木走日記

場末の時事評論

「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」は完璧な謝罪文

従軍慰安婦「おわびの気持ち変わらない」安倍首相〜中国が火消し? 安倍首相の「おわび」を一斉報道

 今日(12日)の従軍慰安婦問題の朝日新聞速報記事から2つ。

従軍慰安婦「おわびの気持ち変わらない」 安倍首相

2007年03月12日10時40分
 安倍首相は11日のNHKのテレビ番組で、従軍慰安婦問題をめぐる自身の発言が波紋を呼んでいることについて「河野談話を継承していく。当時、慰安婦の方々が負われた心の傷、大変な苦労をされた方々に対して心からなるおわびを申し上げている。小泉首相も橋本首相も元慰安婦の方々に対し、(おわびの)手紙を出している。その気持ちは私も全く変わらない」と語り、元慰安婦に対する首相としての「おわび」も受け継ぐ考えを強調した。

 首相は9日の参院予算委員会でも「(元慰安婦に対し)本当に心から同情し、すでにおわびも申し上げている。しかし、必ずしも発言が正しく冷静に伝わらない。事実と違う形で伝わっていく現状で非生産的な議論を拡散させるのはいかがなものか」と述べていた。
http://www.asahi.com/politics/update/0312/002.html

 11日のNHKのテレビ番組で、安倍首相が河野談話を継承していく。当時、慰安婦の方々が負われた心の傷、大変な苦労をされた方々に対して心からなるおわびを申し上げている。小泉首相も橋本首相も元慰安婦の方々に対し、(おわびの)手紙を出している。その気持ちは私も全く変わらない」と「おわび」発言を受け継ぐ考えを表明したそうであります。

 この発言を受けての中国政府筋の国営新華社通信および中国メディアの動きが興味深いです。

中国が火消し? 安倍首相の「おわび」を一斉報道
2007年03月12日12時26分

 中国各紙は12日、安倍首相が従軍慰安婦問題で「おわび」をしたと一斉に報じた。温家宝(ウェン・チアパオ)首相の4月の訪日を前に、この問題で中国市民の対日感情がさらに悪化すれば、日中関係の改善を目指す指導部への批判につながりかねないという懸念が中国側にはあるとみられる。安倍首相の発言を強調することで、この問題の火消しをしたいとの思惑もうかがえる。

 この問題では、安倍首相が11日にNHKのインタビューに対し、従軍慰安婦問題で「心からのおわび」を語ったと同日にまず国営の新華社通信が伝え、テレビやラジオも同日夜のニュース番組で報道。翌12日付の中国各紙は、北京の大衆紙が見出しを1面に掲げるなどして大きく報じた。

 一連の報道は、安倍首相の先の発言が「アジア諸国の強烈な反発」を招いたと指摘しつつ、11日のインタビューでは「おわび」のほか、93年の河野官房長官談話を「継承していく」と語ったことにも触れている。

 安倍首相が1日に従軍慰安婦問題で「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実」と述べたことに対しては、李肇星外相が6日に「(同問題は)日本の軍国主義者による重大な犯罪のひとつ」と批判したが、同時に「温首相の訪日は両国の各領域における協力を推し進めるうえで大きな意義がある」とも指摘。中国外務省の秦剛副報道局長も8日、「日本が勇気を持ち、責任ある態度で対応するよう希望する」と述べるなど、日中関係の悪化を避けたいとの姿勢もにじませている。

http://www.asahi.com/politics/update/0312/004.html

 うむ従軍慰安婦問題で「心からのおわび」を語ったと同日にまず国営の新華社通信が伝え、テレビやラジオも同日夜のニュース番組で報道。翌12日付の中国各紙は、北京の大衆紙が見出しを1面に掲げるなどして大きく報じた。」のだそうで、温家宝(ウェン・チアパオ)首相の4月の訪日を前にこの問題の火消しをしたいとの中国政府の思惑がらみの動きとこの朝日記事は分析しています。

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 私の持論は、外交とは現実主義者であるべきで理屈だけ先行させる原理主義者では硬直してしまうような複雑な国際外交では、しなやかにしかししたたかな現実主義者として日本国の国益を守るために日本国首相は現実に則して柔軟に振舞っていただきたいと思っております。

 その意味でこのタイミングで安倍首相が河野談話を継承していく。当時、慰安婦の方々が負われた心の傷、大変な苦労をされた方々に対して心からなるおわびを申し上げている。」と発言、発言を曲解されたり誇張されたり「非生産的な議論を拡散させる」のではなく、事態の沈静化を目指しているようすは、一定の評価をしたいと思います。

 中国政府がメディアを駆使してこの発言に飛び付いてきたのも、彼の国の胡散臭い思惑がどうなのかは知りませんが、安倍さんにとっては追い風とはなりましょう。

 そもそもアメリカ下院の小委員会の議事など、たとえ可決されても国際的には何の拘束力もないものだし、安倍首相自らがどうのこうの反論する必要はなかったのです。

 日本国としては、外務省を通じて、アメリカ下院小委員会に対し、例えば今回安倍首相自身がNHKで述べているように小泉首相も橋本首相も元慰安婦の方々に対し、(おわびの)手紙を出している。」こと、日本が本件で謝罪していないという小委員会の指摘は事実にまったく反することを反証不能の厳然たる事実で訴えればいいだけだったのです。

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 メディアを通じて事態の沈静化を目指しはじめた安倍政権の動きには一定の評価をしたいですが、しかしながら半年前当たりからの安倍首相の国会での「広義の強制性はあったかもしれないが狭義の強制性はなかった」発言は、まったく外交戦術上、未熟な論法をしたものであります。

 このようなわかり辛い論法を一国の首相が公的場面で繰り返し発言し、しかも海外メディアで誤解に基づく悪意(?)ある曲解までされてしまうと、今度は一転、方向転換して発言を抑え「おわび」の意思を強調する、このような軌道修正ともとられかねないドタバタした対応は決して誉められたものではありません。

 外交手腕としては残念ながらとても未熟だった安倍外交なのであります。

 今日は、本件における事実の詳細の検証とかイデオロギー論とかは、他のまじめなブログや論説におゆずりして、当ブログとしては国際外交における「謝罪の仕方」その方法論について考察してみたいのです。

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●国家たるもの、そうそうおいそれと謝罪など口にしてはいけない

 そもそも私は国家たるもの、そうそうおいそれと謝罪など口にしてはいけないと考えている一人です。

 国家でなくても、会社組織であれ、個人であれ、公的な争いごとにおいて謝罪行為をするにあたっては慎重の上にも慎重にならなければなりません。

 当たり前のことですが謝罪する、謝罪文をしたためるという行動は、関わる件において自分側に全面的に非があることを認めることになるからです。

 ましてや国家が謝罪するとなればその意味合いは極めて重いのであり、その国の国民がその謝罪行為による負荷を末代まで背負うことになるのですから、国家は自国民のためにもそうそうおいそれと謝罪など口にしてはいけないのであります。

 先の戦争がらみのアメリカ一国をとっても、非人道的で当時の国際法に照らしても違法性の極めて高い民間人対象の日本の都市部へのじゅうたん爆撃は60万人以上の日本人民間人を無差別に殺戮したわけですし、広島・長崎の原爆投下に至っては、瞬時に20万人近くの生命を地獄絵さながらの放射熱のうずに巻き込んだわけです。

 これらを犯罪的行為と言わずしてなんと表現できましょう。

 しかし「戦勝国アメリカは今日に至るまで、東京大空襲に対しても広島・長崎への原爆投下に対しても、ただの一度も国家として謝罪などしてきませんでした。

 戦後起こったことは、みなさま承知のとおり、戦勝国アメリカは自国の非道をあやまるどころか、逆に敗戦国日本の「侵略国家」としての非道を繰り返し繰り返し晒しては非難を繰り返してきたわけです。

 そのたびにあわれ無条件降伏で負けた敗戦国日本は、自己主張をおさえいわれるままに罪を認め賠償を繰り返してきたわけです。

 「歴史とは戦いの勝者がつづるもの」とはまさに真実なのであります。

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●良い謝罪文作成は人を成長させる by 不肖・木走

 謝罪するという行為はくれぐれも慎重に行わなければなりませんが、ところで謝罪するということを一旦決意したならば、中途半端な行動は逆効果になります。

 国家にしろ個人にしろ、謝罪するという行為にはそうとうの覚悟が必要なのです。

 私は以前当ブログで何回かこの「謝罪文」の問題を取り上げてきました。

■良い謝罪文作成は人を成長させる仮説〜朝日新聞の返事を読んでの一考察
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060119
■残念!「永田謝罪会見」は不合格です〜「謝罪文評論家」が各紙速報から読み解く永田謝罪会見のミス
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060228/1141116742

 朝日新聞浦安市に対するコメントや偽メール事件での民主党の「永田謝罪会見」を題材に、どうせ謝罪するならば、正真正銘誠意のある謝罪をしなければ意味がない、逆効果であると主張してきました。

(前略)

●良い謝罪文作成は人を成長させる by 不肖・木走

 まあ零細企業の経営者などは「人に謝るのが仕事」みたいなところがあります。

 で、私は謝罪文を何度か作成するうちに自分なりの「良い謝罪文の作成テク」をいつしか身につけました。

 ちょっとご披露しましょう。

■テク1:邪念を捨てる〜悪いのは100%私だと心より覚悟する

 どうせ謝罪文を書くことを決意したならば中途半端な決意では文章に誠意がこもりません。

 そこで心を鬼にして(私だって悪くないとこもある)とか(先方にだって落ち度はあるじゃないか)といった邪念を一切捨てきります。

 この件で悪いのは100%自分であると言い聞かせます。

 人の世の厄介な点は、実は人様に謝らなければならない羽目になったときでも、こちら側にも何分かの正当な言い分があり、先方にも何分かの指摘し得るような問題点があるモノであります。

 しかし、そんな邪念をもっていたらいつまでも誠意ある謝罪文を作成することなどできないわけであります。

■テク2:先方の目線で自分の悪いところを批判する。

 テク1で邪念を捨てたなら、出来る限り冷静な自分を取り戻した上で、先方の視線にたって、謝罪しなければならない内容を考えてみます。

 なぜ相手が私を怒っているのか、自分が相手の立場だったらどう感じるか、冷静に分析します。

 そして、ここが重要なのですが、たしかに失礼な謝らなければいけない振る舞いをしてしまったことを、心から自覚し反省します。

 そしてウソ偽りのない素直な気持ちとして心からの謝罪の文をしたためます。

■テク3:建設的な改善策を提示する。

 自分が今回の失敗で得た教訓を冷静に考えます。

 そして、二度とこのような間違いをしないようにするために、自分としてできる改善策を建設的に相手に示し、そのように努力していくことを誠意を持って約束します。

 ここでも重要なのは心から失敗から得た教訓を納得していなければ文章自体に誠意はこもらないことです。

 うわべだけの反省など相手は何も望んではいないからです。

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 もちろんいつもうまく謝罪文が書けたわけでもなく、ときに余分なことを書いてしまいかえって相手の反発をもらってしまったこともあります。

 ただ、出来の悪い私が実感するのは、相手からも一定の評価をいただけたような「良い謝罪文」が作成できたときは、不思議と自分自身も精神的に成長できたような気がするのでした。

 「謝罪するという行為」は、ときに人を成長させるのではないでしょうか。

(後略)

■[メディア]良い謝罪文作成は人を成長させる仮説〜朝日新聞の返事を読んでの一考察 より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060119

 私の経験上、言い訳じみた中途半端な謝罪などは、相手の心象をかえって悪くしてしまう点でしないほうがましなのです。



●「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」〜外務省公式ページより

 今回の従軍慰安婦問題では歴史的経緯で語れば、日本国の小渕首相以来の歴代首相が元従軍慰安婦にことあるごとに「謝罪」の手紙を送ってきた厳然たる事実がここにあります。

 外務省公式サイトより「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」をご紹介しましょう。

 これは日本国政府の公式文書であります。

慰安婦の方々に対する
小泉内閣総理大臣の手紙

拝啓

 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。

 いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。

 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。

 末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。

敬具
平成13(2001)年
日本国内閣総理大臣 小泉純一郎
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/letter.html

 ・・・

 いかがでしょうか。

 私はこの内容の正否をここでは論じようと思ってはいません。

 そうではなくこの手紙が謝罪文としては極めて完璧な構成でよく考えられており、短い文章の中であいまいさ冗長さがほとんど排除されたよく練られた文章であることに注目したいのです。

 すなわちこの小泉首相の文章は、日本語、英語、中国語、韓国語、オランダ語等に当然翻訳されているのでありますが、文章の読み手によって齟齬が発生する余地のまったくない完璧な「謝罪文」なのであります。

 まず、謝罪の主文が明確です。だれが、誰に対して、謝罪するのかはっきりうたわれています。

私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。

 また、謝罪の理由も明確にしています。なぜ謝罪するのかはっきりその理由も明記しています。

 いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。

 そして責任と反省の態度を明確にした上で、将来の日本の態度を約束しています。

 我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。

 これは完璧な「謝罪文」です。

 文章になんら制約事項や条件事項を含ませていないのもりっぱです。

 ・・・

 私はここで指摘しておきたいことは、歴代の日本国総理大臣は過去において上記のように「元従軍慰安婦」に対して何度も繰り返し「謝罪」の手紙を送ってきた事実であります。

 この点を相反目する2つのグループに特に指摘しておきたいのです。

 まず、アメリカ下院小委員会の人々をはじめとする「日本が過去に対して反省も謝罪もしていない」と誤った主張をする人々に言いたい。

 日本国総理大臣は本件に関してはどこの国の最高責任者でもここまで明確にしめすことはないだろうほどに、公式に明確に直接的に謝罪を繰り返してきました。

 その事実を直視してほしいです。

 次に、国家として公式に謝罪してきた日本の行為に、逆の意味で不満を持ち安倍首相の言うところの「狭義の強制性」などなかった点から、「河野談話」を修正すべきという主張の人々に言いたい。

 本件に関して上記のとおり日本は国家として謝罪を繰り返してきました。

 ことはすでに「河野談話」だけの問題ではありません。

 当然ですが国家として国際的に公式に謝罪してきたことに対して、部分的とは言え訂正をするということは、外交的・政治的に大変な労力と覚悟がいることになります。

 「敗戦国」日本に取りその外交戦略は本当に正しいのでしょうか?

 日本以外の万国が認めえる方法論を確立できるのでしょうか?

 私にはその「狭義の強制性は無かった」という主張がどんなに正鵠を射ていようとも、その主張に固守することが国際的な日本の立場を強めることに繋がるとは、どうしても思えないのです。

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●「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」は完璧な謝罪文です

 そもそも私は国家たるもの、そうそうおいそれと謝罪など口にしてはいけないと考えている一人です。
 
 国家による謝罪行為とはそれほど重い行為だと認識しております。

 そして日本国は、従軍慰安婦問題に対して国家として公式に謝罪してきた厳然たる事実がここにあります。

 今検証した「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」をはじめ、小渕首相以来の歴代首相がしたためてきた元慰安婦の方々に対する謝罪の手紙の持つ意味はとても重要です。

 アメリカ下院小委員会の人々をはじめとする「日本が過去に対して反省も謝罪もしていない」と誤った主張をする人々にはこの歴代総理の手紙を持って、正々堂々反論すればよろしいのです。

 また、逆に、この過去の謝罪行為に対して、もし訂正しようとするならば、それはそうとうの外交的・政治的リスクと覚悟を要することは論を待ちません。

 私の考えは、マイケル・グリーン氏とほぼ同じです。

 本件に関しては政治的にはすでに決着の付いた事項であり、学術的な事実関係の究明は歴史学者にまかせるべきであり、政治家が介在することは避けるべきだと思っています。


 「元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙」は完璧な謝罪文です。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
従軍慰安婦問題:「狭義の強制性」表現を乱用して国際的誤解を生じるミスを犯している安倍政権  
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20070306
■良い謝罪文作成は人を成長させる仮説〜朝日新聞の返事を読んでの一考察
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060119