木走日記

場末の時事評論

靖国参拝反対に寝返ったバルカン読売新聞

靖国参拝問題めぐり動き急な自民党親中派
 昨日の朝日新聞から・・・

靖国参拝、首相に慎重な対応求める 訪中報告の野田氏

 小泉首相は8日、自民党野田毅衆院議員と首相官邸で会談した。野田氏は3日から6日まで中国を訪問し、曽慶紅(ツォン・チンホン)国家副主席らと会談。野田氏は首相の靖国参拝を中止するよう中国側が求めていることを伝えたうえで、「大局のなかで国益を考え、どう判断するかが大事だ」と述べ、参拝に慎重な対応を求めた。野田氏によると、首相は「私は日中友好に熱心だ」と述べたが、参拝については態度を明らかにしなかった、という。

2005年06月08日20時02分 朝日新聞
http://www.asahi.com/politics/update/0608/007.html

 それでもって今日の朝日新聞から・・・

加藤紘一氏が20日から訪中 「親中派」アピール

 自民党加藤紘一元幹事長が20日から21日にかけて中国を訪問する。曽慶紅(ツォン・チンホン)国家副主席ら要人との会談を調整中で、小泉首相靖国神社参拝などをきっかけに冷え込んだ日中関係打開の糸口を探る。加藤氏は胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席とも交流がある「親中派」。8日から訪中している橋本元首相とあわせ、ベテラン議員による日中関係修復の動きが強まっている。

 加藤氏には、加藤氏が属する小里派園田博之衆院議員のほか、無派閥の野田聖子堀内派望月義夫の各衆院議員、旧橋本派山崎力北岡秀二の両参院議員が同行する。加藤氏は、こうした同行議員の人選を、やはり「親中派」の古賀誠元幹事長と青木幹雄参院議員会長に依頼していた。小泉首相や、首相の靖国参拝を支持する安倍晋三幹事長代理らとは一線を画する姿勢をアピールする狙いがありそうだ。意見交換したい、としている。
2005年06月09日07時26分 朝日新聞
http://www.asahi.com/politics/update/0609/003.html

 何だかなあ、河野衆院議長の歴代首相との会見及び小泉首相への意見打診といい、自民党のいわゆる「親中派」の人達の動きがここへ来てとても活発なのです。

 このあたりの動きと「親中派」人脈に関しては、私が勝手にブログの師と仰いでいる愛・藏太さんが、例によって鋭くまとめられています。

愛・藏太の気ままな日記
日中関係と議員について
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050608#p1

 以前にも述べましたが、木走としては靖国参拝の是非に付いては凍結を含めて多角的に検討すること自体異を唱えるものではありませんが、中国の言いなりになるような印象を国際的に与えることは愚策であると考えています。
 その意味では、彼らの動きは何というか最悪なのでありまして困ったものであります。



靖国神社の存在の意味自体はフェーズを分けてじっくり考えたい
 外交問題としての議論とは分けてじっくり考察したいのは、日本人にとっての精神的な宗教的な靖国神社の存在の意味についてですね。それに肯定的に向き合うか批判的に対峙するかスタンスの違いはあると思いますが、いい機会でもありますから、私達一般人も靖国神社をしっかり勉強したいと思います。
 その意味で、私のような素人にこの問題に対するひとつの見方を与えてくれてとても参考になるのが、私のもう一人のブログの師であるくまりんさんの深い考察であります。

くまりんが見てた!
靖国参拝問題〜視点を変えて見てみよう
http://ngp-mac.com/kumarin/index.php?p=807
靖国神社 A級戦犯分祀を拒否
http://ngp-mac.com/kumarin/index.php?p=810
田口汎氏の靖国神社批判を廻って
http://ngp-mac.com/kumarin/index.php?p=815

 宗教的哲学的に考察することは、ここのブログでも何度も討論いただいた違憲性の問題も含めての法理論からの検討と同様、ないがしろにできない大切な議論であると考えます。

 ところで、上記「親中派」政治家の動きが活発になりはじめ、政界および国内メディアの雰囲気が変わり始めたようにも感じられるここ一週間なのですが、やれやれ機を見て敏なのは、政治家だけではないようでありますよ。




●突然参拝反対に舵を反転させた読売新聞の仰天社説
 6月4日の読売社説より・・・

6月4日付・読売社説
 靖国参拝問題]「国立追悼施設の建立を急げ」

 小泉首相は、いったいこれまで、どのような歴史認識歴史観に基づいて靖国神社に参拝していたのだろうか。

 2日の衆院予算委員会で、小泉首相民主党岡田代表の質問に答弁し、極東国際軍事裁判東京裁判)で有罪とされた、いわゆるA級戦犯について「戦争犯罪人であるという認識をしている」と述べた。

 “犯罪人”として認識しているのであれば、「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている靖国神社に、参拝すべきではない。

 連合国軍総司令部(GHQ)が定めた「裁判所条例」に基づく東京裁判が、国際法上妥当なものであるかどうかについては、当時から内外に疑問の声があった。インド代表のパル判事による「全員無罪」の判決書はその典型である。

 フランス代表のベルナール判事や、オランダ代表のレーリンク判事も、裁判所条例の合法性や、国際法上の適用に疑問を表明した。

 また、サンフランシスコ講和条約発効後、いわゆるA級戦犯の刑死は国内法上は「公務死」の扱いにされた。

 「A級戦犯」として禁固7年とされた重光葵氏は、戦後、鳩山内閣の副総理・外相となった。終身刑A級戦犯」だった賀屋興宣氏は、池田内閣の法相を務めている。言うなれば“犯罪人”が法の番人になったわけである。

 しかし、「A級戦犯」が閣僚として、“名誉回復”されたことについて、諸外国からとりたてて異議はなかった。

 そうした歴史的経緯から、いわゆるA級戦犯は、「戦争責任者」ではあっても“犯罪人”ではない、とする議論も根強くある。

 いわゆるA級戦犯が、靖国神社に合祀されたのは1978年のことである。翌79年に、そのことが明らかになるが、当時の大平首相、次の鈴木首相は、従来通り、靖国神社に参拝している。

 大平首相は「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものについての審判は、歴史が致すであろうと私は考えております」として、いわゆるA級戦犯が“犯罪人”であるかどうかについての認識表明は留保した。

 小泉首相は、岡田代表の質問に答える中で「首相の職務として参拝しているものではない。私の信条から発する参拝」と述べ、私人として参拝しているとの立場を表明した。

 私的参拝であるなら、参拝の方法も考えるべきではないか。昇殿し、「内閣総理大臣」と記帳するのは、私的参拝としては問題がある。

 公的、私的の区別については、三木首相が1975年に参拝した際に「私人」と言って以来、関心の対象となったが、その後の首相は、概(おおむ)ね公私の区別について、あいまいにしていた。

 鈴木首相の時代には、公私の区別についての質問には答えないという方針を打ち出している。

 しかし、小泉首相のようにはっきりと「首相の職務として参拝しているものではない」と言うなら、話は別である。

 首相の靖国参拝を巡っては、以前から「問題解決」の方法としてのA級戦犯分祀論がある。だが、現在の靖国神社は、一宗教法人だ。政治が「分祀」せよと圧力をかけることは、それ自体、憲法政教分離原則に反することになろう。

 「分祀」するかどうか、あるいは「分祀」できるかできないかなど、祭祀の内容を解釈するのは、一宗教法人としての靖国神社の自由である。

 ただ、国内にはさまざまな宗教・宗派があり、現実に、宗教上の理由からの靖国参拝反対論も多い。

 靖国神社が、神道の教義上「分祀」は不可能と言うのであれば、「問題解決」には、やはり、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない。

 小泉内閣の誕生した2001年、福田官房長官の私的懇談会が、戦没者の追悼のあり方について検討を進め、翌年には国立、無宗教の追悼・平和祈念施設の建設を提言する報告書をまとめている。

 どのような施設にするのか、どう追悼するのかといった点で、報告書は具体性に乏しい面もあるが、早急にその内容を詰め、新しい追悼施設の建立に着手すべきだろう。

 米国のアーリントン墓地には、外国の元首などがしばしば献花を行う中心施設として無名戦士の墓碑がある。

 国立追悼施設も、屋外施設でよい。東京都心の新宿御苑の一角に、記念碑のような追悼施設を建てればいいとの議論があるが、十分に検討に値する。

 毎年、8月15日に政府が主催している全国戦没者追悼式は、従来通り東京・九段の日本武道館で行えばいい。

 ただ、小泉首相靖国参拝をやめたからといって、ただちに日中関係が改善されるわけではない。

 もともと、A級戦犯合祀が明らかになった後も、大平、鈴木首相の靖国神社参拝に対し、中国からの表立った異議はなかった。

 異議を唱えるようになったのは、1985年に中曽根首相が「公式参拝」の形をとってからである。中曽根首相はその翌年に、中国の抗議に屈して、靖国神社への参拝を中止した。いわば中国に外交カードを与える結果になった“失政”が今日の混乱を招いた。

 その後、天安門事件共産党統治の求心力に危機感を抱いた中国は、「愛国・反日教育」の強化に転じ、年々歳々、膨大な数の反日世代を育て続けている。

 4月に行われた反日デモのスローガンは、当初、日本の国連安保理常任理事国入りの問題であり、台湾問題だった。

 今後の日中関係を考えるうえで、そうした中国の国内情勢も、注視していく必要がある。
(2005年6月4日1時35分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050603ig90.htm

 かつて産経と共に靖国参拝肯定の論陣を張っていた読売新聞が、大きく舵を切り、その主張を180度変更し参拝反対の主張をし始めたようです。

 今日(9日)付けの読売新聞紙面でも、11面(東京本社13版)で、「靖国問題どう見るか」という特集を組んでいます。

 詳細は紙面を御覧いただきたいですが、有識者3氏のコメントが並んでいますが、筆頭に掲げているのが、『「追悼施設」が沈静化のカード』と題した、御厨(みくりや)貴東大教授の論説であります。御厨氏は、靖国参拝反対論者であり、かの官房長官私設懇親会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」のメンバーだったわけです。

 あとの2氏はそれぞれ参拝賛成派、参拝反対派からの論説なのですが、メディアリテラシー的に言わせてもらえば、典型的な世論誘導的な特集でありまして、まあ簡単に言えば「2対1」で反対派の勝ちー、という偏った特集なのであります。(苦笑



●正体をあらわしたバルカンメディア読売新聞とあわれな産経新聞の嘆き
 今回の読売の主張の寝返りをどう評価するかは、読者のみなさまのご意見を伺いたいですが、木走としてこの読売新聞の変節に疑いを持っているのは、どうも大局的な考察・深い思慮のもとに主張を変換したと言うよりも、中国の動勢と世論の動勢をうかがいながら、こずるく立ち回ったような印象が拭えないのです。

 バルカン政治家ならぬバルカンメディア読売といったかんじでしょうか。

 とにもかくにも、これで日本のメディアとしては、朝日・毎日・日経の参拝反対派に読売が加わったことで、靖国参拝反対で大勢は決まったようであります

 なんだかなあ、唯一賛成派として孤軍奮闘する産経の嘆きもわかりますよね。

■【主張】靖国神社問題 国立追悼施設に反対する

 靖国神社に代わる無宗教の国立追悼施設を建設すべきだとする主張が、一部マスコミや政治家の間で再燃している。水鳥の羽音に驚きあわてるかのような騒ぎだが、中国などに迎合した議論といわざるを得ない。

 もともと、国立追悼施設構想は四年前の国会で、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を問題視する当時の民主党代表や社民党党首から提起された。「外国要人も献花できる国立墓地を」というものだが、首相の靖国参拝を認めたくないための論理のすり替えだった。

 その後、福田康夫官房長官(当時)の私的懇談会も「新たに国立の無宗教施設が必要だ」とする報告をまとめたが、遺族らから「靖国神社を形骸(けいがい)化させる」などの強い反対意見が出され、事実上、建設が断念された。

 懇談会の報告が中国などに配慮するあまり、毎年、靖国神社への参拝を続ける遺族の気持ちや伝統的な国民感情を十分考慮していなかったからだ。

 最近、朝日新聞だけでなく、保守主義を基調とする読売新聞までが「国立追悼施設の建立を急げ」とする社説(四日付)を掲げた。≪靖国神社が、神道の教義上「分祀」は不可能と言うのであれば、「問題解決」には、やはり、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない≫とあったが、いささか飛躍した論理ではないか。

 靖国神社に合祀(ごうし)されているいわゆる「A級戦犯」を分祀すべきだとする意見は、中国などの政治的狙いに沿うものでしかない。靖国神社にまつられている霊を取り除き、別の社に移し替えるという意味の「分祀」は、神道ではあり得ない。そのことを理解しているのであれば、まず外国に理解を得る外交努力を求めるべきだ。

 中国副首相の突然の帰国を批判した先月二十五日付社説「最低限の国際マナーに反する」で、首相の靖国参拝について「他国の干渉によって決めることではない」とした読売の論調は、どこへ行ってしまったのだろうか。

 戦没者慰霊はその国の伝統的な宗教や文化と深く関係している。日本には戦没者慰霊の中心施設として靖国神社がある。外国の圧力でできた無宗教の追悼施設などに誰が行くだろうか。そんな施設に税金を投じるのは無意味かつ無駄である。

平成17(2005)年6月7日[火] 産経新聞
http://www.sankei.co.jp/news/050607/morning/editoria.htm

 「 中国副首相の突然の帰国を批判した先月二十五日付社説「最低限の国際マナーに反する」で、首相の靖国参拝について「他国の干渉によって決めることではない」とした読売の論調は、どこへ行ってしまったのだろうか。」というこの産経の嘆きに、バルカンメディア読売はどうこたえるのでしょう。(苦笑

 これでは、世界最高部数を誇る天下の読売新聞がやはり主義主張のないただの大衆迎合ペーパーであったことを証明するようなものであります。

 冷静に追悼施設建設という中庸の意見を選択したとするならば、せめて考え方が変わった理由ぐらい、ちゃんと読者に説明する責任が有ると思いますが、いかがでしょうか。
 あまりにも稚拙でタイミングの悪いカメレオンのような主張転換であり、まったく説得力に欠けるのです。

 読者のみなさまはいかが考えられますでしょうか。



(木走まさみず)

<テキスト修正履歴>
2005.06.10 14:55
くまりん様のブログ名を訂正させていただきました。