木走日記

場末の時事評論

従軍慰安婦問題:朝日の異常な「自己正当化」報道は国益を損ねる

 朝日新聞が「従軍慰安婦問題」でまたしても独占スクープ記事を掲載、1面トップ記事から社会面まで動員したのは今年の10月13日付けの紙面でした。

慰安婦記録、出版に「懸念」 93年、日本大使館インドネシア側に伝達
http://digital.asahi.com/articles/TKY201310130420.html?
表現の自由、軽視外交 「勇み足」批判も 「慰安婦」出版懸念
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201310130430.html?ref=reca
慰安婦問題の拡大阻止 92〜93年、東南アで調査せず 外交文書、政府見解と矛盾
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201310120621.html?ref=reca

 朝日新聞の独自調査で、「韓国で沸騰した慰安婦問題が東南アジアへ広がるのを防ぐ外交を進めたことが明らかになったが、高須氏の動きは文学作品発禁を促すものとみられ、当時のスハルト独裁政権言論弾圧に加担したと受け取られかねない」事実が判明したとのことです。

 駐インドネシア公使だった高須幸雄・国連事務次長が1993年8月、旧日本軍の慰安婦らの苦難を記録するインドネシア人作家の著作が発行されれば、両国関係に影響が出るとの懸念をインドネシア側に伝えていた。朝日新聞が情報公開で入手した外交文書などで分かった。
▼2面=ニュースがわからん!、36面=「勇み足」批判も
 日本政府が当時、韓国で沸騰した慰安婦問題が東南アジアへ広がるのを防ぐ外交を進めたことが明らかになったが、高須氏の動きは文学作品発禁を促すものとみられ、当時のスハルト独裁政権言論弾圧に加担したと受け取られかねない。

 当ブログではさっそく『従軍慰安婦問題〜朝日新聞による際限の無い『負の拡散』報道を検証する』と題してこのスクープ記事を取り上げました。

2013-10-15■[メディア]従軍慰安婦問題〜朝日新聞による際限の無い『負の拡散』報道を検証する
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20131015

 当ブログではメディア論的分析を試み、朝日新聞が「メディアとして「従軍慰安婦問題」関連の事案に並々ならぬ報道価値を見出していること」と「朝日新聞読者に発信しているこれらの記事は、実際には国際的に発信されて「日本の朝日新聞によると」という体裁で広く海外に波及していく点」を指摘しました。

 本エントリーではこの朝日新聞の報道に関して、メディア論的な分析を試みたいと思います。

 まず朝日新聞として独自に20年前の「情報公開で入手した外交文書」の洗い出し作業を行っていることの意味することは、メディアとして「従軍慰安婦問題」関連の事案に並々ならぬ報道価値を見出していることが理解できます。

 20年前までに遡って「情報公開で入手した外交文書」をトレースしていること、1面トップから社会面まで割いて関連記事を掲載していること、これらの事実から本報道は朝日新聞社を挙げての「スクープ」記事掲載であると容易に推測できます。

 メディア論的に興味深いことは、朝日新聞読者に発信しているこれらの記事は、実際には国際的に発信されて「日本の朝日新聞によると」という体裁で広く海外に波及していく点です。

 本件でも、国内で朝日新聞以外が取り上げていない段階で、韓国主要紙が一斉に取り上げるという現象を招いています。

 韓国主要紙はこの「従軍慰安婦問題」に関する朝日新聞独占「スクープ」記事を大きく速報いたします。

 「朝日新聞が14日報じた」と報じる韓国・朝鮮日報記事。

慰安婦:「日本政府、インドネシアで記録本出版に圧力」
1993年、インドネシア政府に日本の公使が懸念伝える
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/15/2013101500716.html

 同じく「朝日新聞が14日報道した」と報じる韓国・中央日報記事。

日本、「慰安婦本」出さないようインドネシアに圧力
2013年10月15日08時23分
http://japanese.joins.com/article/100/177100.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|main|top_news

 ・・・

 さて朝日新聞は11月28日付け紙面にて、1面を埋め尽くすインドネシア従軍慰安婦問題」独占スクープ記事第二弾を掲載いたします。 

慰安婦問題、インドネシアの女性証言 「日本軍のテントに連行された」
2013年11月28日05時00分
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311270675.html?_requesturl=articles/TKY201311270675.html&ref=comkiji_txt_end_s_kjid_TKY201311270675

 記事の量にまず圧倒されます、詳細はネット上で確認できますので直接お読みいただくとして記事の冒頭部分。

 慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。日本政府が約20年前、東南アジアへの波及を防ぐ外交を水面下で進めていたことを朝日新聞は報じた。1942年に日本が占領したインドネシアには、現在も「旧日本軍から性暴力を受けた」「慰安婦だった」と証言する女性がいる。被害状況さえ解明されないまま置き去りにされた彼女たちに会いに行った今夏の取材を報告する。

 「慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない」で始まり「被害状況さえ解明されないまま置き去りにされた彼女たちに会いに行った今夏の取材を報告」とあります、この記事は鬼原民幸、板橋洋佳両記者の連名です、現地への取材チームの派遣による本格的調査、また、記事後半の<報道の経緯>で「90年代の慰安婦問題に関する数千枚の外交文書を情報公開で入手し、当時の政府高官らの証言とあわせ、慰安婦問題の拡大を防ごうとした日本外交の裏側」を報道したとあります、並々ならぬ取材体制でこの一連のスクープ記事を掲載したことが理解できます。

<報道の経緯>

 朝日新聞は90年代の慰安婦問題に関する数千枚の外交文書を情報公開で入手し、当時の政府高官らの証言とあわせ、慰安婦問題の拡大を防ごうとした日本外交の裏側を10月13日付朝刊で詳報した。日本政府が当時、韓国で大きくなった慰安婦問題が他国に波及するのを恐れ、東南アジアで聞き取り調査をしなくて済むよう動いていたという内容。

 記事の構成は現地での直接の取材による元「従軍慰安婦」達の発言が中心ですが、後半には日本がインドネシアに対し慰安婦問題の償い事業を実施してきたことに触れつつ、「インドネシア全土には少なくとも40カ所弱の慰安所があり、300人以上の慰安婦がいた」とする調査報告書の内容を強調しています。

 ■「全土300人以上」の記録も

 日本はインドネシアとの個別の平和条約(58年発効)に基づき約2億2千万ドル(約803億円)を賠償し、戦後処理の一環として約1億8千万ドル(約637億円)の経済協力などを実施した。慰安婦問題の償い事業のため、日本政府の主導で95年に設立された「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)も償い金として3億7千万円を支援。インドネシア社会省は高齢者福祉施設69カ所の建設や修繕費に充てた。

 基金の記録によると、スラウェシ島の21カ所を含め、インドネシア全土には少なくとも40カ所弱の慰安所があり、300人以上の慰安婦がいた。これらの数字は「南部セレベス売淫施設(慰安所)調書」などに基づくものだ。

 基金は調査報告書でインドネシアには中国、朝鮮、台湾出身の慰安婦もいたが、「多くは村落社会から募集された」と指摘。軍が管理した慰安所以外に「特定の部隊が独自に女性を集めて自分たちだけが利用した私設の慰安所のようなところ」もあったとした。

 93年に現地調査した日本弁護士連合会は女性8人から「慰安婦にされた」との証言を得た。その報告書に「慰安所が各地に設けられ、若い女性が性的関係を強要された」とまとめた。

 記事の結びでは「彼女たちの証言を完全に裏付ける資料は見つからなかったが、内容は克明で信用できた」とし、「70年たった今も彼女たちは苦しみ続けていた。」と結ばれています。

 ■内容は克明、答えに矛盾なし

 取材班は今年7月、スラウェシ島に約2週間滞在し、元慰安婦や目撃者と名乗る約20人と会った。インドネシアには多様な地域語があり、多くの場合、日本語からインドネシア語、そして地域語に2度の通訳を介して話を聞いた。取材を拒む人や、記事にしない条件で話す人もいた。

 彼女たちの証言を完全に裏付ける資料は見つからなかったが、内容は克明で信用できた。連行の様子や閉じ込められた部屋の特徴、どんな辱めを受けたか、解放後どうやって帰宅したか、どれも具体的だった。

 金銭を受け取ったか、どうして逃げなかったのかという話しづらいことも聞いた。金銭を受けたという人はおらず、見張りや仕返しが怖くて逃げられなかったという答えが相次いだ。同じことを角度を変えて何度か聞き直しても答えに矛盾はなかった。70年たった今も彼女たちは苦しみ続けていた。

 記事のあとには「■日本兵から性被害を受けたという女性たちの主な証言」として主な証言内容の一覧が付されています。

 ■日本兵から性被害を受けたという女性たちの主な証言

【名前】 証言内容

     *

【テンバ】 自宅から連行。昼は紡績工場で強制労働、夜は宿舎から出られず。特定の日本兵が毎週のように部屋へ。4カ月後に解放。家族に打ち明けてこなかった。

【イタン】 市場から複数の女性とともに連行。3畳ほどの部屋で3カ月間、何人もの日本兵の相手に。自殺も考えた。今も寝る前や食事の時に記憶がよみがえる。

【チェンボ】 道端で物売り中、常連の日本兵によって連行。3カ月の監禁後、その日本兵と結婚し妊娠。終戦で離別してから連絡が取れず、1人で子どもを育てる。

【ミナ】 畑の帰りに父親の目の前で連行。1年以上、毎日複数の日本兵に辱められる。誰も避妊せず2回妊娠し、流産した。銃で殴られ右目を失明した。

【ミナサ】 自宅近くの森に連行。草を布団代わりにして犯される。終われば帰宅できたが、3人の日本兵がほぼ毎日やって来た。今も日本人が怖く、憎んでいる。

【アティ】 自宅から日本軍管理の石灰工場へ連行。朝から働き、午後は部屋に複数の日本兵が。数カ月後に隙を見て逃亡。心が壊れた体験で、詳しく話したくない。

【サニアガ】 村長に命令され日本軍の施設に。強制労働中に何度も「バッキャロー」と言われた。自分の経験は話せないが、日本兵の子を妊娠して殺された女性もいた。

 (敬称略。すべて取材班への証言。現在の年齢はいずれも80〜90代)

 ・・・

 記事全編を通じて本報道に対する朝日新聞の力の入れ用がよく理解できるのですが、なぜ朝日新聞はこのタイミングで全国紙の1面を大きく飾るほどのボリュームでもって繰り返し70年も前のインドネシアの「慰安婦問題」を執拗に報道するのか、その報道意図は正しく読み取る必要があります。

 朝日新聞の報道意図は記事冒頭の一行に露出しています。

 慰安婦問題は日韓間だけの問題ではない。

 慰安婦問題は韓国だけではなくインドネシアでも多くの女性が日本軍により凌辱されていた「事実」を読者に伝える意図がはっきり見えます。

 そして朝日新聞も認めるとおり、まったく「彼女たちの証言を完全に裏付ける資料は見つからなかった」にも関わらず、発言や伝聞だけでこれだけのボリュームの記事を「スクープ」として朝刊一面トップに掲載しているわけです。

 ・・・

 まとめです。

 インドネシアの「慰安婦問題」を執拗に報道する朝日新聞の意図は「自己正当化」にあると読み取れます。

 当ブログで過去に検証したように、いわゆる「従軍慰安婦問題」がここまで国際化したのは一連の朝日新聞捏造報道にあることは疑いようが無い事実であります。

2012-09-01 「河野談話」の真の生みの親は朝日新聞である
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20120901

 今回の朝日のスクープ記事を分析するにおいて朝鮮における従軍慰安婦問題の朝日新聞捏造報道が発端であることは根本的な重要部分でありますので、過去のエントリーから当該部分を再掲します。

 本件に関わる捏造報道の始まりは、河野談話が発表される11年前の82年9月2日、朝日新聞は「朝鮮の女性 私も連行」と題する「スクープ」記事を大きく掲載します。
(前略)
  その証言が始まると、大阪の500人の聴衆はしんとして聞き入ったという。
 「当時、われわれは『狩り出し』という言葉を使っていた・・・泣き叫ぶというような生やさしいものではない。船に積み込まれる時には、全員がうつろな目をして廃人のようになっていた・・・」
 これは、昭和18年夏、わずか一週間で朝鮮・済州島若い女性200人を狩り出した吉田清治氏の懺悔だ。吉田氏は女工から海女まで手当たり次第に拉致し、慰安婦に仕上げたという。
(後略)
 これ以後、吉田氏は朝日紙面に何度も登場し、従軍慰安婦の悲惨さを語り尽くします。
 しかしこの吉田証言は完全な作り話でした。証言が本になってすぐに現地の『済州新報』が取材していますが、一つも事実が見つかりませんでした。また韓国の郷土史家は何年も調査し、拉致の事実はなかったと断定、吉田の本を『日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物』とこき下ろします。
 つまり、吉田氏は本を売って儲けるため、嘘八百を並べ立てたということです、最後には吉田氏自身が「証言は捏造だった」と認め、朝日新聞も《氏の著述を裏付ける証拠は出ておらず、真偽は確認できない》(97年3月31日付)と、「証拠は出ておらず、真偽は確認できない」ことは認めます。
 しかしこの証言は独り歩きし、その後「日本軍が韓国人女性を性奴隷にした」ことが国際的に広まってしまうきっかけを作りました、吉田氏を祭り上げた朝日新聞の罪は極めて重いといっていいでしょう。
 朝日の大スクープ第二段は、91年8月11日付の《元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く》という記事で、元従軍慰安婦が初めて名乗りを上げたことを報じたものです。
 この記事は『女子挺身隊の名で連行され』と書いてありますが、実はこれは大捏造であり、名乗りを上げた金学順さんは女子挺身隊で連行されたのではなく、母親に40円でキーセンに売られたと明言していることが今ではわかっています。
 問題は、記事を書いた朝日ソウル支局記者の韓国人妻の母が、太平洋戦争遺族会の常任理事だったことです。
 この団体が金学順さんに日本政府相手に裁判を起こすよう勧めるんです。キーセン出身を隠し、しかも身内を利する記事を書いたわけで、悪意に満ちた意図的な捏造報道であります。
 この第二段捏造記事は朝日の狙い通り、国の内外で大反響を起こします、この記事が一つのきっかけになって1991年12月の政府による従軍慰安婦問題調査開始に繋がっているのです。
 さて朝日捏造記事により日本政府は従軍慰安婦問題調査開始にまで追い込まれていったわけですが、ここで朝日新聞は第三弾の記事を1面トップで報道します。
 政府が調査を開始した翌月、すなわち1992年1月11日付の1面トップで《慰安所 軍関与の通達・日誌 募集含め監督・統制》という記事を掲げます。
 この陸軍資料は『慰安婦募集に際して業者が悪どい手口を使うので取り締まれ』という内容なだけなのに、それをあたかも『軍の関与』とさも悪いことのように報じます。
 この記事は当時の宮沢喜一政権にとって最悪のタイミングとなります、宮沢首相が訪韓する5日前で、それまで国の介入を否定していた日本政府に、決定的な「圧力」を加える意図を感じます。
 この記事も大反響を起こし、記事を受け、当時の加藤紘一官房長官は事実調査の前に「お詫びと反省」の談話を発表してしまうのです。
 そしてあわれ宮沢首相は、空港に押し寄せた大デモ隊の罵倒する声に迎えられ、韓国で宮沢首相はなんと8回も謝罪するハメになるのです。
 このような朝日新聞の悪意ある報道により、日本政府はどんどん追い詰められていったわけです。
 そして、93年8月4日、「河野談話」が表明されます。

 自らの「従軍慰安婦問題」に関する捏造報道を検証・訂正することなく、新たな「スクープ」記事を起こして自己の主張の補強をする、さらに言えば韓国紙などの海外メディアが追随することを計算に入れつつその影響力を利用しようとしている、このような分析が成り立つといえましょう。

 この問題、過去の朝日新聞の報道に遡って公正公明な検証が必要なのだと考えます。

 事実誤認・捏造を発端とした際限の無い『負の拡散』報道は、日本を代表するメディアとして許されるものではありません。

 この朝日の異常な「自己正当化」報道は国益を損ねると考えます。



(木走まさみず)