木走日記

場末の時事評論

高倉健さんの死を「哀悼」する中国とそんな中国に「しまった!」と思う韓国

 高倉健さんの死去をめぐり、中国では一般人だけでなく政府をあげて哀悼の意を示すという「異例の対応」となっています。

 22日付け産経新聞記事から。

2014.11.22 09:51
高倉健さん死去】
中国、異例の健さん追悼 共産党、外務省も弔意

 俳優高倉健さんの死去をめぐり、中国が異例の対応を取っている。習近平指導部が対日強硬姿勢を続ける中、外務省が哀悼の意を示し、共産党系の新聞は追悼記事を掲載。中国の人々と真摯に向き合った高倉さんの生き方があらためて見直され、冷え込んだ日中関係の改善に向けて「心の交流」の大切さを訴える声も上がっている。

 「彼はある時代の中国人の記憶そのものだった」。党宣伝部が管轄する全国紙、光明日報は、高倉さんが中国の民衆や社会に与えた影響を振り返る記事を掲載した。近年、党系メディアが日本の俳優の死去を大きく取り上げるのは極めて珍しい。中国紙記者は「存在が大きすぎて黙殺できない」と明かした。

 大規模な政治運動「文化大革命」(1966〜76年)後に中国で初めて公開された日本映画が高倉さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」だった。改革・開放路線へかじを切ろうとする過渡期でもあった。(共同)

http://www.sankei.com/world/news/141122/wor1411220020-n1.html

 うむ、記事にもありますが「中国で初めて公開された日本映画が高倉さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」だった」ことも要因のひとつのようですが、冷え込む一方の日中関係の中で中国政府をして哀悼の意を表するとは、改めて俳優・高倉健さんの偉大さ、その存在感の強烈さを感じぜずにはいられないトピックではあります。

 40代以上の中国人は高倉健さんの映画を鑑賞して強い影響を受けた人が多いそうですが、SMBC日興証券の肖敏捷(しょうびんしょう)氏のコラムは興味深かったのでご紹介いたしましょう。

中国人はなぜ高倉健さんを尊敬するのか?
2014/11/26
SMBC日興証券 中国担当シニアエコノミスト 肖 敏捷(しょう びんしょう) 氏
http://bizgate.nikkei.co.jp/article/81284312.html

 1964年中国西安市生まれの肖氏は高倉健さんの映画「遥かなる山の呼び声」で「人生の進路に決定的」な影響を受けたと語っています。

 一方、筆者の人生の進路に決定的と言っても過言ではない影響を与えたのは、「遥かなる山の呼び声」だった。高校時代、大学受験を前に、学生たちは理系クラスか文系クラスかの選択を迫られる。筆者も先生のアドバイスに従い、文科クラスを選択してから猛烈な受験勉強が始まった。ある日、気晴らしに映画館に行き、そこで見た映画が、高倉健倍賞千恵子主演の「遥かなる山の呼び声」だった。

 中国語吹き替え版の名声優の魅力的な声も手伝って、筆者はとにかく完全にこの映画のとりこになってしまった。北海道の美しい大自然はもちろん、民子(倍賞千恵子)を助けたり、民子の息子である武志(吉岡秀隆)に馬乗りを教えたりする田島(高倉健)の格好よさに痺れるほど感動した。そこには、これまで抱いていたイメージとは全く違う日本や日本人の姿があり、その日から筆者にとって高倉健さんは夢や憧れを与えてくれる存在となった。

 また富士通総研経済研究所主席研究員で1963年10月生まれで中国南京市出身の柯隆(かりゅう)氏も、JBPRESSにて高倉健さんへの熱き思いを語っています。

高倉健はなぜ中国にとって特別な存在なのか
文化交流を基軸に日中関係の改善を
2014.11.25
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42267

 柯隆(かりゅう)氏は「40代以上の中国人は、みんなショックを受けたことだろう」と語っています。

日本の映画が後押しした中国の「改革開放」

 40代以上の中国人は、みんなショックを受けたことだろう。あの「杜丘」が悪性リンパ腫により83歳でなくなったのだ。実に信じられないことだ。

 杜丘とは、日本映画「君よ憤怒の河を渉れ」(日本での公開は1976年、中国での題名は「追捕」)で高倉健が演じた検事の名前である。

 実は、中国の「改革開放」政策は、この1本の日本映画から始まったと言っても過言ではない。最高実力者だった蠟小平は35年前に国民に向かって「4つの近代化を実現せよ」と呼びかけた。4つの近代化とは、「農業、工業、科学技術、国防」の近代化である。

 このコラムは、「日中関係の改善は経済の戦略対話の再開だけでなく、文化交流を基軸に据えるべき」と結ばれています。

 政治家は自分の名声のみを考えてパフォーマンスをしている。そういう邪悪な心から社会を守るためには、文化の力が重要である。振り返れば、1980年代以降、日本のバレエ団や歌手などが中国と盛んに交流していた。中国の京劇団なども毎年来日し、日本で公演していた。だが今、日中の文化交流はめっきり数が減り、互いへの関心も薄れている。

 北京で開催されたAPECで、安倍晋三首相と習近平国家主席は様々な障害を乗り越えて握手を交わした。しかし、日中関係の改善は経済の戦略対話の再開だけでなく、文化交流を基軸に据えるべきではないだろうか。

 うむ、高倉健さんの死で哀悼の意を示す中国の「異例な対応」(産経新聞)ですが、反日感情が特に強いとされている南京の出身である柯隆(かりゅう)氏の思いを読めば、これは中国人の対日感情が決して「反日」一辺倒であるわけではないことが理解できて興味深いです。

 ただ、肖敏捷(しょうびんしょう)氏にしろ柯隆(かりゅう)氏にしろ1960年代前半の生まれですから、中国の反日教育が本格化する前の世代であることは留意する必要がありそうです。

 ・・・

 さて、韓国・朝鮮日報の26日付けのコラムには考えさせられました。

【コラム】高倉健死去、哀悼示した中国と無反応の韓国
韓日は「友好的戦争」をすべき
金泰勲(キム・テフン)ニューメディア室次長
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/11/26/2014112601565.html

 コラムは、中国政府が哀悼の意を表明したのを知り、「これを見て「しまった!」と思った」との感想から始まります。

 韓日は「友好的戦争」をすべき 映画『鉄道員(ぽっぽや)』で知られる俳優・高倉健が他界したというニュースが伝えられた今月18日、中国政府は「われわれは彼の他界に哀悼を表する」という声明を発表した。これを見て「しまった!」と思った。韓国政府はこの日、何らの哀悼の意も表明しなかった。

 「中国のこうした対応は、国益をめぐって隣国と争いつつも、場をぶち壊しにはしない、という慎重さの表れと解釈すべき」と続きます。

 「独島(日本名:竹島)や慰安婦問題で韓日関係は最悪なのに、日本の俳優に哀悼だって?」と舌打ちするかもしれない。だが、そんな事情は中国も同じだ。尖閣諸島(中国名:釣魚島)をめぐる対立や南京大虐殺を否定する日本の歴史歪曲(わいきょく)問題では、中国も韓国に劣らず激怒している。先週、日本の安倍首相が「尖閣をめぐって両国間に領土問題はない」と発言したときも、中国は「代価を払うことになるだろう」とあからさまに脅迫した。それでも、高倉健が他界すると、すぐに声明を出したのだ。「(故人は)中・日両国の文化交流を促進する上で重要かつ積極的な貢献を行った」とたたえた。中国のこうした対応は、国益をめぐって隣国と争いつつも、場をぶち壊しにはしない、という慎重さの表れと解釈すべきだろう。

 かつて英国とアイスランドでタラの操業権をめぐり起きた紛争を「友好的戦争」として説明していきます。

 米国のノンフィクション作家、マーク・カーランスキーが書いた『鱈(たら) 世界を変えた魚の歴史』という本には、英国とアイスランドが、タラの操業権をめぐり、戦争も辞さずと叫ぶ世論の強い声に押されながらも和解を成し遂げたプロセスが紹介されている。アイスランドは、乱獲で近海のタラ漁獲量が急減したことを受け、1958年から75年にかけて計3回にわたり、領海を4カイリから200カイリにまで拡張した。領海に入ってくる英国漁船をアイスランドが拿捕(だほ)すると、英国は軍艦を送り、自国の船団を保護した。両国は船同士をぶつけて激しく争った。しかし一人の死者も出さず、1隻の沈没船も出さなかった。アイスランドは、英国漁船がタラ漁に使う網を130枚も切断するという断固たる姿勢を示したが、最後の「一線」は越えなかった。英国も、桁違いに優れた海軍力を有してはいたが、「勇気を示すことはあっても、蛮勇を振るう必要はない」として実力行使は自制した。交渉のテーブルでは、冗談も飛び出した。英国代表が「木曜日は、われわれが最も好きなテレビ番組を見る日なので、この日だけは漁網を切らないでほしい」とジョークを飛ばすと、アイスランド側も「次の休みに、英国のコーンワルを旅行しようと思っているが、いい情報はないか」と答えた。英国政府は、タラをめぐる対立を「友好的戦争」と呼び、破局を防ぐため努力した。

 「韓国と日本の間にも、これと似た経験がある」と指摘します。

 韓国と日本の間にも、これと似た経験がある。2011年3月11日の大地震で、韓国は恨みの感情をひとまず押しとどめ、国民の募金まで送って日本を支援した。同年4月、当時の菅直人首相は、「絆」に感謝する広告を本紙に載せた。

 コラムは、「両国が共に関係改善の道を模索すべき」とし、「その必要性をいち早く見抜いた中国は、高倉健への哀悼声明で先手を打った」と結ばれています。

 来年は、韓日国交正常化50周年に当たる。両国間には、解決せねばならないわだかまりと同じくらい、交流と協力を通じて互いにプラスにできる分野が多い。幸いなことに、日本では、これまでの嫌韓を反省する動きが起こっている。こういう時に、両国が共に関係改善の道を模索すべきだ。その必要性をいち早く見抜いた中国は、高倉健への哀悼声明で先手を打った。

 ・・・

 考えさせられたのは、「これを見て「しまった!」と思った」から、結びの「中国は、高倉健への哀悼声明で先手を打った」まで、中国の哀悼表明を「外交手段」としてしか認識できていない、金泰勲(キム・テフン)ニューメディア室次長のジャーナリストとしての心の在り様のその寒々しさです。

 人が人の死を哀悼するのは根本はその人物への心情の発露からであり、多くの中国人が高倉健さんに哀悼の意を示すその理由を、このコラムは一切分析できていません。

 対日本に関しては、この韓国人ジャーナリストは一人の日本人の死すら「外交手段」としてしか見なせないのか、想定したくないですが仮に多くの韓国人も同じ考えだとすれば、これでは日韓関係の修復は前途多難だと思わざるをえませんでした。



(木走まさみず)