木走日記

場末の時事評論

韓国政府、ユネスコに日本の世界遺産登録取り消しを要求〜事実を軽んずる韓国政府による歴史への不当な介入を許すな


まずは大事なことなので事実だけ時系列に整理しておきます。

ここに来て、韓国が「日本が約束を破った」と叫んでいる、日本がユネスコに対してした「約束」、これについて正確に検証しておきましょう、ユネスコの第39回世界遺産委員会における7月5日日本代表団発言を外務省が公式サイトで公開しています。

明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」のユネスコ世界遺産一覧表への記載決定
(第39回世界遺産委員会における7月5日日本代表団発言について)

議長,

日本政府を代表しこの発言を行う機会を与えていただき感謝申し上げる。

日本政府としては,本件遺産の「顕著な普遍的価値」が正当に評価され,全ての委員国の賛同を得て,コンセンサスで世界遺産登録されたことを光栄に思う。

日本政府は,技術的・専門的見地から導き出されたイコモス勧告を尊重する。特に,「説明戦略」の策定に際しては,「各サイトの歴史全体について理解できる戦略とすること」との勧告に対し,真摯に対応する。

より具体的には,日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと,また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である。

【注1】
「意思に反して連れて来られ(brought against their will)」と「働かされた(forced to work)」との点は,朝鮮半島出身者については当時,朝鮮半島に適用された国民徴用令に基づき徴用が行われ,その政策の性質上,対象者の意思に反し徴用されたこともあったという意味で用いている。

【注2】
「厳しい環境の下で (under harsh conditions)」との表現は,主意書答弁書(参考)にある「戦争という異常な状況下」,「耐え難い苦しみと悲しみを与えた」との当時の労働者側の状況を表現している。

【参考】
近藤昭一衆議院議員提出の質問主意書に対する答弁書(平成14年12月20日閣議決定)(抜粋)
「いわゆる朝鮮人徴用者等の問題を含め,当時多数の方々が不幸な状況に陥ったことは否定できないと考えており,戦争という異常な状況下とはいえ,多くの方々に耐え難い苦しみと悲しみを与えたことは極めて遺憾なことであったと考える。」

日本は,インフォメーションセンターの設置など,犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である。

【注3】
「犠牲者」とは,出身地のいかんにかかわらず,炭坑や工場などの産業施設で労務に従事,貢献する中で,事故・災害等に遇われた方々や亡くなられた方々を念頭においている。

日本政府は,本件遺産の「顕著な普遍的価値」を理解し,世界遺産登録に向けて協力して下さったベーマー議長をはじめ,世界遺産委員会の全ての委員国,その他関係者に対し深く感謝申し上げる。

【注4】
今回の日本代表団の発言は,従来の政府の立場を踏まえたものであり,新しい内容を含むものではない。

【注5】
今回の日本側の発言は,違法な「強制労働」があったと認めるものではないことは繰り返し述べており,その旨は韓国側にも明確に伝達している。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/pr_pd/mcc/page3_001285.html

重要なポイントはここ。

より具体的には,日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと,また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である。

で、「厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと」や「徴用政策を実施していたこと」を理解できるように「インフォメーションセンターの設置」を約束します。

日本は,インフォメーションセンターの設置など,犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である。

さて、ここに内閣官房の公式サイトがあります。

令和2年3月31日に「産業遺産情報センター」の開所式を実施したことを伝えています。

産業遺産情報センターの開所について

産業遺産に関する総合的な情報センターとして、同センターでは、平成27年7月にユネスコ世界遺産委員会において世界文化遺産として登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を中心とした産業遺産に関する情報発信を行って参ります。
 なお、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、これまで臨時休館していましたが、令和2年6月15日(月曜日)より一般公開いたします。

https://www.cas.go.jp/jp/sangyousekaiisan/centre200331.html

つまり、ユネスコ世界遺産委員会において世界文化遺産として登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に関わる情報発信施設なのであります。

3月31日に開所式はしたものの、2ヶ月半の臨時休館を余儀なくされ、晴れて6月15日より一般公開となったのであります。

15日の一般公開開始に先立ち、前日の14日に報道陣に公開されます。

ここで朝日新聞が「朝鮮半島出身の徴用工に関し、虐待や差別は「聞いたことがない」とする元島民のインタビューが紹介されており、韓国が問題視する可能性」を大々的に報じます。

軍艦島元島民「徴用工差別、聞いたことない」施設で紹介
太田成美
2020年6月14日 22時16分
https://www.asahi.com/articles/ASN6G73DFN6GUTFK003.html

日本が韓国との約束を破ったという印象を与えるこの朝日新聞記事なのでありますが、事実の検証は後でするとして、朝日報道と同日の15日、早速、韓国政府は富田浩司 駐韓日本大使を召致し、日本が「強制徴用を歪曲」と強く非難します。

(関連記事)
韓国政府「強制徴用を歪曲」…日本の“産業遺産情報センター”に抗議
6/15(月) 15:39配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/495857a3e7005e0c26b1272df69e1da4b9c7166c

韓国政府は22日、ユネスコ軍艦島世界遺産登録取り消し要求の書簡を送ります。

(関連記事)
韓国外相、ユネスコ軍艦島世界遺産登録取り消し要求の書簡を送る
6/23(火) 16:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/35e4993a0641c2b3b5ad8a7dcc84d0f689c53831

記事によれば、韓国のカン・ギョンファ(康京和)外相は、ユネスコのオードレ・アズレ事務局長に書簡を通じて登録取り消しの可能性の検討を含め、世界遺産委員会で日本から忠実な措置履行をもとめる決定文が採択されるよう、積極的な協力と支持を要請したとあります。

記事は、「日本政府は、軍艦島に関する歴史歪曲と約束不履行の事実を全面否認している」と結ばれています。

まずは大事なことなので、ここまで事実だけ時系列に整理しておきました。

さてです。

日本は世界遺産委員会の決議や勧告を真摯に受けとめ、約束した措置を誠実に履行しています。

もう一度、2015年7月5日に日本がユネスコの委員会にて約束した内容を確認します。

より具体的には,日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと,また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である。

日本は,インフォメーションセンターの設置など,犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である。

日本は2015年の世界遺産委員会で「意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者」がいたことを認め、当時の徴用政策について理解できるような措置を講じると説明、センターの設置も表明していたのです。。

そしてセンターでは、軍艦島や長崎造船所、八幡製鉄所など登録された23資産について、パネルや動画で解説、「国民徴用令」など「官あっせん、徴用、引き揚げについて理解できる五つの文書」をパネルで列挙しています。

当時の労働者(半島出身者だけでなくです)がたいへん「厳しい環境の下で働かされた」事実も写真付きで説明されています。

また1944年8月から朝鮮半島出身者にも徴用が適用され、一部の労働者が「意思に反して連れてこられた」事実も明確に記されています。

その隣には1965年の「日韓請求権協定」の全文が掲示され、元徴用工らへの賠償問題に関し、この協定で解決済みとの日本側の立場を明確にしています。

その上で、同じ部屋には、元島民らのインタビューも紹介。父が端島軍艦島)炭鉱で働いていたという在日韓国人2世の元島民が「いじめられたとか、指さされて『あれは朝鮮人ぞ』とは全く聞いたことがない」などと証言しているわけです。

加藤康子センター長は「政治的な意図はない。約70人の元島民へのインタビューで、虐待を受けたという証言はなかった」と説明しています。

つまり、日本は約束を忠実に守っています、日本は世界遺産委員会の決議や勧告を真摯に受けとめ、約束した措置を誠実に履行しているのです。

韓国政府は何とか当時の「軍艦島朝鮮人労働者差別があった事実」を日本に認めさせたいようですが、そのような「事実」はそもそもないのです。

当ブログは3年前のエントリーで、軍艦島関連で「いつまで日本は韓国による歴史捏造行為を放置し続けるのか?」と問題提起しています、時間のある読者は御一読あれ。

韓国映画軍艦島」のでたらめ大嘘を検証しておく〜いつまで日本は韓国による歴史捏造行為を放置し続けるのか?
https://kibashiri.hatenablog.com/entry/20170210/1486673929

エントリーの一部を抜粋して引用。

事実として、日本人と朝鮮半島出身者は、戦後この島で20年以上ながらく仲良く一緒に暮らしていたのです。

 当時を知る、宮崎県在住の元坑内員で朝鮮半島出身者や中国人とも働いた松本栄(88)さんは、 朝鮮半島出身者の子供は日本人の子供と同じように学校に通い、机を並べて勉強したと話しています。
 アパート内には朝鮮半島から来た家族も多く入居していたといいます。

 さらに事実をいえば、軍艦島の労働者人口のピークは戦中ではなく戦後に迎えます。

 続々と高層住宅が建てられ家だけでなく、学校、病院、寺社に映画館まで。ただでさえ小さな島に炭鉱施設と都市が共存し、わずか200メートル四方の居住エリアに5千人が暮らします。

 やがて、日本が石炭から石油へエネルギー政策の転換を迎えたことで、昭和49(1974)年、軍艦島は閉山し、住民は島を離れることを余儀なくされるのですが、戦後も長らく半島出身者が家族ごとこの島で日本人と共に働いていたのです。

 この事実はなにを語っているでしょうのか、映画の言う「ここの出来事を記憶する朝鮮人は一人たりとも残してはいけないということです」とのアウシュビッツのような惨劇が戦中展開していたとしてなぜ戦後も半島出身者は日本人と仲良く同じ島で働き続けたのでしょうか。

 戦時中そのような悲劇はこの島では起こっていない、

 戦後も半島出身者は日本人と仲良く同じ島で働き続けた事実から、当たり前ですが普通に考えればわかる単純な事実です。

・・・

韓国政府は人道に反するような強制労働があったとしますが、事実を反映していない主張です。

当時の炭鉱労働がどこでもそうだったように、苛酷な労働条件にあったことはきちんと展示してあります。労働者には日本人とともに朝鮮半島出身の人がいたことも明示してあります。

文化財保護を目的とするユネスコに対し、韓国が史実を曲げた主張を押し付けるのは筋違いです。

国民徴用令に基づき、昭和19年9月以降働いていた朝鮮半島出身者がいたのは事実ですが、韓国側のいうような強制労働ではありません。賃金の支払いを伴う合法的な勤労動員にすぎず、日本人も同じように働いていたのです。

事実を軽んずる韓国政府による歴史への不当な介入を許してはなりません。



(木走まさみず)