木走日記

場末の時事評論

朝日新聞はリテラシーが低すぎます

 最近の朝日・NHK問題でも、マスメディアの報道のあり方が問われていますよね。
 政治的圧力があったかどうかも含めて、特に問われているのは、メディアのあり方、記事の客観性・実証性だと思います。

 私は前にも書きましたが、インターネット新聞JANJANの市民記者に登録しております。以前そのコロシアムという掲示板で、徹底討論!メディアリテラシーという板の進行役みたいな役回りをしていました。

 今は閉店状態の掲示板ですが、関心のある方は是非参照して下さい。
http://www.janjan.jp/bin/bbs/0410/0410209907/1.php

 その掲示板で私が書き込んだコメントを抜粋しながら話を進めます。

そもそもメディアリテラシーの定義から入りましょう。

メディア・リテラシー
メディア・リテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力をさす。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという」

基本概念

1)メディアはすべて構成されている。
2)メディアは「現実」を構成する。
3)オーディアンスがメディアを解釈し、意味をつくりだす。
4)メディアは商業的意味をもつ。
5)メディアはものの考え方(イデオロギー)や価値観を伝えている。
6)メディアは社会的、政治的意味をもつ。
7)メディアは独自の様式、芸術性、技法、きまり/約束事(convention)をもつ。
8)クリティカルにメディアを読むことは、創造性を高め、多様な形態でコミュニケーションをつくりだすことへとつながる。
(『Study Guide メディア・リテラシー【入門編】』より引用 )

 次にメディア(記者)とオーディアンス(読者)の関係をまとめてみます。

「市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価」する目的を達成するためには、

 ①「メディア(記者)が提供する記事が正確にある出来事をとらえていること」
 ②「オーディアンス(読者)の記事に対する解釈(意見・批評)を、メディア側(記者)が排除しないこと」

が、大前提になります。

上記基本概念の「3)オーディアンスがメディアを解釈し、意味をつくりだす。」に従えば、①の前提が必須であるのは、正しい情報をオーディアンスに提供することがメディア側(記者)の責務であるから自明のことであり、②の前提が必須であるのは、その記事の意味付けは、メディア側(記者)ではなく。オーディアンス側(読者)の役割であるからです。

この二つの前提を守ることではじめて、上記基本概念の「8)クリティカルにメディアを読むことは、創造性を高め、多様な形態でコミュニケーションをつくりだすことへとつながる。」 のだと思います。

 では、正しい「記事」とはどのような記事なのでしょうか?

①「メディア(記者)が提供する記事が正確にある出来事をとらえていること」に関してもう少し踏み込んで考えてみます。

 ある個人の記者が伝える「記事」は、「構成され、コード化された表現」(representation)ということだといえます。つまり「記事」は現実を反映しているのではなく、再構成し、提示しているわけです。

 現実を再構成する作業の過程において、誤謬性が必ず発生します。その出来事に対し、意図的でないにせよ、選択した事実だけ提供すること、記事の中で用いる言語の定義(しばしば曖昧であったりする)、事実の説明に、記者個人の判断を刷り込む(事実と自己意見の混合)、もちろんそれに事実そのものを誤報したりする可能性があるのです。

したがって、メディア(記者)側は、記事を発信する前作業として、可能な限り徹底した実証(検証)を行うのはもとより、引用したソースはすべて明示化すべきとなります。特に、引用したソースも誤謬性をともなう記事である場合は必須のことです。

 少なくともメディアとして「記事」というカテゴリーでテキストを起こす限り、一次ソースではない伝え聞いた実証不可能な「伝聞」や、記者の頭の中だけにある他人が実証できない「個人的真理」に基づいてはいけないわけです。

次に、 ②「オーディアンス(読者)の記事に対する解釈(意見・批評)を、メディア側(記者)が排除しないこと」について考えてみます。

 現在のメディア・リテラシーの概念からいえば、いうまでもなくメディア・リテラシーを維持・発展させる主役は読者であり、記者は副次的媒介者(出来事と読者を媒介する)です。 また、上記の通り、あらゆる記事はその負の属性として誤謬性を有していることから、、読者はその厳格なチェッカーとしての責務もあるわけです。


(引用部はすべて 木走まさみず)

 この点にこそ、ブログをはじめとするネットメディアの既存メディアに対する優位性があると思います。インタラクティブに、ほぼ、リアルタイムに読者の、意見・批評・批判がメディア(記者)側に、反映できるわけですね。

 私はJANJANに「記事」としてテキストを載せるときには実証性を最優先に考えています。

 まあ、今回の朝日新聞の対応を見ていると、私的にはリテラシーが低いと言わざるをえません。