中国反日デモ〜中国の歴史教育について考察してみる
今日は、中国の歴史教育について少し視点を変えて考察してみたいと思います。
●「歴史教育の大半は真実」と語るデモ参加学生たち
今日の産経新聞から・・・
中国の大学生「反日デモ」どう見た
「破壊行為は国に泥塗った」/「歴史教育の大半は真実」【北京=野口東秀】日中関係を揺るがした北京、上海などでの反日デモだが、デモの主体とされた中国の大学生はデモをどうみていたのか。1919年5月4日の反日愛国運動「五四運動」でも中心的な役割を果たした北京大学(北京市海淀区)で、対日関係を研究中の男子大学院生A氏(26)と、経済専攻の女子学生Bさん(20)に匿名を条件に語ってもらった。このうち1人は、実際のデモに参加した。
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A氏=北京大学大学院生(国際関係)、男性、26歳Bさん=同大学部生(経済専攻)、女性、20歳
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−−中国の公式マスコミは反日デモを報じない。暴徒化したのを知っているかA氏「学校ではCNNも視聴できる。デモ当日(9日)には大学側からデモに行くなと通達があり厳しい管理があった」
Bさん「上海では大規模でいくつかの日本料理店などが襲われたことを2、3日後に知った」
−−破壊行為をどうみるか
Bさん「デモは中国人の主張であり、行動は正しいと思う。でも大使館に投石しようとは思わない。破壊行為には反対。破壊行為で中日関係が変わるわけではない。国際社会も当局がコントロールすべきだと考えている。中国は中日関係を処理するうえで極端な方式を取る国と思われたでしょうね。中国人のイメージも落ちた」
A氏「大使館で破壊行為をやりかねない雰囲気を感じて、デモから脱落した人も多い。デモ隊の多くは教育水準の高い層で失業者や不良分子は少なかった。破壊行為は恥ずかしく国のメンツに泥を塗った。大部分の学生は理性的にみており、不買運動も実質的意義はない。しかし日本はメッセージを謙虚に受け止めてほしい」
Bさん「愛国主義教育のなかで実施される歴史教育は大半が真実で客観的と思う。日本人を嫌え、日本は良くない国、と教えるものでもない。しかも日本について判断するのは政府でなく自分自身。政府が反日を植えつけているのではないけど、友人の多くはやっぱり反日。それは歴史問題に敏感だからだわ」
A氏「江沢民政権で強まったのは事実だが、愛国教育は教科書問題を境に1983年ごろから始まった。それ以前は友好を強調し、歴史問題を避ける考えが主流を成した。歴史を忘れよう、南京虐殺を忘れよう、という言い方もあった。資料保存にも熱心でなかった。その反動で教科書問題をきっかけに愛国主義教育が強まったのだ」
−−教育はあなたたち自身にどう影響したか
Bさん「侵略の歴史を学んだときは、とても日本が嫌いだった。なぜこんなひどいことをするのかと。でも学校の先生は感情的にならず日本の対中投資や政府開発援助(ODA)も教えていた」
A氏「初等教育と家庭での影響が大きい。ぼくの祖父は旧日本軍と戦った軍人。しかし祖父は国交正常化を喜び、日本人を嫌っていなかった。大佐で退官しており多数の軍人の考えを代表していると思う。戦争は残酷だったが家庭で日本を敵視することはなかった。だけど、学校教育ではなぜ日本はこんなひどいことをするのかという思いで嫌いになったこともある」
−−南京事件での被害者を中国側では「30万人」とするが
Bさん「資料も存在している真実。教科書にも書いてある。日本は国際社会もそう見ていることを考えるべきだ」
A氏「数字は専門じゃないから確定できない。しかし仮に一万人でも虐殺という性質が問題だ」
−−日中関係悪化の原因は
A氏「日本はすでに謝罪してはいるが、同時に挑発的な言動を繰り返す。謝罪したとしても、だから何を言ってもいいのか。関係を改善するというが、日本国内の歴史問題への態度をみると表面的と思えて中国人を怒らせる。激しい反応をみせる韓国には日本は妥協する。そうした態度を見て、中国人は激しく反応すれば日本は妥協すると思うのだ。今年は抗日戦争60周年だが政府の友人によると中国は反日キャンペーンを強めないと決定しており、これが日本への配慮だ。日本はこの機会をとらえるべきだ」
Bさん「同じ考えだ。謝罪してもその後の態度は中国に背を向けるもので、中国人を混乱させる。ドイツに学ぶべきだ」
−−日中首脳会談は
A氏「象徴的にも実質的にも意味がない。日本国内の圧力から会談が実現しただけ。日本側の具体的な行動という意味では疑わしい」
−−ところで、いまの生活ぶりは
A氏「生活費はガールフレンドとの交際費や食事、カラオケなどで月1500元(1元=約13円)。(北方の伝統住宅である)四合院に月600元で間借りしている。収入は日本語の翻訳などで月2500元。車を買う余裕はなくもっぱら自転車が足ですね」
Bさん「学費は年5300元で1部屋4人の寮費は年1020元。生活費は洋服代や食事で月800元。ぜんぶ親に払ってもらう。たまに中学生相手に家庭教師のバイトをするが1時間45元程度で安いのが悩み。実家は地方で両親とも医師。映画が好きでパソコンを使ってDVDソフトをよく見る。金融関係の大企業に就職したい。結婚相手は収入や学歴より感性を大事にしたいなあ」
【2005/05/04 東京朝刊から】
(05/04 08:37) 産経新聞
http://www.sankei.co.jp/news/050504/kok015.htm
当ブログでもシリーズで取り上げた中国の反日デモ問題ですが、根底にあると考えられる中国の歴史教育問題に関して、愛国主義教育が反日を生んでいるのではないかという視点からの興味深いインタビュー記事であります。
●日本の歴史教科書を批判する資格は中国の教科書にあるのか?
外国メディアでもさいさん取り上げていますが、中国の歴史教科書の偏向ぶりは、特に自国共産党政府が侵した戦後60年にわたる侵略や弾圧部分においてほとんど事実が示されていない問題点が指摘されています。
たとえばワシントンポストでは以下のように中国の教科書を批判しています。
For example, according to a report by Howard W. French in the New York Times last December, many textbooks don't mention that anyone died at what the outside world knows as the 1989 massacre of student demonstrators near Tiananmen Square. One 1998 text notes only that "the Central Committee took action in time and restored calm." Anyone who challenges the official fiction is subject to harsh punishment, including beatings, house arrest or imprisonment.
例えば、昨年12月のニューヨーク・タイムズのハワード・W・フレンチのレポートによると、多くの教科書は、外の世界が1989年の天安門広場近辺での学生デモ参加者の大虐殺として知っていることにおいて、だれか死んだとは一切言及していないのです。ある1998年の教科書はただ「共産党中央部は速やかに行動を起こし平穏を回復した」と書かれているだけです。政府公認の作り話に挑戦するだれでもが、むち打ち、軟禁、または投獄を含む厳しい罰を被りやすいのです。
And if the 300,000 victims of the Nanjing Massacre are slighted in some Japanese textbooks, what of the 30 million Chinese who died in famines created by Mao Zedong's lunatic Great Leap Forward between 1958 and 1962? No mention in Chinese texts; didn't happen.
そして、もし南京大虐殺の30万人の犠牲者がいくつかの日本の教科書で侮辱されているとするならば、1958年と1962年の間に毛沢東の狂気の大躍進が起こした飢饉で死んだ3000万人の中国人のことは何なんでしょう? 中国の教科書には一切言及がないのです; 表れなかったのです。
Well, you might say, how a nation treats its internal history is less relevant to its qualifications for the Security Council than whether it teaches its children honestly about its wars with other nations. A dubious proposition, but no matter; as the Times found in its review of textbooks, Chinese children do not learn of their nation's invasion of Tibet (1950) or aggression against Vietnam (1979). And they are taught that Japan was defeated in World War II by Chinese Communist guerrillas; Pearl Harbor, Iwo Jima and Midway don't figure in.
国家がどう国内の歴史を扱うかは、他国との戦争に関して正直に子供に教えるかどうかよりは、安全保障理事会における資格にあまり関連しないと言うかもしれません。怪しい主張ですが、それも問題ないのです; タイムズが教科書の記述の中で確認したとおり、中国の子供達は彼らの国の1950年のチベット侵略も1979年のベトナム侵攻も知らないのです。そして、彼等(中国の子供達)は、日本が第二次世界大戦において、中国の共産党ゲリラによって破られたのだと教えられます; 真珠湾も硫黄島もミッドウェイも登場しません。
●中国反日デモ〜ワシントンポストに対する読売新聞のプチ偏向 より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050420
日本の歴史教科書を指弾する資格はどうも中国の教科書にはないように思われます。
●そもそも偏向していない客観的歴史教科書などは世界に存在しないのではないのか?
私はこの歴史教科書問題を考察する際、心に残っているコメントがあります。それは以前取り上げたBBCの掲示板から抜粋したあるアメリカ人の意見です。
☆No.10
While the manipulation of history is quite regrettable, it is simply a fact of life. History is written by the victors most often, and secular history is written by those within the closed systems. Everything in the world is viewed through perspectives. Humans naturally seek to show their own people, town, religion, or country in the light that they feel makes it the most attractive. I have yet to read a text book that does not manipulate history. It is clear that this attack on the history text books has more to do with political relations than actual concern over history.
Corey Henderson, Bellingham USA
歴史の操作はとても残念なことではありますが、単に現実にあるのです。 歴史は勝者によってたいてい書かれています、とくに世俗史はそのような閉じたシステムの中で書かれています。 それは世界中のあちこちで散見できます。 人間は、とても自然に、自分たちが最も魅力的に見えるように自国民、自分たちの町、自分たちの宗教、また自分たちの国を描きます。 私はまだ歴史を操作しない教科書を読んだことはありません。 歴史教科書への今回の攻撃をうまく処理するためには、歴史に関する実際の調査よりたぶんに多くの政治的関係の構築が必要なのは、明確でしょう。
コーリー・ベリンガムヘンダーソン(米国)
●中国反日デモについて「世界の民の声」をBBCで検証してみる より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20050414
科学的な解釈を中心に整理できる数学や物理学、あるいは言語学的に解釈が一意性を持って整理されている国語などの語学と比べても、歴史学という学問は、どの事実を取り入れるのか、あるいはどの時代を重点的に記述するか、といった点でかなり恣意的にゆがめられやすい性質を持っているようです。また、歴史を教育に取り入れたこと自体、実は最近のことのようです。
●歴史教育とは「虹」を見せること
そもそも歴史教育とは、国家が自分の国の輝かしい歴史を示すものであると一刀両断されている興味深い論説をご紹介しましょう。
月刊誌 WILL六月号は、「毅然たれ日本!」という特集を組んでおりまして、その冒頭で渡部昇一上智大学名誉教授の『中国・韓国は歴史的痴呆症だ』という、過激な題のレポートが掲載されています。
レポート全文は月刊誌WILLを御覧いただくとして、そのレポートの中で渡部氏は、「歴史教育とは虹を見せることである」と主張されています。そこの部分がとても興味深くおもしろいので、そのくだりの部分だけ引用してみます。
なお、文中強調文字は例によって木走が付記したものです。
歴史教育とは「虹」を見せること
中国人や韓国人というのは、日本や日本人のことを考えると瞬間的に痴呆症に陥ってしまうのではないか。ここのところの反日運動の露骨さや過激さを見るにつけ、そう思えてなりません。
中国での大規模な反日デモは、日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りに反対して発生したようですが、あのような国連機構改革といった問題でこれだけの民衆デモが自然発生的に起こることは、まず考えにくい。当局が「焚きつけ」ていることは明々白々でしょう。
中国外務省は、「中国政府として目にしたくないもの」(崔天凱アジア局長)と言いながらも、その後で「中日関係にこのような局面が出現した責任は中国側にない」(秦剛報道官)とテン(りっしんべんに舌)として恥じずに言ってのけました。「侵略という歴史問題に対する日本側の誤った態度に不満を示した自発的行動だ」と述べて、あくまで原因は日本側にあると強調する。
本当にそうなのでしょうか。彼らこそきちんと歴史を学んでいるのかと、声を大にして言いたい。
歴史教育が義務教育に取り入れられたのは、それほど古い話ではなく、概して国民国家が成立した後のことです。さらに言えば、通史というのはそんなに古くからあるものではなかった。面白いことにイギリスでは、哲学者のデイヴィッド・ヒュームが1762年に『英国史』全六卷を書き上げるまで、イギリス通史というものがありませんでした。
日本での通史というと、江戸時代後期の歴史家・頼山陽(らいさんよう)の『日本外史』が有名です。彼はその後に『日本政記』という小著の通史を著した。その本は『日本外史』に比べコンパクトだったので、伊藤博文もイギリスへ密航したときに持参していったくらいです。『日本外史』よりも『日本政記』のほうが維新志士のあいだではよく読まれたようなので、『日本政記』を日本の代表的な通史といってもいいでしょう。
とはいえ、いわゆる一般庶民の「読み書きそろばん」のなかには「歴史教育」というのはもともと入っていません。前述したように、日本も含めて歴史が教育に取り込まれるのは、国民国家成立以後の話で、西洋でいえばウィーン会議の後です。
それ以前にも、例えば「ハプスブルグ家の歴史」のようなものはありましたが、それ自体はオーストリアの歴史全体をあらわしているわけではありません。
義務教育自体は十九世紀後半から方々ではじまりますが、その頃から国民国家という意識を国民に持たせるべく、「歴史」が義務教育に入ってきました。
義務教育における歴史教育に関して、イギリスの言語学者オーウェン・バーフィールドが、歴史を虹にたとえてこんなふうなことを言っています。
「歴史的事実というのは無数にある。それは雨上がりの空に残った無数の水滴のようである。虹は、近づいたからといって見えるものではない。ある角度からある方向に向かわなければならない。そうすれば美しい虹を見ることができる」 それぞれの国が、自分たちの国のいちばんきれいな虹(=歴史)が見えるように教える。虹というものを、国民にたいして一度見せてあげなくてはいけない。その美しい虹をみんなで見ることが、自国の歴史にたいする共同意識をつくることになるわけです。これが義務教育における歴史教育の目的です。
その国の歴史というのは、様々な無数の事件の知識(=水滴)とは関係ありません。見せた後は個々の水滴を研究しても構わない。パーフィールドは、虹と水滴は違うんだということを言っている。
戦前の日本では、国民の共通の虹を見せてくれました。同じように、アメリカも共通の虹を国民にたいして一生懸命見せています。アメリカの歴史というのは、悪意を持ってすれば、たとえばこんなふうにも書けてしまいます。
アメリカ大陸にやって来たのは、ヨーロッパ大陸で食い詰めた連中だった。彼らはインディアンたちがお人好しであるのをいいことに、ウィスキーでたぶらかして彼らの土地を奪い、追い払った。大農場をやるため、ローマ帝国以後はなくなっていた奴隷制を復活し、アフリカで黒人狩りをして労働力を確保した。
メキシコも弱いとみるやケンカを吹っ掛けて、テキサス、ニューメキシコ、カリフォルニアなどを手に入れた。そして太平洋沿岸まで出てみると、遙か彼方にハワイが見えた。やがてその向こうにある日本という国が日清戦争に勝ったので、次にはハワイを奪いに来るんじゃないかと心配して、先回りしてハワイを取ってしまった−というようにも書けるわけです。
しかしそういう見方を、アメリカ国民の共通の虹にしてはいけない。そうではなくて、われわれはピューリタンの精神を持って、新しい土地にやって来た。そして独立宣言を起こし、憲法を制定し、キリストの精神にのっとった国造りをしようと努力した云々、というのがアメリカ国民の共通の虹であるべきでしょう。
共通の虹というのは、個々の歴史的事実とは直接関係はありません。日本人の見る虹と中国人の見る虹とが違うのは当たり前のことで、それなのに同じ虹を見ようとすること自体ナンセンスです。 教科書が違うのも自明のことです。しかも日本では、共通の美しい虹どころか、水滴でもない、人工的に汚れた水滴だけを教えてしまっているという印象があります。「新しい歴史教科書をつくる会」は、ようやく日本に美しい虹を見せようと努力をされているんです。
(後略)
WILL六月号 『中国・韓国は歴史的痴呆症だ』(渡部昇一上智大学名誉教授)より
氏の論説自体はこの後、中国・韓国にたいし、過激に批判展開していきますが、まあ、このレポート全体の評価は読者のみなさまにお任せしたいと思います。(苦笑
私が興味深くそして考えさせられた点は、「歴史教育」というものは、客観的に科学する(一粒一粒の水滴を検証する)対象というよりも、虹のようなものであり、自国民をまとめるために、恣意的に方向付けしてかまわないのであるという、ユニークな考え方にであります。
これは、異論・反論が当然ある内容でしょうが、木走としては、かなり各国の歴史教育の本質を突いている視点であると評価しています。
中国・韓国・日本において、共同で歴史研究をする試みもよいでしょう。しかし、上記のような視点を抜きにして、全ての国が歴史認識を共有できるなどという幻想はくれぐれも抱いてはいけないのでしょう。
互いの歴史観が共有できる部分と異なる部分があることを認め合い、その差分を含めて理解し合えるような、成熟した関係が望まれているのではないでしょうか?
読者のみなさまのこの問題に対する考察の一助になれば幸いです。
(木走まさみず)
<関連テキスト>
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