木走日記

場末の時事評論

皇位継承についての一愚考〜いずれにしても冷静な議論が必要

  皇室典範有識者会議が、皇位継承の在り方を大きく見直す内容の最終報告書をまとめ、小泉首相に提出しました。

 女性天皇と、その子である女系天皇も容認しました。継承順位については、天皇の子である兄弟姉妹間で出生順とする長子優先を採用し、女性皇族も継承資格を得るのに伴い、婚姻後も皇族の身分にとどまるということです。

 今日はこの問題について少し考察したいと思います。



●さすがに慎重論が多い各紙社説

 この問題、国民の関心も高く今週メディア各紙も社説で一斉に取り上げました。

朝日新聞社説】皇位継承 時代が求めた女系天皇
http://www.asahi.com/paper/editorial20051125.html
読売新聞社説】[皇室典範報告]「平易に説いた男系維持の難しさ」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20051124ig90.htm
毎日新聞社説】長子継承案 国民の合意形成に努力を
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/archive/news/2005/11/20051122ddm005070030000c.html
産経新聞社説】皇室典範 国会の前に幅広い意見を
http://www.sankei.co.jp/news/051123/morning/editoria.htm
日経新聞社説】熟慮が要る皇位継承論議(11/25)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20051124MS3M2400524112005.html

 例によって各紙社説の結語をまとめてみます。

朝日新聞社説】皇位継承 時代が求めた女系天皇

 とはいえ、今後、皇太子の次の世代に男子が誕生する可能性がないわけではない。政府は来年の通常国会皇室典範の改正案を提案する方針だが、こうした事情を織り込む工夫は必要だろう。

 天皇が高齢などで退位したり、皇族がみずから皇室を離れたりすることができないか。そうしたことも、この報告書を機に、論議が広がってほしい。

読売新聞社説】[皇室典範報告]「平易に説いた男系維持の難しさ」

 皇室は、国の文化的伝統の象徴でもある。成長される過程や日々の生活、公務を通じ、天皇陛下や皇族の方々が国民とともに歩まれる中で、親しみのある新しい皇室像も生まれてきた。

 有識者会議が示した制度を、多くの国民が共感を持って受け入れるなら、皇室制度が揺らぐことはないだろう。

毎日新聞社説】長子継承案 国民の合意形成に努力を

 皇位継承のあり方は、天皇制の本質にかかわることだ。戦後の天皇人間宣言の際や、新憲法制定に際して国民的な議論をしておくべきだったかもしれない。

 ここは、伝統を尊重した天皇制と、現代にふさわしい天皇制とどちらに重きを置くのかが、問われているのではないか。国会でも慎重な議論を重ねて国民的な合意づくりに努力してほしい。

産経新聞社説】皇室典範 国会の前に幅広い意見を

 今後答申をどう扱うかは、政府の判断にかかってくる。国会提出を急がず、もっと広く国民や皇室の歴史に詳しい人の意見を聞くべきである。

 特に男系、女系の問題については国民にわかりやすく説明したうえで意見を求めてもらいたい。一年や二年で結論を急ぐべき問題ではないからだ。

日経新聞社説】熟慮が要る皇位継承論議(11/25)

 女性天皇を認めた場合、男女を問わず直系の長子を優先しないと、継承順位に変動が起きやすく制度が安定しない、とこれも一つの考え方として理屈は通っている。しかし、事は論理だけで片づけられない。国民がそれぞれの歴史観や国家観、家族制度観などをからめて是非の判断を持つ問題だ。現に、男系継承が天皇制度の根幹でそれが途絶えることは容認できないとの意見がある。「しっくりこない。違和感がある」といった感覚的な反発もあろう。

 報告書をもとに、国民の総意といえるまで論議を熟成させて法案をつくってもらいたい。巧遅は拙速に如(し)かず、という事柄ではない。

 興味深いのは、例によって朝日と産経が他紙に比べて突出した自己主張しており、女系天皇に朝日が明確に賛成、逆に産経は反対なわけですが、しかし、社説の結語を読んでも理解できるのは、全体としてその2紙を含めて極めて慎重な物言いになっております。



●興味深い市民新聞JANJANの生物学者の記事

 私も市民記者登録させていただいているインターネット新聞JANJANで、この問題に関してとっても興味深い記事が昨日(26日)掲載されています。

Y染色体男系天皇 2005/11/26
http://www.janjan.jp/government/0511/0511255576/1.php

 この記事を書いた山田ともみ記者ですが、以前にも当ブログで記事を取り上げたことのあるなかなか聡明な女性生物学者であります。

『木走日記』
産経「反進化論」記事を批判するJANJAN記事をメディアリテラシーしてみる
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20051009/1128850185

 この山田ともみ記者ですが、科学者だけあってとても論理的ではあるのですが、男系天皇制を生物学的に科学しながら批判しているわけです。

 ポイントとなる箇所を記事から抜粋してもましょう。

 (前略)

 もし現皇室の男系が2600年にわたって本当に続いてきたのなら、そうやってY染色体のバリエーションが減り続ける中で連綿として維持され、その間にたくさんの皇別をつくり、増えに増え続けてきたことになるので、おそらくいまや日本人のY染色体のバリエーションの中ではもっともありふれたものとなっている、と考えるのが妥当であろう。それをなぜ、どうしても皇族内で維持されねばならない、などとする必要があるだろうか?
 皇室の継続性を巡って、染色体、などという話が持ち出されるに至ったのはごく最近のことである。遺伝学などということが盛んに研究されるようになったのは最近のことだが、染色体の存在についてわかったのはここ1年や2年のことなどではないのに、最近になって一部の人々によりY染色体の継続性などという主張が行なわれるようになったのは何故だろうか。

 ここからは私の想像になるが、恐らくはこういう主張をする人々にとって「科学」は権威であり、その科学の力を借りて、天皇家の伝統、男系維持の重要性に関する権威付けを行ないたいのであろうと思われる。125代の歴史は科学的にも重要だ、という方がただ重要だというよりももっともらしく聞こえる、とそういう主張をする人は思うのだろう。

 しかし、それは科学に対する全くの誤解である。科学は権威ではなく、検証可能性によって支えられた仮説に過ぎない。125代一貫して男系継承であったのは厳然たる事実、などというと、じゃあ本当に証明できるのか?となるのが科学である。こんなところで科学をつまみ食いして権威付けに利用しようとするのは真に科学的な態度とはいえない。

 (後略)

 この記事の主張自体の評価は読者のみなさまに委ねたいのですが、上記主張のコアの部分、「 もし現皇室の男系が2600年にわたって本当に続いてきたのなら、そうやってY染色体のバリエーションが減り続ける中で連綿として維持され、その間にたくさんの皇別をつくり、増えに増え続けてきたことになるので、おそらくいまや日本人のY染色体のバリエーションの中ではもっともありふれたものとなっている、と考えるのが妥当であろう。」、これは科学的には全くの正論ではあります。



●あなたの祖先は一億人?〜1000年単位で考えれば交雑するのが当たり前

 この記者が言わんとするところを、少しわかりやすい喩えで考察してみましょう。

 私達の祖先についてさかのぼって考えてみましょう。
 
 言うまでもなく一人の人間は父親と母親が存在しなければこの世には生まれてこれないわけです。

 つまり、1世代前には父親と母親という2つの個体がなければならないのですが、2世代前を考えると、父親と母親のそれぞれの親(おじいさん、おばあさん)が必要なわけで、4人の個体が必要なわけです。

 そのように考えると、3世代前は8人、4世代前は16人と世代をさかのぼるごとに2倍してご先祖様が増えていきます。

 これはとても単純な話なのですが、このように単純に世代を2倍してさかのぼっていくと、なんと私達の27世代前のご先祖様の人数は一億三千四百二十一万七千七百二十八人という数になるわけです。

 ちなみに、一世代の継承期間(ある世代が次の世代を産むサイクル)を平均30年とすると、27世代掛ける30年は820年であり、今の西暦2005年から逆算すると、1195年になり、この時代はちょうど鎌倉幕府が誕生した年(1192年)の3年後になるわけです。

 つまりあなたのご先祖様は鎌倉時代には一億三千万人いないと理論的にはあなたは存在しないわけであります。

 ところで鎌倉時代の日本の人口はもちろん、一億三千万人などいないのであります。

有史以来の日本の人口の変化

 歴史人口学の研究者である鬼頭宏氏の「人口から読む日本の歴史」によれば、わが国の人口は単調に増加し続けたのではなく、増加と停滞、あるいは減少を何度か繰り返しながら、大きな波を描くように変化してきた。人口増加には、弥生時代から10世紀以降にかけてみられる稲作農耕とその普及による人口増加と、19世紀から現代にいたる工業化に支えられた人口増加という2つの大きな流れがあるという。
 鬼頭氏が江戸時代までの人口について様々な資料から推計したところ、縄文時代には約10万人〜約26万人であり、弥生時代には約60万人であった。奈良時代には約450万人、平安時代(900年)には約550万人となり、慶長時代(1600年)には約1,220万人となった。江戸時代には17世紀に人口が増加し、18世紀には停滞して、おおむね3,100万人から3,300万人台で推移した。

http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/html/g1110030.html

 あくまでも推計ですが、おそらく鎌倉時代初期の日本の人口は600〜700万人と言ったところでありまして、一億どころか一千万人もいなかったのでしょう。

 そうすると生物学的・統計学的には自明なのですが、私達はこの狭い島国の中で激しく交雑してきたわけで、おそらくあなたの血にも私の血にも共通のご先祖様がいると仮定しても、千年・二千年単位のものさしで科学的に考えるとこれは十分にあり得ることなのであります。



●人類のルーツはアフリカの一女性イヴ

 この考え方はイデオロギーではなく科学でありまして、少し飛躍すれば以下の究極論に行き着くのであります。

ミトコンドリア・イヴ」という言葉を聞いたことはありませんか? 遺伝子を調べることで、現代人のルーツを探っていったら、アフリカに住んでいた1人の女性にたどりつき、その女性のことを「ミトコンドリア・イヴ」と名付けたのです。
米国・カリフォルニア大学のグループの研究成果で、人類の起源を研究している人たちの間で、「ミトコンドリア・イヴ仮説」として注目されています。
「イヴ」というのは、旧約聖書に出てくる神が創造した人類最初の女性の名です。では、「ミトコンドリア」とはなんでしょうか?
ミトコンドリアというのは、1つの細胞の中に数百個もあり、生命のエネルギー源となるATP(アデノシン三リン酸)という物質を作っていて、細胞のエネルギー工場に例えられています。
そして、ミトコンドリアには核内の染色体にあるDNAとは違うDNAがあって、ミトコンドリアDNAと呼ばれています。核内にあるDNAは両親から子どもに伝わるのですが、ミトコンドリアDNAは特別で母親の卵子からだけ子どもに伝わります。父親のDNAが混じらないので、人類の祖先をたどるのに適した遺伝子なのです。
そのわけをお話しする前に、ちょっと横道にそれますが、『パラサイト・イヴ』というベストセラーのサスペンス・ミステリー小説がありました。ミトコンドリアの中に隠れ住んでいた「イヴ」が代々、女性の体から体に遺伝して、目覚めるというものでした。ミトコンドリアの性質を小説に生かしていたのです。
では、どうして遺伝子から祖先がわかるのでしょうか。共通の祖先から分かれて時間がたてばたつほど、同じ遺伝子を比較すると変化が大きいのです。同様に、世界のさまざまな人の同じ遺伝子を比較することによって、変化の一番少ない遺伝子を持った人が人類の祖先に近いと考えられるのです。
ところが、核内の遺伝子はたくさんありすぎるうえ、両親の遺伝子を受け継いでいます。ミトコンドリアDNAは環状で全塩基の数も1万数千と少なく、世代を経るにつれての変化が速いのと変化する割合がわかっているので、比較するのに適しているのです。
そして、さまざまな人のミトコンドリアDNAを比較したところ、ヨーロッパやアジアの人々は約20万年前にアフリカ系の人から分かれて、それぞれ独自に進化したという結論になったのです。
ミトコンドリアDNAの比較ですから、女性の祖先をたどることになったので、人類の祖先がアフリカの女性ということになり、「ミトコンドリア・イヴ」と、名付けられたのです。ですから、「ミトコンドリア・イヴ」はたった1人の女性の名前ではなく人類の祖先の総称ということなのです。
人類のルーツについては、人類学者が何万年も前の地層から出てくる人骨や石器などの道具類を比較することによって研究してきました。アフリカで旧人が生まれたことでは一致しているのですが、新人のルーツとなると、アフリカの原人が各地に散らばって進化したとする「多地域進化説」と、アフリカの原人が進化して新人になったとする「単一起源説」に分かれていて、「イヴ説」は「単一起源説」を支持するものなのです。
しかし、ミトコンドリアDNAの他にも進化をたどれるDNAが見つかってきており、「多地域進化説」を支持する研究結果もあります。

おもしろバイオ基礎講座
人類のルーツはアフリカの一女性イヴ
http://biowonderland.com/OmoshiroBio/JapBasic13.html

 興味深い仮説ではありますが、もちろん証明されたわけではありません。



●慎重な議論を重ねて国民的な合意づくりをすべき

 さて、天皇制の議論に戻りますが、一部の識者がこだわる男系天皇制の維持の主張ですが、不肖・木走が考察するに、生物学的にはあまり根拠はなく、たぶんに文化的伝統を尊重した考え方なのでありましょう。

 毎日新聞社説の結語が語るように「天皇制は 伝統を尊重した天皇制と、現代にふさわしい天皇制とどちらに重きを置くのかが、問われているのではないか。国会でも慎重な議論を重ねて国民的な合意づくりに努力してほしい。」というところなのでしょう。

 私個人としては、男系天皇制を維持するにしろ、女系天皇制を認めるにしろ、国民の総意で決定されることになんら異存はありませんが、できれば当事者である皇族のみなさまの意志を尊重してさしあげれるような制度が望ましいと思っております。

 いずれにしても拙速な結論付けは避けて冷静な議論が必要なのでしょう。

 この問題に対するみなさまの考察の一助になれば幸いです。



(木走まさみず)