木走日記

場末の時事評論

国民はもっと怒ったほうがいい〜民主党政権の都合のよい「国の責任」発言

 19日付け朝日新聞電子版記事から。

首相、汚染牛問題で陳謝 「事前に防止できず責任」

 菅直人首相は19日の衆院予算委員会で、福島県産の牛の肉から放射性セシウムが検出された問題について「事前に防止できなかった。私自身含めて責任を感じており、大変申し訳なく思っている」と陳謝した。また、枝野幸男官房長官は農家が受けた損害は国が補償する考えを示した。

 いずれも自民党長島忠美氏の質問に答えた。枝野氏は「農家の受けている経済的・精神的影響は原子力災害の補償対象に当然なるので、ルールに基づいて進めていく。畜産家が受けた損害は最終的には国の責任でしっかり補填(ほてん)していく」と述べた。

 一方、首相は、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)での日本代表の初優勝に関連し、「私もやるべきことがある限りは、あきらめないでがんばらなければならない」と語り、当面の政権維持に意欲を示した。民主党の近藤洋介、自民党小池百合子両氏の質問に答えた。
http://www.asahi.com/politics/update/0719/TKY201107190343.html

 菅直人首相が国会答弁で福島県産の牛肉から放射性セシウムが検出された問題について「事前に防止できなかった。私自身含めて責任を感じており、大変申し訳なく思っている」と陳謝、あわせて枝野幸男官房長官が「畜産家が受けた損害は最終的には国の責任でしっかり補填(ほてん)していく」と述べました。

 非常に無責任な怖い発言です。

 「私自身含めて責任を感じ」るとの菅首相の「含めて」に非常に違和感を感じるとともに、枝野幸男官房長官の「国の責任」発言に、この政権の「無責任体質」を逆に感じてしまったのは、私だけではありますまい。

 今回の福島原発事故由来の放射能漏れによる汚染牛問題では、畜産家は一方的な被害者であり、加害者は当然ながら一義的には東電であり、二義的にはしかるべき安全対策を怠り原発推進政策を進めてきたこの国の現政権を含む歴代政府・経産省などの所管行政機関にあり、さらに本件に絞れば汚染米わらの流通禁止などきちんとした政府・行政指導を怠った現政権にあることは自明です。

 その意味で本件で「国の責任」は免れないでしょう、ですが、しかしながら菅首相の「私自身含めて」発言に見え隠れするのは責任を取る姿勢ではなく、それとは真逆の責任を「国」に転嫁する無責任体質そのものに聞こえるのです。

 自身の政権の無策・失策に「国の責任でしっかり補填していく」というのは、結果的に国民の血税を使う、国民に責任を転嫁することに他なりません。

 政治家が国会の場で「国の責任」を認めるということは、結果的に血税を使う点で国民に責任を転嫁するという極めて重い問題を内包している重い言葉なはずです。

 一方的な被害者である畜産家の生活を東電・政府が早急に補償・補填することは喫緊の課題でありそれを反対する者はおりませんでしょう、しかしながらそもそも放射能漏れ事故を起こした東電の責任、汚染情報の開示を怠り詳細の観測も遅れ、挙句に汚染された米わらなどに対するきちんとした行政指導を怠るなど土壌汚染・農業汚染に関する事後処理の無策と失策、まずははっきりと現政権の責任を明確にしなければなりません、それもなしに「国の責任」などという言葉を国会の場で安直に多用してはいけません。

 民主党政権は、「現政権の責任」が問われている問題で、安直に都合よく「国の責任」を語りすぎると思います。

 この国の唯一にして最高の立法機関である国会は、言葉遊びの場ではありません。

 「国の責任」を乱発しているのは、自らの政策に対して政権が責任を取らないと言ってるに等しいと考えます。

 「責任を感じる」といいながら、自政権の失策を「国の責任」に昇華し、国家・国民に責任を転嫁しているにすぎないのです。

 畜産家への補填を「国の責任」とするならば、それに血税を投入する限り、まず現政権の失策に対する責任を明確にしなければ、国民は納得できません。

 これではこの国を責任をもって治めることなどできうるはずがありません。

 自らの失策を国民に転嫁ばかりする、この無責任政権に国民はもっと怒ったほうがいいでしょう。



(木走まさみず)