朝日新聞投書欄『声』の信ぴょう性について
今回は小ネタです。
さて私・木走まさみずがネット言論空間に初参加したのは、いまは廃刊になりましたが「インターネット新聞JANJAN」の市民記者登録をしたのがきっかけでした、14年前です。
元朝日新聞社出身の編集長のもとで、「インターネット新聞JANJAN」に掲載される記事はかなり反政府・反権力的に偏向していました。
事実検証の弱い記事でも反権力であれば大抵掲載されていました。
編集部の言う事を聞かない不良(?)記者である私は、JANJAN編集部と衝突を繰り返します。
やがて私はJANJANのコメント欄や掲示板を通じてJANJAN編集部と激しく論争する、「反逆グループ」のリーダー(?)のような役回りになりました。
そしてJANJANは実名以外のコメント欄書き込みを禁止いたします。
ネットの自由な言論空間を自ら制約を課したJANJANは、読者減少に歯止めが掛からずやがて廃刊となります。
読者のみなさんは『木走日記』などの時事問題を扱う個人ブログに何を望んでいるのでしょうか。
『木走日記』としての一つのテーマがマスメディア評論です。
朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日経新聞、当ブログでは系列テレビ局も含めてマスメディアは全て批判対象としてきました。
日本のマスメディアはクロスオーナーシップの弊害で、新聞はTVを、TVは新聞を批判しません、できません、そのぬるま湯体質の中でチェック機能が麻痺します、「記事の捏造」が横行します。
メディアリテラシーの傍論になりますが、「記事の捏造」は実は新聞の投書欄の信ぴょう性についてまで及ぶのです。
朝日新聞の投書欄「声」は今年100周年だそうですが、その「声」欄の信ぴょう性について、まずは過去事例から検証いたします。
先程の「インターネット新聞JANJAN」の市民記者仲間に新城宏記者がおりました。
某業界紙新聞記者出身のこの新城宏記者が朝日新聞声欄に投稿したら、原稿の後半がすっかり朝日により「捏造」されちゃったという実話記事からであります。
「インターネット新聞JANJAN」掲載のこの記事はもちろんJANJAN廃刊の今ではリンク切れであります。
記事をご紹介。
ここまで「捏造」するか大マスコミ
新城宏
2008/02/16
http://www.news.janjan.jp/media/0802/0802150846/1.php朝日新聞の「声」欄に投稿したら大幅に書き直された。ここまで書き直さなければならないのなら、こちらから掲載を断わる、と引き揚げた。読者の声をねじ曲げ、事実と異なった方向に誘導する、このような直しは大マスコミでは日常茶飯事なのかもしれない。
昨年のことだが、朝日新聞の「声」欄に投稿した。何日かして電話があった。「XX日付に掲載予定になっている。ついては多少手直しするところがあるので、 ファクスするから検討して欲しい」とのこと。送られてきたファクスをみると新聞の紙面通り1行12字で割り付けてあった。
手直しされた部分が文章として不自然になっていたので、電話で指摘した。相手も納得し再度手直ししてファクスしてきた。見ると、大幅な書き直しである。これは私の文章ではない。私の「声」ではない。了解取りつけの電話がきたので、その旨伝えた。
時あたかも自民党の総裁選の最中だった。書き直された稿には小泉、福田、麻生などの個人名が出ているが、私は、誰がどう言ったということは言うつもりもないし、言いたくもない。第一、彼らがそんなことを言ったということを私は知らない。担当記者は「個々の発言は新聞に載っているので間違いがない」という。了解できなければ不採用だという。何といわれようと、これは私の「声」でないことは事実だ。ここまで書き直さなければならないのであれば、こちらから掲載を断わる、といって決裂した。
これでは読者の声をねじ曲げ、事実と異なった方向に誘導したことになる。投書欄というコップの中の出来事かも知れないが、メディアがもつ、やらせ、捏造の体質に、これでいいのかという疑問が残った。些細なことかもしれないが、この程度のことは日常茶飯のことなのかもしれない。黙っていてはいけないと思って、朝日新聞の編集トップに届くようなメール受信ボックスがないか、ホームページ上で探したが見あたらなかった。
メディアのなかで一番信頼していただけに、このことがトラウマとなって、以後投稿ができなくなっている。この記事が朝日新聞のトップの目にとまることを期待してJANJANに投稿することにした。
以下に私が朝日新聞に投稿した原文と書き直された最終稿を掲げる。
(投書の原文)
改革は痛みをともなうのかここ数年、政治の世界では「改革」という言葉が錦の御旗のように掲げられて、多少食傷気味である。
戦後わが国は平和の道を選び、廃虚から立ち上がって豊かな中流社会を築いてきた。そこにはそれなりの理念があった。「改革」は、その秩序を破壊して深刻な格差社会をつくってしまった。今、国民が一番閉塞感を感じるのは、「改革は痛みをともなうのが当然」と平然といってのける政治家が多いことである。そしてそれを多くの国民がなんとなく納得してしまっていることに救いがたい無力感を感じるのである。痛みをともなうことを当然視する発言の中に、弱者切り捨てという結果が潜んでいることにわれわれは気づかなければならない。
よく考えてみると、これほど政治家として無責任な言葉はない。「手術は痛みをともなうのが当然」という外科医がいるだろうか。痛みをともなわない改革を行うのが政治ではないのか。われわれはもっと言葉の意味を吟味して、「痛み」の部分を返上しようではないか。そうしないと、このままでは格差は固定化して、アメリカ社会のように治安の悪化が常態化してしまう。(書き直された最終稿)
改革の痛みは返上をしようここ数年、政治の世界では「改革」という言葉が錦の御旗のように掲げられて、多少食傷気味である。戦後わが国は平和の道を選び、廃虚から立ち上がって豊かな中流社会を築いてきた。そこにはそれなりの理念があったが、改革は格差社会を作ってしまった。
「構造改革には痛みを伴う」と小泉前首相は改革を進めた。痛みは、深刻な格差社会を生んだ。しかしながら、郵政解散では自民党が大勝する。多くの国民は痛みになんとなく納得したようで無力感を感じた。そして、先の参院選でやっと痛みの後遺症に気づき始めたのだろう。
今回の自民党の総裁選ではどうだろう。福田康夫元官房長官は「格差が開きすぎるのは弊害だ。ただ、改革は続行する」。麻生太郎幹事長は「構造改革によって生じた暮らしの不安と格差の解消を急ぐ」という。
痛みを伴わない改革か、その言葉の意味を吟味したい。そして、痛みをきっぱりと返上しよう。このままでは格差は拡大、そして固定化されてしまいかねない。
(「構造改革.......」以下は書き直された部分)
どうでしょう。
朝日新聞による「原稿の推敲」でありますが、上記の通りひどいものであります。
元々の投書には、小泉前首相も福田康夫元官房長官も麻生太郎幹事長の名前も一切無いのに、朝日新聞はこれら固有名詞を強引に「原稿の推敲」いたします。
新城宏記者は「これでは読者の声をねじ曲げ、事実と異なった方向に誘導したことになる」として、「こちらから掲載を断わる、といって決裂した」のであります。
記事から明らかなように、新城宏記者は当時のJANJAN記者としては主流派であるリベラル・親朝日新聞派の記者だっただけに、「メディアのなかで一番信頼していただけに、このことがトラウマとなって、以後投稿ができなくなって」しまったそうであります。
朝日新聞の投稿欄の信ぴょう性などこのようなものです。
これは「原稿の推敲」レベルではなく骨格を大改造する「創作活動」にほかならないのですが、当時の朝日新聞の編集方針に合うように、いかようにも「原稿の推敲」、すなわちプロの料理人(朝日編集部)がよい食材(素人の投稿)を料理(捏造)してしまうわけです。
これですね、「偏向捏造」の二重構造になっていることに留意してください。
そもそもこの新城宏JANJAN記者の投稿は朝日新聞にとっておいしい素材をチョイスしている点です。
時の政権批判をするのにその下地が十分に生かされそうな投稿をまず選別しているわけです。(偏向)
そして第二段階で、チョイスした素材を朝日新聞により味付けをして具体的政権批判をする庶民の声として料理するわけです。(捏造)
結果、民意とは程遠い『民の声』朝日投書欄『声欄』の出来上がりであります。
これが朝日新聞投書欄の文章が『天声人語』スパイスが香しいという理由なのであります。
・・・
さて、2017年10月30日付け朝日新聞紙面にも、強烈な投稿が掲載されております。
タイトルは「『私に赤紙?』18歳女子は投票へ」であります。
高校職員(鹿児島県 46)の投書です。
私(オジサン)と18歳女子の会話で構成されています。
衆院選前、投票デビューの18歳女子と話をした。「戦争になったら自衛隊員がまず戦地に行くんでしょ。その次はオジサンだね。『赤紙』って請求書みたいなのが届くんだよね。オジサン体力ないし、普段からだらしないから即死だね」
18歳女子が『赤紙』知っているのはすごいですよね。
で会話は続きます。
「若い君たちの方が適任ってことかな」と返すと、「私たちには未来があるから死んだら困るじゃん」と頬を膨らませる。さらに「やっぱり自衛隊員だよ。そのために志願したんでしょ」。
どうにも「自衛隊員」とか「志願」とか鼻につくのではあります。
で会話は続きます。
「もし『赤紙』がきたらどうするの」と問うと「は?なにそれ。私たち有権者だよ。ありえないし」とご立腹の様子。「選挙結果によってはわからないんじゃないの」と言ったら黙り込んだ。
うーん、「選挙結果によってはわからないんじゃないの」っていうオジサンの問いはどうでしょう。
どの党が「18歳女子徴兵制」を唱えてましたっけ?
で、黙り込んじゃった女子も女子なのではあります。
投書の結びはこうです。
投開票日の翌日、彼女は「自分のために投票してきたよ」と照れくさそうに報告に来た。一票の重さを分かってくれたようで、うれしかった。
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いや、この投稿に朝日新聞による「原稿の推敲」がたっぷり入っているだろうことは推測できるのでありますが、どこまでが「原文」なのか、いまとなっては全くわからないのであります。
しかしです。
「もし『赤紙』がきたらどうするの」(オジサン)
「は?なにそれ。私たち有権者だよ。ありえないし」(18歳女子)
「選挙結果によってはわからないんじゃないの」(オジサン)
「自分のために投票してきたよ」(18歳女子)
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本当の元の会話が知りたいと思ったのは、私だけではありますまい。
今回は朝日新聞投書欄が『天声人語』スパイスが香しいその実証実例を考察いたしました。
どう思いますか、読者のみなさん。
ふう。