木走日記

場末の時事評論

集団的自衛権「日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた」(朝日社説)〜中国の脅威に具体的対論も示せず能天気な政府批判をしている朝日社説が何を言う

 当ブログでは3月に「突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない」と近年の中国の軍事大国化のペースが尋常ではないことに対して警鐘を鳴らし、合わせて「日本のメディアの分析は甘い」とメディア批判を展開いたしました。

2014-03-07 突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない 編集
■[中国]突出した伸び率で軍事大国化を計る中国は実は無理をしていない〜日本のメディアの分析は甘い
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20140307

 このエントリーはネット上で注目をいただき少なからずの議論がありました。

 検証内容を振り返ります。

■図1:東アジア四か国の軍事費推移

中国の軍事費の伸びが突出していることがわかります。

 1989年からのこの四半世紀で実に中国の軍事費は9倍に膨張しているわけです。

■表2:東アジア四か国の軍事費、直近25年間の伸び率

Country 1989 2013 伸び率
China 18336 166107 9.059
Korea 14826 31660 2.135
Japan 46592 59271 1.272
Taiwan 10810 10721 0.992

 この四半世紀において韓国は2倍にしておりますが日本や台湾が軍事費がほとんど伸びていない中、中国は実に9倍を越える膨張を示しています。

 これをもって日本のメディアはその絶対額において中国の軍事費の突出ぶりを論じています。

 しかし当ブログが「日本のメディアの分析は甘い」としたのは、もう一歩踏み込んで統計数値を押さえておきたかったからです。

 当該エントリーより抜粋引用。

 統計情報は生の絶対的数値だけで分析すると起こっていることを見落としてしまうことがよくあります。

 中国の軍事費をその伸び率だけで追えばかなり無理して軍事力強化を図っている印象を与えますが、はたして実態はどうなのでしょうか。

 参照しているストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計データがほぼ正確な値だとして、ここで軍事費の各国のGDPに占める割合でグラフ化してみましょう。

 中国、韓国、日本、台湾に、参考までに米国、ロシア、インド、パキスタンを新たに加えてみます。

■図2:主要国の軍事費推移(対GDP比)

 日本がほぼ1%で推移しているのに対し中国はほぼ2%で推移していることが見て取れます。

 これは3〜6%で推移している米国やロシヤ、3%前後で推移している韓国やインドよりも低い数値なのです。

 中国軍事費の財源全体は、表に出ている国防費の2倍以上ともいわれていますので、このグラフでもって断定的な分析は避けるべきでしょうが、ひとつだけ確信的に判断できることは、中国がその国力に比較して突出して軍事費を膨張させているわけではないということです。

 この統計数値が示す事実は、各紙社説が「とどまるところを知らぬ中国の軍拡には警戒を強めざるを得ない」(産経)という絶対的数値に対する警鐘より以上の深刻な現状を示しています。

 絶対額では世界の中で突出した軍事費の伸び率を示している中国ですが、実は国力に応じた軍事費に抑制している、決して無理をしていないという事実は、私たちは深刻に受け止めるべきでしょう。

 日本のメディアの分析は甘すぎると考えます。

 ・・・

 高坂哲郎記者による「中国が日本に仕掛ける軍拡競争 戦力逆転の分水嶺」という記事が30日付けで日本経済新聞電子版に掲載されています。

中国が日本に仕掛ける軍拡競争 戦力逆転の分水嶺
(4/4ページ)2014/6/30 7:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2703M_X20C14A6000000/

 たいへん秀逸な分析記事であり、未読の読者は是非ご一読することをお勧めしますが、記事の結びでは、日本が中国の軍拡に対抗するには、「必ずしも中国と同規模の軍事力を持つ必要はない」、「集団的自衛権の行使容認は米軍との連携深化」、そして「有事への軍事面での備えはもちろんだが、あらゆる外交努力を含めた対応」と具体的な方策を挙げています。

■中国がみせた隙

 対抗上、日本も戦闘機の数を増やすオプションはあるだろうが、1000兆円の債務残高を抱えるなかで防衛費拡大には限界がある。

 ただ、中国にも隙が垣間見える。「中国共産党は大まかな方針を示すだけで、具体的な動きは軍に丸投げしているため軍の挑発行動が頻発している」(中国軍に詳しい情報筋)。軍の暴走というよりも、軍事費拡大で手にしたばかりの新型装備を使ってみたくてたまらない子供のような心境に近い。結果的に、周辺国の警戒を呼び、軍事バランスを均衡させる力学が働く。

 日本は限られた防衛予算の中、必ずしも中国と同規模の軍事力を持つ必要はない。現代の航空戦では相手の3分の1の戦力を失わせることができれば、相手は作戦を維持できなくなる。中国が「日本を攻めるのは厄介だ」と思わせることが戦略目標となる。

 集団的自衛権の行使容認は米軍との連携深化で、尖閣有事の際に米軍が「見てみぬふり」ができない状況をつくる方策のひとつだ。中国の南シナ海での強硬姿勢の結果、フィリピンやベトナムなど日本の味方も増えている。有事への軍事面での備えはもちろんだが、あらゆる外交努力を含めた対応が欠かせない。

 うむ、当ブログとして高坂哲郎記者の分析に同意致します。

 中国の急激なペースによる軍拡に日本一国で対抗する必要はなく(国家財政上対抗する能力も日本は残念ながらないでしょう)、集団的自衛権の行使容認とフィリピンやベトナム、インドなどあらゆる外交努力を含めた対応を、早急にとらなければなりません。

 ・・・

 30日付け産経新聞記事から。

行使容認へ「7月1日に閣議決定したい」 菅長官
2014.6.30 12:05

 菅義偉(よしひで)官房長官は30日午前の記者会見で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈見直しに関する閣議決定の時期について「与党間の調整ができれば、7月1日に行っていきたいことに変わりはない」と明言した。政府が公式に閣議決定の具体的な日程に言及するのは初めて。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140630/plc14063012050013-n1.htm

 菅義偉官房長官憲法解釈を変えて集団的自衛権を使えるようにする閣議決定を7月1日に行う意向を表明いたしました。

 筋論から言えば憲法改正が正しいのは承知ですが、それでは複雑な手続きと長い時間が必要となります、中国の異常な軍拡ペースを考えると、時間が許しません。

 ・・・

 さてです。

 この最近の一連の動きに対して、28日付け朝日新聞社説は「ごまかしが過ぎる」とのタイトルを用いて、政権大批判を掲げています。

(社説)集団的自衛権 ごまかしが過ぎる
2014年6月28日05時00分
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11213582.html

 社説は冒頭から、「自民党公明党はきのうの協議で、これは「形式的な変更」であり「憲法の規範性は変わっていない」とわざわざ確認した」ことを、「理解不能。身勝手な正当化だ」と痛罵いたします。

 「憲法上許されない」と言ってきたことを、これからは「できる」ようにする。

 いま、自民党公明党が続けている集団的自衛権の議論の本質は、こういうことだ。

 憲法の条文を改めて「できる」ようにするならば、だれにも理解できる。だが、安倍政権はそうしようとはしない。

 憲法の解釈を変えて「集団的自衛権の行使」をできるようにする。いままでとは正反対の結論となるのに、自民党公明党はきのうの協議で、これは「形式的な変更」であり「憲法の規範性は変わっていない」とわざわざ確認した。

 理解不能。身勝手な正当化だと、言わざるを得ない。

 今回の閣議決定案が「72年の政府見解を根拠としている」ことを、「その組み立てはそのままに、結論だけ書き直す。そんな都合のいいことは通らない」と批判します。

 与党の政治家はこぞってこの理屈を認め、閣議決定を後押しするのか。考え直す時間は、まだ残されている。

 きのう政府が与党に示した閣議決定案の改訂版は、72年の政府見解を根拠としている。

 その論理の組み立ては、憲法前文や「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」への尊重を求めた13条の趣旨を踏まえれば、9条は「必要な自衛の措置」をとることは禁じていないというものだ。

 しかし72年見解は、武力行使が許されるのは日本に対する急迫、不正の侵害に対してであって、他国への武力攻撃を阻止する集団的自衛権は「許されない」と結論づけている。

 その組み立てはそのままに、結論だけ書き直す。そんな都合のいいことは通らない。

 「国連決議に基づく集団安全保障の扱い」などが「閣議決定に書き込めないことでも、実はできると説明」しているとし、「その場しのぎのごまかし」、「理屈にならない理屈」と批判します。

 さらに見過ごせないのが、国連決議に基づく集団安全保障の扱いだ。

 安倍首相は、集団安全保障の枠組みでの武力行使は否定していた。ただ、それでは自衛隊によるペルシャ湾などでの機雷除去ができなくなるとみた自民党が、これを認めるよう提案すると、公明党は猛反発。この問題は棚上げされた。

 だから閣議決定案にこのことは明示されていない。ところがきのう明らかになった想定問答には、機雷除去などは「憲法上許容される」と書いてある。その場しのぎのごまかしだ。

 理屈にならない理屈をかざし、多くの国民を理解できない状況に置き去りにして閣議決定になだれ込もうとしている。閣議決定に書き込めないことでも、実はできると説明する。

 社説は、現状を「日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた」と一刀両断し、「あとに残るのは、平和主義を根こそぎにされた日本国憲法と分断された世論、そして、政治家への不信」であると結んでいます。

 日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた。

 あとに残るのは、平和主義を根こそぎにされた日本国憲法と分断された世論、そして、政治家への不信である。

理解不能。身勝手な正当化だ

そんな都合のいいことは通らない

その場しのぎのごまかしだ。

理屈にならない理屈

国民を理解できない状況に置き去り

リアルな議論はどこかに消えた

平和主義を根こそぎにされた日本国憲法

 うむ、冒頭から結びまで、猛烈な形容の批判の言葉で、政府の憲法解釈を変えて集団的自衛権を使えるようにする閣議決定の動きを痛罵する朝日社説なのであります。

 「日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた」ですか?

 そのままこの言葉は朝日新聞論説室にお返ししたいです。

 集団的自衛権容認なしで、いったいここ10年急速に巨大化しつつある中国の軍事的脅威と日本はどう向き合うべきなのか、朝日新聞のこの社説のどこに「日本の安全を守るためのリアルな議論」が示されているというのか?

 批判のための批判ではなく、たしかに現実的な脅威に対する「日本の安全を守るためのリアルな議論」が今こそ必要でしょう。

 「日本の安全を守るためのリアルな議論はどこかに消えた」、その言葉はそのまま、具体的対論も示せず能天気な政府批判をしている朝日社説に当てはまるのではありませんか?



(木走まさみず)