木走日記

場末の時事評論

『反差別国際運動』と『部落解放同盟』と『チュチェ思想国際研究所』の関係

 今回は『愛・蔵太の気ままな日記』を支持する補足エントリーです。



愛蔵太氏動く!!『国連人権委員会とその関係者を政治的に利用している人たち』

 不肖・木走がブログの師と勝手に尊敬・崇拝している、恐怖の実証主義者こと愛蔵太さんが、久しぶりに本腰を入れて、ある事柄を検証されています。

『愛・蔵太の気ままな日記』
■[リベラル]国連人権委員会とその関係者を政治的に利用している人たち(1):石原慎太郎発言の歪曲報道について
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20051114#p1
■[リベラル]国連人権委員会とその関係者を政治的に利用している人たち(2):「国連人権委員会の人種差別問題に関する特別報告者のディエン氏(セネガル)」の発言記録とその背後関係
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20051115#p1

 内容は『愛・蔵太の気ままな日記』をお読みいただくとして、この話題の人物、国連人権委員会の人種差別問題に関する特別報告者のディエン氏(セネガル)の特別報告書関連ですが、関連ある別の問題で4ヶ月前、私も少し調べていて途中でエントリーを断念した経緯があったのであります。

 今日は愛さんのエントリーの応援エントリーとしてこの問題を取り上げたいと思います。



●そもそものきっかけは疑問だらけの4ヶ月前のJANJAN記事

 私の場合、そもそものきっかけは4ヶ月前私も記者登録しているインターネット新聞JANJANにて、7月18日に掲載された以下の記事について関心を持ったことからでした。

詳報 国連人権委員会特別報告者 ウトロを実地調査 2005/07/18
インターネット新聞JANJAN 7月18日記事
 より
http://www.janjan.jp/area/0507/0507159622/1.php

 京都府宇治市伊勢田町51番地(通称ウトロ地区)を7月5日、国連人権委員会特別報告者、ドゥドゥ・ディエン氏が視察、窮状を訴える住民の声に耳を傾けた」という記事内容なのですが、このウトロ地区の問題、ご存知ない読者のために、簡単に経緯を説明している、当該記事の部分を抜粋しておきましょう。

 ウトロは戦時中に計画された軍事飛行場建設に従事した朝鮮人労働者の飯場(宿舎)を起源にもつ韓国・朝鮮人の集落だ。集落では戦後も流入と離散が繰り返され、現在は約65世帯、200人あまりが生活している。この土地の所有権は旧軍事会社から日産車体に引き継がれたが、転売をへて有限会社西日本殖産に移転された。

 89年、西日本殖産は土地明け渡しを求めて京都地裁に提訴、00年の最高裁判決によって被告・住民側の全面敗訴が確定した。住民は強制執行の不安におびえながら生活している状況だ。

 法的救済の手段を断たれた住民にとって、今回の国連関係者の訪問は意義深いものとなりそうだ。支援団体「ウトロを守る会」の斉藤正樹氏は、「国連関係者の視察は心強い。報告書にウトロ問題が盛り込まれることになれば、強制執行に対する間接的圧力となるだろう」と話している。

 韓国政府高官の相次ぐ訪問、韓国で市民団体が設立されるなど、ウトロを支援する動きは日韓レベルで大きく動き出した。昨年開催された日韓アジア太平洋局長会議ではウトロ問題が議題にあがるなど、ウトロ問題は外交問題として発展しつつある。そこに今回の国連関係者の訪問だ。

 国連人権委員会の特別報告者が人道的見地からウトロを視察したことは象徴的にも実際的にも重要な意味を持っている。今回の視察が強制執行というカードを握る業者に対するくびきとなること、また、この問題への不介入を貫く政府・地方自治体に対する間接的圧力となることは間違いなさそうだ。

 まあ、国際的にも問題になりつつある、約65世帯、200人あまりが生活している一集落に、国連人権委員会の特別報告者がわざわざ視察に来たわけですが、当時私がこの記事に関心を持った点は次の2点でした。

 1.この記事そのものの実証性(メディアリテラシー的に検証したい)
 2.国連人権委員会の特別報告者がこの地に査察に来た背景(単純に好奇心)

 少し当時調べた資料を元にまとめておきます。



●1.この記事そのものの実証性(メディアリテラシー的に検証したい)

 第一の『この記事そのものの実証性』ですが、少し調べてみるとこの記事にはいくつかの重大な事実が隠蔽されて意図的に隠されていることがわかりました。

 当該記事には「この土地の所有権は旧軍事会社から日産車体に引き継がれたが、転売をへて有限会社西日本殖産に移転された」とだけしか記載されていませんが、事実はもう少し複雑であります。

 このウトロ問題を支援している団体のひとつである日本革命的共産主義者同盟(JRCL)機関誌『かけはし』2002.3.18号に、小森政孝氏による投稿記事が掲載されています。

寄稿 朝鮮植民地支配と未解決の戦後補償       かけはし2002.3.18号より
京都ウトロ地区の在日韓国・朝鮮人強制立ち退きを阻止しよう!

http://www.jrcl.net/web/frame0318e.html

 この寄稿はウトロ問題を詳細に記述してありたいへん参考になりますが、JANJAN記事が述べている「この土地の所有権は旧軍事会社から日産車体に引き継がれたが、転売をへて有限会社西日本殖産に移転された」部分も詳細が書かれていますので抜粋してみましょう。

突然送られた立ち退き通告

 一九八八年二月、ウトロに事件が起こった。不動産業者が「売買予定物件」として、ウトロ地区の下見に訪れたのだ。住民の間では大騒ぎになった。住民の大半は自分の住んでいる家の土地はもともと自分のものだと思っていたのに、それが他人のものであり、しかも売買の対象にされようとしていることがわかったからである。
 同年末には「西日本殖産」なる会社から各戸宛てに内容証明郵便で立ち退き通告が送られてきた。そして翌八九年二月京都地裁に提訴されるという事態に至ったのである。住民は土地を「不法に占有」しているので、建物を撤去した上で立ち退け、というのだ。最初は六戸が対象であったが、次第に拡大されウトロ全体に及んだ。
 ウトロ地区の土地所有権を持っていたのは、すでに述べてきた通り「日産車体」であったが、同社はほとんどの住民に全く知らせることなく、土地を売却していたのだった。買ったのは、ウトロ住民の一人であり、住民と日産との間の交渉役も務めていた平山桝夫という人物だった。一九八七年三月九日、日産車体は彼個人に三億円で、当時八十世帯三百八十名がすむウトロの土地すべて(二一、〇〇〇平方メートル)を売却した。平山は五月九日、この土地を四億四千五百万円で不動産会社「西日本殖産」に転売するのである。土地転がしであった。同社は、同年四月三十日に設立されたばかりで、なんと平山自身が役員を務めていた。裁判の開始に前後して彼はウトロから姿を消した。

 つまり、有限会社西日本殖産の社長はもともとウトロ住人の在日、平山桝夫氏(許昌九氏)であったのです。

 この事件複雑ではあるのですが、ひとつの重要な側面として住人同士の係争が発端になっている事実がJANJAN記事には欠落しているのでした。

 JANJAN記事にはほかにも何点か実証性に於いて気になる箇所がありましたが本論からはずれますので重要な1点だけの指摘で留めておきます。



●2.国連人権委員会の特別報告者がこの地に査察に来た背景(単純に好奇心)

 なぜ、今年の7月のタイミングで国連人権委員会特別報告者ドゥドゥ・ディエン氏がウトロ地区に視察に来たのか、背景を調べてみるとなんとも芋ずる式にいろんな団体・人物が登場してくるのであります。

 まず『気になったことを調べるblog』さんが詳細をエントリーされていますが、外務省内国連広報センターが認めているとおり、今回の査察をサポートしたのは、反差別国際運動という団体でありました。

気になったことを調べるblog
2005年07月14日
ドゥドゥ・ディエン国連人権委員会特別報告者は…

http://plaza.rakuten.co.jp/mcneill/diary/200507140000/

 で、反差別国際運動の日本委員会の公式サイトはこちら。

反差別国際運動日本委員会
http://www.imadr.org/japan/jc/jc.html

 この団体の活動内容を調べたところ、『反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC) 2005年度活動方針』(PDF)に確かに以下の記述がありました。

Ⅳ 重点取り組み課題における背景認識と活動方針

1. 「人権侵害救済法(仮称)」や差別禁止法の制定など、被差別マイノリティの共通課題への共同取り組みを進める活動 1) 第162通常国会に上程予定だった人権擁護法案をめぐり、政府から独立し十分な権限を持ち、差別・人権侵害の被害者が容易に救済を求め迅速に救済措置を得ることができ、国際人権基準の国内実施においても積極的な役割を果たすことのできる人権機関の設置を求める運動が重大な局面を迎えている。自民党の一部議員らによる法案と国内の人権運動に対する攻撃と、新たな人権救済機関・立法の必要性を理解しないで法案を批判する論調の二つを打破することが当面の重要な課題である。差別・人権問題に取り組むさまざまなNGO市民運動間の共通認識の形成と連携が十分でないことも懸念される。
2) そうした事態を受け、さまざまな差別・人権問題に取り組むNGO・市民団体間の相互理解と共通認識の形成を目指す。同時に、新たな人権救済機関・立法の必要認識を主張の基盤としつつ、差別・人権侵害の具体的内容の提示とともに人権救済機関の設置や差別禁止立法を求める広範なネットワークの形成に力を注ぐ。具体的には、部落解放同盟と差別・人権問題のために活動するさまざまなNGO・市民団体間の対話を促進し、長期的な共同行動を可能にする関係づくりに資すると同時に、国会内における立法推進勢力の形成にも貢献する。また、国連人権高等弁務官事務所やアジア太平洋国内人権機関フォーラム、各国の既存の国内人権機関への情報提供を継続し、必要かつ適切であれば、日本政府や政党、NGO市民運動に対する助言提供をはたらきかける。
3) 上記の課題を含む被差別マイノリティにとっての共通課題に有効に取り組むためには、広範な課題について日常的な共同行動や対話を重ね共に運動を進める関係を作ることが最も重要であるから、日本のマイノリティに対するさまざまな差別的政策・方針に反対し、また状況の改善を要請するさまざまな活動に積極的な参加を続ける。
4) その上で、例えば国籍や戸籍制度など、マイノリティに対する差別を温存し再生産する根本的な社会制度について、異なるマイノリティ当事者運動間での共通理解・認識を紡ぎ連帯を形成するための活動展開を追求する。同じことを国際的にも追求すべく、新自由主義グローバル化に反対する人びとの集まりである世界社会フォーラムへの参加を継続する。
5) 国連の人権保障メカニズムの有効活用を通じて、被差別マイノリティの運動・人権運動による連携強化を促進することも上記との関連で重要である。近年、主要な国際人
権条約機関への日本政府報告書の提出が大幅に遅れ(注)、各条約機関が採択した勧告を軽視する政府の態度がますます顕著になり、個人通報制度を認めた選択議定書への加入についても前向きな動きが見られず、また、国連で進められている条約機関の改革論議に際し日本政府が簡略化・簡素化の方向を主張している。 注:日本が締約国になっている主要国際人権条約の政府報告書提出期限 拷問等禁止条約: 2000年7月(4年9ヶ月遅延) 自由権規約: 2002年10月(2年6ヶ月遅延) 人種差別撤廃条約:2003年1月(2年3ヶ月遅延) 子どもの権利条約:2006年5月 社会権規約: 2006年6月 女性差別撤廃条約:2006年7月

6) そうした事態を受け、今年度も、政府報告書の早期提出や個人通報制度を備えた条約の選択議定書への早期加入を政府に求める活動を続け、報告書が提出された場合にはマイノリティの視点からNGOレポートを作成し提言を行なう。同時に、既存の国際人権基準の周知・広報も進める。とりわけ、2004年の国連総会決議により制定された「人権教育のための世界プログラム」が国内で適切に実施されるよう政府へのはたらきかけや啓発を進めるとともに、インターネット上の差別煽動についても、人種差別撤廃条約第4条の留保撤回を政府に求め、また人種差別撤廃委員会の一般的勧告等を活用しつつ差別煽動が放置されないよう必要なはたらかけを行なう。

『反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC) 2005年度活動方針』より抜粋
http://www.imadr.org/japan/GA2005/2005_JC_GA_plan.pdf

 なるほど、たしかにこの団体は「国連の人権保障メカニズムの有効活用を通じて、被差別マイノリティの運動・人権運動による連携強化を促進する」ことを活動方針にしているようであり、ウトロ問題をサポートしていることも納得なのであります。

 が、しかし・・・



●自称プチリベラルな木走も驚きの関連団体の数々

 ここからは当時私がエントリーを断念した理由にもなるのですが、実はこの『反差別国際運動日本委員会』ですが、少し調べると関連団体が続々見え隠れしてるのです。



■事実1:『反差別国際運動日本委員会』と『部落解放同盟中央本部』の所在地は同じ

 まず日本委員会サイトに掲載されている『反差別国際運動日本委員会』の所在地『東京都港区六本木3-5-11』は、部落解放同盟中央本部の所在地と一致しています。

部落解放同盟中央本部MAP
http://www.bll.gr.jp/guide-honbu-map.html

■事実2:『反差別国際運動日本委員会』理事長は『チュチェ思想国際研究所』理事と同一人物

 上記の『気になったことを調べるblog』さんでも指摘されていることですが、『2005年度 IMADR-JC役員体制』を調べてみると、理事長は、武者小路公秀大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長とあります。

理事長 武者小路 公秀 (大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長)

『2005年度 IMADR-JC役員体制』より抜粋
http://www.imadr.org/japan/GA2005/2005_JC_Boardmembers.pdf

 で、この武者小路公秀氏ですがチュチェ思想国際研究所』の理事も兼任されております。

武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで, 1929年10月21日 -)は、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長。専門は、国際政治学、平和学。

ブリュッセル生まれ。学習院大学政治経済学部卒業。上智大学明治学院大学国際学部、フェリス女学院大学、中部大学で教鞭をとる。国連大学副学長、反差別国際運動日本委員会理事長、チュチェ思想国際研究所理事、人権フォーラム21代表、ニューメディア人権機構(人権情報ネットワーク ふらっと)理事長、ピースおおさか初代館長を務める。父は外交官で元駐独大使、宮内省宗秩寮総裁の武者小路公共子爵。叔父に小説家の武者小路実篤がいる。

徹底した反米、反権力主義者で人権擁護法案の推進メンバーの一人。部落解放同盟との関係も深い。旧ソ連第三世界に担がれて国際政治学会(IPSA)会長になったこと、国連大学副学長時代には意識的にKGBのエージェントを国連大学に迎え入れたことを認めている(『複数の東洋/複数の西洋』)。さらにアメリカ同時多発テロ事件後は、「イスラーム世界と日本とは、共通の西欧近代の超克という課題をもっている」として、「西欧中心の「オリエンタリズム」的現実を、一日も早く清算する必要がある」、「私たち日本人は、日本が「イスラーム」と一緒に非文明の側に分類されているという基本的な事実を忘れてはいけない」と主張し、「かつての日本の「カミカゼ=特攻精神」と今回のイスラーム原理主義」テロリストに、共通するひとつの心情がある」と、テロへの理解を示している(「日本とイスラーム世界」『別冊 環』④,2002年)。

また坂本義和とともに、朝鮮労働党日本共産党の関係改善の斡旋役を務めるなど(『黄長菀回顧録 金正日への宣戦布告』文芸春秋,1999年)、北朝鮮側が日本で最も信頼する知識人の一人である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%80%85%E5%B0%8F%E8%B7%AF%E5%85%AC%E7%A7%80

 でチュチェ思想国際研究所』の公式サイトはこちら

チュチェ思想国際研究所』
http://www.cnet-ta.ne.jp/juche/DEFAULT.htm

■事実3:『チュチェ思想国際研究所』所在地と『日本キムイルソン主義研究会』所在地は同じ
 『チュチェ思想国際研究所』サイトに掲載されている所在地『東京都豊島区南池袋2-47-7-903』は、『日本キムイルソン主義研究会』所在地と一致しています。

 朝鮮人民民主主義共和国を正しく知るために
 http://www.cnet-ta.ne.jp/dprkj/

 ・・・

 自称プチリベラルな木走もここまで調べてお腹いっぱいになってしまいました。(苦笑)

 整理しますと、今回の愛さんのエントリー『国連人権委員会とその関係者を政治的に利用している人たち』の答えになっているかどうかはわかりませんが、4ヶ月前に私が調べた範囲では、日本国内では上記の個人や団体がなにがしかの関係があることがわかりました。

 読者のみなさまと愛蔵太氏のこの問題に関する考察の一助になれば幸いです。

 (愛さんがんばって下さいネ。)



(木走まさみず)