木走日記

場末の時事評論

朝日社説が擁護する歪んだ論理~「日本国家を侮蔑する作品を展示するのに、日本国家から金を補助してもらおうとする姑息な根性」

16日付け朝日新聞社説が再び『あいちトリエンナーレ』を取り上げています。

(社説)あいち芸術祭 閉幕後も山積する課題
https://www.asahi.com/articles/DA3S14218963.html?iref=editorial_backnumber

社説のタイトルにある「閉幕後も山積する課題」とは何なんでしょう。

まずは「断片情報に基づく批判」が発生、「一部の政治家が、同じく表面的な事象だけをとらえて攻撃を加え、火に油を注いだ」とします。

 騒ぎの発端は、作品を見ることも、制作意図に触れることもないまま、断片情報に基づく批判が開幕直後に寄せられたことだった。河村たかし名古屋市長ら一部の政治家が、同じく表面的な事象だけをとらえて攻撃を加え、火に油を注いだ。

「とどめは文化芸術を守るべき文化庁」とし、補助金の不交付を「暴挙」と批判します。

 とどめは文化芸術を守るべき文化庁だ。9月下旬になって、内定していた補助金の不交付を決めるという暴挙に出た。

文化庁は「暴力で芸術を圧殺しようとした勢力に加担した」と批判します。

行政が本来の道を踏み外し、暴力で芸術を圧殺しようとした勢力に加担した。そう言わざるを得ない。

つぎのあたりがなかなかの名文です、「既成の概念や価値観をゆさぶる作品が、次の時代を切り開き、自由で多様な方向に世界を広げる原動力」になってきたのだそうです。

 美術、文学、音楽を問わず、既成の概念や価値観をゆさぶる作品が、次の時代を切り開き、自由で多様な方向に世界を広げる原動力になってきた。それが否定されてしまえば、社会は閉塞(へいそく)状況に陥るばかりだ。

慰安婦少女像などを「日本へのヘイト」と批判するのは「あきれる話」と一蹴いたします。

 慰安婦に着想を得た少女像や昭和天皇を含む肖像などが燃える映像作品に対して、「日本へのヘイト」との批判も飛び出した。これもあきれる話だ。

社説の結びは、「明らかにそれに当たらない作品をヘイトと指弾することは、蓄積を無視し、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論」であるとし、「ゆるがせにできない課題が数多く残されている」と結ばれています。

 表現の自由への過度な制約にならぬよう、規制すべきヘイト行為とは何か、社会全体で議論を重ね、定義づけ、一線を引いてきた。明らかにそれに当たらない作品をヘイトと指弾することは、蓄積を無視し、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない。

 ゆるがせにできない課題が数多く残されている。閉幕で一件落着ということにはできない。

繰り返し「表現の自由」を訴えるしつこい朝日新聞社説なのですが、まず出鱈目な慰安婦少女像は芸術作品でもなんでもないのです、その出鱈目の生みの親は朝日新聞自身の捏造報道なのですから、前回当ブログでも指摘いたしましたが、「朝日新聞よ、どの面をさげてそれを言う」という厚顔無恥を再度さらしているわけです。

当該部分を再掲します。

(前略)

最初の吉田氏の「朝鮮の女性 私も連行」記事が掲載された1982年から、今検証したとおり朝日新聞捏造報道を繰り返し、それらの捏造を認めたのは2015年、実に33年の長きを要したのでした。

これらの朝日新聞慰安婦捏造記事は世界中に拡散し、取り返しのつかない事態を招いてしまいました。

世界各地で従軍慰安婦の「少女像」が建てられ、日本軍により性的奴隷として少女が強制連行された「架空のストーリー」が作られました。

これはまったくの出鱈目であり、従ってこの少女像は芸術でもなんでもない、ただただ朝日新聞の出鱈目報道とそれに追随した韓国による、日本を侮蔑するためだけのツールなのであります。

朝日新聞編集室よ、自らの捏造報道が生み出した出鱈目の「少女像」展示再開を、「傷ついた表現の自由を回復」と美化するその無神経さはどうにかなりませんか?

繰り返します。

朝日新聞よ、どの面をさげてそれを言うのだ!?

2019-10-09
「圧力をはねのけ、傷ついた表現の自由を回復せよ」(朝日社説)だと?~朝日新聞よ、どの面をさげてそれを言う より
https://kibashiri.hatenablog.com/entry/2019/10/09/163450

今回の朝日社説で、あきれるのは慰安婦少女像を「日本へのヘイト」ではない、「明らかにそれに当たらない作品」だと言い切っている点です。

 慰安婦に着想を得た少女像や昭和天皇を含む肖像などが燃える映像作品に対して、「日本へのヘイト」との批判も飛び出した。これもあきれる話だ。

 表現の自由への過度な制約にならぬよう、規制すべきヘイト行為とは何か、社会全体で議論を重ね、定義づけ、一線を引いてきた。明らかにそれに当たらない作品をヘイトと指弾することは、蓄積を無視し、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない。

「自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論」では断じてありません、この少女像は、朝日新聞が世界に振り撒いた大嘘の記事から生まれ世界中に設置されている、韓国による日本に対するただの侮蔑ツールにすぎないのだから、断じて芸術作品ではないのです。

最後に、日本国家を侮蔑する作品を展示するのに、日本国家から金を補助してもらおうなんて姑息な根性が気に入りません。

「ゆるがせにできない課題が数多く残されている」のは朝日新聞社説のほうです。



(木走まさみず)