木走日記

場末の時事評論

日本の政治に特有の概念「首相の任命責任」について考える〜本来大臣がダメならばダメなのは大臣の責任なだけだ

今にして振り返ればですが、桜田氏は昨年11月の就任記者会見で「東京オリンピックパラリンピック担当大臣」と自己紹介するところ、オリンピックという単語は飛ばしてしまいパラリンピックをうまく発音できず3度言い直し、グダグダの自己紹介をしていたのでありました。

(会見動画参考サイト)

第4次安倍改造内閣閣僚記者会見「櫻田義孝大臣」
https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg17757.html

当時は緊張からのミスかとも思えたのですが、その後の桜田氏の国会等における繰り返される失言の様子を伺っていると、これはきつい表現かもしれませんが、この方の日本語の能力になにか問題があるのではないかと疑うようになりました。

「レンポウ」と何ども議員の名前を間違えたり、オリンピック予算で「億」を何回も欠落させたり、被災地石巻を何ども「イシマキ」と言い間違えたりと、一度間違えた日本語のミスを修正がうまくできず何ども繰り返してしまうわけです。

また今年2月には、競泳の池江璃花子選手の白血病公表について、桜田義孝五輪相が「本当にがっかりしている」と失言した点ですが、「病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿に戻ってもらいたい」と真摯な受け止めを発言してるんですよね。

その後で、記者とのやり取りで「金メダル候補」というのが「トリガー」になるのですが、彼は「金メダルへの期待」というフレーズから(日本のメダル減るのは)「がっかり」と、心のうちに浮かんだ「がっかり」という単語をそのまま発言してしまうのですね。

 --きょう、競泳の池江選手が自らが白血病であることと、しばらく休養することを発表しました。大臣として、これについての受け止めをお願いします

 「正直なところ、びっくりしましたね。聞いて。本当に。病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿に戻ってもらいたいというのが、私の率直な気持ちですね」

 --競泳の中ではですね…

 「本当に、そう、金メダル候補ですからねえ。日本が本当に期待している選手ですからねえ。本当にがっかりしております。やはり、早く治療に専念していただいて、頑張っていただきたい。また元気な姿を見たいですよ。そうですね」


「がっかり」だけではなかった 桜田五輪相発言全文
 より抜粋
https://www.sankei.com/sports/news/190214/spo1902140029-n1.html

そして今回の「復興以上に大事」失言なのであります。

さすがに、もはやここまでです、安倍首相は「任命責任はもとより私にあるとお詫びしています。

「被災者の皆さまに深くおわび申し上げたい。任命責任はもとより私にあり、こうした事態に至ったことについて、国民におわび申し上げる」

安倍首相「任命責任は私に 国民におわび」 桜田五輪相辞任へ
https://mainichi.jp/articles/20190410/k00/00m/010/242000c

それにしてもです、ここまで日本語の能力に問題がある(と思われる)お方が、千葉県柏市議から千葉県議を経て衆議院議員を7期連続で務めているというベテラン政治家のポジションに居られることが不思議といえば不思議なのであります。

選挙や議会、いろいろな場面で有権者や他の政治家の前での演説や討論の場があったことでしょう、その時はどう過ごされてきたのか?

いずれにしても任命責任は私にあると認めている安倍首相なのであります。

さてです。

良い機会なのでこの「任命責任」について、みなさんと考えてみたいのです。

任命責任ですが、この概念は極めてわかりづらいですね、日本政治特有の結果責任のことです。

会社で技術者を採用するとき最後に社長が最終面接して合格を決定したとします。

ここで技術者が採用に値するスキルがあるのかどうかこの採用の瞬間は社長に確かに任命責任があるのは事実です。

しかし、この技術者が数年後犯罪を犯して逮捕されたとして、社長の任命責任が時間をさかのぼり問われることはありません。

個人として行動に責任を負う独立した社会人だからです。

例えばアメリカ大統領は副大統領以下を次々に任命していくわけですが、任命された政治家がどんな理由で途中辞任したとしても大統領の任命責任が問われることは絶対にありません。

スキャンダルで辞任すればまずその政治家個人が責められます、ときに大統領は支持率低落という形で巻き込まれますが、それだけのことです。

独立したそれぞれ行動に責任を負う政治家たちだからです。

任命責任という結果責任、言うならば一種の連帯責任なわけですが、日本の政治に特有の概念と考えてよいのではないでしょうか。

首相の任命責任という結果責任を認めれば、内閣に受け入れた首相の責任とは別に、このような人物を在庫一掃で大臣に推挙した二階氏にも推挙責任があると思えます。

さらに言えばです、このような人物が連続当選している千葉8区の有権者のみなさんにも投票責任があると思えます。

それこそ、この政治家に関わる関係者をすべて連帯して責任を負わせる、芋ズル式責任論になってしまうと思います。

大臣がダメなら任命した首相がその責任を連帯して負う、これですね、部員が暴力事件を起こせば野球部全体で責任を負い地区予選を辞退させるみたいな高野連的な浪花節論理に近いのです。

大臣がダメならばダメなのは大臣の責任です。

別人格である総理大臣は、選良である大臣のその過ちを連帯して責任を取ることは本来その必要はないはずです。


ふう。



(木走まさみず)