木走日記

場末の時事評論

リアリスト安倍氏に対して傲慢で不遜な朝日新聞社説〜独断的で自分の能力や価値に自信過剰な人間が持つ特有の傲慢(Arrogance)さ

●左右両方から批判される現実主義者となった安倍首相

 一連の国会答弁における歴史認識に関する発言で左右両派から物議をかもしている安倍新首相なのであります。

 就任わずかのこの時期に電撃的な中韓歴訪を決定し、外交的には日本の新政権が東アジア外交の建て直しを最優先に考えているという強烈なアッピールをし、国会答弁では昭和戦争の認識についても、「国内外に大きな被害を与えたという事実は、率直に反省すべきだ」との見解を示し、アジア諸国への「植民地支配と侵略」を謝罪した村山首相談話や、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた河野官房長官談話についても、安倍政権でも「受け継ぐ」と明言したわけです。

 あわれ首相になり現実主義者となった安倍氏は、リベラル派からは本音を隠していると疑われ、保守派からは「歴史認識」のぶれを批判されているのであります。

■[政治]左右両方から批判される現実主義者となった安倍首相〜鼻息の荒い【朝日社説】とたいそうご不満な【産経社説】
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20061005

 外交はしたたかであれがモットーの不肖・木走でありますから、安倍氏の東アジア重視のこの度の中韓歴訪は大歓迎なのでありますが、一連の「歴史認識」に対する国会答弁はどうなんでしょう、首相となり現実的には歴代政権の外交の継承が求められていることはよく承知しております。

 しかし、一連の歴史認識発言において旧来の安倍氏支持層に少なからずの混乱を生じ、一部からは激しい反発の声があがっているのであります。

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安倍氏は日本の国益を考え行動するリアリストに撤すればよい〜自身の掲げる外交・安保政策の実現のために

 左右両方から批判されている現実主義者(リアリスト)安倍首相なのですが、私はその評価は冷静に考えてみる必要があると思っています。

 一連の国会答弁における安倍氏の「歴史認識」関連の軌道修正発言ですが、単に対中韓外交を改善するための方策であるだけではなく、安倍氏の掲げる日米主軸外交にとっても決して悪いことではないと思います。

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 安保条約締結以来、最も緊密な日米関係を実現しながら、一方で中国・韓国との関係を悪化させたのが小泉純一郎前首相であります。

 その路線を引き継ぐ安倍氏の外交・安保政策は、これまでの発言によれば、それらは(1)日米に豪州、インドを加え、戦略対話の輪を広げる(2)日本版の国家安全保障会議(NSC)を創設し、官邸の機能を強化する(3)民主主義、言論の自由、法の支配など日米で共有する「価値観」に基づく外交を展開する――などに集約することができます。

 そのいずれもが「日米同盟の強化」というベクトルに沿っているかのように思えるのは単なる偶然ではないでしょう。

 これらはいずれもブッシュ政権で対日政策を切り盛りしていたマイケル・グリーン大統領補佐官(上級アジア部長)らがかねて日本に求めていた内容と非常に似ているのです。

 グリーンは「ブッシュ・小泉後」の日本の課題として、日米共有の価値観に基づき、アジア各国への影響力を増大していく「価値感外交」も提唱していますが、これも安倍氏が最近、よく口にするフレーズであります。

 ところで肝心のアメリカ政府の安倍首相に対する評価はどうでしょう。

 ワシントンからの情報によれば、共和党内部にすら安倍氏に対する懸念の声が少なからずあるといいます。

 例えば「偏狭なナショナリストなのかどうか見極めたい」というものであり、ブッシュ政権靖国参拝をめぐる日本と中国、韓国の関係で小泉首相が不利になるのを避けましたが、基本的には小泉・ブッシュの強固な個人的信頼関係があったのですが、その点、安倍・ブッシュ関係は未知数であります。

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 今回の中韓歴訪と国会における一連の歴史認識軌道修正発言は、実は中国・韓国との関係を悪化させた小泉外交の負の遺産を完全に過去のものとし、かつ、アメリカ政府の一部にあった安倍氏に対する「偏狭なナショナリストなのかどうか見極めたい」という懸念をも払拭するという、極めて有益な現実主義的な政策と見ることもできましょう。

 一部保守派からの批判はよく理解できますが、私としては対米関係も含めたグローバルな視点から、リアリスト安倍首相は評価したいと思います。

 安倍氏の今後の課題としては、「歴史認識」問題とは別次元に、例えばガス田や竹島などの領土問題などでどこまで妥協せず日本の利益の代弁者として振舞えるかにかかっているのでしょう。

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 安倍政権は現実を冷徹に見据えて自身で日本の国益を考え行動するリアリストに撤してほしいと思います。



●傲慢で不遜な一連の朝日新聞社説を検証する

 さて、ここ日本には、朝日新聞という奇妙なメディアがあります。

 本来、朝日と安倍氏歴史認識は180度に近く乖離しておりました。

 自説と対峙する歴史認識を有する安倍氏が日本の首相に就任するにあたって、朝日がさいさん安倍氏歴史認識を批判してきたことは衆知のことであります。

 ところがここ一週間、総理になった安倍氏はそれまでの自説を店じまいして、現実主義者となり歴史認識に関してその発言を180度に近く大きく軌道修正したのであります。

 当然ながら朝日新聞としてはその安倍氏の発言と姿勢を高く評価してしかるべきなのであります。

 しかしです。

 安倍氏が一部保守派から厳しく批判されながらも歴史認識を軌道修正したにもかかわらず、ここ一週間の朝日新聞社説は、安倍氏が謙虚に軌道修正すればするほど、傲慢で不遜な論調を繰り返してきたのです。

 ここ一週間の安倍首相に関する朝日社説はこうです。  

【10月3日】歴史認識 もう一歩踏み出しては
【10月6日】安倍首相へ 歴史を語ることの意味
【10月7日】安倍政権 ちょっぴり安心した

●朝日社説【10月3日】歴史認識 もう一歩踏み出しては

 『【10月3日】歴史認識 もう一歩踏み出しては』では、安倍氏の国会答弁は「政府の認識」であり「首相としての安倍氏の認識」ではないと批判します。

安倍氏の答弁は「政府の認識」を述べたものだ。しかし、「首相としての安倍氏の認識」はどうなのだろうか。

 歴史の評価を問われると「政治家の発言は政治的、外交的な意味を持つ。謙虚であるべきだ」と逃げる。政府としての認識と安倍個人は別、と言わんばかりの姿勢で、信頼関係など築けるものなのだろうか。

 焦点の靖国問題では「参拝するか、していないかについて宣明するつもりはない」と、相変わらずのあいまい作戦である。A級戦犯の国家指導者としての責任についても言葉を濁した。

 今回の首脳会談に限って言えば、それでしのげるのかもしれない。だが、火ダネは残ったままと言わざるを得ない。

 隣国の信頼を得るには、首相が自らの言葉で日本の過去について語る必要がある。安倍氏には歴史から目をそむけず、謙虚で率直な発言を求めたい。

 国会と言う正式な場で一国の首相としての責任ある立場表明をすれば、対外的にもそれで十分であると考えるのが普通ですが、朝日社説はリアリストとしての安倍首相の振る舞いをまったく評価せず、「首相が自らの言葉で日本の過去について語る必要」まで求めています。



●朝日社説【10月6日】安倍首相へ 歴史を語ることの意味

 続いて『【10月6日】安倍首相へ 歴史を語ることの意味』です。

 安倍氏歴史観は大切な部分が欠けているという批判を展開します。

 すでにネット上でも多くの論客達が批判的に取り上げている歴史的社説(?)ですので、ここは全文掲載しておきましょう。

安倍首相へ 歴史を語ることの意味

 1940年6月。欧州に暗雲がたれこめていた。ナチス・ドイツが破竹の勢いで進撃し、フランスもあっけなく軍門に下った。イギリスの命運も風前のともしびかと思われた。

 そのとき、首相チャーチルはこう述べた。「イギリスの戦いが今や始まろうとしている。もしイギリス帝国と連邦が千年続いたならば、人々が『これこそ彼らのもっとも輝かしい時であった』というように振る舞おう」

 第2次世界大戦の最も厳しい時に、英国民を鼓舞した演説の一節である。後世の人々が私たちを見ているという言い回しには、人の心を揺さぶるものがある。

 彼の覚悟の背後には、歴史を経ても通用する価値への強い信念がある。20世紀を代表する名演説のひとつだ。

 ところが、そのチャーチル首相を尊敬するという安倍首相の、歴史をめぐる発言には疑問を持つことが多い。首相は保守とは何かを聞かれて、こう答えた。

 「歴史を、その時代に生きた人々の視点で見つめ直そうという姿勢だ」。言いたいことは、侵略や植民地支配について、今の基準で批判するのではなく、当時の目線で見よということなのだろう。

 この考えは、歴史について半分しか語っていない。過去の文書を読み、歴史上の人物の行動を理解するとき、時代の文脈を踏まえることは言うまでもない。だが、それは出発点にすぎない。

 さらに一歩進んで、歴史を評価するとき、その時代の視線を尺度にしたらどうなるだろうか。歴史には様々な暗黒面がある。人間が人間を動物のように扱う奴隷制や人種差別、ホロコーストなどの大量虐殺。それぞれはその体制の下では問題にされなかった。

 私たちは時代の制約から離れて、民主主義や人権という今の価値を踏まえるからこそ、歴史上の恐怖や抑圧の悲劇から教訓を学べるのである。ナチズムやスターリニズムの非人間性を語るのと同じ視線で、日本の植民地支配や侵略のおぞましい側面を見つめることもできるのだ。

 安倍氏の言う歴史観は、歴史の持つ大切な後半部分が欠けている。

 安倍氏歴史観にはもうひとつ奇妙な点がある。肝心なことになると、歴史家に評価をゆだねてしまうことだ。

 5日の衆院予算委員会では、村山談話などを個人として受け入れる考えを示し、従来の姿勢を改めつつあるものの、民主党菅代表代行満州事変の評価を問われると「政治家は謙虚であるのが当然であろう」と答えを避けた。

 安倍氏は民主主義や平和を重んじてきた戦後日本の歩みは誇るべきだと語っている。ならばその対比としての戦前にきちんと向き合ってこそ説得力を持つ。

 政治家が歴史の前に謙虚であるべきなのは、チャーチルに見られるように、現代の行動の評価を後世がするという緊張感からなのだ。単に歴史を語らないのは、謙虚ではなく、政治家として無責任、あるいは怠慢と言うしかない。

http://www.asahi.com/paper/editorial20061006.html

 全文を通じて、まるで教師が生徒に教えてあげている、といったような、なんとも思い上がって横柄な、人を見下して礼を欠いている文章なのであります。

 社説の結語。

 単に歴史を語らないのは、謙虚ではなく、政治家として無責任、あるいは怠慢と言うしかない。

 満州事変の評価を問われ「政治家は謙虚であるのが当然であろう」と答えを避けた安倍氏の姿勢を「政治家として無責任、あるいは怠慢と言うしかない」と痛烈に批判しているわけです。

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 この一連の朝日の社説子の論説では、一国の首相たるものは、「隣国の信頼を得るには、首相が自らの言葉で日本の過去について語る必要がある」(【10月3日】社説)のであり、「単に歴史を語らないのは、謙虚ではなく、政治家として無責任、あるいは怠慢」(【10月6日】社説)として、一連の国会における安倍首相の姿勢に対し、痛烈な批判を繰り返しています。

 そこには現実主義的な国会答弁で「歴史認識」を修正した安倍氏に対し建設的に評価しようという視点は完全に埋もれています。

 その論調に見えるのは、まだまだだ、もっと努力せよという、教条的ともいえる独断的な自分の能力や価値に自信過剰な人間が持つ特有の傲慢(Arrogance)さだけです。

 自説に歩み寄ってきた政治家に対する肯定的な評価は皆無なのです。



●朝日社説【10月7日】安倍政権 ちょっぴり安心した

 極めつけは昨日の『【10月7日】安倍政権 ちょっぴり安心した』です。

 だが、この1週間の安倍氏の答弁は、意外なまでのソフト路線に終始した。安倍氏の従来の主張に期待した人々にとっては、拍子抜けだったかもしれない。不安を抱いた私たちは少し安心した。

 アジア諸国への「植民地支配と侵略」を謝罪した村山首相談話や、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた河野官房長官談話については、安倍政権でも「受け継ぐ」とはっきりさせた。

 政府としての立場と首相個人の見解とは別と受け取れるような言い回しもあったが、「私も含めて」と答え、そこのところを明確にしたのは前進だ。

 安倍氏が尊敬する祖父の岸信介元首相を含め、戦争を指導する立場にあった人々に誤りや責任があったことも認めた。

 まだ持論にこだわる場面もあったものの、これまでの日本政府の歴史認識は基本的に踏み外さないという、安倍政権の慎重さはよく見えた。

 一昨日まで「隣国の信頼を得るには、首相が自らの言葉で日本の過去について語る必要がある」(【10月3日】社説)のであり、「単に歴史を語らないのは、謙虚ではなく、政治家として無責任、あるいは怠慢」(【10月6日】社説)として、一連の国会における安倍首相の姿勢に対し、痛烈な批判を繰り返してきた舌の根も乾かないうちに今度は一転「これまでの日本政府の歴史認識は基本的に踏み外さないという、安倍政権の慎重さはよく見えた」とし、「不安を抱いた私たちは少し安心した」としています。

 社説の結語はこうです。

 首相になるまでの政治経験が浅かった安倍氏にとって、この1週間は戦後政治の積み重ねを実感する大変な学習期間だったに違いない。次は、中韓訪問という外交の初舞台が待ち受けている。

 あくまでも朝日社説にとっては安倍氏は自分より「劣った」人なのでありましょう、朝日のそんな傲慢で不遜な姿勢が「安倍氏にとって、この1週間は戦後政治の積み重ねを実感する大変な学習期間だったに違いない」の、「学習」という言葉の使い方に象徴的に顕れているのであります。



●リアリスト安倍氏に対して傲慢で不遜な朝日新聞社

 傲慢(Arrogance)は自尊心よりもさらに独断的なという意味をもちます。

 傲慢な人は自分の能力や価値に自信過剰であるのみならず、周囲に対しそれを示し見下すための自分より「劣った」人々を積極的に探す事が多いわけです。

 過去一週間で掲載された一連の安倍首相に関する朝日新聞社説は、人を見下し自信過剰に自分の価値をひけらかし、不遜に人を過小評価しているという点で、傲慢で不遜な文章であると言えましょう。

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 当ブログは現実主義者(リアリスト)安倍首相を強く支持いたします。

 なぜならば政治も外交も清濁併せ持つ現実主義的な対応が不可欠であり、個人的主義主張を前面に出すよりも現実に即してしなやかにしたたかに振舞わなければならないと考えているからです。

 それにしても、朝日新聞が主張するような教条的なひとつの価値観の押し付けは、まったく支持できません。

 一連の朝日社説には、独断的な、自分の能力や価値に自信過剰な人間が持つ特有の傲慢(Arrogance)さを感じてしまうのです。



(木走まさみず)