木走日記

場末の時事評論

ホモ・サピエンスのDNAは子育てを母親だけに押しつけることを許していない

 比較的時間がとれる日曜日に、じっくり考えたい時事テーマを[サンデー放談]と題して不定期に連載していくシリーズの第三弾であります。

 お時間のある読者と話題性のあるテーマをともに考察する機会になればと思っています。

 民主党政権の「子ども手当」が賛否話題になっていますが、今回のテーマは「ホモ・サピエンスの子育て戦略」であります。



 18日付けの日経新聞紙面記事から。

昆虫にも「おばあちゃん」? 東大、長寿のアブラムシ発見
2010/6/18 21:54

 東京大学の嶋田正和教授と大学院生の植松圭吾氏は、通常繁殖を終えた後に死んでしまうはずのメスの昆虫で、繁殖を終えた後も生き続けるアブラムシを発見した。子供が産めなくなっても粘液で天敵を撃退し、子孫が生き延びるのを手助けしていた。成果は18日発行の米科学誌カレントバイオロジー(電子版)に掲載された。

 長生きするのは、イスノキという常緑樹につく「ヨシノミヤアブラムシ」のメス。生後から半年まで繁殖して子供を産み続け、繁殖ができなくなっても粘液を出してテントウムシなどの天敵を攻撃し、子や孫に当たる世代が巣立つのを助けていた。

 ヒトやクジラでは繁殖期を過ぎたメスが生き残るのは子孫の世話や繁殖を手伝うためだとする「おばあちゃん仮説」が提唱されている。昆虫で同じような現象がみつかったのは初めて。子孫を確実に残すための戦略として働いている可能性があるという。

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E3E5E2E6E48DE3EAE2E4E0E2E3E29180EAE2E2E2;at=ALL

 うむ、実に興味深い発見ですね、記事によれば「ヨシノミヤアブラムシ」のメスは、「生後から半年まで繁殖して子供を産み続け、繁殖ができなくなっても粘液を出してテントウムシなどの天敵を攻撃し、子や孫に当たる世代が巣立つのを助けていた」と、まさに「おばあちゃん仮説」を裏付けるサバイバル戦略が昆虫レベルでも実在していた証左となる発見になるかも知れません。

 なにが興味深いかといえば「繁殖ができなくなっても粘液を出してテントウムシなどの天敵を攻撃」する戦略をいかに獲得してどう子孫に伝えていったのか、そのあたりの遺伝継承や自然淘汰を考えて見るとおもしろそうですね、おそらくこんなシナリオでしょうか。

 そもそも「ヨシノミヤアブラムシ」のメスは「繁殖後に天敵を攻撃」する戦略など有してはいなかった。

 多くの昆虫では繁殖行為と言う種の使命を終えれば親はその生を全うします、おそらく「ヨシノミヤアブラムシ」も例外ではなかったでしょう。

 それがたまたまあるコロニーで遺伝変異により繁殖行為を行っても死なないメスが現れた、遺伝変異自体は種の繁栄にとってニュートラルです、正の変異もあれば、負の変異もあるでしょう、繁殖行為を行っても死なないメスの登場もそれだけなら、子孫のエサを余計に消耗してしまうだけならば負の変異だったかもしれません。

 しかし繁殖行為を行っても死なないメスの中から、長い時間経過を経てさらなる遺伝変異がいろいろとあり、大部分の変異は意味はないか逆にマイナスに作用してしまったでしょうが、ついに「粘液を出してテントウムシなどの天敵を攻撃」する変異が現れた、当然その子孫は他のコロニーよりも生存率が高まり、そのDNAが確実に広まっていって、やがて種の「戦略」として継承されていったのでしょう。

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 このような昆虫レベルでの「おばあちゃん」が子どもを護(まも)り育てる戦略が、そのままヒトやクジラなどの高等ほ乳類における繁殖期を過ぎたメスが生き残る理由(子孫の世話や繁殖を手伝うためという仮説)に結びつくのかは不明ですが、3万年前絶滅したネアンデルタール人と生き残った現世人類・ホモサピエンスの種の生存争いでは、実は種の命運を分けたのはこの「子孫を確実に残すための戦略」、子育て戦略の違いによるものだったとの説があります。

 アフリカのサバンナで常に肉食獣に狙われているヌーやシマウマなどの草食動物は生まれて30分も経たないうちに立ち上がり、親と同じように走ることができます(早熟性)が、それを襲うライオンなどの猫科動物はと言えば、生まれた直後は目も見えなければ動くこともできません(晩熟性)、母親の手厚い助けが必要です。

 ホモ・サピエンスネアンデルタール人の先祖の猿人も、アフリカの地で常に肉食獣に狙われていたわけで当然、現在のチンパンジーと同様の早熟性でありました。

 ネアンデルタール人に関しては、クロアチアのヴィンディア洞窟から見つかった3万8000年前の人骨を試料にした核DNAの解読など、科学的な分析が相当程度行われており、現代人よりもむしろチンパンジー並に成長が早かったことがわかってきています。

 ジブラルタルのデヴィルズ・タワーで見つかった5万年前の頃のネアンデルタール人の幼児は、すでにホモ・サピエンスの成人並の大きな脳(約1400cc)と、臼歯の発育が見られました、死亡推定年齢は3歳です。

 少なくとも3万年前までは地上で我々人類と共存していたネアンデルタール人は、我々人類にとり「祖先」と言うよりも「いとこ」の関係なわけですが、彼らの特徴は寒冷地に適応した頑丈な骨格であり実は平均の脳容量はホモ・サピエンスよりも大きいのでした。

 一方、ネアンダルタール人よりも後発で脱アフリカをして展開していった我々ホモ・サピエンスは、脳が大きくなり二足歩行を完成させた適応として、よろけずしっかりまっすぐ歩くために骨盤が狭くなりました、大きな脳の胎児では難産となりますから脳成長を遅らせ出産後に長期に渡る成長期を設けることになります。

 つまり体がきゃしゃな我々現世人類は晩熟性の戦略をとったのです。

 最初にヨーロッパに展開したネアンダルタール人は種としてしっかり寒冷地適応して頑丈な骨格をそなえました。

 また生存戦略としていちはやく子どもを成長させる早熟性を残したのです。

 対して後発で脱アフリカしたホモ・サピエンスは、子どもの成長は遅延しました。

 子どもの成長が遅延したことは、親の負担が長期にわたることを意味し直接的には生存競争には不利に働きます、ですので群れの中で子育てを母親以外のおばあさんなどが手助けする「文化」も生まれるきっかけとなったはずです。

 しかしその結果、世代から世代への知識の継承、つまり子どもが多くのことを学習するのに必要な時間を十分に獲得できました。

 ホモ・サピエンスは取った動物の皮を剥ぎ、堅い魚の骨を針として獲物の髄を糸として毛皮の着物を身につけて寒冷地に展開していきます。

 ネアンデルタール人ほど生物としては寒冷地に適応できませんでしたが、人類は「知恵の継承」によって、寒冷地だけでなく、結果的に地球のほとんどの地に広く展開します。

 一方過度に寒冷地適応してしまったネアンデルタール人は、南方に進出することもできず、また知識の継承力もホモサピエンスに比べて弱く、結果的には人類に追い込まれるようにして各地で滅び、2万8000年前にイベリア半島にいた最後のグループも絶滅してしまいます。

 つまり、きゃしゃな人類が勝ち残ったのは、「知恵の継承」に成功したからであり、なぜ成功したかと言えばもちろん知能が発達したからなのですが、それは単に脳の容量が大きくなっただけでなく(脳容量だけならネアンデルタール人ホモサピエンスより大きかった)、それは結果的にだが「晩熟性」の戦略を採用したからである、という仮説なのであります。

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 ネアンデルタール人は化石でしか分析することができませんが、現在生き残っている霊長類の研究者からも、同様の「おばあちゃん仮説」を裏付ける意見がでています。

 6月11日読売新聞関西版の記事で霊長類研究所の松沢哲郎所長の興味深い講演内容が掲載されています。

「人間とは何か −チンパンジーとの比較から−」
霊長類研究所 松沢哲郎所長

http://osaka.yomiuri.co.jp/university/shinagawa/si100611a.htm?from=ichioshi

 比較認知科学、つまり「人間とは何か。チンパンジーの研究を通じて、チンパンジーそのものを知ると同時に人間とは何かを深く知る」ために霊長類チンパンジーを永年研究している松沢所長によればチンパンジーには「おばあちゃん」はいないのだそうです。

 記事より当該箇所を抜粋。

チンパンジーにおばあさんはいない

 チンパンジーの子供は、生まれてから5年間、おかあさんといつも一緒にいる。離乳期がものすごく遅く、4歳まで乳を吸っている。逆に4歳まで乳を吸われているので、おかあさんの側に生理周期が戻ってこなくなって、妊娠しない。5年に1度しか子供を産まない。

 野外実験や参与観察からわかってきたことを紹介する。2007年になって初めてチンパンジーの生存率と出産率のデータが出た。アフリカの6つの研究機関が協力して5340のデータを集めた。0から4歳の間で生存率が0・7。4歳までに30%死ぬ。出産率は年間0・2人。だから1人生むのに5年かかる。平均出産間隔が5〜6年。10代から生み始めて50歳で亡くなるまで生む。

 チンパンジーにも年寄りの女性はいる。だけれどおばあさんではない。祖母の役割は担っていない。最後まで現役で子供を産んで大事に育てる。人間にはおばあさんがいるが、チンパンジーにはいない。これこそが人間の人間らしいところだろう。

 松沢所長によれば、チンパンジーにも親から子へと原始的な「知恵の継承」はコロニー(群れ)単位で見られるそうです。

 あるコロニーでは「一組の石をハンマーと台にしてかたいアブラヤシの種をたたき割って中の核を食べる」ことを、親から子へ見よう見まねで継承されていることが上記記事でも触れられています。

 しかしチンパンジーではそれ以上の複雑な「文化」は創生されなかったし継承もされなかった。

 目に見えないものを考える、つまり想像力・抽象概念がチンパンジーでは発達していないからだそうです。

絶望しないチンパンジー、希望を持つ人間

 人間とは何か。想像かなと思う。チンパンジーは全く違うものを結びつけるのが難しい。例えば、お絵かきであらかじめ目のない顔を描いた紙を与えると、顔の輪郭線をなぞるだけ。人間も2歳半ぐらいの子は同じようにするが、3歳になると目をかく。チンパンジーはそこにあるもの、目の前にあるものをみている。人間はそこにないものを考える。

 こういうことがあった。レオというチンパンジーが脊髄炎で首からしたが突然、まひした。体重が激減。床ずれもひどかった。ところがレオは全然へこたれない。寝込んでやせて骨と皮になって。僕だったら完全にだめ。介護のかいもあって回復したが、そこで思ったのは、チンパンジーは今ここの世界に生きている。人間はそうでなく、想像する力がある。100年先、100年前のことを考える。

 想像する時間と空間の広がり方が人間はものすごく広い。チンパンジーは今ここを生きているから寝込んでもこのままどうなってしまうのだろうなんて考えない。チンパンジーは絶望しない。絶望する理由がない。人間は絶望する。このまま寝込んだらどうしようと。でも絶望するということが、まさに希望を持つことにもつながる。どんな状況にあってもはるか遠い先のことに思いをはせて、希望を持ち続けることができる。それが人間なんだなと思うようになった。

 比較認知という科学の方法でチンパンジーの認知能力を研究し、科学的に現在の人類の認知能力の高さが裏付けられるわけですが、この高い認知能力を人類が獲得できた過程に、他の霊長類であるネアンデルタール人などとは異なる戦略、子どもの晩成化に伴う子育て時期の長期化とそれを母親だけでなく群れとして手助けする、複雑な「文化の継承」をしっかりと次代に伝えていくサバイバル戦略を採用したことも少なからずの要因だったと推測できるのです。

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 我々人類は他のどの霊長類よりもあるいは絶滅した化石人類よりも、子どもが成長するのを遅くする戦略をとった。

 それは当初、二足歩行を獲得して骨盤が狭くなったホモ・サピエンスが脳の大きな子どもを生むという難産を避けるために、子どもを未熟なうちに生ませ、生んだ後に長期に育てるという、やむをえないサバイバル戦略だった。

 弱肉強食の世界で肉食獣の被食者だった人類に取り、子育てが長期化するこの戦略は直接的には非常に不利だった、必然的に子育てを母親だけに負担させるのではなくコロニー(群れ)として「おばあちゃん」などがそれを手助けする戦略が生まれた。

 このことが世代間の知恵の継承に結果的に役立ち、人類は先代の「知恵」を継承することで、認知能力を進歩させつつ、その「文化」を発展させていき、厳しい生存競争において継承する「知恵」を武器に生き残っていった。

 実に興味深いことです。

 ときに、現代人類社会の有様を、霊長類ホモ・サピエンスの進化の歩みをものさしとして鳥瞰(ちょうかん)して大きな視点で見つめ直してみることも、無駄なことではないでしょう。

 どの種においても、コロニー(群れ)において最も重要なサバイバル戦略は子孫を絶やさないことです。

 国家をコロニー(群れ)とたとえれば、現代日本少子高齢化社会の現状はまことに憂うべきコロニーの危機といえましょう。

 コロニー内の個体の構成が、寿命が延びたことにより生殖適齢期をすぎた老体が急激に増え、獲物を獲得したり生殖して子孫を増やす現役世代の個体が割合として激減した、コロニーにたとえれば日本社会の現状はこのようなものです。

 ここは数万年間護ってきたホモサピエンスの戦略に立ち戻ることも一計です。

 思考を3万年前にもどしましょう。

 生殖適齢期をすぎた老体たちが積極的に子育て支援をする、そうすれば現役世代はもっと生産的作業に時間を割くことができる、結果的に子どもの数が増え、コロニーとしての世代バランスを取り戻していく。

 「子ども手当」もよろしいし保育所の増設もけっこうですが、そのような「お金」や「場所」の問題だけでなく、人の関わりとして子育てにすでに現役をリタイヤされた老齢者の参加を積極的に促していく、そのような血のかよった政策も検討する価値があると思うのです。

 ホモ・サピエンスのDNAは、子育てを母親だけに押しつけることを許してはいないように思われます。



(木走まさみず)



<サンデー放談過去ログ>
■第一回2010-03-21 アングロサクソンは「食文化」がないから反捕鯨に走る?
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20100321

■第二回2010-05-16 無党派層にとって実は選挙は特異点
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20100321