木走日記

場末の時事評論

一部韓国保守メディアの論調に歓迎すべき変化が見られる件~「そもそも今の問題を引き起こしたのは韓国の裁判所と韓国政府だ」(朝鮮日報社説)

ここへきて韓国保守派メディアの朝鮮日報の論調が一部ですが大きく変化してきています。

11日付け社説では「日本の経済報復、韓国政府は企業を最前線に立たせてはならない」とのタイトルを掲げています。

【社説】日本の経済報復、韓国政府は企業を最前線に立たせてはならない
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/07/11/2019071180013.html

タイトルでは表現が間接的でわかりにくいのですが、韓国政府こそが矢面に立つべきだとの政府批判を展開しているのです。

社説の結びの論説をみてみましょう。

「そもそも今の問題を引き起こしたのは韓国の裁判所と韓国政府」だと鋭く指摘します。

 そもそも今の問題を引き起こしたのは韓国の裁判所と韓国政府だ。裁判所は韓日請求権協定に反した形で、日本企業に対する個人の請求権を認め、日本からの激しい反発を呼び起こした。今の政府はこの外交面での対立を解決する以前に、前政権と当時の裁判官を「司法壟断(ろうだん、利益を独占すること)として捜査まで行い、関係者を刑務所に送り込んだ。

だとすれば「政府が先頭に立って解決するしかない」と指摘し社説は結ばれています。

となれば今のこの問題も政府が先頭に立って解決するしかない。被害者にすぎない企業を前面に出したことで、防衛の手段を持たない企業が直接の標的になってしまったからだ。

ここまで明確に「今の問題を引き起こしたのは韓国の裁判所と韓国政府」と言い切った論説は、私の知る限りこの朝鮮日報社説が初めてではないでしょうか。

続いて、12日には「識者が朝鮮日報に提言」という形で「韓日基本条約に対する政府の立場を問いただせ」とのタイトル記事が掲載されます。

輸出優遇除外:識者が朝鮮日報に提言「韓日基本条約に対する政府の立場を問いただせ」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/07/12/2019071280138_3.html

なかなか読み応えのある内容です、関心ある読者は是非リンク先で本文を直接お読みください。

韓国側の発言として特筆すべき二箇所だけ抜粋引用しておきます。

2005年に当時の盧武鉉ノ・ムヒョン)政権が、日本が1965年当時支払った無償3億ドルの経済協力に請求権問題を解決する資金が含まれている、徴用工問題は韓国政府が担当すべきである、との見解が示され、現在の文大統領は当時の実は関係者(側近)だったことが、はっきりと指摘されています。

2005年に盧武鉉ノ・ムヒョン)政権は韓日国交正常化交渉に関する外交文書を公表したが、当時のイ・ヘチャン国務総理を委員長とする官民合同委員会は、強制徴用被害者への個人請求権は事実上消滅したとの結論を下した。この委員会には当時大統領府民政主席だった文在寅ムン・ジェイン)大統領も政府側の委員として参加していた。朝鮮日報は、当時の、官民合同委員会による審議の根拠や結論などはもちろん、朴正煕(パク・チョンヒ)・盧武鉉元大統領当時、特別法を制定し徴用被害者に補償が行われた事実も伝えなければならない。当時どのようにして被害者が選定され、その補償のレベルなどが適正だったかなど、今回の事態を解決する方策を模索する企画が必要だ。

また、韓国が国家間の条約(国際法)を(国内法)で覆したのは、「国家間で締結された条約を覆す判決に果たして何の意味があるのか。国際法上の司法自制原則が守られなかったことは遺憾」と批判しています。

潘基文(パン・ギムン)氏「韓日経済葛藤、両国首脳が直接会って解決を」(7月8日付A5面、日本語版未掲載)の記事の核心は、尹徳敏(ユン・ドクミン)元国立外交院院長の言葉だ。尹氏は「国家間で締結された条約を覆す判決に果たして何の意味があるのか。国際法上の司法自制原則が守られなかったことは遺憾」と指摘した。司法自制原則とは、外交を巡る裁判においては行政府の判断を尊重するという国際法における原則だ。韓国政府が国際法を無視したという側面を明確にすれば、問題解決のきっかけをつかむことができる。

朝鮮日報への識者の提言のかたちをとっていますが、はっきり韓国政府、韓国司法の問題点を論理的に指摘しているのは、ふだん非論理的な日本批判を繰り返している、韓国メディアとしては極めて珍しい論調といってよろしいでしょう。

「そもそも今の問題を引き起こしたのは韓国の裁判所と韓国政府だ」と正論を言い切った11日の朝鮮日報社説といい興味深いのです。

極めて少数派なのですが、韓国側からこのような日本が納得できる建設的で論理的な論調が出てきたことは、歓迎すべきことでしょう。



(木走まさみず)