佐村河内さんと野依さんと渡辺さんの会見に想う〜「良い謝罪は人を成長させる」仮説
●ああ、今思い出してもつらいのであります(涙
当ブログは零細IT企業を経営しておりますので、立場上謝罪文も抗議文も何回も書く羽目を経験して参りました。
抗議文などはまだ精神衛生上問題はそれほどないのですが、謝罪文はビジネス上のこととはいえこれはかなり精神的にきついのであります。
読者のみなさまにも仕事上謝罪文を書かれた経験のある方はご理解いただけると思うのですが、謝罪文という性質上、100%己の主張を殺して謝罪する相手の立場に立った誠意のある文章を心掛けなければならないわけです。
これがしんどいのです。
自分のミスで謝罪する場合でもしんどいのですが、立場上自分の部下のしでかした失敗などで謝罪文を書く場合などは、まさに人間性の鍛錬というか修行なのじゃないかと思うぐらい、自分を殺して心より謝罪する文章を作成することは、人間のできていない私などのような心せまい俗物には苦行なのであります(苦笑
頭の中は走馬燈のようにいろいろな雑念がめぐりめくのでありますよ。
なんでオレがあんな嫌なやつに謝罪しなけりゃいけないんだ、むこうだって非があるだろうが。。。
なんでオレがこんなバカな部下のために謝罪しなけりゃいけないんだ、ああオレは世界一不幸な上司だ。。。
もう、心臓はバクバク胃はキリキリでありまして、そのような情緒不安定な状態にも関わらず、謝罪文を書く必要になるときは決まって一日を急いで先方に謝罪文を送りお詫びしなければならない状況なのが常なのでありますよね。
じっくり文章を推敲する心理的余裕も時間的余裕もない窮地に立たされるのでございます。
ああ、今思い出してもつらいのであります(涙
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●「良い謝罪は人を成長させる」仮説
まあ零細企業の経営者などは「人に謝るのが仕事」みたいなところがあります。
で、私は謝罪文を何度か作成するうちに自分なりの「良い謝罪文の作成テク」をいつしか身につけました。
ちょっとご披露しましょう。
■テク1:邪念を捨てる〜悪いのは100%私だと心より覚悟する
どうせ謝罪文を書くことを決意したならば中途半端な決意では文章に誠意がこもりません。
そこで心を鬼にして(私だって悪くないとこもある)とか(先方にだって落ち度はあるじゃないか)といった邪念を一切捨てきります。
この件で悪いのは100%自分であると言い聞かせます。
人の世の厄介な点は、実は人様に謝らなければならない羽目になったときでも、こちら側にも何分かの正当な言い分があり、先方にも何分かの指摘し得るような問題点があるモノであります。
しかし、そんな邪念をもっていたらいつまでも誠意ある謝罪文を作成することなどできないわけであります。
■テク2:先方の目線で自分の悪いところを批判する。
テク1で邪念を捨てたなら、出来る限り冷静な自分を取り戻した上で、先方の視線にたって、謝罪しなければならない内容を考えてみます。
なぜ相手が私を怒っているのか、自分が相手の立場だったらどう感じるか、冷静に分析します。
そして、ここが重要なのですが、たしかに失礼な謝らなければいけない振る舞いをしてしまったことを、心から自覚し反省します。
そしてウソ偽りのない素直な気持ちとして心からの謝罪の文をしたためます。
■テク3:建設的な改善策を提示する。
自分が今回の失敗で得た教訓を冷静に考えます。
そして、二度とこのような間違いをしないようにするために、自分としてできる改善策を建設的に相手に示し、そのように努力していくことを誠意を持って約束します。
ここでも重要なのは心から失敗から得た教訓を納得していなければ文章自体に誠意はこもらないことです。
うわべだけの反省など相手は何も望んではいないからです。
・・・
もちろんいつもうまく謝罪文が書けたわけでもなく、ときに余分なことを書いてしまいかえって相手の反発をもらってしまったこともあります。
ただ、出来の悪い私が実感するのは、相手からも一定の評価をいただけたような「良い謝罪文」が作成できたときは、不思議と自分自身も精神的に成長できたような気がするのでした。
「謝罪するという行為」は、ときに人を成長させるのではないでしょうか。
●悪い謝罪の見本のような三例
何か最近謝罪会見ばかり見ている気がするのは当ブログだけではありますまい。
特にこの三者の会見は印象深いものがあります。
【三月七日】
佐村河内守氏 謝罪会見詳報
http://www.jiji.com/jc/v4?id=201403samuragochi0001
【四月一日】
「STAP細胞」理研の謝罪会見、小保方さんは出席せず 「不服申立」へ
http://www.bengo4.com/topics/1361/
【四月七日】
みんな渡辺代表の辞任会見要旨
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140407/stt14040722190008-n1.htm
なんというか、当ブログからすると三者とも悪い謝罪の見本のような、見ていて不快なものが観る側に漂ってしまうのでありますよね。
私から言わせていただくと、三者とも「■テク1:邪念を捨てる〜悪いのは100%私だと心より覚悟する」がなっていないのであります。
佐村河内守氏は謝罪会見なのに「共犯」関係のゴーストライターを訴えると強弁、理研の野依良治理事長は謝罪会見なのにその責任をグループリーダー一人にあるような言い回しに終始、渡辺代表も謝罪するまでに、さんざん江田さん陰謀論を振り回し、あげく「法的にはいっさい問題ない」と最後まで強弁する始末であります。
みなさん一応謝罪はしているんですけど、誰かのせいにしているんですよね、往生際のわるいこと、見苦しいのであります。
邪念を捨てきれていません、
悪いのは100%私だと心よりの覚悟ができていないのです。
これでは、佐村河内さんも野依良治理事長も渡辺代表も人としての成長は期待できませんね。
もっともこの三者に人として期待するものは何もないですが・・・
大人たるもの、悪いことをしてしまって謝罪するときは、誠意を持って真摯に頭を下げたいものであります。
ふう。
(木走まさみず)