木走日記

場末の時事評論

なぜ日本共産党はチベット問題を徹底追及できないのか

 チベット問題関連で、おそらくキーワード検索でヒットしてるのでしょうか、当ブログの3年前のエントリーにアクセスが、なぜか昨日あたりから増えております。

 前回のエントリー内容とも関連しており、未見の読者のためにここに再掲させていただきます。

■[政治][メディア]なぜ日本共産党チベット問題を徹底追及できないのか
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050718

 ・・・



■2005-07-18 [政治][メディア]なぜ日本共産党チベット問題を徹底追及できないのか

 今日は日本のリベラル政党について、みなさまと少し考えてみたいです。



●拝啓・共産党社民党様……いまこそ野党協力を

 今日のインターネット新聞JANJANの記事から・・・

拝啓・共産党社民党様……いまこそ野党協力を 2005/07/18

 以下のような手紙を共産・社民両党に出そうと考えています。

 昨年の参院選では沖縄など限られた選挙区以外では野党共闘はなりたたず、自公を大きく減らす事ができませんでした。2003年総選挙の直後から野党が割れて自公が得をするという事態になることに警鐘を鳴らしていただけに残念です。

 各野党の党員、支持者の皆様はいかがお考えでしょうか。総選挙も予想される中、いまこそ、野党の協力が必要なときと考えますがいかがでしょうか。

2005年 月 日

日本共産党 中央幹部会委員長 志位 和夫 様
社会民主党 党首 福島 みずほ 様
                        さとうしゅういち

 日頃の平和や民主主義へのお取り組みに心から敬意を表します。

 さて、いま、ご承知のとおり、憲法改悪への議論が高まっています。また、二大政党の間に政策の違いがあまりない状況があります。こうしたなかで、共産、社民両党は国会での議案提案権も、党首討論の機会もない状況にあります。このままでは、二大政党の間にますます埋没していく事になるでしょう。その結果、憲法改悪や増税などが進む事も予想されます。

 この状況を打破するには、政策が近い共産・社民両党が、院内で統一会派を組まれることが第1に必要と考えます。第2に、選挙協力を進められることが必要と考えます。

 2003年の衆院選で両党が比例区で統一した名簿で戦ったとすれば、合計で21議席を確保し、議案提案権に達します。また、参院の選挙区でも両党が候補者を統一されることが必要ではないでしょうか。

 むろん、自民、公明両党の議席を減らすことも優先させる意味では、勝ち目の無い定数1の選挙区では立候補を見送るべきでしょう。昨年の沖縄選挙区のような民主党との共闘もできるかぎり追及すべきです。もし、当時、野党協力が全区で成り立っていたら自民党は41議席に落ち込み政権に激震が走っていた事でしょう。

 協力は難しいという意見があるのはわかります。しかし、今は小異を捨てて大同に付くべきときではないでしょうか。薩摩と長州は禁門の変で殺し合いをしながらも、1年半後には倒幕で手を組みました。過去の経緯はあるでしょうが、それにこだわっているときではないと考えます。

 また、共闘すれば独自性が失われるとの懸念もあるでしょうが、議案提案権も無い状態では独自性発揮のしようも無いと思います。安保問題などでの違いもあるでしょうが、例えば日米安保の問題なら「現在の政府が進めている日米軍事同盟強化には反対」という一致点での共同を追求すべきでしょう。「違い」を強調するより「一致点」を探り統一綱領のような形にするのがよいと愚考いたします。

 よって以下申し入れます。
                
                   記

1、衆参両院において統一会派を組むこと
2、次期衆院選において比例区では両党の統一名簿で戦い、小選挙区選挙協力すること。ただし、勝ち目の無い選挙区では立候補を見送る、ないし民主党との協力を追求すること。
3、次期参院選選挙区において選挙協力を行うこと。ただし勝ち目の無い定数1の選挙区では立候補を見送る、ないし民主党との協力を追求すること。

 以上。おふたりのご明察をお願い申し上げます。
                          
参考資料 衆院選比例区での共闘のシミュレーション(得票は2003年総選挙)

      共産党         
ブロック名 得票     獲得議席
北海道   253442  0  
東北    313290  1  
北関東   402849  1  
南関東   521309  1  
東京    532376  1  
北陸信越  267096  0  
東海    474414  1  
近畿    992141  3  
中国    234359  0  
四国    148953  0  
九州    434099  1  

合計            9

      社民党       
ブロック名 得票     獲得議席
北海道   147146  0  
東北    310187  1  
北関東   231140  0  
南関東    30599  1  
東京    247103  0  
北陸信越  278939  0  
東海    259831  0  
近畿    375228  1  
中国    176942  0  
四国     98243  0  
九州    613875  2  

合計            5
   
      共闘時
ブロック名 得票      獲得議席
北海道    400588  1
東北     623477  2
北関東    633989  2
南関東    551908  2
東京     779479  2
北陸信越   546035  1
東海     734245  2
近畿    1367369  4
中国     411301  1
四国     247196  1
九州    1047974  3

合計            21

(さとうしゅういち)

インターネット新聞JANJANより
http://www.janjan.jp/government/0507/0507139519/1.php

 この(さとうしゅういち)記者は、広島在住の市民活動家でありまして、JANJAN誌上においてもとても熱心に記事投稿されている市民記者の一人です。

 当該記事の論旨でもおわかり頂けますでしょうが、JANJAN記者には珍しくないですが、バリバリのリベラル派と言っても過言ではないでしょう。

 この記事ですが、まあ国政選挙において「落ち目の三度笠」長期低落傾向に全く歯止めが効かないいわゆる護憲政党共産党社民党に対し、いがみ合いはもう止めて共闘して選挙を戦えという提言なわけですね。

 うーん、真面目に真摯に党首に手紙を出そうとしておられるようなのですが、木走としては、これはちょっとコメントさせていただきたくなってしまいました。



共産党社民党などの護憲勢力が衰退したのは必ずしも選挙制度の問題ではない

 共産党社民党が過去のいきさつを水に流して、「いまこそ野党協力を」して、自民・民主の2大勢力に対抗せよという、主張そのものは、基本的に異論ありません。もし、自民・民主の次にくる第三勢力が公明党だけになってしまうとするならば、それこそ日本政治の危機でありましょう。

 現状のまま手を拱いていても、両党とも党勢衰退は避けられないわけで、発言権確保のためにも、政治テクニックとして選挙協力は有効な手段でありましょう。

 しかし、両党がここまで衰退を余儀なくされたのは、小選挙区選挙制度という小党に不利な制度面だけでなく、両党自身のかかげる政策自体に幅広い国民の支持が得られなくなっているという、より本質的な問題を議論しなければ、いくら共闘が実現したとしても、それはただの延命策に過ぎないのであり、潮流を変える策にはならないのではないでしょうか。

 正直、共産党にしろ社民党にしろ、「護憲」運動と「反戦平和」運動の党という以外に新たな自己主張を見聞しません。政党としてダイナミズムを全く感じられないのです。


●理解できない共産党の党名へのこだわり

 滅びゆく(失礼)社民党は無視して日本共産党に絞り、2つ具体的に指摘したいと思います。

 まずその党名へのこだわりが全く理解できません。

 冷戦終了後の各国共産党が次々に党名変更を余儀なくされてきた中で、なぜ今の日本で「共産」を掲げなければならないのか。

 共産党HPによれば次のように弁解しています。

 〈問い〉 政党の中で一番、清潔だし、政策も共感できるのですが、「共産党」支持が広がらないのはソ連北朝鮮をイメージしてしまうからだと思います。党名をなぜ変えないのですか。

(北海道・一読者)

 〈答え〉 日本共産党は現在の日本と世界の諸問題を解決する民主的改革の政策をもつと同時に、資本主義をのりこえた未来社会への展望をもっています。コミューン(共同)に由来する「日本共産党」という党名には、党創立以来八十二年間の歴史と同時に、その未来の展望がこめられています。

 先の第23回党大会で決めた新しい綱領は、党名とも結びついた壮大な人間社会(=社会主義共産主義社会)の未来像を示しました。その特質は一口に言えば、人間の自由、人間の解放です。「人間が、社会の主人公として、人間の外にあるどんな外力にも従属することなく、どんな搾取も、どんな抑圧も、どんな差別もなしに、たがいに協力しあいながら、人間社会と私たち人間そのものの躍進を実現してゆく社会。そこで人類の限りなき前進という、未来が開けてゆく社会、これが私たちのめざす未来像」(綱領改定討論の不破哲三議長結語)です。

 新しい綱領では将来社会のあり方でも「『国有化』や『集団化』の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と明記しました。

 もう一つ、日本共産党という名前には、戦前の天皇制の暗黒政治の時代から、主権在民・民主主義の政治の実現、侵略戦争反対の旗をかかげて、生涯をかけた人々の歴史、さらに、旧ソ連北朝鮮などの無法とたたかい、自主独立の立場を貫いてきた歴史が刻まれています。

 新聞やテレビでは、こうした日本共産党の綱領の立場や歴史をゆがめて、ソ連北朝鮮と同質に扱う報道や論評を繰り返しています。それだけに、党支持を広げるには日本共産党の本当の姿と、未来像=社会主義共産主義社会の展望=を語ることが大切だと考えます。

共産党ホームページより引用
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-04-17/20040417_faq.html

 「自主独立の立場を貫いてきた歴史が刻まれています」の思い入れは理解しますが、新たな支持者を獲得するような意欲は全く感じられず、これでは理論でも何でもなく、昔を懐かしむ老人にもにたただの郷愁の念でしょう。

 少なくとも21世紀を展望した躍動感、ダイナミズムという点では、全く後ろ向きな党名へのこだわりとしか、思えません。



●お話にならない硬直した共産の外交政策

 第二に、その掲げる政策の硬直性を指摘しておきます。

 例えば対中国政策ですが、お話になりません。ある意味節操のない自民党よりも、硬直した思考停止した状態で進歩がありません。

 日本共産党中国共産党への批判も、「路線論争の範囲での批判」に留まっていて、例えば「台湾、チベット問題」の根底にある「大漢民族主義」への批判にまでは、決して至りません。 
というか、同じ共産党同士の気兼ねでしょうが、「チベット人権抑圧問題」などは、ほとんど無視されていますよね。

 この辺は、実は党員からも批判の声が挙がっているです。

1)確かに「台湾問題」に限らず、「チベット問題」なども赤旗は十分報道せず、貴方の言われるように「中国への気兼ね」があるとしか思えません。
2)因みに「1989年ダライラマノーベル平和賞受賞」を赤旗は全く報道しませんでした。当時は、「天安門事件直後の宮顕独裁時代」で「日中両共産党関係は最悪」でしたが、「それでもやはり、チベット問題は別か」と思ったものでした。(無論一般紙は大々的に報道していましたが。)
3)チベット問題については、故高野良久元北京特派員(=1965年当時、かの「北京空港リンチ事件」被害者の砂間、紺野両氏の前任者)の著書「今日のチベット(新日本新書)」=現在絶版=があります。内容は「全く中国当局の言い分の丸写し」でした。たとえ日中両党対立以後の宮顕時代であれ、無論今日であれ、「日本共産党チベット問題に関する見解」は、「高野氏の線=中国当局の言い分そのまま」の域を一歩も出ないということなのでしょう。
4)台湾問題についても、日本共産党は1998年日中両党和解の際に、「台湾は中国の1部」としています。ここでも「中国の言い分そのまま」ということなのでしょう。
5)日本共産党中国共産党への批判も、「路線論争の範囲での批判」に留まっていたと思います。「台湾、チベット問題」の根底にある「大漢民族主義」への批判(「そこまでやらなくともよい」という考えもあるでしょうけれど)にまでは至りませんでした。
 以上纏まりませんが、貴方のレスへの私見を述べさせて頂きました。

党員用討論欄 「さざなみ通信」より引用
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/members/0403/d04037.html

 中国によるチベット人権抑圧問題は、政府自民党はもろもろの思惑と中国への遠慮からか圧力からか、全く腰抜け状態であり、見ていて腹立たしいのです。



●日本のリベラル政党はフランス共産党のようにチベット問題を徹底追及せよ

 国内人権問題でうるさい共産党が、ダイナミックに政策転換して、ふがいない日本政府に変わり、具体的に中国政府批判を強烈に展開するならば、共産党のイメージは間違いなく好転するでしょう。
 たとえば、フランス共産党がそうしているようにです。

フランス共産党
死刑執行猶予中のチベット人僧侶の釈放を求める

(パリ)11月27日、フランス共産党のマリー・ジョルジュ・ビュフェ党首は、中国での連続爆破事件に関与したとして有罪宣告されて12月2日に2年間の執行猶予が期限切れとなるチベット人僧侶トゥルク・テンジン・デレクの釈放を求めた。フランス共産党の声明文には、次のように述べられている箇所がある。
「中国は、世界に門戸を開く機会である北京オリンピック開催に向けて準備段階にあるが、自国のいかなる人の人権をも尊重すべきである」
2002年12月、トゥルク・テンジン・デレクは侍従で地域の活動家ロプサン・トントゥプと共に、2002年4月に四川省省都成都で起きた爆破事件(死者一名・負傷者数名)に関与したとして死刑判決を受けた。 さらに、四川省西部のカンゼ(甘孜)地域の爆破事件でも有罪とされた。ふたりは罪状を否定し、この件は国際的な抗議運動へと発展した。ロプサン・トントゥプが2003年1月に処刑されたが、トゥルク・テンジン・デレクは2年間の執行猶予付き死刑判決を受け、こうしたケースは終身刑減刑されるのが一般的である。しかし、政治的に微妙な問題が絡むチベット人の扱いは他と違い、この減刑が果たして彼に適用されるかどうかは不明である。

米国もダーラ・ジョーダン国務省報道官を通して、11月上旬、次のように発表している。
「トゥルク・テンジン・デレクの非公開裁判は通常の手続きを踏んでおらず、さらに人民最高法院の判断も仰いでいないことについて、米国はこれまで中国に対して深い懸念を表明してきている。最近も、米政府高官たちが、ワシントンの中国大使館、中国外交部(中国外務省)、そしてトゥルク・テンジン・デレクが拘留されている四川省当局に対して、この問題を提起したばかりだ」

ダライ・ラマ通信より引用
http://www.tibethouse.jp/news_release/2004/041127_france.html

 このぐらいの存在価値をアッピールする政策の具体的転換を計らなければ、いくら選挙協力を計ってもほとんど意味がないのではないでしょうか?

 もし、「チベット人権抑圧問題」でフランス共産党のように具体的な中国政府批判を展開するならば、その時、私も一票を投じることにやぶさかではありません。

 日本のリベラル勢力はなぜここまで踏み込んだ中国政府批判ができないのでしょうか。
 そのへんで日本のリベラル勢力の限界を感じてしまうのは、私だけでしょうか?



 ・・・

 以上、2005年7月18日のエントリーでした。

 不肖・木走のさび付いた思考も3年間あまり進歩していない(苦笑)ことがよくわかりましたが、読者のみなさまの多少とも参考になれば幸いと思い再掲をしてみました。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
ダライラマがインドへ帰国〜日本メディアは沈黙
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050419/1113900682
■[政治]「チベット騒乱」をめぐる日本リベラルの不可解な沈黙〜「人民戦争」と言うキーワードから読み解いてみる
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20080317