団塊の世代に告ぐ。このままではあなた方は「姥捨て」られる?〜介護放棄死は本当に極端な例なのか?
●[介護放棄死]「悲劇の背後にある家族の崩壊」〜2月18日付読売社説から
昨日(18日)の読売新聞社説から。
[介護放棄死]「悲劇の背後にある家族の崩壊」
介護放棄による家庭での悲惨な事件が相次ぐ。その原因や背景を究明し、未然防止策を考えなければならない。
広島市で寝たきりの60歳男性が衰弱死し、妻と息子2人が先月、殺人容疑で逮捕された。大阪市でも、寝たきりの61歳の女性が死亡し、夫と長男、長女の3人が保護責任者遺棄致死の疑いで書類送検された。難病で療養中だった63歳の夫を餓死させたとして、妻が逮捕される事件も起きた。
いずれも、「老老介護」で追い詰められた末、といった例とは事情が異なる。生活にそれほど困窮していたわけではない。調べに対し、当事者らは「介護が面倒だった」などと供述している。まさに「家族の崩壊」が生んだ事件だ。
広島の男性は、病院の治療や十分な食事も与えられず、発見時、体重32キロまでやせ細っていた。そのまま放置すれば死に至るかも知れないと思いつつ、介護しない。「未必の故意」による、異例の殺人容疑も、そうした事情のためだろう。
三つの事件とも、家族が公的なサービスを利用しようともしなかった。
広島の男性は、脳出血の後遺症から、要介護3に認定されていた。だが、妻らは、福祉施設のデイサービスを昨年夏に打ち切った。施設への入所も可能だったが、市に相談していなかったという。
大阪の二つの事件では、介護認定されるのが確実だったのに申請すらしていなかった。家庭が地域から孤立して密室状態にあり、行政との接点も欠いていたことが一因、とみられている。
いずれも極端な例には違いない。だが、介護放棄死につながる“芽”は全国的に広がっている。2003年度に厚生労働省が行った家庭内の高齢者虐待の全国調査によると、虐待された1990人の半数以上が介護放棄を経験し、1割以上が生命にかかわる状態だった。
昨年4月施行の改正介護保険法で、虐待の防止や早期発見を市町村の義務とした。同時施行の高齢者虐待防止法では、虐待発見者に通報を義務づけ、市町村に家庭への立ち入り調査権限を与えた。
児童虐待と同様、それを発見するのは簡単なことではない。事件の予兆を早く察知するための体制づくりが肝要だ。
埼玉県和光市は、65歳以上の市民全員に健康状態などの質問票を郵送し、回答のない家庭には、民生委員らが訪問調査している。神奈川県横須賀市は、高齢者虐待防止センターを設けて専門の保健師を配置し、相談を受け付けている。
行政が民生委員や町内会、警察などとネットワークを作り、問題家庭に手を差し伸べていかなければなるまい。
(2007年2月18日1時44分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070217ig91.htm
遂に殺人容疑の適用までにいたった介護放棄による家庭での悲惨な死亡事件が相次いでいるわけですが、読売社説によれば「いずれも、「老老介護」で追い詰められた末、といった例とは事情が異なる。」とし「生活にそれほど困窮していたわけではない。調べに対し、当事者らは「介護が面倒だった」などと供述している。まさに「家族の崩壊」が生んだ事件」と結論づけています。
続いて社説はこれらの例は極端なものであり例外だろうが、介護放棄死につながる“芽”は全国的に広がっていると警鐘を鳴らします。
いずれも極端な例には違いない。だが、介護放棄死につながる“芽”は全国的に広がっている。2003年度に厚生労働省が行った家庭内の高齢者虐待の全国調査によると、虐待された1990人の半数以上が介護放棄を経験し、1割以上が生命にかかわる状態だった。
家庭内高齢者虐待の半数以上が「介護放棄」を経験しているという指摘です。
社説の結語。
行政が民生委員や町内会、警察などとネットワークを作り、問題家庭に手を差し伸べていかなければなるまい。
社説は、家庭の問題としてではなく「行政が民生委員や町内会、警察などとネットワークを作り」地域としてこの問題に取り組むべきであると結んでいます。
・・・
高齢者虐待に地域ぐるみで取り組むべきという読売社説の主旨そのものにはまったく異論ありませんが、この社説は少々現状認識が甘いと指摘せざるを得ません。
介護放棄死は本当に極端な例なのでしょうか?
また2003年度に厚生労働省が行った高齢者虐待の全国調査の虐待件数1990人という数字は本当に実態に即した数字なのでしょうか?
これから10年先、現在60歳前後の団塊の世代が続々高齢者になっていくわけですが、この人類史上かつてない勢いで少子高齢化社会を迎えようとしている日本の老人介護の体制は、行政・自治体・民間そして何よりも介護されるべきあるいは介護するべき我々一人一人の国民の意識に十分な準備はできているのでしょうか。
老人介護の問題は地味ではありますが、基本的にはその物的人的負担の大半に公費が費やされねばならない点、制度の充実が図られたとしてもこの読売社説にあるように人々の心を啓蒙していかなければ介護放棄など看過できない社会問題に発展してしまう点など、世代を越えて国民全員で取り組むべき問題なのであります。
全ての人間はやがて死に至ります。
今このテクストをお読みの読者のみなさまもいろいろな世代の方がいらっしゃるのでしょうが、病死や突然死でもないかぎり、普通に生き老いていけば、やがて時期が来れば日々の生活に支障が出始め、最後には自分の糞尿の処理まで他者の介護が必要になる可能性がある点では、若い世代、中高年世代、結婚している結婚していない、こどもがいるいないに関わらず、共通している国民全員の問題なのであります。
今日はこのやっかいな老人介護問題について真摯に考察したいと思います。
●私も参加している「高齢者虐待防止推進委員会(仮称)」〜虐待の防止や早期発見を義務付けられた地方自治体
私はある地方自治体の「高齢者虐待防止推進委員会(仮称)」の検討委員会に不定期参加しています。
「高齢者虐待防止推進委員会(仮称)」は、昨年4月施行の改正介護保険法で、虐待の防止や早期発見を市町村の義務としたこと、同時施行の高齢者虐待防止法では、虐待発見者に通報を義務づけ、市町村に家庭への立ち入り調査権限を与えたことを受けて、立ち上げられた準備委員会という位置付けです。
老人介護や福祉関係には門外漢の私ですが、その自治体のHPの作成・運用をお手伝いしている関係からIT専門家の立場から意見を述べてほしいという要望にお応えして行政の専門家、福祉の専門家に混じって必要に応じて参加している次第です。
この問題を先駆的に取り組んでいる自治体の例として上記読売社説にも「埼玉県和光市は、65歳以上の市民全員に健康状態などの質問票を郵送し、回答のない家庭には、民生委員らが訪問調査している。神奈川県横須賀市は、高齢者虐待防止センターを設けて専門の保健師を配置し、相談を受け付けている。」とありますが、いずれも高齢者情報のデータベース化などのIT技術導入が不可欠だからです。
また横須賀市のケースをもう少し細かく説明いたしますと、「高齢者虐待防止センター」を開設し、窓口を一本化、専任の保健師二人に加え、医師やケアマネジャー、ホームヘルパー、行政関係者らが事案ごとに随時集まり、対応する仕組みを整えたわけですが、このような環境整備も含めて、虐待をめぐっては当事者の認識が薄いことが多いことから、理解を浸透させる地道な啓発がより重要なわけですが、環境整備、啓蒙活動ともにネットやIT技術が重要な手段として有効に活用されているのです、今回の準備委員会に専門家として私も呼ばれている理由はここにあります。
・・・
さて、「高齢者虐待防止法」(高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律)の内容はこちら。
高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律
http://www.ron.gr.jp/law/law/korei_gy.htm
この「高齢者虐待防止法」によれば高齢者虐待は大きく5種類に分類されます。
・(身体的虐待)
高齢者の身体に外傷が生じ,又は生じるおそれのある暴行を加えること。
・(心理的虐待)
高齢者に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応その他の高齢者に著しい心理的外傷を与えるような言動を行なうこと。
・(性的虐待)
高齢者にわいせつな行為をすること又は高齢者をしてわいせつな行為をさせること。
・(介護放棄)
高齢者を衰弱させるような著しい減食又は長時間の放置,養護者以外の同居人による上記の行為と同様の行為の放置等養護を著しく怠ること。
・(経済的虐待)
養護者又は高齢者の親族が当該高齢者の財産を不当に処分することその他当該高齢者から不当に財産上の利益を得ること。
読売社説の取り上げている「介護放棄」は、この法律の高齢者虐待の定義に従えば、身体的虐待・心理的虐待・性的虐待・介護放棄・経済的虐待の中の一分類となるわけです。
高齢者虐待、その実態はどうなのでしょうか。
●虐待事例〜香川県がケアマネジャー(介護支援専門員)に対して行ったアンケート調査
老人介護は施設内介護と家庭内介護に大別できますが、私が参加しているある自治体の検討委員会の資料によると、その自治体内の高齢者虐待事例調査報告を見ると、高齢者虐待がかなりの施設・家庭において発生していることがわかりました。
個人情報の問題もあり事例としてこの場で詳細をご紹介するのは控えますが、結果としては、施設内介護、家庭内介護ともに、虐待経験のある介護従事者の割合が我々委員の想像以上に高くこの問題が常態化していることを改めて思い知らされました。
その委員会において配布された資料のなかで開示できる資料をここでご紹介いたしましょう。
1年前に香川県がケアマネジャー(介護支援専門員)に対して行ったアンケート調査の結果の事例です。
四国新聞ですでに記事として掲載された内容です。
「兄の調子が悪いんで来てほしい」。連絡を受けたケアマネジャーが訪問すると、寝たきりの八十歳代男性は、かろうじて意識がある状態だった。「生命の危機にさらされている」。そう感じたケアマネジャーは即座に訪問看護を要請。男性の身体はガリガリにやせ、随所にひどい傷やあざがあった。
弟による虐待―。近所では有名な話だった。農作業を押し付け、畑で消毒剤を浴びせたり、土手から突き落としたりするのが目撃されていた。ろくに食事も与えず、勝手に冷蔵庫を開くと殴っていた。肉親ゆえ虐待にも遠慮がなくなり、エスカレートしやすい。
訪問した医師は「引き離さないと危ない」と判断。養っていた弟夫婦に兄の入院を説得し、渋々応じさせた。弟は「十分に面倒見よったのに」と悪びれる様子もなく話した。
「悪意は薄かった。『面倒を見てやってるし、生きていればいい』ぐらいの意識だったのでは」とケアマネジャー。背景には、介護や虐待に関する知識や認識の不足があると指摘する。はけ口に
「一生懸命に世話しているのに、憎まれ口をたたかれる。それなのに、めったに来ず何もしない親類にはいい顔をする。本当にやり切れなかったでしょうね」
あるケアマネジャーは、寝たきりの八十歳代の実母を虐待していた娘に同情する。それまでの周辺の評は、「献身的に母親を介護する娘」。しかし、仕事の疲れや母親の認知(痴ほう)症の進行からストレスがたまっていた。家族の介護への無関心も、孤立感を深めさせていた。
「過大なストレスのはけ口は母親しかなかったんでしょう」(ケアマネジャー)。ある時、弾みで手が出ると、それから恒常的に暴力を振るうようになった。ケアマネジャーがかかわるようになってからも、母親は身体の痛みを訴えた。虐待は止まらなかった。
母親を施設に入所させることを勧めると、娘は「もう面倒をみられません」と心情を吐露した。介護疲れは限界を超えていた。
「虐待する側にも理由がある場合があり、ただ責めるだけでは駄目ですね」とはケアマネジャー。事態が深刻になる前にだれかが介護者をねぎらったり、負担を軽くする支援も必要と訴える。施設でも
「そりゃ施設でもありますよ」。特別養護老人ホームに勤める若手職員は、重い口を開いた。
例に挙げたのは、同じ施設の男性職員のことだ。「彼が夜勤に入るたび、あるおばあちゃんがけがしてたんです」。だが施設入所者は、高齢であることに加え認知症の場合も多く、けがをしやすい。しかも重度の認知症なら虐待されたとしても忘れてしまい、他の職員に訴えることもない。「だから現行犯でないと発覚しにくいんですよ」。
たまたま殴る場面を目撃した職員がいて、男性職員は担当を外された。
この例は氷山の一角に過ぎない。「他にもいましたよ。外では介護のすばらしさを説いてるけど、しょっちゅう入所者をたたく職員が。本人は虐待とは思ってなかったんでしょうね」。
ただ「気持ちが分からないでもない」とも。例えば夜中に一分おきに入所者に呼び出され、「枕を一ミリ動かして」「左手を布団に戻して」などと言いつけられ、何十回も繰り返される。いきなり殴りつけてくることもあれば、手でこねた便を投げつけられたりもする。「反撃するわけにいかないから我慢しますが、相当なストレスです」。介護のプロも、危うい状況は同じだ。複雑な思い
つい殴った、外へ放り出した、「死ね」とののしった―。「介護してたら皆、虐待の経験はありますよ」と認知症老人を抱える家族の会「夕映えの会」の藤田浩子世話人代表は、介護側の気持ちを代弁する。
児童虐待と異なるのは、嫁姑(しゅうとめ)問題に代表される過去のしがらみが影響し得る点だ。「何で私が世話しないといけないの、(嫌な思いをした)過去を消してよって思いますよ」。
外見で虐待と判断される点にも戸惑いを隠さない。例えば風呂に一週間入れないと「虐待」とされる。「でも認知症の人は入りたがらない。服を脱がされるのを極端に嫌がるんです。家族だなんて意識はなくなっているから、他人にされる感覚なんでしょうね」。自身の経験からそう語る。
「虐待した方だって嫌な気持ちになるんですよ」。自分の汚い部分を見せつけられたような気になるという。しかしそんな状況に陥っても、介護する側の避難所はない。
同会は「孤立を防ぎ、ガス抜きするだけでも楽になれる」と、二十四時間態勢の電話相談を行っている。行政が担うべきだと訴えてきたが、いまだに動きはない。(2005年1月30日四国新聞掲載)記事より抜粋
生々しい事例が並んでいますが、あるケアマネジャーは「介護放棄も含め、担当する高齢者の三、四割が虐待されている」と“業界の常識”を明かしていますが、関係機関の相談や対応件数はそれとは程遠い少なさです。
潜在している虐待を認知し、対応する仕組みを早急に整備しなければならないわけです。
●介護者が嫁や娘だった場合4人のうち3人まで、介護者が息子の場合で7割もの人が、虐待行為を行った経験を持つという驚くべき結果〜田中荘司氏のインタビューより
元厚生省老人福祉課専門官で現在「日本高齢者虐待防止学会理事長」の職にある田中荘司氏が、日本で初めて高齢者虐待問題に取り組まれた方ですが、東京都人材啓発センターのホームページにて、高齢者虐待防止の日本の現状と課題について語っています。
特集2 高齢者虐待問題のパイオニアが語る日本の現状と今後の課題
http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/jyoho15_tokushu2.htm
そこで田中荘司氏は日本で初めての実態調査を行ったときの驚くべき結果をこう話しています。
高齢者虐待の110番「ヘルプライン」をスタートさせる
まずは平成4年、研究者や福祉関係者を集めて「高齢者処遇研究会」を設立し、日本で初めて高齢者虐待の実態調査を行いました。ここで得られたアンケートの結果をもとに虐待の事例を分析したところ、おもな介護者が嫁や娘だった場合、なんと4人のうち3人までもが、なんらかのかたちで虐待経験があることがわかったんです。さらに介護者が息子の場合でも、そのうち7割もの人が虐待行為を行った経験を持つという驚くべき結果が出てきました。虐待行為のおもな要因は、介護にともなう介護者の心身疲労や以前からの人間関係不和ですが、それ以外にも家庭経済の崩壊、アルコール依存や精神障害などによる虐待など、広い意味での家族問題や医療問題が背景に潜んでいたということが明らかになりました。
そこで、私たちができる範囲で直接社会に働きかける手段として、平成8年3月に「高齢者虐待防止センター」を設置し、週に1回ではありますが無料で電話相談(ヘルプライン)を開始したのです。相談への対応としては氏名や住所などは聞かず、匿名対応が原則です。そして虐待を受けている高齢者自身がどうしたいのかということを前提に、可能な選択肢を提示するというような形をとっています。ケースによっては、地域の在宅介護支援センターを紹介するといったこともありますが、相談という行為自体が「ベンチレーション(換気・ガス抜き)」の意味合いがあるため、「初めて虐待について話すことができた」と喜ばれている高齢者の方も多いようです。
平成4年の研究者や福祉関係者を集めての「高齢者処遇研究会」における実態調査を分析した結果、「おもな介護者が嫁や娘だった場合、なんと4人のうち3人までもが、なんらかのかたちで虐待経験があることがわかったんです。さらに介護者が息子の場合でも、そのうち7割もの人が虐待行為を行った経験を持つという驚くべき結果が出てきました。」というのです。
また平成13年度の調査における事例を3例示しています。
今回の調査に寄せられた手記・電話相談から
〜虐待の温床となる介護の日常〜事例1 嫁(介護者)からの手紙
義母は90歳代後半で、要介護度は1。介護保険でホームヘルプ、訪問看護、デイサービスなどを利用しています。介護に対する夫や、親族の無責任・無関心を心底腹立たしく思っていますが、もしこの怒りを義母に転嫁すれば自分が虐待者になってしまうかもしれないと感じることがあります。いまでは、介護を成功に導くための鍵となるのは、介護者に対する親族の態度ではないかと考えるようになりました。とにかく一言でもいいから「ありがとう」や「何かすることはありますか?」という言葉をかけてほしいものです。実の息子たちが大事にしない母を、嫁が大事にすることは難しいと思います。考 察
息子の妻からの手紙です。義母を在宅介護するなかで、虐待のリスクを感じるのはどんな時なのかという内容です。この文面からは、別居している実子たちが介護に無関心でねぎらいの言葉もないことに対して、どれほど苛立たしく思っているのかが伝わってきます。1993年と1997年に実施した家庭内虐待に関する調査からも、虐待の二大要因となっている「介護疲れやストレス」と「以前からの人間関係不和」のほかに「家族の理解や協力がない」ことも大きな要因となっていることがわかっています。事例 2 実母を施設に預けている娘からの手紙
実母は意識もしっかりしており、病気もない状態です。それでも筋肉が弱いために寝返りをうてない体なので、2年ほど前にケアセンターへ預けるようになりました。ところが1年くらい前から、夜勤にあたる男性ヘルパーがどうやら実母の頭へ枕を投げつけるようになったようなんです。最近ではさらにエスカレートして、鼻をつまんだり顔に唾を吐きかけたり、時には胸を触ったりするらしいのです。娘としては身を切られるような思いですが、こういう件についてはどこへ話を持っていったらよいのでしょう考 察
実母が施設で虐待されているが、どのように対応したらよいのかという内容です。この訴えが事実であれば、心理的・身体的・性的内容を含む施設内虐待であるといえます。私たちはこの施設内虐待についても調査を実施したのですが、施設職員による虐待があったという回答は実に17.6%にものぼりました。それでも、みずからの施設において虐待があったと認めているところはまだ良心的なほうで、実際にはもっと多くの虐待が発生していることが推測されます。相談者の質問に対しては「まずは、施設内のほかの職員に働きかけてみる。それでも対応が不充分な場合は、外部の相談窓口へ行ってみる」という趣旨で回答しました。事例 3 ヘルパーからの電話相談
同居している息子が母親の介護をしているのですが、そばで聞いていると言葉の暴力がひどいのです。また、辱そう(床ずれ)がひどくなってきたため手に負えなくなったと感じた息子は、ようやくケアマネージャーに依頼することを決めました。私は1日2回、オムツ交換と辱そうの手当てをしているのですが、その間ずっとオムツが替えられていなかったり、あるいは息子が母親に平手打ちしているところを目撃したりもしました。ケアマネージャーに訴えても「それは虐待といえない」といって取り合ってくれません。どうしたらよいのでしょうか。考 察
この場合のケアマネージャーは、相談者であるヘルパーとは異なる会社の人のようです。したがって、意思の疎通が欠けているものと思われます。ケアマネージャーや訪問看護師は、身体的虐待だけをいわゆる「虐待」と見るような傾向があるため、ひどい辱そうができるほどのネグレクト(保護の怠慢・拒否)や言葉による心理的虐待に対する意識が薄いようです。早急に介護側の意見を一致させるとともに、息子へ母親の入院・入所をすすめてみることが必要でしょう。
どうでしょうか、氏の調査の結果、介護者が嫁や娘だった場合4人のうち3人まで、介護者が息子の場合で7割もの人が、虐待行為を行った経験を持つという驚くべき結果が示されたわけですが、上記事例を見れば高齢者虐待は家庭内だけでなく施設内にもかなり常態化していると考えたほうがよいようです。
考察にて「私たちはこの施設内虐待についても調査を実施したのですが、施設職員による虐待があったという回答は実に17.6%にものぼりました。それでも、みずからの施設において虐待があったと認めているところはまだ良心的なほうで、実際にはもっと多くの虐待が発生していることが推測されます。」と発言されています。
●団塊の世代に告ぐ。このままではあなた方は「姥捨て」られる?〜介護放棄死は本当に極端な例なのか?
欧米に比べて高齢者虐待への日本の取り組みは遅く、時系列で比較できるほどのデータがないのは事実です。
この高齢者虐待問題は、介護サービスが家庭内に入るようになって顕在化したのは間違いないですし、それに増減は定義にもよるわけです。
高齢化が急速に進む中で、高齢者をストレスのはけ口にしたり介護を放棄したりする「高齢者虐待」がクローズアップされています。
私の参加している自治体においても、ケアマネジャー(介護支援専門員)に対して行ったアンケートでも、相当数の虐待が起きていることが裏付けられています。
虐待の背景には介護疲れや認識不足などさまざまな理由がありますが、私たちの社会を築き上げてきた先達の誇りを奪う行為は、決して許されることではないわけです。
ただ、虐待をする側はもちろん、される側も「家族の恥」と考えるため、表面化はしにくいのです。
対策が遅れる香川県では、あるケアマネジャーは「介護放棄も含め、担当する高齢者の三、四割が虐待されている」と“業界の常識”を明かしていますが、関係機関の相談や対応件数はそれとは程遠いのだそうです。
日本高齢者虐待防止学会理事長・田中荘司氏の調査の結果、介護者が嫁や娘だった場合4人のうち3人まで、介護者が息子の場合で7割もの人が、虐待行為を行った経験を持つという驚くべき結果が示され、考察にて「私たちはこの施設内虐待についても調査を実施したのですが、施設職員による虐待があったという回答は実に17.6%にものぼりました。それでも、みずからの施設において虐待があったと認めているところはまだ良心的なほうで、実際にはもっと多くの虐待が発生していることが推測されます。」と発言されています。
これらの発言を持ってしても、正しく科学的に正統な統計的数字として扱えるかというとサンプル数や調査方法に限界があることは氏も認めているところです。
その正確な実態調査は各地方自治体に委ねられているのであります。
今こそ潜在している虐待を認知し、対応する仕組みを早急に整備しなければなりません。
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しかし、読売社説が使用した2003年度に厚生労働省が行った家庭内の高齢者虐待の全国調査による虐待総数1990人はいかにも実態にそぐわない少なすぎる数字だと言えましょう。
読売社説がいうとおり「介護放棄死は本当に極端な例」なのでしょうか?
これから10年先、現在60歳前後の団塊の世代が続々高齢者になっていくわけですが、この人類史上かつてない勢いで少子高齢化社会を迎えようとしている日本の老人介護の体制は、行政・自治体・民間そして何よりも介護されるべきあるいは介護するべき我々一人一人の国民の意識に十分な準備はできていると言えるのでしょうか。
この先10年、団塊世代が一斉に高齢者となったとき、はたして日本はそして日本人は健全な老人介護制度を確立できているのでしょうか。
老人介護の問題は地味ではありますが、基本的にはその物的人的負担の大半に公費が費やされねばならない点、制度の充実が図られたとしてもここに検証したように人々の心を啓蒙していかなければ介護放棄など看過できない社会問題に発展してしまう点など、世代を越えて国民全員で取り組むべき問題なのであります。
・・・
団塊の世代に告げましょう。
このままではあなた方の何割かは「姥捨て」られる可能性があります。
言葉は悪いですが身内による介護放棄など現代の「姥捨て」でありましょう。
あなた方が高齢者となる10年後には間違いなく現在よりも介護対象の高齢者総数はあなた方が加わる分増加し、逆に介護を支えるべき世代はあなた方がいない分激減するはずです。
なにも策を講じなければ、そのしわ寄せは家庭内介護・施設内介護ともに顕著にあらわれることでしょう。
・・・
現代「樽山節考」(?)の始まりだけは、阻止しなければなりません。
世代を越えて国民全員で取り組むべき問題なのでありましょう。
(木走まさみず)