産経にプーチンの爪のあかでも飲めとなじられたバルカン政治家古賀誠氏
今日(16日)の産経新聞のコラム産経妙から・・・
ロシアの古都・サンクトペテルブルクはモスクワから七百キロ近く離れている。東京−広島間にあたるこの地で挙行されたトヨタ自動車の工場起工式に多忙なプーチン大統領が飛んできた。
▼いやあ、さすがはトヨタ、これで日露友好も促進される、ともろ手をあげたいところだがちょっと気になる故事をご紹介したい。かの地の要人から、かつて最大級の厚遇を受けた日本人をご存じだろうか。
▼松岡洋右外相のことだ。昭和十六年四月、日ソ中立条約の締結を終えた外相をスターリンが駅頭で見送ったが、これは前例のないことだった。「ヨーロッパの問題は日本とソビエトが協力すれば自然に解決できる」と、スターリンは誰にも聞こえるくらい大きな声で松岡外相に言った(ヘンリー・キッシンジャー著「外交」より)。
▼条約締結で日本が対米開戦に踏み切ると確信したソ連は、二正面作戦を回避し、対独戦に勝利することになる。だからといって、彼が日本に恩義を感じたわけではない。四年後には対日参戦し、北方領土を強奪。多数の将兵をシベリアに抑留した。松岡外相は戦後、A級戦犯として起訴されている。
▼大統領出張のウラに、北方領土という最大の懸案を棚上げし、日本企業から多額の投資を呼び込む突破口にしようとする意図があったのでは、と考えるのは悪意に過ぎるだろうか。「友人」森喜朗元首相に訪日時期を知らせて花を持たせる外交術もしたたかだ。
▼それにひきかえ、日本には国益に無頓着で歴史に無知な政治家が多すぎる。「(中国に)何回わびても限界があるとは思わない」と口走った羽田孜元首相。遺族会の総意とは違う「個人的見解」を示した古賀誠元幹事長…。プーチン大統領の爪のあかでも飲ませたい。
平成17(2005)年6月16日[木] 産経新聞 産経妙
http://www.sankei.co.jp/news/column.htm
「プーチン大統領の爪のあかでも飲ませたい。」という結語には、申し訳ないですが苦笑せざるを得ないのですが、まあ、遺族会の総意とは違う「個人的見解」を示した古賀誠元幹事長の節操の無さには、どちらかと言えば靖国参拝慎重派である木走としても呆れて開いた口が塞がらないのであります。
産経新聞の古賀誠元幹事長に対する怒りは相当のようで昨日の社説から・・・
小泉純一郎首相の靖国神社参拝に関して、日本遺族会が十一日まとめた「近隣諸国への配慮が必要」とする見解を一体どう受け取ればよいのだろう。
遺族会の総意なのか、それとも会長を務める自民党の古賀誠元幹事長の個人的な考えなのか。このままでは、この見解が世界を駆け巡り、首相に靖国参拝をさせないという国際的圧力に転化しかねない。
見解は、「首相参拝は遺族会の悲願」としたうえで、「英霊が静かに休まることが大事だ。近隣諸国に配慮し、理解してもらうことが必要だ」としている。同時に、靖国神社に合祀(ごうし)されている「A級戦犯」分祀(ぶんし)に「政治は介入すべきでない」とし、靖国神社に代わる追悼施設の建設には引き続き反対する−を打ち出している。
これでは何を言おうとしているのか、さっぱりわからない。
古賀氏は二日の派閥総会で「立場のある人の発言には近隣諸国への気配り、思いやりが必要だ」と述べ、遺族会でもこの自説を繰り返した。
これは首相に参拝断念を求めたと受け取られるが、こうした趣旨の発言は「総理・閣僚の靖国神社参拝の継続定着の推進」を訴える遺族会の平成十七年度活動方針、事業計画と大きくかけ離れていよう。これに対し、古賀氏側は「発言は個人的な考え」と釈明し、遺族会も十四日になって「会の正式見解ではない」とした。だが、すでに遺族会見解として独り歩きしている。
十三日付英紙「フィナンシャル・タイムズ」(アジア版)は一面で「遺族会は小泉首相参拝に反対」を載せ、中国紙も「最も強固な首相の靖国神社参拝支持層が動揺し始めている」(環球時報)としている。国内の分断を喜んでいるのはどこの国であろうか。
小泉首相は十三日、遺族会の見解に対し、「どのように戦没者を追悼するかは日本人自身が考えることだ。人から言われたから参拝しているのではない」と述べた。妥当な発言である。
インドネシアのユドヨノ大統領は今月初めに来日した際、「国のために戦った兵士に参拝するのは当然のことだ」と語っている。これが世界の常識だろう。「近隣諸国への配慮」とはなにかを含め、古賀氏はさらに説明責任を果たしてほしい。
平成17(2005)年6月15日[水] 産経新聞 主張
http://www.sankei.co.jp/news/050615/morning/editoria.htm
どうなんでしょう、「立場のある人の発言には近隣諸国への気配り、思いやりが必要だ」という古賀発言自体はまあ一般論でもありそれほど産経が目くじら立てるほどの内容とは思えないのですが、古賀さんは、自身が日本遺族会会長という立場であることをすっかり忘れてしまっているのでしょうか。
「立場のある人の発言には近隣諸国への気配り、思いやりが必要だ」というならば、そのまま「(遺族会会長)という立場のある人の発言には近隣諸国への気配り、思いやりよりも遺族会への気配り、思いやりが必要」なのは自明のことでしょう。
●どう考えても過去のスタンスとつじつまが合わない今回の古賀発言
古賀さんのホームページを拝見しましたが、平成5年9月から、 靖国神社総代(日本遺族会代表)の大役をされており、平成14年2月から 財団法人日本遺族会会長職に就かれているわけです。
衆議院議員 古賀誠 ホームページ
プロフィール
http://www.kogamakoto.gr.jp/
なかなか苦労されて政治家になられた方のようであり、小泉さんや阿部さんなど2世議員、3世議員だらけの日本の政治家の中では珍しい、ご本人曰く「地盤、看板、鞄のいずれも持たない徒手空拳の若輩の身」から、政治の場に身を投じられたようです。
御 挨 拶
衆議院議員 古賀 誠
ただいま、院議をもちまして在職二十五年の表彰を賜りました。国政に携わるものとして身に余る光栄であり、感激の極みであります。
この栄誉に浴することが出来すのも、今日に日に至るまでご厚誼、ご支援を戴きました故郷の皆様をはじめ先輩や同僚、友人ほか、多くの皆様方のご指導とご鞭撻の賜物と心より御礼を申し上げます。
国会議員二十五年を迎えるにあたり、これまでの人生を振り返りますとき、脳裏を過ぎって参ります数々の場面の第一は、幼い折におぼろげな形ではありますが、初めて政治家へ志向を意識いたしました時のことです。先の大戦で南方に於いて夫を亡くし戦争未亡人となった母が暗い裸電球の下の卓袱台(ちゃぶだい)に広げた政治家への陳情の書類に記名している寂しげなうしろすがたであります。
もとより、地盤、看板、鞄のいずれも持たない徒手空拳の若輩の身で、政治の場に身を投じ、郷土の皆様の支持を得て今日までの四半世紀永きにわたり政治の道を歩き続けることが出来ますのは、この母のすがたを持ち続けることが出来た事にあると思います。 在職二十五年を迎えるに当り、国会を栄光の座としてとらえるとともに、職業としての政治家の大きな責任を常に感じておかねばなりません。
我が国は戦後六十年を迎えました。先の大戦の大きな犠牲の上に戦争におろかさをくり返すことなく平和な国家を構築できました。二十一世紀も平和で人の心の豊かさ、日本の文化、伝統、歴史に根付いた更なる品格のある国家を次の世代に残していかねばなりません。
今、国民に閉塞感、将来への不安が充満しております。今まで促進剤であったものが障害要因になり、安全であったものが本当に不安なものとなっております。つまり大きな壁が現在、我々の前に国内外に立ちはだかっております。これらの壁を打ち破ることが、先決でございます。国家と国民の運命をになう政治家のとるべき態度は、国民に夢を売るのではなく、現実を直視してともに痛みを分かちあって未来への足固めをすることを説くことであります。
一度限りの人生を政治に身を投じた一人として、残された政治活動になお一層の努力を重ねて参りますことをお誓い申し上げお礼の言葉と致します。
平成十七年四月十四日衆議院議員 古賀誠 ホームページ
ごあいさつ
http://www.kogamakoto.gr.jp/index.html
「幼い折におぼろげな形ではありますが、初めて政治家へ志向を意識いたしました時のことです。先の大戦で南方に於いて夫を亡くし戦争未亡人となった母が暗い裸電球の下の卓袱台(ちゃぶだい)に広げた政治家への陳情の書類に記名している寂しげなうしろすがたであります。」
うーん、読んでいる私達にも情景が浮かぶような古賀さんのご母堂の想い出話なのですが、11才の時に政治家になろうと決めたそうですが、たいしたものでありますね。
しかしながら、今回の発言は日本遺族会会長としても一政治家古賀誠としても、いかに個人的見解と弁護しても、いかにも軽率でありご自身の過去のスタンスとも、大きく乖離しているとの批判は免れないでしょう。
機を見て敏なるは読売新聞も古賀先生も同列なのでしょうか。
(木走まさみず)
<関連テキスト>
●靖国参拝反対に寝返ったバルカン読売新聞
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050609/1118284608