変節した日本共産党をはじめ、民主党や朝日新聞などのこの国の左翼日和見主義者たちの一貫性のない主張に辟易する〜「自衛隊」の存在を認めた時点でこの議論の決着はとうについている
朝日新聞の社説がまたもや極端な主張を開陳しています。
砂川判決―司法自ら歴史の検証を
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=com_gnavi
社説は「米軍駐留は違憲」とした一審判決を否定した「砂川判決」はアメリカからの圧力があった疑いがあるとしています。
この判決をめぐる疑義が明るみに出たのは2008年以降。裁判当時の田中耕太郎最高裁長官が駐日米大使らと判決前に会い、裁判の情報を伝えていたとの米政府の公電が公開された。
条約改定を進めたい日米両政府にとって「米軍駐留は違憲」との一審判決がいかに不都合だったかは、想像にあまりある。
米大使館の公電によると、大使に対し長官は一審判決は誤っていたとし、最高裁では全員一致で判決して「世論を乱す少数意見」は避けたい、との望みを語った。
政府高官も無関係ではない。一審判決の翌朝、外相に会った大使が判決を「正す」重要さを強調したとの文書もある。
「公平な裁判を受けられなかった」と被告や遺族が昨年、再審を請求したのは当然だろう。
社説の結びはこの砂川判決に関わる疑義を「歴史の暗部」と指摘して「目を背けてはならない」と主張しています。
この朝日の例によっての上から目線的な「正論」には、ほとほと辟易するのですが、砂川判決にアメリカからの圧力があったかどうか、当時の被告が裁判のやり直しを求めた審理自体はその正当性を認めましょう。
関係者が名誉回復を目指すのは正当な行為です。
しかし、この朝日社説はそこが狙いではありますまい。
ずばり安倍政権の安保関連法案の合憲性の根拠を否定しようとしているのは明白です。
さらに安倍政権は、今国会での成立をねらう安保関連法案の合憲性の根拠として、砂川判決を挙げた。その歴史的検証はいよいよ不可欠である。
朝日新聞はいまさら「米軍駐留は違憲」の主張を復活させようとしているのでしょうか。
それとも砂川判決はアメリカから圧力を受けた結果であることを証明して、それをもって「砂川判決」を合憲性の根拠としている安保関連法案に対し、その違憲性を主張しようとしているのでしょうか。
いずれにせよ、当時アメリカからの圧力などといったら、憲法九条にしろ、自衛隊創設にしろ、日米安全保障条約締結にしろ、すべてアメリカ主導で決まったことであり、何一つ日本主導で安全保障上の取り決めを主体的にしたことなどなかったわけです。
この問題、もっと原点に戻って論じましょう。
・・・
日本国憲法第二章は「戦争の放棄」が明確にうたわれています。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」は、この国は軍隊を持ってはいけないのであり、「交戦権」すなわち他国と戦う権利はいかなる理由があろうとこれを認めないのであります。
憲法九条は日本の国権の発動としての戦争と国際紛争解決のための武力の行使を放棄し、かつ日本の軍隊の保持と交戦権の行使を禁止しています。
これは明白に軍隊を禁止しているのであります。
邦文にしろ英訳にしろ誰が読んでも誤読する余地などない「戦力は、これを保持しない」という単純明快な宣言です。
だからこそ、69年前、1946年6月25日、アメリカ占領軍主導の戦争放棄および戦力放棄の宣言を盛り込んだ憲法改正案(日本国憲法の原案)が衆議院本会議に上程され審議が行われた際、反米野党である日本共産党は、憲法に非戦・非武装の条項を盛り込むことについて、猛烈に反対をしていたのです。
第九十回帝国議会における共産党を代表する野坂参三代議士による憲法九条反対演説です。
われわれは民族の独立をあくまでも維持しなければならない。
日本共産党は一切を犠牲にして、わが民族の独立と繁栄のために奮闘する決意をもっているのであります。
要するに当憲法第二章(第九条)は、わが国が自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえにわが党は民族独立のためにこの憲法に反対しなければならない。
間違いでもなんでもなく、この演説は日本共産党の野坂参三議員によるものであります。
野坂参三だけではなく、当時、日本共産党の志賀義雄も「新憲法(日本国憲法のこと)の武装放棄条項だけは絶対にのめない」という演説をぶっています。
当時は政権をになう保守陣営が新憲法を「護憲」する側であり、共産党など左翼陣営が「九条反対」の旗を立てていたわけです。
この状況が一変するのが朝鮮戦争勃発です(1950年6月25日-1953年7月27日)。
それまで沖縄で一部アメリカ軍が駐留すれば非武装日本を統治可能としていたアメリカが、朝鮮戦争が起こったために大規模な米軍駐留と、日本自身による防衛軍の創設の必要性が出てきました。
実際、1950年元旦(朝鮮戦争勃発前)の日本国民に対するメッセージの中で、マッカーサーは、憲法九条は日本の自衛権を否定していない、と強調しています。
軍隊を放棄している憲法を有する日本にアメリカ軍を大量に駐留させるために「日本の自衛権」を持ち出したのは、マッカーサーなのです。
そしてこの「自衛権」は拡大解釈され、同年8月「警察予備隊」のちの「自衛隊」が誕生するわけです。
翌1951年9月には,対日講和条約と同時に日米間で日米安全保障条約という軍事条約が結ばれます。
この時点で憲法九条は事実上空文化したといっていいでしょう、日本は西側陣営の一員となったのです。
さて、親米的な「自衛隊」という軍隊が誕生したことで、反米左翼陣営は「わが民族の独立と繁栄のために憲法九条絶対反対」から「自衛隊は憲法九条違反」と変節、やがて「平和憲法、九条を守れ」とそれまでの主張を180度、変節いたします。
興味深いのはそのころから、この国の憲法学者の大半は、自衛隊は憲法九条違反、日米安保条約は軍事同盟に等しいので憲法九条違反と、反米左翼陣営を理論的に支持するようになります。
さて現在自衛隊を憲法違反とする先鋭的な主張は左翼陣営からほとんど聞こえません。
日本共産党ですら2000年には自衛隊の存在意義を認め始めています。
戦後70年、現実に即した当然の解釈です。
今、民主党をはじめ野党や一部メディアは安倍政権の掲げる安保改正法案は集団的自衛権を認めている点で「憲法違反」であると主張しています。
馬鹿を言うなという話です。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という憲法を有しながら「自衛隊」の存在を認めた時点でこの議論の決着はとうについているのです。
日米安全保障条約という軍事同盟を認めている時点でこの国の集団的自衛権は認められているのです。
今回の安保改正法案を違憲と主張するならば、日米安保条約も違憲であると主張しなければつじつまがあいません。
もとをただせば自衛隊の存在そのものを違憲としなければなりません。
そこまで主張するならば、意見は違いますが論としての正当性は認めましょう。
自衛隊創設の時も、日米安保条約が結ばれた時も、左翼陣営は「戦争反対」と猛烈に抗議運動を起こし、ときの憲法学者も「憲法違反」と主張していました。
それが今では誰も声だかには国会などの公の場で反対はしていません。
当初は九条そのものを否定していたのに変節した日本共産党をはじめ、民主党や朝日新聞などのこの国の左翼日和見主義者たちの一貫性のない主張には、辟易します。
安倍政権は支持率など気にしないで法案成立に邁進すればよろしいのです。
その評価は将来の人々が下すことでしょう。
(木走まさみず)