木走日記

場末の時事評論

慰安婦問題や徴用工問題に通底するレーダー照射問題〜韓国社会に欠落しているのは真実に対する「知的誠実さ」


 さて海上自衛隊の哨戒機が、韓国軍の艦艇からレーダー照射を受けた問題です。

 韓国国防省は「日本側が脅威と感じるいかなる措置もなかった」と、レーダーを照射したとの見方を改めて否定した。
 韓国側は、当初射撃統制レーダー「STIR-180」の使用を一旦は否定(20日)、しかし翌日には射撃統制レーダー「STIR-180」を北朝鮮漁船探索に使用と表明、さらに24日には再び否定、光学カメラだけを自衛隊機に向けたのだと主張、その主張を二転三転させます。

 その他、自衛隊機からの3種類の無線問い合わせに返信しなかった理由として、「電波が弱くて聞き取れなかった」と軍艦にあるまじき低能力(?)を露呈したり、途中から実は「威嚇飛行をしたのは、むしろ日本の海上哨戒機」「無線で国籍と正体を明らかにしなかった」など、日本側こそ挑発行為を先にしたのだと言い出す始末です。

 今回の真相はいまだ不明ではあるものの、発生から時間が経つにつれて韓国側が説明を二転三転変えたのは不可解であり、混乱を深めています。

 ネット上でも本件は多くのサイトや論客が取り上げ熱く議論されています。

 当ブログとしては例によって少し視点を変えて本件を論じたいのであります。

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 仮にですが立場を変えて自衛隊艦が韓国機にレーダー照射したと韓国側からクレームをもらったとして、そのとき日本の防衛省の主張が一週間で二転三転変わっていった場合どうなるでしょうか。

 間違いなく日本のメディア及び世論は、韓国ではなく防衛省側の二転三転する主張に対して疑問を呈することでしょう、「事実を隠していないか」「真実を語れ」と。

 ところが現段階で韓国国防省の二転三転と変転するその主張に対し、韓国のメディアおよび世論からその部分を批判する意見はほとんど見られません。

 繰り返しますが今回の真相はいまだ不明ではあるものの、事後に韓国側の主張が二転三転している現象に注目したいのです。

 このような重大なまかり間違えば軍事衝突に繋がりかねない事案に対してその主張を二転三転変転させる韓国政府、そしてそれをほぼ無批判に見守る韓国メディアと世論。

 私は、真実に対してあくまで謙虚な姿勢、地味ですが「知的誠実さ」、そしてそれを尊重する社会風土が、残念ながら韓国には欠落しているのではないか、と考えています。

 つまり「真実の追求」という地味ですが尊い姿勢への軽視であります。

 だから事後に話を二転三転して「真実をかえる」ことに、何の躊躇もないのではないか。

 当ブログは2年前「韓国がノーベル賞をほしいならば、まず慰安婦少女像を撤去せよ」と暴論気味のエントリーをしました。

2016-10-07 韓国がノーベル賞をほしいならば、まず慰安婦少女像を撤去せよ
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20161007

 ノーベル賞が取れない韓国ではなぜか日本人がノーベル賞を取るたびにメディアが熱く報道しています、なぜ韓国は取れないのかと。

 もっと科学に予算を掛けよとのその主張に、私は次のように反論しました。

 少し長めですが引用します。

 問題は科学に掛ける「お金」の絶対額、掛け方ではまったくないと思います。

 当ブログは長年工学系教育機関で学生の指導をさせていただいてきたわけですが、科学研究においてその長期にわたる地味な研究を続けるメンタルな面でのモチベーションの原動力は、あくまでも「真実・事実を解明したい」、「本当のことを知りたい」という知的探究心にこそあると思うのであります。

 科学実験は、極めて地味な失敗の連続から構成されています、多くの場合実験が「成功」という果実を得るまでには、長い年月を費やすことになります。

 科学者たちも人間です、もちろん「成功して特許を取ってお金持ちになりたい」とか「成功して学内で出世して生活を安定させたい」とか、あるいは「成功してあわよくばノーベル賞を獲得し名声を得たい」とか、俗物的な欲望が全くないとはいえないでしょう。

 しかし長期にわたる地味な研究活動を維持するためには、そのような俗物的欲望のみでは絶対に実現できません、そもそも研究の成果が「成功」する保証もないし、「成功」したところで実は多くの研究は科学会で評価されることなく埋もれていきます。

 実験が「成功」してたまたまその「果実」が人類社会に貢献する貴重な科学的成果と評価されることは稀なことですし、さらに結果としてノーベル賞受賞にまでの結果を得ることなど、極めて極めて稀なことです、多くの実験は「成功」したとしても社会的評価はともなわないことが普通なのです。

 科学者が長期的研究をする原動力はもっと心の内側にあると考えます。

 科学者は自分の実験をノーベル賞を取るために続けてはいません、そうではなく「真実・事実を解明したい」、「本当のことを知りたい」という知的探究心に正直であるがためにだけで、研究に没頭しているのです。

 研究を成功させるために真摯に試行錯誤を繰り返しますが、それは「真実・事実を解明したい」という知的探究心がそうさせるのであります。

 真実に対してあくまで謙虚な姿勢、この地味な「知的誠実さ」を尊重する社会風土こそが、極めて大切なことです。

 韓国社会に欠落しているのは、この真実に対する「知的誠実さ」です、これこそが韓国がいまだノーベル賞を受賞できない、根源的な問題であると思うのです。

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 まとめます。

 このような重大なまかり間違えば軍事衝突に繋がりかねない事案に対してその主張を二転三転変転させる韓国政府、そしてそれをほぼ無批判に見守る韓国メディアと世論。

 当ブログはこの現象の奥底に、慰安婦問題や徴用工問題に通底する韓国社会の抱える問題点を見て取ります。

 韓国社会に欠落しているのは、真実に対する「知的誠実さ」です。



(木走まさみず)