木走日記

場末の時事評論

世にも不思議な「靖国のジレンマ」〜ゲーム理論からの一考察

靖国ゲーム理論〜毎日記事より

 今日の毎日新聞の興味深い記事から・・・

発信箱:靖国ゲーム理論 潮田道夫
 今年のノーベル経済学賞は「ゲーム理論」の研究者2人に贈られた。相手の出方に応じてどう行動するのが一番利益になるか。それを考える学問である。

 受賞したシェリング博士によれば、この理論は子育てや近所付き合いにも応用できるそうだが、博士は核戦争の抑止に貢献した。

 核攻撃に対していろいろな対応がありうるが、必ず核による報復攻撃を行うことにする。ほかの選択肢は捨て、自らの手足を縛る。それが核戦争の抑止に有効であることを証明した。

 ゲーム理論の解説本をめくると、どれにもチキンゲームが載っている。車で正面衝突コースを走るゲーム。先にハンドルを切って衝突を避けたほうがチキン(臆病(おくびょう)者)となって負け。小泉純一郎首相の靖国参拝をチキンゲーム同然だと批判する声が絶えない。

 チキンゲームには必勝法がある。車を走らせながら、ハンドルをはずし相手に見えるよう窓外に投げ捨ててしまうのだ。衝突を避けるため相手は必ず譲歩する。自分の手足を縛るシェリング理論の応用だ。

 小泉首相はこれを知っていた節がある。毎年8月15日に参拝すると公約して、自らの退路を断った。これでハンドルを切るのは中国のはずだったが、小泉首相は参拝の日付を変えてしまった。首相のほうが、コース変更した。チキンゲームに負けたのだ。

 と言ってはみたが、ゲーム理論でこの問題を解くのは無理だ。ゲーム理論はプレーヤーが合理的なのが前提だが、あの人たちが合理的人間なのかどうか、私は怪しんでいるのだ。(論説室)

毎日新聞 2005年10月21日 0時32分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20051021k0000m070159000c.html

 これはおもしろい着眼点からの小泉論でありますね。

 「オペレーティングリサーチ=経営科学」ゲーム理論は、IT関連業を営みながら工学系学校の講師をしている不肖・木走にとっては仕事の道具なのでありまして、一度読者のみなさまにご紹介したい取り上げてみたい話題だったのですが、靖国問題でマスコミが「ゲーム理論」に触れるとは意外でありました。

 チキンレースに関しては以下の読売関西版の佐竹秀雄・武庫川女子大教授の解説がわかりやすいです。

チキンレース
 最近、チキンレースという言い方を聞く。某テレビ局とIT関連企業の買収合戦についても、チキンレースだと表現した評論家がいた。

 チキンレースとは度胸を競う遊戯。例えば、崖(がけ)に向かってバイクや車を走らせ、崖っぷちにより近い位置で止めた者を勝ちとする。ただし、崖から落ちたら負け。伝説的スター、ジェームズ・ディーンの主演映画「理由なき反抗」(1955年)に、このチキンゲームが出てくる。

 英語の世界では、鶏には弱虫・臆(おく)病者のイメージがあるらしい。つまり、チキンレースとはどこまで我慢を続けられるかがポイントのレース。ところが、日本では買収合戦の例のように、我慢とはあまり関係のない場面に使われている。どうも失敗したら生死にかかわるということの方に重点が移っているようだ。

 日本には鶏を戦わせる闘鶏もあり、鶏は臆病というより勇ましいイメージ。そうしたことも、右に述べた用法の変化とかかわっているのだろう。そう思って買収合戦の当事者たちの顔を思い浮かべると、闘鶏の鶏に似てなくもない?

武庫川女子大教授・佐竹秀雄

(2005年05月03日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/kotoba/co50502a.htm

毎日新聞に科学的に2点反論しておく〜ゲーム理論は最適戦略を予測する科学だ

 さて毎日記事に戻りますが、着眼点は素晴らしいと思いつつ、記事の結論はとても非科学的で全く同意できませんですね。

 特に2点指摘しておきます。

 「 チキンゲームには必勝法がある。車を走らせながら、ハンドルをはずし相手に見えるよう窓外に投げ捨ててしまうのだ。衝突を避けるため相手は必ず譲歩する。自分の手足を縛るシェリング理論の応用だ。」

 この表現はまあ正しいでしょう。しかし、

「 小泉首相はこれを知っていた節がある。毎年8月15日に参拝すると公約して、自らの退路を断った。これでハンドルを切るのは中国のはずだったが、小泉首相は参拝の日付を変えてしまった。首相のほうが、コース変更した。チキンゲームに負けたのだ。」

 「首相のほうが、コース変更した。チキンゲームに負けたのだ。」という結論は全く同意できません。

 そもそもゲーム理論とは、現実の問題や状況を抽象的なモデルとして表現し、その状況下における特定の行為主体の最適戦略を探るためのものであり、さらに各行為主体が最適な戦略をとった場合にどのような結果になるかを予測する科学です。

 表層的な単純な勝ち負けを判定することが目的の理論ではありません。

 また「参拝の日付を変えて」しまった行為が「負け」を意味する理由が、この記事には客観的に示されていないだけでなく、この靖国参拝「チキンゲーム」の定義(ゲームの行為者は誰で、それぞれ何が目的で何が勝利条件であるのか、また終了条件はなにか)が明確にされていないのです。

 このケースの場合、一般には中国側の勝利条件が小泉首相靖国参拝をやめさせることであると考えるのが妥当ですから、この靖国参拝「チキンゲーム」はいまだ継続中であると考えるのが普通でしょう。

 もうひとつ科学的に反論させていただきたいのは記事の結語です。

「と言ってはみたが、ゲーム理論でこの問題を解くのは無理だ。ゲーム理論はプレーヤーが合理的なのが前提だが、あの人たちが合理的人間なのかどうか、私は怪しんでいるのだ。」

 これもナンセンスな結論です。繰り返しになりますが、そもそもゲーム理論とは、現実の問題や状況を抽象的なモデルとして表現し、その状況下における特定の行為主体の最適戦略を探るためのものでありますから、現実のプレイヤーに理論をあてはめ最適戦略を予測することが主目的なのであり、各プレーヤーが合理的人間であることを前提となどしていません。

 ていうか、逆説的に聞こえるかも知れませんが、もし現実のプレーヤーが機械のように合理的判断をするのならば、「ゲーム理論」など導入する必要はないとも言えましょう。

 ・・・

 この毎日記事自体は「ゲーム理論」を何やらかなり強引に解釈している点に違和感があるのですが、まあしかし小泉首相の行動原理を考えるのに「チキンレース」を持ってきたのは、とても興味深い切り口ではあります。



囚人のジレンマ

 私はもし靖国問題ゲーム理論で分析するならば、「チキンゲーム」的要素があることは認めるとしても、それよりも囚人のジレンマに近いと考えています。

 ゲーム理論の参考書で必ず出てくる有名な問題に「囚人のジレンマ」があります。

囚人のジレンマ
[編集]
問題
ある事件において、共犯と思われる二人の被疑者が別件逮捕で捕らえられた。決定的な証拠がない二人の被疑者は、完全に隔離された上で双方に同じく以下の条件が与えられた。

もし、あなたが自白し、もう一人が黙秘を続けた場合、あなたを司法取引によって刑を1年にしよう。ただし、もう一人は懲役15年だ。
もし、あなたが自白し、もう一人も自白した場合、双方とも懲役10年だ。
もし、あなたがこのまま黙秘を続け、もう一人も黙秘を続けた場合(別件の罪にしか問えないため)二人とも懲役2年だ。
もう一人の方にも、全く同一の条件を伝えてある。

(中略)

このとき、囚人がどちらを選択するのがよい戦略かというのが問題である。

(後略)

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E

 くわしくはウィキペディアの解説をお読みいただくとして、答えは囚人Aにとっては、囚人Bが自白しようが黙秘しようが、いずれも自白を選択する方が囚人Aにとって「最適な選択」(支配戦略)であるということです。

 この問題がなぜ「囚人のジレンマ」と名付けられているかといえば、二人とも「二人が協調して黙秘することを選択すれば、二人の懲役は共に2年ですむ。」ことが最高の果実(専門用語では「パレート最適」と言います)であることを理解しているにも関わらず、二人とも、それぞれ一人で考えた「最適な選択」(支配戦略:専門用語では「ナッシュ均衡」と言います)は、いずれも自白を選択するしかないということです。

 これは興味深いことです。

 各プレーヤーの「最適な選択」が、必ずしも「最高の果実」をもたらすわけではないわけです。



●世にも不思議な「靖国のジレンマ」

 「囚人のジレンマゲーム」として、靖国問題で対峙する「中国」と「日本」を単純にあてはめてみると、とてもおもしろいですね。

 両国にとって「最高の果実」とは、もちろんこんなレベルで敵対して自分たちの言い分を互いにぶつけ合って不毛な対立を繰り返すことではなく、「二人が協調して黙秘することを選択すれば、二人の懲役は共に2年ですむ。」という「パレート最適」を選ぶことです。

 つまり「靖国問題」には協調して黙秘すればよろしい。

 しかし現実の両国は、双方が相手が「自白しようが黙秘しよう」がおかまいなく、いずれも自分の「自白」を選択する方法を「最適な選択」と判断しているようです。

 ゲームの「囚人」達には互いに意志の疎通をはかる手段はありませんが、現実の中国と日本には、いろいろな意志の疎通をはかる手段があると思うのですが、両者はそれを活用して「協調して」行動しようとはしていません。両者は「パレート最適」を選ぼうとはしていません。

 これは世にも不思議な「靖国のジレンマ」だと思いました。

 ・・・

 ゲーム理論でこの複雑な要素を含む外交問題を分析すること自体とても困難なことは百も承知しています。

 しかし、敢えて言わせていただければ、外交戦略を科学してどのような行為戦術が互いに何をもたらすのか検討することは、中国政府、日本政府双方には必要なことだと思います。

 読者のみなさまは、この問題、いかがお考えでしょうか?



(木走まさみず)