木走日記

場末の時事評論

梅雨空のように不快指数高い朝日社説を愛でる

 今回のエントリーはまず珍しくも朝日新聞サイドにたった主張を展開したいと思います。

 その上で当ブログとしての本音をまとめたいと思います。

 ・・・

 さてめっきりそして急に寒くなった秋の空でございますが、東京では46年ぶりの低温ということで、台風も近づくようで週末の投票日の天候・空模様が心配でございます、投票率に影響しないといいのですが・・・

 選挙戦たけなわなのでありますが、今回は一服の清涼剤のような清々しい話題を提供いたしましょう。

 この10月に季節外れなのですが梅雨空の俳句を一句ご紹介。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ

 見事なできばえでございます。

 この清々しい俳句を、こともあろうに、さいたま市大宮区の三橋公民館が、憲法9条について詠んだ俳句の月報掲載を拒否したのは、平成26年6月のことであります。

 これは「憲法が保障する表現の自由などの侵害」に当たると、作者の女性(77)=同区=が市を相手取り、俳句の月報への掲載と200万円の損害賠償を求めた民事訴訟の判決が13日、さいたま地裁でありました。

 このたび、さいたま市に地裁が5万円支払いを命じる判決が出ました。

月報への掲載棄却 「9条守れ俳句」不掲載訴訟 さいたま市に地裁が5万円支払い命令
http://www.sankei.com/affairs/news/171013/afr1710130023-n1.html

 うむ、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」ですが、市側は「提出された作品を必ず掲載すると約束したものではない」などとして争う姿勢でしたが、何をいっとるのか、だまらっしゃい。

 この秀作を載せずしてどうするのです。

 思えばこの勝訴を勝ち取るまで長い年月でした、「九条俳句」市民応援団もがんばって応援して参りました。

 「九条俳句」違憲国賠訴訟を市民の手で!実行委員会もがんばりました。

「九条俳句」市民応援団
「九条俳句」違憲国賠訴訟を市民の手で!実行委員会
http://9jo-haiku.com/modules/history/content0001.html

 うむ、この「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」裁判5万円勝訴の偉業に、早速の日本のマスメディア随一のクオリティペーパーを自負する朝日新聞が社説にて掲載してくれています。

(社説)俳句掲載拒否 事なかれの先にある闇
http://www.asahi.com/articles/DA3S13184967.html?ref=opinion

 社説は冒頭から、「自治体にひろがる事なかれ主義」、「見当違いの「中立」墨守に警鐘を鳴らす判決」と檄文調であります。

 自治体にひろがる事なかれ主義と、見当違いの「中立」墨守に警鐘を鳴らす判決だ。

 「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。さいたま市がこの俳句を地元の公民館だよりに載せるのを拒んだ問題で、さいたま地裁は、作者の女性に慰謝料を支払うよう、市に命じた。

 公民館は、女性が参加するサークルで秀作に選ばれた句をずっと掲載してきた。だが「梅雨空に」については、秀句とされたにもかかわらず、「公民館は公平中立であるべきだ」などの理由で採用しなかった。

 注目すべきは、判決が「一種の『憲法アレルギー』のような状態に陥っていたのではないかと推認される」点だと指摘します。

 注目すべきは、公民館側がこうした異例の措置をとった原因として、判決が「一種の『憲法アレルギー』のような状態に陥っていたのではないかと推認される」と述べたことだ。

 掲載を拒んだ職員らは教育関係者で、学校現場で日の丸・君が代をめぐる対立などに直面してきた。その経験から、いざこざを嫌ったとの見立てだ。

 苦情や抗議を招きそうな面倒な話はやめてほしい。とりわけ憲法がからむ政治的な問題とはかかわりを持たず、事前に抑えこむほうが得策だ――。そんな空気が、自治体をはじめ、公の施設や空間を管理する側をおおっているのは間違いない。

 「体制に批判的な言動をあげつらうメディアやネット世論」もあるからその労苦は理解できるとしています。

 体制に批判的な言動をあげつらうメディアやネット世論もあり、対応に追われる労苦は理解できる。だからといって、市民から発表や参加の場を奪った先にあるのはどんな世の中か、想像力を働かせる必要がある。

 波風の立たない平穏な光景かもしれない。だがそれは、闊達(かったつ)さとは無縁の息苦しい社会だ。

 社説の結びは、「憲法が保障する権利は、失ったときにその尊さを思い知らされる」と正論でまとめられています。

 判例や学説は、基本的人権の中でも表現の自由をひときわ重く見てきた。民主主義を深めるには、自由に学び、ものを考え、成果を公表し、意見を交わすことが不可欠だからだ。

 憲法が保障する権利は、失ったときにその尊さを思い知らされる。そしていったん失ってしまうと、回復するのは容易ではない。自由な社会を維持し、次代につなぐために、どう行動すべきか。一人一人が問われる。

 どうでしょう、この朝日新聞社説のすばらしい主張は。

 「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」俳句事件のすばらしい援護射撃となっていますでしょう。

 まずタイトルがいいですよね。

 『俳句掲載拒否 事なかれの先にある闇』です、このような俳句不掲載の先にどす黒い「闇」社会が待っているのです。

 そして「憲法が保障する権利は、失ったときにその尊さを思い知らされる」(朝日社説の結び)のであります。

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 ここから本音よろしいでしょうか?

 3つどうしても指摘したいのです。

 まず一つ目。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」

 これ本当に秀作なのでしょうか?

 私にはどう読んでも字余りチックの駄作にしか思えないのですが、それはおそらく私に雅な俳句心がないからでありましょう(汗。

 二つ目。

 この駄作俳句の事件、このために「職業的市民団体」ができて3年ももめて裁判して、そして大新聞の社説でも扱うほどの、これそんなに大事件なんですか?

 本当に見過ごしてしまうと憲法が保障する権利が失われてしまう(朝日社説)ほどの大事件なのでしょうか?

 三つ目。

 朝日新聞はいいます。 

体制に批判的な言動をあげつらうメディアやネット世論もあり、対応に追われる労苦・・・

 朝日の言い分だと保守系がうるさいとおっしゃる・・・

 申し訳ありませんが、これぜんぜん反対じゃないんですか?

 まったくの逆でしょ。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」のこの駄作俳句不掲載だけでクレーマーと化して何年も市を恫喝し、あげくにプロ市民団体ができて裁判までこじらせて、左傾メディアに社説にまで批判を受ける、これじゃね、どこの自治体だって、「九条守れ」系は、敬遠されるんじゃないですかね?

 自治体がこの種の主張を敬遠するのは、ある意味「九条守れ」系の自業自得なんだと思います。

 やれやれです。

 あれ、なんか一服の清涼剤のような清々しい話題のはずが梅雨空のような不快指数高い話題とかしてしまいました。

 最後に。

 しつこいですが教えてください、読者の皆さん。

「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」

 これのどこが秀作なのでしょうか、字余り気味の駄作ちゃうのん、ああ、お馬鹿な私には俳句心が理解できないのでありました。

 ふう。



(木走まさみず)