の「沖縄県民への共感と畏敬の念」に私は深く共鳴いたします。

 沖縄の負担は、悲しいことに大田実中将の願いむなしく、今に続いていると思うからです。



(木走まさみず)



<沖縄関連テキスト>
■[コラム]仲井真氏の名前から想起する琉球王朝の悲哀の歴史
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20061120