木走日記

場末の時事評論

メルケル発言と対比して知性がないと批判される管発言~ファクトを無視して論じるのはフェアではないと思う

さて今回は最近話題の日本とドイツ2か国の首相の発言を取り上げたいのです。

まずは日本国総理大臣の「こんにちは、ガースーです」発言が大批判を受けています。

 菅首相は11日、インターネット番組に出演した際、「こんにちは、ガースーです」とネット上で使われている自身のニックネームを口にし、笑いを誘いましたが、この発言が大炎上します。

例えば、立憲民主党安住淳国対委員長は、国会内で記者団に「みんな新型コロナウイルス感染に危機感を持っている。お葬式の場で冗談を言っているような雰囲気だ。国民の空気感が読めていない」と痛罵します。

東京都知事舛添要一氏は「衆愚政治の極みである」と嘆きます。

「安倍長期政権の下、野党が非力で政権が安泰なのに安住し、愚民化した民を相手に人気取りに終始してきた。今はコロナが状況を一変させたが、それに気づいていない。たとえ愚民でも命に関わるからだ」と危機感を募らせます。

「こんにちは、ガースーです」、なるほど舛添氏によれば、これは、知的レベルの低いだろう日本国民(愚民)に対し、国民に重く横たわるコロナ禍の緊張感を全く読んでいない、知的レベルのそうとう低い日本国総理大臣の発言なわけですね。

(関連記事)
舛添氏、菅首相の「ガースー」発言は「衆愚政治の極み」
https://www.sanspo.com/geino/news/20201214/pol20121415270003-n1.html

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一方、ドイツのアンゲラ・メルケル首相が12月9日に連邦議会で行った演説は、歴史に残るだろうと国際的に高く評価されます。

普段は冷静沈着なメルケル首相が、珍しく感情を露わにして国民に対しコロナ対策への協力を求めたからで、普段のポーカーフェースを脱ぎ捨てた、彼女らしからぬ演説は、今日のドイツの事態の異常さを際立たせたものでした。

演説では具体的な数字によって、パンデミックによる被害が、約2カ月半でいかに深刻化しているかを示します。

「我々がこの予算案を最初に議会で審議した9月29日には、1日あたりの新規感染者数は1827人、集中治療室(ICU)で治療を受けていた重症者は352人、この日の死者は12人でした。しかし12月8日には、新規感染者数が2万815人に達しました。ICUで治療されている重症者は4257人。1日で590人が亡くなりました」

次のように結論付けます。

「これらの数字は、市民の間の接触が多すぎることを示しています。これまで我々が行ってきた、市民の接触を減らそうとする努力は不十分だったのです」

メルケル首相は、元科学者らしい一面をのぞかせます。

「私は科学による啓蒙(Aufklarung)の力を信じています。啓蒙主義は、今日のヨーロッパ文明の基礎です。私は社会主義時代の東ドイツで物理学を専攻しました。その理由は、社会主義政権がいくら政治的な出来事や歴史上の事実を捻じ曲げることができても、重力や光の速度などに関する事実や法則を歪曲できないと思ったからです」

ただ感情的に高揚する演説だっただけでなく、その内容は物理学者らしい知性を有していて実に説得力のあるものでした。

(関連記事)
拳振り上げ感情爆発「メルケル首相」厳戒ロックダウンの成否
https://news.yahoo.co.jp/articles/b821428007953a2928a1735375a1c8571326933e

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さてこの両者の発言、知的レベルが違うと日本の一部メディアや論者が早速取り上げています。

(関連記事)
メルケル演説が示した知性と「ガースー」の知性の欠如
2020年12月15日(火)12時52分
藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/12/post-95187.php

大学非常勤講師でブロガーである藤崎剛人氏によれば、それぞれの発言の知的レベルの差が特に顕著なのは「知性に対する態度の落差」なのだと言います。

記事の該当部分を抜粋。

知性に対する態度の落差

もちろん、首相は演説が上手ければよいというものではない。いかにその言葉に真心がこもっているようにみえようと、それ自体はひとつのパフォーマンス以上のものではない。しかしここで再度強調したいのは、メルケルの「情熱的な」の中に込められた知性への誇りについてだ。啓蒙の精神を土台とした政策決定を行っていく姿勢をみせることは、単なるレトリックではない。そのような言明を首相がすることによって、科学的なものに裏打ちされた公正な政策について議論可能な土壌が、政治的につくられるのだ。

「こんにちは、ガースーです」の第一声のもとニコニコ動画に出演した菅首相に、そうした知性に基づいた政治を行う気概はあるのだろうか。政策決定の公正さについて、アカウンタビリティを果たす責任感はあるのだろうか。残念ながら、これについては悲観的にならざるをえない。菅政権発足直後に発生した日本学術会議に対する介入をみると、この政権が知性に対してどのような立場を取っているかを推察することができる。

・・・

さて、藤崎剛人氏と同じく大学非常勤講師でブロガーである当ブログとしての所感を述べさせていただきます。

まず、菅首相の「こんにちは、ガースーです」発言ですが、空気が読めていないという批判はまったく同感でありまして、低レベルの国民迎合で衆愚的だというご批判も反論の余地はありません。

ただこの菅首相のスベリ発言だけを切り取って、よその国(ドイツ)の首相の評判だった演説と、後から、その知的レベル(知性)を比較し、菅首相をこき下ろす、という論の立て方は、知的な意味でとてもではないですがフェアーな方法とは思えません。

こんなピンポイントに比較されれば、「メルケル演説が示した知性と「ガースー」の知性の欠如」が明らかなのは自明であると思えるからです。

その論の立て方はフェアでなくても、この同じタイミングでの2つの首相の発言は、明らかに菅首相にとってマイナスの評価に繋がることでしょう。

しかしながらです。

17日現在の両国の数値は以下の通りです。

    感染者    死者
日本   19万1647人 2806人
ドイツ 143万3830人 24273人

感染者数で7.4倍、死者数で8.6倍の開きがあり、人口は日本126.5百万人、ドイツ83.8百万人ですから、人口100万当たりの死者数は日本22.2人、ドイツ289.7人と13倍の開きがあります。

しかも今現在、発生死者数はドイツにて爆発的に増えています。

最近日本では一日当たりの死亡者が53人と過去最大数を記録していますが、ドイツでは、
上記メルケル演説の後で、1日のコロナ死者過去最多の952人を記録しました。

(関連記事)
ドイツ、1日のコロナ死者過去最多の952人 抑制策強化
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-germany-idJPKBN28Q1WU

これまでの過去最多は11日に記録した598人ですから、わずか5日で952人と死亡者数が急増しているのです。

上記記事で、藤崎剛人氏は、管首相を批判するのに、「ファクトは無力化することはできない。新型コロナウイルスの脅威もその一つだ」と結ばれています。

なるほどメルケルが言う通り、人は多くのことを無力化することができる。学問の自由もその一つである。医療崩壊の渦中にある人々の悲鳴や、「GoToキャンペーン」を停止すべきだとする専門家の意見も、無力化することができる。しかしこれもまたメルケルが言う通り、残念ながらファクトは無力化することはできない。新型コロナウイルスの脅威もその一つだ。

ドイツでは、日本を上回るペースで、感染者数・死亡者数が爆発的に増加している「ファクト」も、無力化することはできない大切な事実であることも指摘しておきます。

ドイツより一桁も感染者数・死者数ともに少ない我が国の首相と、一日当たりの死亡者数が1000人に届かんとするドイツの首相の危機感の違いを、ファクト「(基本的数値)を無視して論じるのはフェアではありません。



(木走まさみず)