木走日記

場末の時事評論

「募る」と「募集」は同じではない~やまとめきたる言葉和語には、漢語にはない、霊的な力が宿っている(キッパリ

今回は小ネタです。

ご批判、上等(どうぞよろしくお願いいたしますの意)のコラムです。

さて名物コラム『天声人語』をはじめ最近ではほとんどの記事を会員限定にロックをしているせこい朝日新聞なのですが、知ってました?

安倍首相が何かしくじりますと嬉々としてロックを解除し、安倍しくじり記事を万人に知らしめるというスケールの大きなメディアでもあるのであります。

こんな感じ。

安倍首相が珍答弁 「募っている」けど「募集」ではない
2020年1月28日 19時45分

 募っているけど募集はしていない――。28日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相から「桜を見る会」をめぐる「迷答弁」が飛び出し、現場は騒然となった。

 首相の地元事務所名で、同会を含む観光ツアーへの参加を募る文書が地元有権者に送られていた問題で、共産党の宮本徹議員が文書を示しながら「この文書は見たことがなくても、募集していることはいつから知っていたのか」と追及した。すると、首相は「私は、幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」と述べた。

 宮本氏は厳しい表情で「私は日本語を48年間使ってきたが、『募る』というのは『募集する』というのと同じですよ。募集の『募』は『募る』っていう字なんですよ」と諭した。だが、首相は「ふさわしい方ということでいわば募っているという認識があった。例えば新聞などに広告を出して『どうぞ』ということではないんだろう」などと苦しい説明に終始した。
 
https://www.asahi.com/articles/ASN1X6H4XN1XUTFK024.html

答弁のポイントはここ。

「私は、幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」(安倍首相)

「私は日本語を48年間使ってきたが、『募る』というのは『募集する』というのと同じですよ。募集の『募』は『募る』っていう字なんですよ」(共産党議員)

このやり取りに、朝日新聞はじめメディアやネットでは安倍首相の漢字力をけなす論説があふれています。

(関連記事)
安倍首相問われた漢字力「募ると募集同じ」宮本徹氏
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200128-01280700-nksports-soci

女性自身
安倍首相がついに進次郎化?「募っているけど募集してない」
https://blogos.com/article/432433/

勝ち誇ったかのように安倍首相の言葉尻をあげつらう論説の数々、日本共産党議員の「私は日本語を48年間使ってきた」という上から目線、どう見ても安倍首相を「知的」に見下しているわけです。

さて、ご批判を一身に受ける覚悟で反論しておきます。

「募集」と「募る」、この2語の繊細な違いが判らない、なんでもかんでも同じ扱いをする、彼らの頭には雑な平等主義しかない、これだからコミュニスト日本共産党朝日新聞は頭が固いといわれるのです。

冷徹な響きのある漢語である「募集(ぼしゅう)」に対して、和語である「募(つの)る」には、日本において言葉に宿ると信じられている霊的な力、言霊(ことだま)が宿っているのです。

例えば駅前の料理店がアルバイトを求人する張り紙を出したとして、「アルバイト 募る!!」とは絶対に掲示しません、「アルバイト 募集」とか「募集中」とか掲示するはずです。

不特定多数の通行人に対して、事務的に広く平等に募集をかけているわけです。

一方です、例えば同窓会幹部から幹部の一人が急病になり活動停止のため、急遽新しい幹部を、同窓・同期の仲間たちに求めるとします。

このようなときに「○○君急病のため、新幹事 募る!」と言霊を込めて和語で仲間に訴えるのです、冷たく「新幹事 募集中!」などと漢語を使うわけがありません。

やまとめきたる言葉和語には、漢語にはない、霊的な力が宿っているのです(キッパリ。

熱き思いが「募れ」ばせつない恋慕の情となります。

雑多な思いをいくら「募集」しても、「情」にまでは決して昇華しません。

「募る」には「募集」には絶対ない「高ぶる」というニュアンスが込められているのです。

「募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」(安倍首相)

この発言は日本人として正しいのです。

以上、安倍首相発言を全力で正しいと言い「募り」(苦笑)、擁護してみました。

ふう。



(木走まさみず)