木走日記

場末の時事評論

無節操な「政治屋」(Politician)だらけの「造反復党組」の中で筋の通った「政治家」(Statesman)平沼赳夫氏

日本における「家」と「屋」の格の違い

 特定の職業を持つ人々のことをこの国では「家」や「屋」を付けて総称いたします。

 「家」の例としては、政治家、企業家、芸術家、作家、評論家、などなど、概して良いイメージに使われているのに対して、「屋」のほうは、魚屋、酒屋、そば屋、呉服問屋などの商店に使われている他、最近では政治屋、IT屋、新聞屋(ブンヤ)など特定の職業を少し蔑んで自称したり他称したりするときに使いますですね。

 どう考えても「家」の方が「屋」よりも格が数段上なわけでして、作家や政治家のように、一道を専門とする人、それにすぐれている人、なにやら「天職」のような崇高な香りが「家」にはただようのに対して、「屋」のほうはね、金儲けとか、あるいは利権あさりなどという自分自身の利益の追求のためが目的なあさましいイメージがつきまとってしまうのであります。

 特に「屋」の使い方で興味深いのは、例えば新聞記者が「ブンヤ」と自称したり、工学系の研究者などが自分を「機械屋」と称するときには、まちがいなく「視野狭く特定のことを仕事としている」自身への自嘲が含まれているのであり、極端な話、「わからずや」とか「気どりや」などとその人の性格の負の属性を「屋」で表現するぐらい身分は低いわけですな(苦笑)。

 この辺の日本における職業に対する「家」と「屋」の使い分けと位置づけは、不肖・木走は別に専門家ではないですがそれでも容易に想像つくのは、江戸時代の身分制度士農工商」のなごりでありましょうか。

 例えば時代劇の定番になっている「越後屋」と悪代官との密談シーン。

越後屋、おぬしもワルよのぉ」
「お代官様こそ」
「ウワッハッハッハッハッ」

 このようなシーンを観ると、三越デパート(江戸時代の「三井越後屋」が名の由来の老舗デパート)は名誉毀損で時代劇を訴えればいいのに(爆)といつも思うのですが、それはさておき、いったい江戸時代には全国で何百の「越後屋」が実在してたのか知りませんが、ここに描かれている「越後屋」ですが、この場合の「屋」は例えば薬屋や呉服問屋といったその物をそろえて売買する人や家を表していたわけです。

 でこのシーンに代表されるように、転じて、「屋」には、もうけのためには手段を選ばない私利私欲に走る拝金主義のようなイメージがつきまとったのでしょう。

 いっぽうの悪代官ですが、本来は「武家」であり、「お家」のために忠誠を誓い滅私奉公、本来は崇高な目的のために「藩」とか「幕府」に私利を捨てて尽くすはずなのが、「屋」と組んで私欲のために悪行を働く「家」から「屋」に落ちこぼれた悪者として描かれています。

 ・・・
 
 何だかなあ、実家も商店街で商売をしていて私自身も零細業を営んでいるわけなので、どうにも不肖・木走にはこの「家」と「屋」の使い分けは、商業・商人に対する蔑視なのではないか(苦笑)と、かねがね苦々しく思っていました。



●政治家と政治屋

 11日の毎日新聞から・・・

平沼赳夫氏>自身の復党は「無条件」にこだわる姿勢強調

 平沼赳夫経済産業相は11日、「郵政造反組」無所属議員12人の自民党復党問題について「私の復党は若干タイミングがずれるかもしれないが、参院選を考えれば戻ることは確実だ」と述べ、最後まで民営化法案に反対した自身の復党は他の11議員より遅れても、無条件での復党にこだわる姿勢を強調した。

毎日新聞) - 11月11日22時24分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061111-00000105-mai-pol

 それはさておき日本の政治の世界では「政治家」と「政治屋」がいるようであります。

 本当の意味で政治指導者と呼びえる「政治家」(Statesman)は、私利私欲・党利党略は二の次にして国民、国家の利益のために文字通り無私の境地で政治を「天職」としておこなう人々であります。

 「党利党略は二の次に」と表現しましたが、本来は「党利党略はなくして」と言いたいところですが、現実問題政治はパワーゲームですから、マザーテレサのようにはいかないようです。

 対して「政治屋」(Politician)は、逆に国民、国家の利益は二の次に、私利私欲・党利党略を主目的にして、「政治」を食い扶持を稼ぐ道具として利用している、すくなくとも国民からはそのように写ってしまう人々であります。

 しかも残念なことに「政治家」(Statesman)よりも「政治屋」(Politician)の割合が圧倒的に多いのがこの国の立法機関国会の現状のようであります。

 「政治屋」(Politician)は、「権力を手にしてふんぞり返りたい」とか「いばりたい」とか「大臣になりたい」とか「利権にありつきたい」とか、「とにかく政治家であり続けたい」とか、利己主義者と規定できるでしょう。

 そういう「政治屋」たちは、定見や見識というものがあるはずはありません。悪知恵は働くかもしれませんが、世界に通用するコモン・センスはありません。哲学はないし、価値観は不明だし、世界観は不在です。実行の約束はするが、実際には何もしないのです。
 彼らは、選挙で有権者に約束した政策や公約を選挙後に平気で投げ捨てることができるのです。

 なぜならば「政治屋」(Politician)は、「政治家」(Statesman)とは行動の優先順位が違います。

 「政治家」(Statesman)は国家・国民のためにと信じて掲げた政策を理由もなくなげうったり捨てたりはしません。

 ・・・

 その意味で私とは思想や政策はだいぶ異にしますが、今回現在まで「郵政民営化」を反対し続ける平沼赳夫経済産業相はりっぱな「政治家」(Statesman)だと思います。

 敵(?)ながらあっぱれであります。

 有権者を裏切ってもどこ吹く風の野田聖子のような権力迎合の無節操な「政治屋」(Politician)だらけの「造反組」の中で、筋の通った「政治家」(Statesman)は平沼赳夫氏ぐらいでありましょう。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
■[政治]安倍政権は「パンドラの箱」を開けてしまうのか〜大義なき郵政造反組の復党は自民党に災いしかもたらさない
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20061107/1162867666