木走日記

場末の時事評論

日本国民に告ぐ。日本男児の血の叫びを聞け。〜「百人斬り競争」野田元少尉の手記

 8月でありますし、今回は時事を離れて戦争の話を少し。



スポニチのたわいもない「由伸“百人斬り”」記事で思い出した毎日の「百人斬り競争」報道

 昨日(8日)のスポニチ紙面記事から・・・

由伸“百人斬り”も欲求不満

 【巨人4―1横浜】巨人は6日、東京ドームで横浜と対戦し快勝。高橋由伸は初回にマークした9号3ランで、本塁打を放った投手が100人に到達した。

 手放しでは喜べなかった。サインボールを投げ入れるヒーロー儀式を終えた高橋由は、右翼席に頭を下げた。チーム2カ月ぶりの2カード連続勝ち越しに導いても、心からは笑えなかった。「ジレンマは当然ある。自分自身もチームも結果が出てないし、責任は十分感じているつもり。僕らが結果を出さないといけないから」と高橋由。

 “百人斬り弾”は初回だった。無死一、二塁から送りバントを試みた二岡が守備妨害、李スンヨプが空振り三振。嫌なムードを振り払う特大140メートル、先制9号3ランを右翼席に運んだ。本塁打を放ったのは牛田で100人目。「多いのか少ないのか分かんないよ」と首をひねったが、阿部が6号ソロで続き、上原の100勝王手をアシストした。

(後略)

[ 2006年08月07日付 紙面記事 ]
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2006/08/07/04.html

 巨人の「高橋由伸は初回にマークした9号3ランで、本塁打を放った投手が100人に到達した」という、別にどうということのないスポニチのスポーツ記事なわけですが、不肖・木走は別に巨人にも高橋由伸選手にも関心はないのですがこの記事タイトルには少し苦笑してしまいました。

 由伸“百人斬り”ねえ。

 「“百人斬り弾”は初回だった。」そうですが、このスポニチ記者がたわいもない意図で「本塁打を放った投手が100人に到達した」ことを“百人斬り”という表現で見出しにしたのだろうことは察しがつくのですが、広島の原爆記念日に当たる8月6日の試合に由伸“百人斬り”の見出しを見てしまうとね・・・

 私などは、スポーツニッポンの親会社である毎日新聞(当時は大阪毎日新聞東京日日新聞)が1937年にしでかした戦意昂揚記事「百人斬り競争」報道を思い出してしまうのであります。

百人斬り競争

百人斬り競争(ひゃくにんぎりきょうそう)とは、日中戦争初期の南京攻略戦時に、日本軍将校2人が日本刀でどちらが早く100人を斬るかを競ったとされる競争である。この模様は、当時の大阪毎日新聞東京日日新聞において報道されたが、この行為が事実か否か、誰を斬ったのかを巡って論争となり、訴訟問題としても発展している。

概要
この競争の模様は、大阪毎日新聞と1937年11月30日付けと12月13日付けの東京日日新聞(現在の毎日新聞)によって報道された。その報道によると、日本軍が南京へと進撃中の無錫から南京に到る間に、日本軍の向井敏明少尉(歩兵第9連隊-第3大隊-歩兵砲小隊長)と野田毅少尉(歩兵第9連隊-第3大隊副官)のどちらが早く100人を斬るか競争を行っていると報じた。

1937年11月30日付けの東京日日新聞記事では、無錫−常州間で向井少尉は56人、野田少尉は25人の中国兵を斬ったと報じている。また、1937年12月13日付けの記事では、12月10日に記者と会った時のインタビューとして、すでに向井少尉は106人、野田少尉は105人の中国兵を殺害しており100人斬り競争の勝敗が決定できず、改めて150人を目標とする殺害競争を始めると報じている。

戦犯裁判
戦後、向井・野田両少尉は、東京日日新聞の報道などを基に南京軍事法廷において起訴され、死刑判決を受け、1948年1月28日に南京郊外で処刑された。

論争
その後この事件は忘れられていたが、1971年に本多勝一が書いたルポルタージュ『中国の旅』(朝日新聞連載、のちに単行本化された)でこの事件とその報道が取り上げられた。これに対し、イザヤ・ベンダサン山本七平とされる)が百人斬り競争は「伝説」だとし、これに対し本多が反論した。その後、鈴木明が議論に加わった。更に、山本七平は『中国の旅』批判の一部として“100人を斬り殺すなど不可能”として議論した。これらの議論に対して洞富雄が批判を行った。

それ以来、南京大虐殺について虐殺「あった」派から「百人斬り競争」が言及され、大虐殺「なかった」派は『肯定論の非論理性』を指摘するという構図となっている。そもそも南京大虐殺は日本軍による組織的な事件とされていることから「百人斬り競争」をその事実肯定の根拠とするのは見当はずれとの見方もあり重要視されていない。

近年、本宮ひろ志の漫画『国が燃える』が南京大虐殺をとりあげ、この事件が事実かのような描写が含まれていたが、抗議を受けて謝罪と訂正がなされた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89

 その真偽が裁判沙汰にもなったわけですが、ここで「百人斬り競争」の真贋論争をするつもりはさらさらないですが、裁判を通じて「肯定派」も「否定派」も共通認識として認めたのは、当時のメディアの戦意昂揚記事の裏付けを取らないいい加減な記事掲載行為でありました。

 それはさておき・・・



●月刊WiLL8月号に掲載された野田元少尉の手記

 「百人斬り競争」の当事者の一人である野田元少尉が戦後1948年1月28日に南京郊外の雨花台で銃殺処刑されるまでに獄中で綴った手記が月刊誌『月刊WiLL 8月号』に掲載されています。

特集南京大虐殺の真実
「百人斬り」野田元少尉銃殺までの獄中日記

月刊WiLL 8月号 P.212〜P224

 これは読み応えがありました。いつ処刑されるかわからぬまま、一日、一日を過ごしていく野田氏。不安と希望に苛まれる日々。手記は処刑当日まで綴られています。

 1947年12月18日に南京の法廷で「百人斬り競争」の罪に問われた野田元少尉は銃殺刑の宣告をついに受けます。

 おそらくその判決を受け覚悟を決めたのであろう12月28日の手記、「一.日本国民に告ぐ」と題した一文は、とても考えさせられる読み応えのある文章でした。

 『月刊WiLL 8月号』より12月28日の該当個所を引用。

一。日本国民に告ぐ

 私は曽って新聞紙上に向井利明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申し上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受致します。
 只、今般中国の裁判に於て俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定させられましたことに就ては私は断乎無実を叫ぶものであります。
 再言します。私は南京に於て百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。
 たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位い日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以て今後中日間の怨みや讐(あだ)や仇(かたき)を絶対にやめて頂きたいのです。
 東洋の隣国がお互いに血を以て血を洗うが様な馬鹿げたことのいけないことは常識を以てしても解ります。
 今後は恩讐を越えて誠心を以て中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいです。
 中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以てするなら中国人にも解らない筈はありません。
 至誠神に通じると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。
 西郷さんは「敬天愛人」と申しました。何卒中国を愛して頂きます。
 愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に到達し得た事を以て日本国民も之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。
 猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以て神が教示されたのです。
 日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は「愛」と「至誠」です。
 此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈り致しまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。
 桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

(月刊WiLL 8月号 P.220〜P221より抜粋)

 いかがでしょうか。 全文は『月刊WiLL 8月号』を是非お読みいただくとして、とても考えさせられる文章ではありませんか。

 南京戦犯所の獄中に於いて10日前に銃殺死刑を宣告を受けた後の手記です。

 彼はすでに死刑を宣告されてますから、この文章にはいっさいの生への執着も力みもてらいも感じられません。

 「自らの恥を申し上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受致します。」と深く日本国民に詫びを入れつつ、しかし、「私は南京に於て百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。」と自らの「百人斬競争」に関しては最後まで冤罪であると訴えます。

 そして考えさせられるのは、「愛と至誠には国境はありません。」とし、「中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に到達し得た事を以て日本国民も之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたい」と強く訴えているのです。

 とても深い感銘を与える文章だと思いました。



野田毅元少尉の獄中手記がなぜ話題にならないのか私には理解できない

 「百人斬り競争」の真偽が裁判にまで取り上げられてきたわけですが、私にすれば当時からメディアの報道などいいかげん極まりないわけですから、本人も認めているとおり「冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせ」したのがもっとも実態に近いのではないかと思います。

 戦時のことですから当人達も「虚報の武勇伝を以て」母校で自慢したりもしたことでしょう。また、100人はともかく似たような修羅場があったことも否定はできないでしょう。

 しかし、ここでは「百人斬り競争」の真偽を論じたいのではなく、上記の手記に吐露された野田元少尉の心情について想いを馳せたいのです。

 「百人」斬ったかどうかの実証も重要なのでしょうが、私にはこの手記の内容のほうがより多くのことを語っているとすら思えるからです。

 銃殺刑を宣告され、自らを「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受するとしつつも、「中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり」と日中友好を訴えているわけです。

 ・・・

 この「一。日本国民に告ぐ」で始まり「日本男児の血の叫びを聞け。」で終わる文章は、事実上の野田元少尉の日本国民に対する悲痛な遺書であると考えられるでしょう。

 そして死刑宣告された彼のこの文章には、後年の共産主義教育を受け自らの軍国主義的犯罪を認め減刑を受け帰国してきた戦犯達とは明らかに違う強いメッセージ性があると思いました。

 まず彼は御覧の通り、自らに科せられた軍国主義的罪状を完全に否定し続け、その意味では中国戦犯法廷に決して迎合してはいません。

 それにこの文章は死刑宣告後の文であり彼には減刑のため中国に媚びる理由はありません。

 結語。

 桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

 すばらしい文章だと思いました。

 ・・・

 この野田毅元少尉の獄中手記がなぜ話題にならないのか私には理解できません。

 ・・・

 1948年1月28日、南京郊外の雨花台に連行され多くの中国人が見守る中、野田毅元少尉は銃殺されます。

 1948年1月28日、手記もその日で終わっています。

 1月28日
 南京戦犯所の皆様、日本の皆様さよなら
 雨花台に散るとも 天を怨まず 人を怨まず
 日本の再建を祈ります。
 万才 万才 万才

 メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。

 そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて、この手記の切実なる平和希求の精神を、強く世論に訴えるほうがよほど大切なことなのではないのか。



(木走まさみず)






■<追記>2006.8.9 14:15

 コメント欄やトラバ・リンク等で、賛否両論、活発に議論いただきありがとうございます。

 そもそも「ここで「百人斬り競争」の真贋論争をするつもりはさらさらない」とした上で、「百人斬り競争」野田元少尉の手記をご紹介したのですが、この手記が肯定的にせよ批判的にせよみなさまに注目いただいたことは、手記のご紹介がこのエントリーの一番の主旨でありましたのでとてもありがたく思っています。

 さて、「「百人斬り競争」の真贋論争をするつもりはさらさらない」としたわけは、目下法廷で最高裁まで争われている係争中の問題でもあり一ブログで取り扱うのは荷が重すぎるとの判断からでしたが、うーむ、ここを避けての手記の紹介だけのエントリーはやはり論法に無理があったようで、どうにもこうにも、不肖・木走の認識が甘かったようです(苦笑

 それはさておき、コメント欄のご意見やトラバのご意見を拝読していて、いくつか誤解いただいている点もあると感じたものですから、論点整理だけはする必要があると思い、ここに追記させていただきます。

 ・・・

●「百人斬り」訴訟で争われている争点

 まず、コメント欄で議論されている内容がまさに、現在進行形で「百人斬り」訴訟として法廷で争われていますので少しこの裁判の内容を整理しておきます。

 原告側(遺族側)が裁判で問題視している報道は3点です。

1、報道

(1)当時の報道

◎昭12.11.30 東京日々新聞が両少尉は百人斬り競争を企てたと報道

◎12.12.4   第2報

◎12.12.6   第3報(野田89名、向井78名斬る)

◎12.12.13   第4報(野田105名、向井106名。更に150名斬りを目指すと写真入りで報道)

(2)朝日新聞;昭46.11.5 より本多勝一の記事「中国の旅」を連載し、二人は上官にけしかけられ、百人斬り競争を行ったと伝聞記事を掲載。

(3)本多はその他の著書「南京への道」「南京大虐殺13のウソ」でも同様の記事を載せた。

 で原告側は主に4つの理由により本件は「冤罪と判明」されたと主張しています。

2、冤罪と判明

(1)月刊誌「諸君」昭47年1月号〜48年10月号でイザヤ・ペンダサン、鈴木明、山本七平が「百人斬りは虚構」と論評。更に鈴木明、ペンダサンは自著でも虚報と発表した。

(2)昭和46年田所千恵子(向井少尉の娘)は両少尉に対する判決文を含む資料を法務省から入手し、その一部が平成12年1月産経新聞と月刊誌「正論」に公開され、これにより南京軍事裁判の不公正さが明らかになった。

(3)平成13年3月野田マサ(少尉の妹)は野田少尉の遺品の中から少尉の手記を発見、その中に東京日日新聞記事の真相は浅海記者に持ちかけられた創作であったことが記されており、その内容が「正論」平成13年8月号に掲載された。

(4)浅海記者は南京の軍事法廷に説明書を提出し「百人斬りは住民・捕虜に対する残虐行為ではありません」と弁護している。

以上の論争を経て我が国では百人斬りが虚報だったと判明したが、関係者の謝罪はなかった。

 以上をふまえて原告側は本多勝一朝日新聞社毎日新聞社(元東京日日新聞社)、柏書房の4被告に対し以下の通り訴訟を起こしました。

訴訟の内容

(1)原告:向井少尉遺族(田所千恵子、エミコ・クーパー)野田少尉遺族(野田マサ)
(2)被告:本多勝一朝日新聞社毎日新聞社(元東京日日新聞社)、柏書房

(3)訴因:上記3書籍の中で、百人斬りに関する記述が原告等遺族の名誉を毀損しているから「出版の差し止め」「謝罪広告」「損害賠償」を求める。

 ここで話を整理すればそもそも原告側が訴えている「百人斬り」報道自体、時代背景の異なる3つをまとめて訴えている点に留意が必要です。



●三つの「百人斬り」報道

 そもそも、この裁判で原告側が虚偽だと訴えている「百人斬り」は三つあります。

 まず一つ目は昭和12年、東京日日新聞の記事で「戦闘行為」として伝えられたものです。

 二つ目は、昭和46年、本多勝一氏の『中国の旅』で書かれた内容です。この中で書かれている「百人斬り」は日日新聞の記事とは違っていて百人斬りを斬った対象については中国兵なのか人民なのかは明らかにしていませんが、「上官命令による殺人ゲーム」であり、「勝った方に賞が与えられる」などとしています。

 三つ目は『中国の旅』の追記や『南京への道』、『南京大虐殺否定論13の嘘』における百人斬りです。ここでは「捕虜すえもの斬り、百人斬り競争」がメインになってしまっています。

 原告側弁護士は『中国の旅』以降、鈴木明氏の『南京大虐殺まぼろし』などが出て、どうも日日新聞の記事は「ウソくさい」ということになってきたので、そのために、本多勝一らは途中から「確かに戦闘行為で百人斬るのは無理だが、あれは捕虜すえもの斬りだったのだ」と内容をすり替え始めたと主張しています。

 一つ目に対しては主に毎日新聞が、二つ目、三つ目に対しては、主に本多勝一氏、朝日新聞社柏書房が被告として扱われてきました。

 ご存知の通り、この裁判は、一審、二審と原告側の訴えは棄却され現在最高裁に上告されています。



●一貫して「適正に取材し、正確に記載した」と主張する毎日新聞

 さて上記裁判に於いて、そもそもの元記事に関して、平成15年9月22日第二回公判以来、毎日新聞側は一貫して「適正に取材し、正確に記載した」とし、「記事訂正」や「謝罪広告」の必要はないと主張しています。

 私は前回のエントリーで次のように結語を結びました。

メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。

 そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて、この手記の切実なる平和希求の精神を、強く世論に訴えるほうがよほど大切なことなのではないのか。

 それに対して、コメント欄とトラバで次のようなご意見をいただきました。

kemu-ri
『>メディアが創出しただろう無責任な記事を肯定する人達に云いたい。
>そのような不毛な真贋論争をして故人の名誉をいたずらに傷つけることはもう止めて

「肯定する」という言葉の意味がよくわかりませんが、「東京日日」の記事を「事実」だと思っている人って日本に居ないのではないでしょうか。私は、東京日日の記事を「事実」だとは思っていません(同記事よりもっと酷いことが行われたではないかと考えています。望月五三郎手記参照http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20050827/1125089638
木走さんは、どこにもいない「無責任な記事を肯定する人」に向かって呼びかけているのではないでしょうか。

 少なくとも「無責任な記事を肯定する人」は法廷にはいるようです。

 ・・・

 さて、この「百人斬り」報道論争は上記の通り原告側は三つのフェーズに分けて訴訟を起こしているわけですが、コメント欄で御指摘いただいた「あれは捕虜すえもの斬りだったのだ」という点は、最も後年の3つ目の報道で登場してきた論点であります。

 原告側はもちろんこの点でも被告側に論拠を明示せよとせまり、法廷に11人の証人の喚問を要求いたしました。

 しかしなぜか許可されたのは1名だけでありました。

 ・・・

 本件は現在最高裁上告中であります。

 元記事の真贋、「捕虜すえもの斬り」の検証、全ては今だ確定されていません。

 私も、おそらくはご意見いただいた多くの方々も同様だと思っていますが、真実の検証こそがなにより大切なことであると認識しております。
 
 以上、いくつか議論を整理させていただくために追記させていただきました。