木走日記

場末の時事評論

「荒涼たる国会 安倍首相の責任は重い」(朝日新聞社説)に反論する〜その国の政治のレベルが低いとすれば、野党を含めた国全体のあり方が問われなければならない

さて、国会が荒れています。

辻元清美氏がBLOGOSにて安倍総理が国会にて「意味のない質問だよ」と暴言を吐いたと批判します。

辻元清美
2月12日予算委員会、質疑を終えた私の背中に安倍総理が「意味のない質問だよ」と暴言!
https://blogos.com/article/435761/

辻元清美氏によれば、安倍総理に「鯛は頭から腐る」という言葉を紹介したら、閣僚席の安倍総理が「意味のない質問だよ」と暴言を浴びせたのだといいます。

私は質疑時間の最後、安倍総理に「鯛は頭から腐る」という言葉を紹介しました。
総理補佐官が公私混同の疑いをもたれても、総理はけじめをつけさせることができないのはなぜか。加計学園疑惑で真実を知りうる立場でしゃべられたら困るから切れないのでは、という疑いが広がっている。「私の手で憲法改正」と言っているが、総理の手で成し遂げることは「憲法改正ではなく、ご自分の幕引きである」――そう発言して質問を終えた私の背中に、閣僚席の安倍総理が「意味のない質問だよ」と暴言を浴びせたのです。

この荒れた国会を受けて、13日付け朝日新聞は「荒涼たる国会 安倍首相の責任は重い」との社説を掲げます。

(社説)荒涼たる国会 安倍首相の責任は重い
2020年2月13日 5時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S14362996.html?iref=editorial_backnumber

社説は冒頭、「安倍首相の居丈高な反論やヤジ、しどろもどろの閣僚答弁……」「「言論の府」のあるべき姿からほど遠い光景が続いている」との嘆きから始まります。

 安倍首相の居丈高な反論やヤジ、しどろもどろの閣僚答弁……。建設的な議論を通じて、よりよい結論を導きだす。そんな「言論の府」のあるべき姿からほど遠い光景が続いていることに暗然とする。

首相は「立法府をないがしろにする姿勢は変わっていない」と糾弾します。「それを如実に示したのが、」「首相が自席から放った「意味のない質問だ」というヤジ」だと断罪します。

 内外の諸情勢などをテーマに、衆院予算委員会の集中審議がきのう開かれた。首相が出席する衆参の予算委は今国会で9日目となる。論戦から逃げ回っていた昨年の臨時国会とは大違いだが、立法府をないがしろにする姿勢は変わっていない。

 それを如実に示したのが、立憲民主党辻元清美衆院議員に対し、首相が自席から放った「意味のない質問だ」というヤジだ。辻元氏は質問の最後に、「桜を見る会」や森友・加計問題への官僚の対応を取り上げ、「鯛(たい)は頭から腐る。上層部が腐敗すると残りも腐る」などと締めくくった。首相のヤジはその直後に飛び出した。

「ヤジを認めた首相は、」「悪びれた様子もな」く、「批判を受け止める懐の深さや、説得力のある言葉と論理で対抗しようという冷静さは感じられない」と、さらに批判します。

 ヤジを認めた首相は、反論の機会もなく「罵詈雑言(ばりぞうごん)」を浴びたので「こんなやりとりじゃ無意味」「当然そう思う」と悪びれた様子もなかった。批判を受け止める懐の深さや、説得力のある言葉と論理で対抗しようという冷静さは感じられない。

さらに社説は、「この問題に区切りがつかないのは、首相」の不誠実な対応に原因があると指摘、首相側に「新型肺炎が拡大するなか、野党は疑惑追及一辺倒だと世論に印象づけるねらいがあるとすれば、姑息」であるとまで疑います。

 しかし、この問題に区切りがつかないのは、首相が自らの主張を裏付ける資料を示さず、廃棄したとされる招待者名簿などの再調査を拒んでいることに原因がある。新型肺炎が拡大するなか、野党は疑惑追及一辺倒だと世論に印象づけるねらいがあるとすれば、姑息(こそく)である。

社説は、「首相への批判を根拠も示さず「無意味」と決めつけたヤジは、行政監視を担う立法府への冒涜(ぼうとく)でもある」とし、「言論の府にふさわしい論戦を実現する責任に与党も野党もない」と結ばれています。

 首相への批判を根拠も示さず「無意味」と決めつけたヤジは、行政監視を担う立法府への冒涜(ぼうとく)でもある。棚橋氏は自民党所属の衆院議員であるが、言論の府にふさわしい論戦を実現する責任に与党も野党もない。

さて、上述の辻元清美氏の安倍批判も、朝日新聞社説も、一方的に安倍首相の「意味のない質問だ」とのヤジだけを、「行政監視を担う立法府への冒涜(ぼうとく)」(朝日新聞社説)と批判しますが、その発言の呼び水であった、辻元清美氏の「鯛は頭から腐る」発言の問題点には一切ふれません。

この発言は辻元清美氏が質問の最後に、数分に渡りえんえんと質問ではなく政策論議でもなく安倍批判を繰り返した中で発生しています。

子供の教育にも悪いです。

長期政権だからじゃないですよ。

最初からやっているんですから、さくらを見る会も、モリトモだって総理大臣になる前から講演に行こうとしてた。

まあですねえ、ここまで来たら、原因は鯛の頭、頭を変えるしかないのではないですか?

・・・

総理の手で成し遂げることは、そろそろ総理自身の幕引きだと言うことを申し上げて終わります。

これは質問時間の最後に一方的に辻元清美氏が「鯛は頭から腐るから変えろ」と安倍首相を罵り、安倍首相の立場からすれば、反論の機会も与えられないただの中傷であり、首相にしてみれば「意味のない質問だよ」とヤジるのも理解できます。

一歩譲り首相のヤジに問題があったにせよ、この「荒涼たる国会」を招いているのは、大切な予算委員会における野党側の「桜を見る会」に対する異常なこだわりが主因なのは明らかであります。

桜を見る会」関連で同じような無意味な質問を繰り返す野党に、首相の苛立ちも募っていたのでしょう。

朝日新聞社説は野党の問題を一切不問にして一方的に「荒涼たる国会 安倍首相の責任は重い」と安倍首相に責任を押し付けています。

・・・

まとめます。

英国の作家、サミュエル・スマイルズ(Samuel Smiles, 1812年12月23日 - 1904年4月16日)が、1858年にジョン・マレー社から出版した『Self-Help』(自助論)は、1866年江戸幕府留学生取締役として英国に留学した中村正直が、1867年発行の増訂版をもって1871年西国立志篇』として邦訳し、日本で出版されました。

その思想は近代日本の形成に大きな影響を与えたと言われています。

サミュエル・スマイルズは、『Self-Help』(自助論)の中で、政治は国民を映す鏡である、と名言を残しています。

「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎません。政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされます。反対に、政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていくでしょう。国がどんな法律や政治をもっているか、そこに国民の質が如実に反映されているさまは、見ていて面白いほどです。これは水が低きにつくような、ごく自然のなりゆきなのです。りっぱな国民にはりっぱな政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえないのです。」

サミュエル・スマイルズはその国の政治のレベルはその国の国民のレベルを反映してるのだと、喝破しています。

朝日新聞社説は荒れる国会を安倍首相一人にその責任を押し付けます。

しかし、私は、今の国会・予算委員会における低レベルな言い合いを見て、首相一人にその責を押し付けるのは、それこそ理不尽な決めつけであると考えます。

野党が新型ウイルス対策など喫緊かつ建設的な政策論議を持ちかけているときには、首相は真摯に答弁していますし、ましてや野次ることなどは一切ありません

つまり今回の首相のヤジには野党側の低レベルな質問という呼び水があったのであり、野党の責任を問わず首相だけを断罪する朝日新聞社説は、いかにも政権批判・野党擁護に偏向していると言わざるを得ません。

その国の政治のレベルが低いとすれば、野党を含めた国全体のあり方が問われなければなりません、

首相個人の問題ではありません。



(木走まさみず)