木走日記

場末の時事評論

新型コロナウイルスが猛威を振るわんとしているこの非常時に、『桜を見る会』に執着して安倍首相の「知性」を批判し続ける内田先生の優秀な「知性」

今回も小ネタです。

前回のエントリーでも指摘させていただきましたが、どうも桜の会絡みで安倍首相を批判している一部の野党議員やメディアや論客は、どうにも安倍首相の国語力などをあからさまに蔑んでおり、知的な意味で首相を見下していております。

前回のエントリーより。

(前略)

勝ち誇ったかのように安倍首相の言葉尻をあげつらう論説の数々、日本共産党議員の「私は日本語を48年間使ってきた」という上から目線、どう見ても安倍首相を「知的」に見下しているわけです。

(後略)

「募る」と「募集」は同じではない~やまとめきたる言葉和語には、漢語にはない、霊的な力が宿っている(キッパり より
https://kibashiri.hatenablog.com/entry/2020/01/29/150508

今日もBLOGOSにて内田樹先生が強烈な「知的」安倍批判の論説を掲げています。

内田樹
桜を見る会再論
https://blogos.com/article/433410/

失礼してエントリー中、内田先生が太字で強調している部分を抜粋。

 自分の知性が健全に機能していないということを「切り札」にしている人間を「理詰め」で落とすことはできない。

少しでも論理的に思考できる能力があるなら・・・

 首相は「自分は論理的に思考しないので、『論理的にあり得ない』ことがあっても別にそれが不思議だと思わない。言葉の語義はわかるけれども、それが含意しているコノテーションはわからない」という「おのれの知性が普通の人よりも不調である」という主張によって有罪性を免れようとしている。

「自分の知性が健全に機能していない」、「自分は論理的に思考しない」、「おのれの知性が普通の人よりも不調である」と安倍首相は主張しているのだと、内田先生は論じています。

この内田先生の安倍批判は、ダイレクトに首相の知性を「普通の人よりも不調」と知的に見下しており、安倍首相の漢字力・国語力を国会でけなしていた共産党議員よりも強烈です。

新型コロナウイルスが猛威を振るわんとしているこの非常時に、桜を見る会に執着して安倍批判を続けるみなさん、ご苦労様です。

首相の『桜を見る会』に関する答弁や与党の対応、一部官僚の対応に、情報廃棄など不誠実な多くの問題があることは認めましょう。

多くの国民が本件で安倍政権の対応に批判的なのも世論調査に現出いたしております。

(関連記事)
桜を見る会 説明に「納得してない」75%|日テレNEWS24
http://www.news24.jp/articles/2019/12/15/04562563.html

しかしながら、直近の内閣支持率は下がっておりません。

例えば1月26日の日本経済新聞社テレビ東京の調査は横ばいの48%です。

(関連記事)
内閣支持率横ばいの48% 日経世論調査
中東に自衛隊「評価」58%
政治 世論調査
2020/1/26
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54866690W0A120C2MM8000/

共産党など野党議員や内田樹先生のように『桜を見る会』関連で安倍首相を批判する人たちは、その答弁や応対を知的な意味でボロクソにけなすわけですが、そのような「知性が普通の人よりも不調である」首相の支持が落ちない事実は、彼らには我慢ならないようです。

結局彼らの批判は、「知性が健全に機能していない」首相を支持続けるこの国の有権者に向けられていきます。

内田氏のエントリーの結びをみてみましょう。

 これから後も首相は有罪を免れるために、あらゆる「申し開きのできない証拠」に対して、「論理的に思考できないふり、日本語がわからないふり」をしてみせるだろう。

 この成功体験が広く日本中にゆきわたった場合に、いずれ「論理的な人間」は「論理的でない人間」よりも自由度が少なく、免責事項も少ないから、生き方として「損だ」と思う人たちが出て来るだろう。

 いや、もうそういう人間が過半数に達しているから、「こういうこと」になっているのかも知れない。

もうこの日本では、「論理的でない人間」「そういう人間が過半数に達している」かも知れないと、有権者も「知性が健全に機能していない」人が多数なのだと示唆して結ばれています。

やれやれです。

結局、野党や左派による『桜を見る会』関連の首相個人の知性を蔑む安倍批判が、安倍政権支持率に影響を与えるまでに及ばないのは、これらの批判の品性の問題もありますが、批判そのものが安倍政権の政権担当能力を全く直撃していない、全く的を外したものであるからです。

有権者・国民はそこをしっかり見極めています。

桜を見る会』では確かに納得がいかないことが多い、しかし、今国会で論じるべき優先順位の高い問題は断じてそれじゃない、多くの有権者はそう考えているのです。

だから『桜を見る会』批判をいくら続けても、政権支持率は微動だにしません、有権者の心には響かないのです。

勢い批判者側は、ここまで一国の首相の「知性」の批判をすれば、それを支持する有権者の「知性」も批判せざるを得ません。

新型コロナウイルスが猛威を振るわんとしているこの非常時に、『桜を見る会』に執着して安倍首相の「知性」を批判し続ける内田先生の優秀な「知性」、ご苦労様です。

どうしてこういう嫌味な批判しかできないのでしょう。

挙句は政権支持する国民まで知的に見下す、これではこの安倍批判は国民の心にはまったく刺さらないでしょうに。

ふう。



(木走まさみず)