いっそのこと安倍談話は「曲球」談話にすればどうでしょ
うむ、村山富市元首相と河野洋平元官房長官が9日、東京都千代田区の日本記者クラブで対談したそうであります。
(参考記事)
村山、河野両氏が対談 互いの談話たたえ合う 反省示さず村山、河野両氏が対談 互いの談話たたえ合う 反省示さず
http://www.sankei.com/politics/news/150609/plt1506090040-n1.html
対談で両氏は、日本の「植民地支配と侵略」を謝罪した「村山談話」(平成7年)と、証拠資料も信頼に足る証言もないまま慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」(5年)について互いにたたえ合ったのだとか・・・
頭がクラクラするような強烈なキャラのお二人が記者クラブで言いたい放題な図式であります。
安倍談話は村山談話を継承すべきとの主張であります。
首相談話で「謝罪」するとかしないとかは、実はどうでもよろしいことです。
誤解を恐れず申せば、将来の日本にとって、「謝罪」したほうが得なのか、「謝罪」しないほうが得なのか、判断材料はこの一点であります。
お二人が互いの談話をたたえ合うのは勝手ですが、「村山談話」で中国は日本に謝罪を求めなくなったのか日中関係はよくなったのか、あるいは「河野談話」で韓国はおとなしくなったのか日韓関係は現在良好なのか?
決定的に否です、かえって悪化しているとも言えましょう。
謝っても謝らなくても事態は変わらないのならば、幸い首相談話の謝罪にこだわっているのは中韓二ヵ国だけです(米国も一部村山談話継承を希望する発言がありますが、これは明らかに韓国がまたダダをこねて疲れるから、ひとつ安倍ちゃんお願いしますよ的な要望などで除いていいでしょう)から、謝る必要はまったくないのであります。
謝っても謝らなくても事態は変わらない
これ実に重要なことです。
ならば、安倍さんは談話にて謝罪することはないのですが、当ブログが安倍さんの立場ならば、この談話を利用して将来に渡り日本に益する、誰もが予想もしない曲球(くせだま)を投げるのも一考だと思います。
失うものはどうせ何もないです。
当ブログが発案する「曲球」談話はこうです。
中国にだけ謝罪し韓国は無視するのです。
これは実に簡単です。
安倍談話は原則、大筋で村山談話を継承するのです。村山談話のコア部分を確認しておきましょう。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
ここから「植民地支配」だけ削除するのです。
理由は単純明快です。
世界で過去の植民地支配を謝罪した宗主国など、日本以外、まったく存在しないからです。
オランダのインドネシア支配は350年間続きましたが、独立戦争に敗れたオランダは、インドネシアに謝罪や賠償をするどころか、逆にインドネシアの独立を認めるに際しては、60億ドルの補償金をインドネシアに要求しています。
しかるに日本は、韓国・北朝鮮に対し残した資産は全て権利放棄、それどころか戦後、特に韓国には、いろいろな名目で多額の金額を支払ってきています。
すでにお金も含めて決着がとうについている「植民地支配」は、日本は二度と謝罪しないことにするのです。
・・・
中国にだけ謝って韓国には謝らない
これ国際的には旧連合国側(中国含む)は満足してくれることでしょう。
これぐらいの曲球が投げられたら安倍首相も大した政治家であります。
ふう。
(木走まさみず)