木走日記

場末の時事評論

「囲碁の本家日本」とぷちっとねつ造する産経コラム【産経抄】〜どう考えても日本は「囲碁の分家」でしょ(爆

 今日の産経新聞コラム【産経抄】から・・・

産経抄
 2年前、不法入国の疑いで身柄を拘束された、チェスの元世界王者、ボビー・フィッシャー氏の名前を聞いて、懐旧の思いにかられた人も少なくなかったろう。この米国人の名前が世界にとどろいたのは、1972年夏のこと。

 ▼第二次世界大戦後、王座を独占してきたソ連に対して、三十数年ぶりに、西側が送り出した最強の挑戦者としてだった。時は冷戦まっただなか。白夜のアイスランドで行われた世界選手権は、米ソの代理戦争の様相を呈した。

 ▼挑戦者の勝利に米国民は熱狂するが、フィッシャー氏は、その後の防衛戦を拒否して、消息を絶つ。20年後、国連経済制裁下にあった当時のユーゴスラビアで対局したり、米同時テロを称賛するなどの奇行で、お尋ね者となっていた。「寛大な措置」を求めて、チェスの名手でもある将棋の羽生善治さんが、小泉首相にメールを送ったことも話題になった。

 ▼8カ月後、因縁のあるアイスランド政府が受け入れる形で、一件落着したのも記憶に新しい。インドを源流にもつチェスは、日本の将棋の遠い親戚でもある。戦後の国際社会では、冷戦の象徴でもあったゲームが、ドーハで開催されているアジア大会の正式種目というから驚きだ。

 ▼ご丁寧にも、選手のドーピング検査まで行われたそうだ。日本代表は、選手団最年長、65歳の中川笑子さんと、「冷戦」を歴史の教科書で学ぶ世代の2人の男子高校生。健闘を祈りたいものだが、それにしても残念だ。

 ▼囲碁が加わっていないとは。国際性では、チェスに負けていないはずだし、中国では、実際スポーツとして扱われている。現在は世界最強の韓国、猛追する中国、そして本家日本の三つどもえの戦いは大いに盛り上がったであろうに。

(2006/12/04 05:11)
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/sankeisho/061204/sks061204000.htm

 ふーん、そうかアジア大会の種目にチェスがあったんですねえ、全然知らなかったなあ。

 日本選手が「選手団最年長、65歳の中川笑子さんと、「冷戦」を歴史の教科書で学ぶ世代の2人の男子高校生」だそうですが、是非がんばってもらいたいモノですね。

 それはともかくコラムの結語。

 ▼囲碁が加わっていないとは。国際性では、チェスに負けていないはずだし、中国では、実際スポーツとして扱われている。現在は世界最強の韓国、猛追する中国、そして本家日本の三つどもえの戦いは大いに盛り上がったであろうに。

 チェスが加わっているなら囲碁が加わっていないとはと嘆くのはけっこうですが「世界最強の韓国、猛追する中国、そして本家日本の三つどもえの戦い」って表現はどうなんでしょうねえ。

 私の記憶が正しければ囲碁は古代中国で誕生し奈良時代平安時代か知りませんが日本に伝来してきたのは中国で囲碁が誕生してから1000年近く後じゃなかったでしたっけ?

  フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』がかなり詳しく囲碁の歴史を載せていますが、『ウィキペディアWikipedia)』によれば「囲碁の起源は中国で占星術の一法が変化・洗練されて今の形となったと言われている」そうであります。

囲碁の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

[編集] 起源
囲碁の起源は中国で占星術の一法が変化・洗練されて今の形となったと言われている。『書経』には堯帝が不品行の人物の教育のために囲碁を作ったと言う話が載っているが、もちろんこれは伝説であり、実際の起源ははっきりとは判らない。

少なくとも春秋時代には成立していたようで、『論語』・『孟子』の中には囲碁の話題が出てくる。『史記』に春秋時代の宋の君主・閔公(びんこう)が部下の南宮万と対局していたときに、閔公が負けそうになったときに悔し紛れで南宮万を侮辱し、怒った南宮万により碁盤で殴られて殺されたと言う。しかし閔公と南宮万がしていた遊戯が囲碁だったかははっきりせず、別の博打・双六のようなものだったとも考えられている。

北宋代に編纂された『忘憂清楽集』と言う書物には三国時代孫策が部下の呂範と打ったと言われる棋譜が残されているが、これが本当に孫策棋譜だったかどうかは不明である。この『忘憂清楽集』は現存する中で最古の棋書(囲碁に関する書物)である。

考古学的な考証を見ると、2002年に中国陝西省の考古学者が、前漢の景帝陽陵で、前漢時代(206 BC - 24 AD)のものと思われる陶製碁盤を発見した。この碁盤は17路盤で、出土時に破損していて最長の部分で縦およそ28.5センチメートル、横19.7センチメートル、高さ3.6センチメールだった。中国の考古学者の調査によれば、この碁盤は造作が粗雑であり、皇帝の陵墓から出土したとはいえ、皇族が使用したものではなく、陵墓の番人たちの暇つぶしのために使用されていたものと見られる。このことから、中国では囲碁は2000年前には庶民のゲームとして一般的であったと考えられる。

初期の碁石は、唐宋期のものが残っている。

[編集] 日本伝来
日本には遣唐使に加わった吉備真備が伝えたとされる。しかし大宝律令の中に囲碁に関する項目があることからもっと以前から伝わっていたと思われる。奈良時代には盛んに打たれていた様で、正倉院に碁盤が収められている。平安時代には貴族のたしなみとして好まれ、「枕草子」「源氏物語」などこの時代の代表的な文学作品にもしばしば囲碁の描写が登場する。現在伝えられている日本最古の棋譜と呼ばれる物は1252年に日蓮がその弟子吉祥丸(後の日朗)と打ったという棋譜であるが、おそらくは後世の偽作である。

 (後略)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%B2%E7%A2%81%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 一応、「日本棋院」の公式サイトで囲碁の歴史を調べて見ました。

囲碁の日本棋院公式ホームページ
http://www.nihonkiin.or.jp/

 で囲碁の歴史はこう記述されています。

碁の歴史02 日本への囲碁伝来

■ 日本への伝来

囲碁が日本に渡ってきたのは、いつごろか?
これもはっきり分かっていません。

奈良時代(710-794)に吉備真備(きびのまきび)が遣唐使として唐から持ち帰ったという話がありますが、既に636年隋書・倭国伝には日本人が囲碁を好むことや、701年大宝律令・僧尼令などにも囲碁のことが記されていますので、日本への伝来はそれ以前からということになります。

隋書・倭国

飛鳥時代(592-710)の607年、推古(すいこ)天皇の時に遣隋使の派遣で、聖徳太子は「日の出るところの天子から日が沈むところの天子へ」と書いた書簡を持たせました。

その書簡を見た隋の皇帝は怒りましたが、翌年、文林郎裴世清(ぶんりんろうはいせいせい)を隋の使いとして日本に送っています。

裴世清(はいせいせい)が、608年日本に来ていろいろなことを調べ体験したことを記録したのが「隋書・倭国伝」です。
倭人(日本人)は仏法を敬い、(-中略-)、囲碁、すごろく、バクチの戯を好むと記されいます。

(後略)

http://www.nihonkiin.or.jp/lesson/knowledge/history02.htm

 囲碁の本家日本」ねえ・・・

 産経さんよ、どう考えても日本は「分家」でしょ(爆

 ・・・

 「囲碁の本家」がどこの国なのかなんて本来どうでもいいですがね、こういうさりげない言葉の誤用ひとつで産経に噛みついてもしかたないんですが、こじれるとこういうケースもありますからね。

剣道の起源は韓国にあり!?
「韓国武道の起源捏造、欺瞞性を告発するためのサイトです」
2004.2.12更新
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6963/

 お隣の国韓国では一部の人が日本の剣道が実は「韓国が本家である」とトンデモ歴史ねつ造しているらしいです。

 ・・・

 ゲームやスポーツの歴史が本来どこの国に由来するのかなんて、本当のことを言えばどうでもいいんですけどね、産経お得意(?)の愛国心から出た言葉なのでしょうが、さすがに「囲碁の本家日本」てのは問題ありですよね。

  産経さんよ、どう考えても日本は「囲碁の分家」ですから(苦笑

 ・・・

 「囲碁の本家日本」とぷちっとねつ造する産経コラムなのでした。

 カワイイけどね(苦笑

 ジャンジャン。



(木走まさみず)