恐怖の「一人アウフヘーベン」〜ダブスタから自陣営を正当化するレトリックについて考察する
ダブルスタンダード【double standard】とは、「対象によって適用する基準を変えること」であります、日本語では「二重基準」「二重規範」などと表記されますが、一般には道徳的に不公平・不平等であるとネガティブな使われ方をするのが一般的であります。
よくある事例としては、自分たち仲間・味方のそれには甘く(黙認)して、他者・敵側のそれには厳しく(断罪)するといった、イデオロギー絡みのダブスタであります。
今回はこの「イデオロギー絡みのダブスタ」について、読者のみなさんとご一緒に考察してみたいのであります。
ダブルスタンダードの代表的な事例としては「きれいな核」問題が有名であります。
きれいな核(きれいなかく)とは、日本共産党など左翼陣営が東西冷戦下において共産主義国の核武装を正当化するために使ったと喧伝されているレトリックであります。
つまり、共産陣営のソ連や中国の核は『きれいな核』だけれどもアメリカの核は『汚い』というダブスタであります。
共産党幹部がかつて「元来、社会主義国の核保有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく作用しているのであります。その結果、帝国主義者の核独占の野望は大きく打ち破られた」と肯定的に論評したことなどから言われ始めました。
共産党を批判する勢力からその発言を、共産党は「共産圏の核は『きれいな核』でアメリカの核は『汚い核』と言っている、典型的なダブスタじゃないか」と揶揄されたものであります。
(参考サイト)
きれいな核
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%82%8C%E3%81%84%E3%81%AA%E6%A0%B8
・・・
このような、自分たち仲間・味方のそれには甘く(黙認)して、他者・敵側のそれには厳しく(断罪)するといった事例は、実は最近の日本でも散見できるのであります。
ある陣営(しばしば左派陣営)が自陣営を正当化するレトリックとして使用するのであります。
一例目。
民進党参議院議員の有田芳生氏の15年3月1日付けのツイッターであります。
有田芳生議員が「ヘイト豚いじめ」に馳せ参じるとのことを報告しています。
解説が必要です。
「党大会」とは当時の民主党の党大会のことです。
「男組」とは、在特会系のデモに対してカウンター行動を展開している集団です。
当時の男組代表はこのような発言をネットで表明していました。
男組はレイシストに対して「超圧力」をかけ続けるために、自らの肉声と肉体をもって日本の反レイシズムと反ファシズムのフロントに立ち、レイシストたちと対峙する。
我々はネットの世界にはいない。男組はリアルである。
「男組は、全力でレイシストを排除する。」(高橋直輝/男組組長)
以上
有田芳生氏は、民主党(当時)党大会終了後、「男組」の呼びかけに応じて「ヘイト豚いじめ」つまり在特会系のデモに対するカウンター行動に参加する、という内容なのでありました。
この発言はヘイトスピーチを繰り返す在特会に対しては、それに対抗する「豚いじめ」とのようなヘイトスピーチは許される、という考え方から、有田氏は自己正当化をいたします。
当時の氏の発言。
私たちはここに典型的な「イデオロギー絡みのダブスタ」を見ることができます。
すなわち、有田氏によれば、在特会のヘイトスピーチは悪いヘイトスピーチであり、それに対抗する有田氏による在特会「豚いじめ」は良いヘイトスピーチ、ということなのであります。
・・・
二例目。
文春不倫報道で民進離党していた山尾志桜里氏が当選いたしました。
山尾氏が当選 不倫報道で民進離党
無所属の山尾志桜里氏が当選した。愛知7区で自民党前職の鈴木淳司氏を破った。山尾氏は9月、週刊誌が既婚男性との交際疑惑を報じたことを受け、民進党を離党した経緯がある。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22563860T21C17A0000000/
この山尾志桜里氏を支持する勢力の一部では、山尾氏の不倫は批判に当たらないすなわち保守系の「悪い不倫」ではなく「よい不倫」である、と聞こえるような論理が展開されています。
代表的な論説を、失礼して一部引用。
(前略)
不倫・姦通が悪であり犯罪という感覚は、もはやない。
あくまでも家族内の問題、プライベートな問題である。
だが、家族を守る慣習としては、まだ生きているから、道徳として口出ししたくなる気持ちも分かる。ただし、政治家の場合は、「能力」と天秤にかける必要がある。能力ある者はどんな世界にも少ない。
能力がない政治家が不倫して遊んでるのなら、さっさと辞めてもらった方がいい。
あくまでもバランスを重んじるのが「保守」である。
不倫のすべてがNOとか、不倫のすべてがOKという原理主義はならない。(後略)
小林よしのり
2017年10月28日 16:43
保守はリベラルを内包する
http://blogos.com/article/255408/
ここでは政治家の「能力」を基準にして政治家の不倫を仕分けすべきであり、「不倫のすべてがNOとか、不倫のすべてがOKという原理主義はならない」と主張しています。
何を基準にしていようが、私たちはここに典型的な「イデオロギー絡みのダブスタ」を見ることができます。
すなわち、小林氏によれば、一般の能力のない政治家の不倫は「悪い不倫」であり、それに対し有能な山尾志桜里氏による不倫は「良い不倫」ということなのであります。
「不倫のすべてがNOとか、不倫のすべてがOKという原理主義」に陥るなと言うのです。
・・・
まとめます。
ダブルスタンダード【double standard】とは、「対象によって適用する基準を変えること」であります、
しばしば左翼陣営が自陣営を正当化するレトリックとして使用するのであります。
自分たち仲間・味方のそれには甘く(あるいは黙認)して、他者・敵側のそれには厳しく(あるいは批判)するといった事例は、実は最近の日本でも散見できるのであります。
具体的事例を二つ取り上げて検証いたしました。
ここで興味深いのは、ダブスタしている側の「自己正当化」理論です。
ヘイトスピーチに関する有田氏の典型的なダブスタに対してかつて当ブログで私は、このように皮肉り推論を展開いたしました。
在特会を「豚」呼ばわりして「いじめ」るのは良いヘイトスピーチ。
シールズの学生が首相に「バカか、お前は」、「病院に行って辞めた方がいい」というのは、「ひとの心に届く言葉とは単純にして明解でなければならない。確信ある言葉でなければ届く前に揮発してしまう」からなのです。
ふう。
「正義」レベルが違うのです。
魂のレベルが違うのです。
下々の世界では、一般に同じことをしてもその行為者によって評価の基準が異なることを、二重基準(ダブル・スタンダードdouble standard)と言い、批判の対象になる不実な振る舞いと評価されます。
しかしそれはあくまで下々の世界・俗界でのこと、俗人たちの基準を超越する社会「正義」実現のためには、超法規的基準が存在することを、我々は学ばなければなりません。
2015-09-08 有田芳生先生、産経を「歪曲」報道と叱るの巻!!〜超法規的基準が存在することを、我々は学ばなければならない
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20150908
おそらく他者のヘイトスピーチを批判する自分のヘイトスピーチを正当化するためには、「俗人たちの基準を超越する社会「正義」実現のためには、超法規的基準が存在する」というような、すなわち、自分自身を一段高めた「存在」に高めているのではないのかという、ひとつの「仮説」です。
「自分には凡人よりより高次の総合概念を持っているのだ」という自負です、哲学的にいえば「一人アウフヘーベン」(苦笑)であります。
どうもこの仮説、あながち違ってはいないように思えます。
小林氏も言います。
不倫のすべてがNOとか、不倫のすべてがOKという原理主義はならない。
ここにも「自分には凡人よりより高次の総合概念を持っているのだ」という強烈な自負がみられます、哲学的にいえば「一人アウフヘーベン」(苦笑)なのであります。
こうすることで、不倫がいいとか悪いとか小さい小さい、ダブスタなんて小さい小さい、と自己正当化していくというわけです。
今回はこの「イデオロギー絡みのダブスタ」について、読者のみなさんとご一緒に考察してみたのであります。
ある陣営(しばしば左派陣営)がダブスタから自陣営を正当化するレトリックなのですが、当ブログの結論はこのレトリックのコアには、「自分には凡人よりより高次の総合概念を持っているのだ」という強力な自負があると考えます。
だがこれは非科学的ですが強い理念です、誰も証明できないからです。
議論不要の絶対不敗の「マイルール」、恐怖の「一人アウフヘーベン」であります。
ある意味これは宗教に近い感覚かもです。
読者のみなさん、どう思われますか。
(木走まさみず)