木走日記

場末の時事評論

「チベット騒乱」をめぐる日本リベラルの不可解な沈黙〜「人民戦争」と言うキーワードから読み解いてみる

●「ダライ派の醜い面を明るみにさらけ出す」〜中国当局者「人民戦争」を宣言

 ロイター記事から。

チベット暴動、中国はダライ・ラマ派との「人民戦争」を宣言

[北京 16日 ロイター] 中国チベット自治区ラサで発生したチベット仏教僧らによる大規模な暴動を受け、中国の当局者らは、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の支持者らとの「人民戦争」を戦うとの姿勢を強調した。同暴動をめぐっては、数十人の死者が出ているとの情報もある。

 ラサでは14日、けさをまとった者や独立を求めるスローガンを叫ぶ者が商店を破壊したり、銀行や政府関連の建物を攻撃、警官に石や刃物を振りかざしたりして、大規模な暴動に発展した。

 16日付のチベット・デーリー紙によると、中国政府当局者は15日の会合で「今回の乱闘や破壊、略奪、放火の憂慮すべき出来事は、国内外の反動的な分離派勢力が慎重に計画したもので、最終目的はチベットの独立だ」と指摘。「分離主義に反対し安定を守るため、人民戦争を戦う。こうした勢力の悪意ある行為を暴き出し、ダライ派の醜い面を明るみにさらけ出す」としている。

 住民らによると、ラサでは16日現在、鎮圧部隊が道路を管制した上で住宅を厳重に監視している。

 今回の暴動について、中国は少なくとも10人の「罪の無い市民」が、主にデモ参加者の放火による火事で死亡したと発表した。

 これに対し、ラサとつながりの強い外部関係筋は、ロイターに対し、犠牲者はそれよりもはるかに多いと指摘。暴動とその後の鎮圧行為での被害者の遺体を実際に目の当たりにしたという人物の話として「ある遺体安置所だけでも67体あったそうだ」と語った。

 一方、インド北部に拠点を置くチベット亡命政府は、中国当局との衝突で約30人が死亡したとしている。

 中国政府は、外国メディアがチベットから自由に報道することを禁じており、実際の被害規模を確認するのは難しい状況となっている。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-30847320080316

 この記事の重要なキーワードは「人民戦争」であります。

 私個人は「中国の当局者らは、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の支持者らとの「人民戦争」を戦うとの姿勢を強調した」ことは、少なからずの「驚き」と、やはりそこに至ったのかという「落胆」の思いになりました。

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●今回の事態は中央政府の考える以上に深刻であったのかもしれません 
 少なからずの「驚き」を持った理由は、オリンピックを控え、海外からも穏便な対応を求められている中で、中国当局中央政府も関わる形で「人民戦争を戦う。こうした勢力の悪意ある行為を暴き出し、ダライ派の醜い面を明るみにさらけ出す」という強行路線を採用したことであります。

 「人民戦争」というキナ臭い前時代的用語を使用するリスクは特に中央政府は十分に理解していたことでしょう、特に平和の祭典オリンピックを司る国としてはできればこの微妙なタイミングでこのようなキナ臭い言葉は使用を避けたかったはずです。

 地方当局の強硬意見を中央が飲まざるをえないほど、今回の事態は中央政府の考える以上に深刻であったのかもしれません。
 
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●「人民戦争」の矛盾〜「全民族の利益」はしばしば最多数民族である「漢民族の利益」に同値

 やはりそこに至ったのかという「落胆」を持ったのは、共産中国にとり「人民戦争」という言葉は特別な意味を有しており、この言葉は第二次世界大戦の中国国民革命軍第八路軍すなわち日中戦争の中国赤軍の行動原理に由来する歴史的用語なのからであります。

 『毛沢東選集 第三巻 p305』から抜粋引用しておきましょう。

 この中で毛沢東は「人民戦争」を担う軍隊は以下のような特徴を有していると述べています。

 この軍隊が強力なのは、この軍隊に参加しているすべての人がみな自覚的な規律をそなえているからであり、少数の人または狭隘《きょうあい》な集団の私的利益のためにではなく、広範な人民大衆の利益のため、全民族の利益のために、結集し戦っているからである。しっかりと中国人民の側にたって、誠心誠意、中国人民に奉仕すること、これがこの軍隊の唯一の目的である。

http://www.geocities.jp/maotext001/maosen-3/maosen-3-305.html

 なるほど、「少数の人または狭隘《きょうあい》な集団の私的利益のためにではなく、広範な人民大衆の利益のため、全民族の利益のために、結集し戦っている」とは、今回のチベット騒乱における中国当局の「分離主義に反対し安定を守るため、人民戦争を戦う。こうした勢力の悪意ある行為を暴き出し、ダライ派の醜い面を明るみにさらけ出す」発言と通底している論法であります。

 つまり「人民戦争」と言う言葉は中国現中央政府の原点となる、抗日戦争に由来する、中国共産党にとって歴史的な特別な用語なのであります。

 毛沢東は「人民戦争」について語るこの章を次の文章で結んでいます。

 要するに、すべては前線のために、すべては日本侵略者の打倒と中国人民の解放のためにということ、これが中国解放区の軍民全体の全般的スローガンであり、全般的方針である。
 これが真の人民戦争である。このような人民戦争によってのみ、民族の敵にうち勝てるのである。国民党が敗北しているのは、必死になって人民戦争に反対しているからである。
 中国解放区の軍隊は、ひとたび新式兵器によって装備されるなら、いっそう強大になり、日本侵略者を最後的にうちやぶることができる。

 要するに中国共産党のいう「人民戦争」の定義は、その目的が「中国人民の解放」であり、「人民戦争によってのみ、民族の敵にうち勝てる」のであり、そののためには「少数の人または狭隘《きょうあい》な集団の私的利益のためにではなく、広範な人民大衆の利益のため、全民族の利益のために、結集し戦」うことが求められるわけです。

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 まさにこの毛沢東の「人民戦争」について語る文にこそ、根本的な矛盾を読み解けることは極めて重要です。

 「人民戦争」では、「広範な人民大衆の利益のため、全民族の利益のために」は、「少数の人または狭隘《きょうあい》な集団の私的利益」は糾弾されるべき対象と定義され、しかしながら残念なことに「全民族の利益」はしばしば最多数民族である「漢民族の利益」に同値になるからです。

 皮肉ですが、まさに今回のチベット騒乱は確かに、多数民族の利益のためには少数民族の利益は犠牲になっても仕方がない、その意味で漢民族中心の中国政府にとって「人民戦争」そのものなのでありましょう。

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 今、検証したとおり「人民戦争」という前時代的用語は、中国共産党にとって歴史的意味合いの持つ特別な言葉なのであります。

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●「チベット騒乱」をめぐる日本リベラルの不可解な沈黙を「人民戦争」と言うキーワードから読み解く

 毛沢東の唱えたこの「人民戦争」という用語・概念は、戦後、国内外のリベラル派を毒してきたのであります。

 例えばチベットに隣接するネパールでは、長年共産ゲリラ勢力に悩まされているのですが、毛沢東信者である彼らは自分達のテロ活動を「人民戦争」と自称しているのは当地ネパールでは有名な話であります。

 さらに興味深いのは戦後日本極左勢力がこの「人民戦争」という用語を愛用してきた事実です。

 日本において30年ほど前の極左テロ事件において、彼らが自分達のテロ活動を「反日都市ゲリラ戦」と称して「日本における人民戦争」と定義していたことも実に興味深い事実であります。

 当時三菱ビル爆破事件などを首謀した『東アジア反日武装戦線』は「日本における人民戦争」において、機関紙ともいえる当時の『腹腹時計』にて次のように問題を提起しています。

 さて、以下に東アジア反日武装戦線“狼”はいくつかの問題を提起し、日
帝打倒を志す同志諸君と、その確認を共有したいと思う。

1  日帝は、36年間に及ぶ朝鮮の侵略、植民地支配を始めとして、台湾、
  中国大陸、東南アジア等も侵略、支配し、「国内」植民地として、アイ
  ヌ・モシリ、沖縄を同化、吸収してきた。われわれはその日本帝国主義
  者の子孫であり、敗戦後開始された日帝新植民地主義侵略、支配を、
  許容、黙認し、旧日本帝国主義者の官僚群、資本家共を再び生き返らせ
  た帝国主義本国人である。これは厳然たる事実である、すべての問題は
  この認識より始めなくてはならない。

http://share.dip.jp/hannichi/cm/h_vol1.html

 『東アジア反日武装戦線』は極左であり日本の合法リベラルの代表でもなんでもないことは読者に留意いただきたいのですが、ここには戦後この国のリベラル派のコアな思想潮流がむき出しになっていることは注目してよいでしょう。

 つまり戦後リベラル勢力は、ここに示す「日帝は、36年間に及ぶ朝鮮の侵略、植民地支配を始めとして、台湾、中国大陸、東南アジア等も侵略、支配し」てきた事実、「すべての問題はこの認識より始めなくてはならない」という考えであります。

 この「日帝の悲惨な植民地支配、すべての問題はこの認識より始めなくてはならない」という認識こそが、現在の日本の全リベラル派にとって残滓なのではないでしょうか。

 そして一部リベラル派の極めて偏向しているとしか判断できない「中国擁護・朝鮮擁護」の源泉なのではないでしょうか。 

 そうでなければ、今回の「チベット騒乱」をめぐる日本リベラルの不可解な沈黙をどう説明できるのでしょうか。

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  今回は、「チベット騒乱」をめぐる日本リベラルの不可解な沈黙を「人民戦争」と言うキーワードから読み解いてみる試みをしてみました。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
■[再掲]なぜ日本共産党チベット問題を徹底追及できないのか
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20080318