靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(6)
以下のエントリーの続きです。
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050521
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(2)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050523
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(3)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050525
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(4)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050527
靖国参拝問題〜大局的見地に立って考える(5)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050530
今回はこの問題に対する現在の私・木走の見解を述べてみたいと思います。
●国際外交においてその場しのぎの言辞は弄してはいけない
昨日の夕刊フジのコラムから・・・
中国副首相ドタキャンの真相
愛知万博視察で訪日した呉儀副首相と小泉首相の会談が本国の緊急公務が理由でドタキャンになった。呉副首相の帰国後、中国外務省は「小泉首相の靖国参拝問題」が理由と発表。実は会談キャンセルは呉副首相訪日直前から決まっていたともいうが、あえて帰国直前に通告したともいう。呉副首相は小泉首相に「恥をかかせた」ことで帰国後国民から喝采を受けた。
ここまでの話だと町村外務大臣が言うように「国際信義にもとる」ことであり、小泉首相が言う、「なんですかな、会えばいいのにね」のオトボケ話に終わる。
ところが、ことはそうは簡単ではない。昨年11月のチリ・サンティアゴでの日中首脳会談から、反日デモ後の先月4月23日のジャカルタでの首脳会談とその後のいきさつがある。サンディアゴで小泉首相は過去の日中共同声明など「3つの文書」(A級戦犯が侵略者で他の日本国民は中国国民同様被害者である。従って戦争賠償金免除。日本は「一つの中国」つまり台湾は中国の一部の概念を認め台湾独立を支持しない)を確認した。
そして胡錦濤主席の靖国参拝自粛要求に小泉首相は「適切に対処する」と答えた。また台湾については「台湾独立を支持しない」との立場を再確認した。小泉首相はジャカルタで村山元首相談話の確認(アジアへの謝罪)を行い、続く日中首脳会談で再び3つの文書を確認した。
会談では胡主席が「言葉だけでなく実行してくださいよ」と小泉首相にクギを刺した。ところが、台湾独立不支持では、サンティアゴ会談の直後に「台湾独立総元締」の李登輝前総統の訪日を支持、町村外相は「台湾は日米安保の対象になる」と発言。呉副首相訪日直前に小泉首相は衆院予算委員会で「靖国参拝は他の国が干渉すべきでない。いつ行くかは適切に判断する」(参拝する意思表現ともとれる)と発言した。
これで日中首脳会談の発言は「舌の根の乾かぬうちに総て反故」になったと中国側が受け止めた。3つの文書自体が国家の約束で、これを一国の首相が確認しておいて反故にするようなら、中国が怒るのは当たり前なのではないか?その場しのぎの言辞は弄さないことだ。
この記事の論説の評価は読者の皆様に委ねますが、私として一点うなづかざるを得ないのは、確かに小泉首相になってから4年間、日本の外交の一貫性という面では問題があったと思いました。
一つは前任の首相達との差分でありますが、これは民主主義国である日本が首相が代われば外交方針も変更があるわけで当然理解できますが、小泉首相の場合、それだけではなく確かに「その場しのぎの言辞」というか一貫性に欠ける事が目に付きます。
かたやAA会議で村山元首相談話の確認をしながら、かたや国会で「大局的見地から参拝する」などと発言しては、彼の心情としては正直な気持ちでありましょうが、一国の指導者として、国益を預かる外交ゲームのプレイヤーとしては、心もとないのです。
私は単純な外国への配慮などを説いているのではなく、シビアな外交戦略・戦術が見受けられないという点でとても小泉外交を危惧するのです。
●「過去」処理行動の自由回復をめざすため参拝中止せよ
次に日曜日の読売新聞一面論説からの抜粋です。
「靖国」「教科書」決断の時
「過去」処理行動の自由回復白石 隆 政策研究大学院大学副学長
4月23日、ジャカルタで行われた小泉首相と胡錦濤主席の首脳会談を契機に3週間にわたって中国各地でおこった反日デモの嵐もとりあえず過ぎ去ったように見えた。しかし、先日、呉儀中国副首相が小泉首相との会談を突然キャンセルして帰国したことで、日中関係はまた感情的な面子の問題となっている。
このコストは非常に大きい。温家宝中国首相は、すでに4月12日、反日デモに関連して、「過去を尊重し、歴史に責任を負う国だけがアジアや世界の人々から信頼され、国際社会での大きな責務を果たすことができる」と述べて、日本の国連安保理常任理事国入りに反対の意思を表明した。
わたしは今回の反日デモが全くの官製デモだったとは思わない。中国の若い人々に反日の気分があることは事実である。しかし、中国政府がその政治目的のためにこれを計算ずくで利用したことも疑いない。
この3年、日本政府は、国連改革と日本の安保理常任理事国入り、日中関係、靖国参拝、東アジア経済連携などを、これはこれ、あれはあれと、別々に処理しようとしてきた。中国政府は今回、それはだめだ、ということを無視できないかたちで突きつけてきた。
乱暴なことをすると怒ってもだめである。中国の現体制はその正当性をナショナリズムと社会主義市場経済の実績によっている。しかも中国は、地域格差、階級対立など、深刻な社会危機を克服しなければならない。中国政府が政権維持、体制維持のために愛国主義を発揚するのはそのためである。そうした外交は稚拙である。しかし、それを失礼だといってみてもなんの利益にもならない。クールに問題に対処するほうがよい。
ではなにが問題か。課題は山積している。しかし、その基本には日中の相互不信がある。国分良成・慶大教授の指摘する通り、日本からすると昨年のアジアカップの反日活動、東シナ海における資源開発、原潜の領海侵犯、反日デモ、日本の国連安保理常任理事国入り反対と、中国は日本を敵視しているように見える。一方、中国からすれば、首相の靖国参拝、日米戦略対話における台湾問題への言及、対中開発援助終結論、教科書問題、すべて日本の敵意の表現と見えるだろう。こうした相互不信を少しでも解消すること、それが課題である。
ではどうすればよいのか。「歴史問題」について戦略的に決断することである。
日本が植民地支配とアジア侵略の過去について謝罪していないというのは誤りである。中国との間だけでも、日本政府は、日中共同声明、日中平和友好条約、日中共同宣言において過去の歴史に深い反省を表明し、中国政府もこれを受け入れてきた。今回の首脳会談において胡錦濤主席が「(これら)3つの文書と原則を守る」ことを提案の第一に挙げたこともこれを示している。
また日本政府は1995年の村山総理談話において「わが国は国策を誤り、植民地支配と侵略によって、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました。痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と述べた。これは閣議決定を経た政策であり、小泉首相もアジア・アフリカ会議での演説でこれを政府の方針として確認している。
しかし、それでも、日本は戦争の過去と向き合っていない、と批判される。そしてそうした批判は、中国・韓国の人たちばかりでなく、反日デモについての世界各地の報道に見る通り、世界的にもそれなりの説得力を持って受け止められている。それは二つの理由による。
その一つは2001年以来の小泉首相の靖国参拝である。首相がA級戦犯の合祀される靖国神社に参拝することで、日本政府が村山総理談話に示された政策を変更したかの印象を生んだ。一方、官房長官の私的懇談会は、小泉政権下、靖国に代わる無宗教の国立慰霊施設の建立を提言している。いま首相がなすべきことは、アジア・アフリカ会議における演説を踏まえ、靖国参拝をやめ、新しい国立慰霊施設を決定し、胡錦濤主席訪日の際にはここに参拝してもらうことである。(中略)
わたしがこういうことを提案するのは「外圧」のためではない。日本はこれまで戦争の過去を人質にとられ行動の自由を縛られてきた。これは望ましくない。中国政府が「歴史に責任を負う国」だけが世界で「大きな責務を果たすことができる」と言って日本の国連安保理常任理事国入りに反対するのであれば、日本政府は二度とこういうことを言われないよう、だれにもわかる行動によってこの問題を処理し、国連安保理常任理事国入りを求めればいい。
なお付言しておけば、日中友好は日本だけの責任ではない。しかし、中国政府がそのためになにをすべきか、それは中国政府が考えることであり、ここでは次の2点を指摘するにとどめたい。
その一つは、今回の反日デモにおいて生じた大使館などへの破壊行為について中国政府は責任者の処罰と賠償の責任を負うことである。それが中国政府に対する信頼回復につながる。もう一つ、中国政府は、日中関係がもっとも重要と言うなら、「歴史を反省しない日本」という宣伝・教育をやめるべきである。中国政府が国定教科書、官製報道機関において反日=愛国主義を発揚し、「歴史問題」によって道徳的高みに立とうとする限り、日中対等の有効はありえない。中国政府は戦後日中関係の歴史、日中国交回復以来の日本の対中開発援助・経済協力などについても国民に知らせるべきである。
日中関係の安定は日中両国にとっても、アジアと世界にとっても、重要である。そのためには相互不信の関係を相互信頼の関係に変えなければならない。この相互依存の時代、敵を外に求めるナショナリズムは危険である。そういったナショナリズムを抑え、相互信頼の関係を築いていくことこそ政治指導者のしごとである。読売新聞 5月29日 紙面より抜粋
政策研究大学院大学といえば、官房長官の私的懇談会に教授を参加させていましたので、白石氏のこの論説は若干「我田引水」的ではありますが、考えさせられる内容です。
昨日も述べましたが、靖国参拝問題は「国際問題」であり、なおかつ「国内問題」でもあり、さらに言えば「日本人対日本人」の問題であるわけです。
日本は民主主義国家であり、多価値社会であり、社会主義国のように国論を100%一致させることは不可能ですし、そもそも異論を認め合う豊かなデモクラシーが実現していること自体評価されるべきことであります。
●日本が国際的に評価されるべき事項は60年も前の戦争であるべきではない
国内の論議をおざなりにするという意味ではなく、ここは外交戦略として。靖国参拝を「一時凍結」(あえて中止という言葉は避けてみました)した場合の戦術を議論してみるのも、重要なことだと思います。
もちろん、首相が参拝すること自体の議論(その違憲性、また靖国神社そのものの評価)は、しっかりフェーズを分けて徹底的に国民監視の中でしていただきたいとは思います。
私は、当ブログで再三指摘してまいりましたが、国際的(中国・韓国のみならずです)に各国のメディアを検証してみて、戦時中の日本のふるまいに関しては、残念ながら戦勝国を中心に決して日本を支持する意見ではなく、日本としては外交戦略上、戦争に関わる自己主張は控えめにすべきであると述べてきました。
たとえば、戦後60年の歩みだけ評価してもらえれば、日本の平和国家としての国際貢献とその実績を共産国家中国と冷静に比較すれば、それだけでも日本はとても評価されるのであります。これも当ブログで何度も検証してきた考察です。
●ただし中華新秩序を加速するような参拝中止は絶対してはいけない
小泉首相は信念の人かもしれませんが、残念ながら一貫した外交戦略がありません。しかし、ここまできたら絶対に中国などの外圧を理由に降りてはダメです。いま外圧を理由にやめれば中国に言われてやめることになります。日本がそうなると他の中国近隣諸国に与える外交ダメージは非常に大きいのです。
アジア諸国が右にならえで中華新秩序ができてしまうような未熟な外交戦術は選択してはいけません。
あくまでも日本が自主的に「参拝凍結」をして、国内議論は議論として真摯に徹底的に続けていくのがよろしいのではないでしょうか?
その過程も含めて国際的に開示していけば、広く民主国家日本のイメージUPにもつながると、私は考えます。
これはもちろん私の今現在の個人的見解であり、読者のみなさまに強要するものではありません。また、私自身発展途上人でもあり、今後見解を変更することも十分ありえます。
ただ、みなさまに議論・考察をしていただくための参考という意味でも、そろそろ個人的オピニオンを掲げておこうと考えました。
みなさまのご意見・ご見解(ご批判)をうかがいたいです。
(木走まさみず)