木走日記

場末の時事評論

一般人が難問を評価する普遍的方法〜靖国とポアンカレ予想

●問題が何かが分からなければ、考えようもない〜朝日新聞は特にこの姿勢を忘れないようにね(苦笑

 今日(24日)の朝日新聞天声人語』から。

天声人語】2006年08月24日(木曜日)付

 何が問題なのかが分かれば、考えようもある。しかし問題が何かが分からなければ、考えようもないだろう。

 数学の「ポアンカレ予想」は100年来の難問と言われた。多次元の空間を分類するある条件を示したものというが、素人には何が問題かすら難しい。その難問の解決への道を示したロシアのグレゴリー・ペレルマン氏が、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を辞退した。

 これまでも、昇進を辞退したり、欧州の若手数学者に与えられる賞を拒否したりしてきたという。米誌の取材には、「有名になると何も言えなくなってしまう」と答えた。その業績を理解するのは難しいが、氏の性分の方は、いくらか理解できる気もする。

 「世紀の難問」を残したフランスの数学者ポアンカレには、「数学上の発見」という一文がある。天啓のように発見が起きた瞬間を、自らの体験で記す。それは、乗合馬車の踏み段に足を触れた時であり、散歩中の断崖(だんがい)の上であり、大通りを横切っている時だった。

 そして、天啓に先立つ「無意識的活動」について述べる。例えば「或る難問を研究するとき……何等効果が上がらないことが縷々(るる)ある」。そこでしばらく休息をして、新たに机に向かう。「最初の半時間は何ものも得られないが、やがて突然決定的な考えが心にうかんで来る」。休息の間も、絶えず無意識的活動が行われていた(『科学と方法』岩波文庫・吉田洋一訳)。

 ペレルマン氏の場合はどうだったのか。その震えるような瞬間についての話なら、何とか理解できるかも知れない。
http://www.asahi.com/paper/column.html

 『天声人語』には珍しく素晴らしいコラムです。

 数学の超難問と呼ばれた「ポアンカレ予想」に、見事に解決への道を示したロシアのグレゴリー・ペレルマン氏が、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を辞退した話題なのでありますが、この「ポアンカレ予想」、ほんとシロウトには何の話か問題の意味すらチンプンカンプンなんですよね。

 いつもは「現代社会の森羅万象を、鋭く温かな視点から描く」と自画自賛している『天声人語』子ですが、もう冒頭から「鋭く温かな視点から描く」ことを完全に放棄しているところがすばらしいです(爆笑)

 何が問題なのかが分かれば、考えようもある。しかし問題が何かが分からなければ、考えようもないだろう。

 これね、名言ですね。

 「ポアンカレ予想」そのものに言及することはあっさりあきらめて「その業績を理解するのは難しいが、氏の性分の方は、いくらか理解できる気もする」として、賞を辞退したグレゴリー・ペレルマン氏のことについて語っています。

 皮肉ではなくこのスタンスはとっても重要ですよね。

 「何が問題なのかが分かれば、考えようもある。しかし問題が何かが分からなければ、考えようもないだろう。」事象というのは世の中に実はごまんとあるわけで、逆説的に言えば起こっている事象の100%のからくりを全て理解して報道できるケースのほうが稀なわけです。

 メディア報道とは、実は事象を正確に記事にしているわけでもなんでもなく、その事象を記者の脳味噌内で「分かった」と解釈した内容だけを「文字」という記号を通して「読者」に示しているんですよね。

 起こっている現実とメディア報道記事は決してイコールではない。

 その当たり前の報道の役割の限界を、報道する側はたえず謙虚に認識し、その上でできうる限りの事実の検証をしつつできうる限りの正確な報道に努めねばなりません。

 何が問題なのかが分かれば、考えようもある。しかし問題が何かが分からなければ、考えようもないだろう。

その業績を理解するのは難しいが、氏の性分の方は、いくらか理解できる気もする。

 いやあ、朝日新聞もやっとおのれの分をわきまえることを悟ったのですねえ。

 朝日新聞は特にこの姿勢を忘れないようにね(苦笑



●「n 次元ホモトピー球面は n 次元球面に同相である」と一般化(高次元に拡張)できる「ポアンカレ予想」〜まったくわかんないです(爆笑

 とりあえず「ポアンカレ予想」をおさらいしておきましょ。

ポアンカレ予想

(3 次元)ポアンカレ予想(ポワンカレ予想とも)とは、「単連結な 3 次元閉多様体は 3 次元球面 S3 に同相である」というものであり、1904年に、フランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出された。現在未解決だが、2002年から2003年に掛けて、ロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンはこれを証明したとするプレプリントarXivに掲載した。それ以来、彼の証明に対する評価は未確定のままとなっているが、彼が実際に証明に成功していたとする見方が次第に有力となってきている。

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一般化された問題

ポアンカレ予想は一般化(高次元に拡張)できる。それは次のようなものである。

n 次元ホモトピー球面は n 次元球面に同相である
このようにポアンカレ予想を n 次元に一般化すると、n = 2 での成立は古典的な事実であり、n ≥ 4 の場合は既に証明が得られている。n ≥ 5 の時はステファン・スメールによって(1960年)、n = 4 の時はマイケル・フリードマンによって(1981年)証明された。両人とも、その業績からフィールズ賞を受賞している。スメールの証明は微分位相幾何学的なものであったが、フリードマンの証明は純粋に位相幾何学的なものである。実際、フリードマンの結果は、その直後にドナルドソンによる異種4次元ユークリッド空間(位相的には通常の4次元空間だが、微分構造が異なるもの)の発見へとつながった。

3次元ポアンカレ予想について、サーストンの幾何化予想(サーストンのプログラム)があり、これは3次元多様体の分類に関するものである。この予想は3次元ポアンカレ予想を含み、大変壮大なものである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC%E4%BA%88%E6%83%B3

 ふーん、(3 次元)ポアンカレ予想(ポワンカレ予想とも)とは、「単連結な 3 次元閉多様体は 3 次元球面 S3 に同相である」というものであり、「n 次元ホモトピー球面は n 次元球面に同相である」と一般化(高次元に拡張)できるですか。

 ・・・(大汗

 まったくわかんないです(爆笑

 まあ私たち数学素人には問題自体がよくわからんのですが、このような地味な研究(←地味かどうかもわかりませんが(苦笑))がやがて世の中の役にたつのでしょうね。

 数学の「ガウス賞」を受賞した京都大の伊藤清名誉教授(90)が60年以上前につくった確率解析の理論が、金融の分野でデリバティブ金融派生商品)の価格決定の方程式に応用され、「ウォール街で最も有名な日本人」と注目されたように。

数学の「ガウス賞」に京大名誉教授の伊藤氏
2006年08月22日

 4年に1回開催される国際数学者会議が22日からスペインのマドリードで始まり、社会に大きな影響を与えた数学者を顕彰するために創設されたガウス賞の第1回の受賞者に京都大の伊藤清名誉教授(90)が選ばれた。伊藤氏は、60年以上前につくった確率解析の理論が、金融の分野でデリバティブ金融派生商品)の価格決定の方程式に応用され、「ウォール街で最も有名な日本人」と注目された。

 また、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞には、100年来の数学の超難問の一つ「ポアンカレ予想」を解決したとされるロシアの数学者グレゴリー・ペレルマン氏(40)ら4人が選ばれたが、ペレルマン氏は受賞を辞退した。

 他のフィールズ賞受賞者は米プリンストン大のアンドレイ・オクニコフ教授(37)、米カリフォルニア大ロサンゼルス校のテレンス・タオ教授(31)、パリ南大のウェンデリン・ウェルナー教授(37)。コンピューター科学の研究者に贈られるネバンリンナ賞は米コーネル大のジョン・クレインバーグ教授(35)が受賞した。

http://www.asahi.com/science/news/OSK200608220109.html

靖国と「ポアンカレ予想」〜一般人が難問を評価する普遍的方法

 しかしこの世紀の数学の難問「ポアンカレ予想」とそれを説いたのに賞を辞退したグレゴリー・ペレルマン氏の奇行(←私のようななんもわからん一般人からしてみればですが(苦笑))に対する天声人語の報道スタンスは興味深いですね。

 なぜって、一般人が理解できない難問を評価する手順というか方法がはっきりしていて、これはなにも「ポアンカレ予想」だけにあてはまるのではなく、普遍的要素を持っていると感じました。

 一般に、私たち素人は手に負えない難問を考えるときには、その難問の評価をあきらめるか、そうではなければ自分たちが理解できる周辺情報に頼ることによって疑似評価してしまうのですよね。

 難問「ポアンカレ予想」とそれを説いたのに賞を辞退したグレゴリー・ペレルマン氏に関しても、「ポアンカレ予想」はちんぷんかんぷんだけどペレルマン氏の性分については意見できちゃうように。

 ・・・

 うーん、この構図、靖国参拝問題とそっくりだなあ。

 一部の靖国フリークで詳しく勉強している人や法律の専門家達などは、靖国の歴史や宗教としての神道、あるいは憲法を持ち出しての宗教と政治の関わりなどについて、極めて専門的な議論をしているわけです。

 でもね、私を含めて一般人にとってはそんな小難しい議論はおいといて、実際に5年間参拝をくり返してきた小泉純一郎首相を通して、疑似評価してしまうのですよね。

 世論調査の結果を見てもその傾向は顕著で、多くの国民は昭和天皇のメモが報道されりゃ靖国参拝反対にたなびき、8月15日の小泉参拝を目の当たりにすれば「純チャンも頑固だなあ、まあしょうがないなあ」とその行為を肯定的に認め、でも「次の首相はいかないほうがいいなあ」と漠然と感じている人が多いのでしょう。

 ・・・

 私も本屋で並んでいる靖国本を何冊か斜め読みして素人なりに勉強もしましたが、いまだもって靖国問題の本質を正しくは理解できていません。

 多くの国民も私と同様だと、私は勝手に思っています。

 そしてこの難問を理解していない多くの国民が、しかし小泉参拝を通じて靖国に対して疑似評価を下していることは私は尊重したいし、それが民意であると肯定評価したいのです。

 ・・・

 一般人が難問を評価する方法は、難問自体理解できない場合はその登場人物の行為など周辺の理解しやすい情報で疑似評価します。

 その点では、靖国と「ポアンカレ予想」はとても似ていると思いました。

 その難問を理解できなくても解けなくても、一般人は平気で評価を下します。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
■頑固でやっかいな『靖国原理主義者』のみなさん
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060517/1147835562