木走日記

場末の時事評論

少女の運命は立証されたのか

 今日は、最近話題になっているニュースを科学的に考察してみたいと思います。

 まずは、2月10日の産経新聞から。

 政府、北朝鮮に反論文書 めぐみさん「遺骨」鑑定 

 政府は10日午後、拉致被害者横田めぐみさんの「遺骨」ではないとした日本のDNA鑑定結果を「ねつ造」と批判した北朝鮮の回答に対する反論文書を北京の大使館を通じて北朝鮮側に送った。鑑定結果は「明白な事実」として北朝鮮側の見解を受け入れないことを通告、拉致被害者の即時帰国と真相究明を求めた。

 文書は併せて、迅速な納得いく対応がなければ「『厳しい対応』をとらざるをえない」と経済制裁も辞さない姿勢を示し警告。一方で「要望があれば、実務者レベルで直接説明するにやぶさかでない」と実務者協議の用意もあることを表明した。

 北朝鮮側の「遺骨」返還要求については「まず北朝鮮側こそ、なぜ横田さんのものと称して(別人の骨を)提供したのか納得できる説明を行う責任を負っている」と拒否した。
 反論文書は、北朝鮮側が「備忘録」と題した1月26日付の回答文書で(1)1200度の高熱で火葬された遺骨をDNA分析方法で鑑定しても個人識別は不可能(2)世界最新設備を持つ科学警察研究所でDNAを検出できなかった事実を無視しており科学的でない−などと指摘した点に関して逐一反論。「火葬した骨の一部が熱に十分にさらされなかったためDNAが残存することはあり得る」「帝京大学科学警察研究所には別の検体が鑑定嘱託されたのであり、指摘は不的確」などと強調した。

 文書は北京の日本大使館から北朝鮮大使館へファクスで送った。「金正日国防委員長(総書記)の約束」として、昨年12月25日に北朝鮮側に伝達した日本側の精査結果に応え、安否不明拉致被害者全員の真相も徹底的に究明するよう強く求めた。

 この日の反論伝達は、町村信孝外相が10日午後に小泉純一郎首相に報告し了承された。(共同)

 ■拉致被害者再調査に対する日本の精査結果 北朝鮮が昨年11月の日朝実務者協議で、安否不明の拉致被害者10人について「再調査の結果、8人死亡、2人未入国と確認された」として示した関係者の証言や物証に対し、日本政府が同12月24日にまとめた見解。横田めぐみさんのものと渡された「遺骨」はDNA鑑定で別人と判明したことなどを指摘し「北朝鮮側説明を裏付けるものは皆無」と批判、真相究明と再回答を求めた。北朝鮮は1月26日「日本の遺骨鑑定結果は徹底的なねつ造」などと主張する回答を伝えた。(共同)

(02/10 22:30)産経新聞
http://www.sankei.co.jp/news/050210/sei109.htm

 ところがこの日本の鑑定結果に関してイギリスの権威ある科学誌『ネイチャー』が、疑問を呈するレポートを発表しました。

DNA is burning issue as Japan and Korea clash over kidnaps
David Cyranoski
Cremated remains fail to prove fate of Japanese girl abducted in 1977.

日本と北朝鮮拉致事件で衝突〜DNAはまさに燃えている問題
デヴィッド・シラノスキー
火葬にされた遺骨は、1977年に誘拐された日本人の少女の運命を立証してはいない。
(訳:木走)

http://www.nature.com/news/2005/050131/pf/433445a_pf.html

 タイトルもそうですが、このサブタイトルの「Cremated remains fail to prove fate of Japanese girl abducted in 1977.」は、科学誌らしく味気ない物言いではありますが、日本政府にとってはかなり衝撃的な断定であります。
 ここから大騒ぎになり、細田官房長官が「この記事はウソだ」と言い、デヴィッド・シラノスキー記者も再反論、政府支持派も北朝鮮擁護派も入り乱れての大議論になっているようです。

 ここらへんの事情をとてもわかりやすく説明されているのが、pontakaさんの『あるコリア系日本人の徒然草』の『北朝鮮の提出した遺骨鑑定の真偽』です。
(http://blog.goo.ne.jp/pontaka_001/e/90595af8134b8c4aefab64e29bde0c42)

北朝鮮の提出した遺骨鑑定の真偽

(前略)

まず僕の専門職上、帝京大学がどのような方法論をとったか、完璧に理解できますし、僕自身同様のことを行うことができます。上のNature記事を読んだところ、非常に真っ当な記事との印象です。この記者さんも反論しているように、この記事からはなんの政治的匂いもしてきません。サイエンスに携わったことのある人なら分かると思いますが、この"Nature"という雑誌は、それこそそこらへんの雑誌とは全く格が違うし、政治的なものからは完全に独立しています。サイエンスの分野では、もっとも信頼性の高い雑誌の一つです。

まず帝京大学の方法論ですが、非常に感度が高いかわりに、他人の汗や指脂由来のDNAなどにも反応してしまう欠点があります。すなわち、日本側に渡される前に北朝鮮の人などがこの遺骨に触れていれば、当然その人のDNAにも反応してしまうわけです。しかもこの可能性は非常に高いと思われます。すなわち、高温にさらされた後、破壊に耐えた遺骨のDNAと、これら外来由来の何の処理もされていないDNAの量比によって、この実験の成功の可否が決まるわけです。

このような実験の性質上、「横田めぐみさんのDNAが検出された」場合には、「この遺骨の中に横田めぐみさんのものが含まれる」と断定できるわけですが、今回のように「横田めぐみさんのDNAが検出されない」場合には、「この遺骨の中に横田めぐみさんのものが含まれない」とは断定できないわけです。また他の人のDNAが検出されたのは、上で述べたように、他人の汗や指脂由来のDNAが検出されたと考えるのが一般的ではないかと考えられます。このようなことが記事の中でも、簡単に説明されています。

また、もうひとつの問題点として、追試がうまくいっていないことが挙げられます。サイエンスの分野では、追試可能であることが絶対条件なのですが、残念ながら帝京大学自身、またその他の大学グループもうまく行っていないようです。こういったことから、学問的にはまだまだ信用性がうすいと言われても、至極真っ当な意見だと思います。このようなことから、日本政府もまだ経済制裁に踏み切らないのかな、と勘ぐったりしていますが。

(後略)

 私は、専門家でもあるpontakaさんのこのテキストは、とても論理的でかつ冷静であり説得力のあるものだと評価しています。また、彼は政治的にもとてもニュートラルな言説をしており、そもそもあまり時事問題を扱うことは好んではしないタイプのブロガーです。



 木走は、科学的アプローチとしては明らかに日本政府のほうが、分が悪いと判断しています。

 日本政府の「鑑定結果は明白な事実」との言い分は、非常に脆弱な試験結果に依拠しており、「事実」と断定するには科学的立証性が極めて弱い点が第一です。追再試験もできない結果など科学の世界では「証明された」とは言えないのです。

 あともうひとつ、決定的に日本政府の言い分が論理的におかしい点があります。それは、百歩ゆずって日本政府の主張「鑑定結果は明白な事実」を認めたとしましょう。しかし、この鑑定結果が示すのは、日本政府がいう「この遺骨からは、他人のDNAしか検出されなかった。従ってこの遺骨はめぐみさんのものではない」ということではないのです。
 結果が示す科学的解釈は「この遺骨からは、他人のDNAしか検出されなかった。また、残りの大半の遺骨が誰のものかは科学的に立証できなかった」なのです。

 これは重要な点です。以前、このブログのコメント欄でrice_showrさんが、おっしゃっていた「法廷では何故“guilty or not guilty”であって、“guilty or innocent”と言わないか」という法判断の基本概念にも関わるところです。
法廷で裁けるのは、「有罪か、有罪ではないか」であって、「有罪か、無罪か」を証明するものではないのです。

 今回にあてはめれば、鑑定の結果「めぐみさんのDNAは検出できなかった」ことは、「めぐみさんの遺骨ではなかった」ことを全く証明してはいないのです。
 まさに『ネイチャー』の論説「Cremated remains fail to prove fate of Japanese girl abducted in 1977.」 が、的確なのだと思います。
 めぐみさんの運命はいまだ立証されていないのです。

 私は、このブログを始めた2日目に、『大義の支持者』ではなく『真理の探究者』でありつづけたいと述べました。

 私個人は現在の北朝鮮など最悪国家だと思っておりますが、政治的しわくと科学的実証性には、何も関係ないし、その意味で日本のマスコミがこの問題で沈黙していることが、木走的には一番理解に苦しむ疑問なのでありました。



(木走まさみず)

<関連テキスト>

●『大義の支持者』と『真理の探究者』
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050222
<関連テキスト>
●少女の運命は立証されたのか(2)
●少女の運命は立証されたのか(追記)
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050322
拉致被害者 少女の運命は立証されたのか
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050401