木走日記

場末の時事評論

「地域エゴ」VS「国家エゴ」〜岩国市住民投票に関する一考察

●墓地拡張反対運動に見る地域エゴ

 今日のマクラ話は私が住んでいる地域での最近のできごとです。

 住宅地にある、あるお寺が近隣の遊休地を買収して墓地として拡張しようと計画したところ、近隣の住民から、とんでもない話であると反対の声が上がり、それが組織化され反対運動として発展し、「墓地拡張反対」ののぼりを掲げたり、反対の住民署名運動まで始まり大騒ぎになっているそうです。

 反対派の理由はもちろんいろいろあるのでしょうが、つまるところ「自分の住んでいる家がお墓の前になったらイヤだ」につきるのでしょう。

 どうせなら「郊外の山の中にでも霊園つくりゃいいだろう」ってわけです。

 不肖・木走の住む地域はこの騒動に隣接していないので署名運動とかには参加しませんでしたが、この騒動、まあ、収入を増やしたいお寺のエゴと周辺住民の地域エゴのぶつかり合いなのでありまして、失礼ながら当事者以外はほぼ無関心なのであります。

 まあお寺の言い分としては「合法的に墓地を拡張することのどこがいけない」ということであり、周辺住民の言い分としては「まだ住宅ローンも残っているのに地域イメージが悪くなるような(お墓のまんまえの家なんか地価に影響する?)ことしてくれるな」ということなんでしょう。

 古くからの墓地が周辺住民から嫌悪の対象になっていた話は聞いたことがありませんが、その理由は、そもそもこのあたりが住宅地になったのはここ数十年のことで昔は住宅地でなかったわけだし。ここ数十年で移り住んできた周りの住民としては、最初からそばに墓地があることを納得した上でその土地に住み着いたわけだから、当然お寺も墓地も折り込み済みだったのでしょうね。

 で、今回の場合「墓地」のほうが後からやってくる点が、住民が反対する最大の理由なのでしょうね。

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 第三者からみれば周辺住民の主張は「地域エゴ」そのものでありますが、私たちが理解すべきなのは、他人事としてではなく自分に置き換えてみて自分ならどう振る舞うかって視点で評論すべきであろうことですね。

 まあ、私も当事者になったら、「地域エゴ」と言われるのはわかっていても反対の署名をするかも知れませんですね。

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 しかし、墓地などの公共の利益にあまり関係しない施設ならばまだしも、やっかいなのはごみ焼却場などの公共施設に対する反対運動なのであります。

 ごみ焼却場や火葬場、原発など、周辺住民に嫌われる公共施設に対する反対運動は各地で展開されているのですが、「地域の利益」と「公共・国の利益」が激しくぶつかるこの嫌悪施設問題なのであります。

 今日は、そんな「地域エゴ」と「国益」が激しくぶつかる米軍基地再編問題を取り上げて考察してみましょう。



山口県岩国市住民投票の結果を一斉に論説する各紙社説

 日曜日に、山口県岩国市の住民投票で、在日米軍再編に伴う米空母艦載機移駐計画に「反対」とする票が多数を占めました。

 ここ一両日の各紙社説は一斉にこの投票結果についての論説を掲載いたしました。

【朝日社説】岩国住民投票 地元無視のツケだ
http://www.asahi.com/paper/editorial20060314.html
【読売社説】[岩国住民投票]「それでも在日米軍再編は必要だ」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060312ig90.htm
【毎日社説】岩国住民投票 「民意」の中身を吟味したい
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060314k0000m070144000c.html
【産経社説】岩国住民投票 国の安全はどうするのか
http://www.sankei.co.jp/news/060314/morning/editoria.htm
【日経社説】在日米軍基地の再編実現に説得尽くせ
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20060313MS3M1300213032006.html

 例によって各紙社説の結語を読み比べてみましょう。

【朝日社説】岩国住民投票 地元無視のツケだ
 最終報告の期日を守らなければ、日米同盟の信頼性が揺らぐ。それが政府の言い分だ。米側からは、地元の説得にいつまでかかっているんだと言わんばかりのいらだちも聞こえてくる。
 しかし、民意に支えられない同盟の基盤はもろい。強行突破は、かえって日米関係を傷つけることになる。

【読売社説】[岩国住民投票]「それでも在日米軍再編は必要だ」
 政府と地元自治体は、住民の利益に十分配慮しつつ、しっかりと国益を守るよう、誠実に協議することが大事だ。

 沖縄の米海兵隊普天間飛行場移設問題など、地元との調整でなお難題は少なくない。日本側の事情で再編計画が遅れては、日米の信頼関係が損なわれる。政府は、月内を目標とする日米最終合意に向け、全力を挙げなければならない。

【毎日社説】岩国住民投票 「民意」の中身を吟味したい
 今回の住民投票は、岩国市民のさまざまな思いが詰まった「民意」である。そこには同時に国民の多くが在日米軍の再編に対して抱いている疑問や懸念が含まれていると言えないだろうか。

 消化不良のまま日米協議が進むことに国民の間に不安がある。日米の連携強化で日本の安全が強固になる一方で、歯止めはどうなるのかと危惧(きぐ)する声もある。

 在日米軍の再編には、多くの国民の支持と理解が必要だ。その意味でも政府は今回の岩国市の住民投票を十分吟味すべきだ。

【産経社説】岩国住民投票 国の安全はどうするのか
 しかも岩国市は二十日に周辺七町村と合併し、現在の市の住民投票条例は失効する。住民投票を自ら発議した井原勝介市長も十九日で失職する。四月の新市長選で改めて移駐の是非が問われる。井原市長は十二日の記者会見で「国防政策は国の責任で、(地元が)左右する権限はない」と語った。移駐案は条例で定めた住民投票の対象外と認めたのなら、今回の住民投票は一体、何だったのか。

 平成九年に名護市で普天間飛行場移設をめぐる住民投票が行われたが、さらなる混乱を招いた。移設問題は今もなお実現のめどがついていない。

 国全体の公益を踏まえながら、地域の果たす責務を考えるという分権のあるべき姿を忘れてはなるまい。

【日経社説】在日米軍基地の再編実現に説得尽くせ
 自治体の反発が予想され、政府・与党内の合意形成も簡単ではないこの構想は説得作業を尽くしても合意点に到達できない場合の選択肢だろう。それ以前に政府・与党がなしうる手段がある。自民党公明党議員は地元の利害だけでなく広い視野に立った選挙民に対する行動が求められる。民主党も日米同盟を重視する立場をとるとすれば同様である。

 小泉純一郎首相、そしてポスト小泉に名前が挙がっている人たちは沖縄や岩国に足を運ぶ必要がある。安全保障問題の最終的な責任は政府にあるからだ。

 各社説の主張をざくっとカテゴライズしちゃえば、朝日社説が住民意思尊重の対話重視派、読売社説と産経社説が国益優先派、毎日社説は中立的な対話重視派、日経社説が国益優先の対話重視派といったところでしょうか。

 例によってほぼ期待通り(苦笑)の主張を展開する各紙社説でありますが、論点を整理するために各紙社説の主張の核心を押さえておきましょう。

 住民との対話重視の主張などは、はっきりいってメディアの読者に媚びを売るポーズに過ぎない偽善論説であって、その善し悪しはまったく議論しても意味がないので、ここではバッサリ割愛してみます。(そもそも対話軽視の主張などないのですしね(苦笑))

 で、議論の核心をズバリ「地域」優先か、「国益」優先かに絞ってみます。

 どちらかと言えば地域住民の側に立つ意見としては、朝日社説の次の論説部分に代表されるのでしょう。

 日米同盟が重要だという点では、多くの国民に異論はあるまい。だが、もろ手をあげて基地を引き受ける自治体はない。そうだとすれば、ていねいな説明や説得こそ欠かせない。そうした肝心なことを怠って、頭ごなしに進めてきたツケが回ってきている。

 まあ、「地域」優先というよりは「地域との対話」優先ですか。

 国益優先の意見としては産経社説の次の部分でしょうか。

 そもそも国民の平和と安全を守るという国家の最大の責務に属する日本の安全保障の問題を、一地域の住民投票にかけること自体が適切ではない。住民投票市町村合併など自治体で自己完結するテーマに限るべきだ。

 一地域の住民が国家の安全保障の問題を投票するのはおかしい、ということですね。



●「国家エゴ」と「地域エゴ」の衝突ならば、残念ながら「地域エゴ」に勝利はない

 現在の日本は議会制民主主義の国であり、言うまでもなく多数決の論理により多数意見が政策に反映される仕組みになっているわけです。

 その点で少数意見は軽視されがちであるのは万人の認める民主主義の欠点でもあるわけです。

 多数意見が必ずしも正しいわけでもなく、またポピュリズムの弊害を指摘する評論もよく見聞きするわけですが、上記の産経社説のように、少数意見を押さえ多数意見を支持するときの主として保守派の論説のひとつの根拠が「国益」にかなうということであります。

 この「国益」という概念は、おそらく古典的功利主義に根ざす「最大多数の最大幸福」という概念を「国」「国民」という範囲でとらえたものなのでしょう。

 功利主義の主唱者はベンサムJeremy Bentham:1748〜1832)で、「道徳および立法の原理の序論」を書き、幸福は量的に測定可能だとし、人生の最大の目的は「最大多数の最大幸福」にあるとしました。

 「一人でも多くの人の少しでも多くの利益(幸福)を目指す」ことを提唱する功利主義的政策は、今日広く世界の民主主義国家で認められている政府・国家の役割のひとつとされています。

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 まあ「国益」というのは、国家単位での利益優先、その意味では「国家エゴ」と呼べるものなのでしょう。

 そして、この功利主義の最大の問題は、幸福(利益)の配分の不公平という点にあることも有名な話ではあります。

 「みんなの利益は特定個人の利益よりも優先されるべき」だからです。

 まあ、現在の民主主義などと言うモノは、決して「自由」でも「平等」でもない未完成の政治システムであることのひとつの証左ではあるのですが、ときにしばしば、「国益」の名のもとに、多数派の利益のために少数派の意見が無視されることは、別に日本だけでなく各国の政策でほぼ共通してみられる現象だったりもしてるわけです。

 功利主義的な側面を持つ議会制民主主義国家において、政府が「国益」を優先させる政策を行いかつ、特定地域の主張がその国益優先政策とぶつかった場合、少数意見が勝てる見込みはほとんどありません。

 つまり、「国家エゴ」と「地域エゴ」の衝突ならば、残念ながら少数派の「地域エゴ」に勝利はないのです。



●「地域エゴ」的基地反対運動では、国民への求心力を持つことはない

 岩国をはじめとした日本の基地反対運動が多くの国民から「地域エゴ」と捉えられ、国民の支持を得られていない具体的な事由について考察してみましょう。

 日本各地の反対運動はバラバラです。

 先頃、沖縄では普天間基地の代替地として、日米両政府は、名護市辺野古に建設することで合意しました。沖縄県民の多数の声が完全に無視されたわけです。

 そして今、岩国でも、厚木基地の機能移転が、これまた関係自治体の反対を無視して強行されるわけです。

 沖縄との違いは、反対の声を上げているのが直接被害を受ける山口、広島両県の関係自治体に限られ、県を挙げての動きはまったくないことです。

 このほか、米軍再編計画の対象とされる地域でも、沖縄、岩国におけるのと同じような反対運動が行われていますが、反対運動の広がりは狭い範囲でしか起こっていないのが現状です。

 このように各地の反対運動が互いに切り離され、バラバラな形でしか行われていないという現状は、まさに多数の傍観者から見れば「地域エゴ」にしか映らないわけです。

 それは、国民の多数派が「日米安保は日本を外敵から守るためのもので、それが故に必要」とする従来からの安保肯定論の認識を有していて、したがって、米軍の日本駐留は必要、日本が在日米軍に基地を提供するのもやむを得ないという総論的判断に傾いているからだと思います。

 このような「総論賛成」が前提となりそれが「国益」とみなされると、「しかし、自分の住んでいるところに基地機能が移転したり、機能強化が持ちこまれたりすることには反対」という主張に対しては、「地域エゴ」という烙印が簡単に押されてしまうのは自明でしょう。

 結果として、基地問題に悩まされない幸運な立場にある日本のほかの地域も、各地の反対運動に無関心を決め込むことになるわけです。

 バラバラな形で進める「地域エゴ」的基地反対運動は、国民への求心力を持つことはないでしょう。

 「地域エゴ」VS「国家エゴ」の構図を脱却しない限り、基地反対運動は「国益」の前に勝ち目はないのではないでしょうか。



(木走まさみず)