木走日記

場末の時事評論

日本政府の単独対応では超円高は止まらない〜40年間の円高基調がここ5年再び加速し始めている

 21日の海外の外国為替市場で円相場が1ドル=75円78銭をつけ、戦後最高値(75円95銭)を更新いたしました。

 くしくも日本政府が閣議で「円高への総合的対応策」を決定した同じ日に過去最高値を更新したわけです。

 今年になって3回目の最高値更新であります。

 今回の欧州の財政・金融危機をきっかけにした「超円高」ですが、市場では歴史的な円高水準が長期化するとの見方が支配的です。

 構造的な背景があると考えられているからです。

 まず日米欧の景況感格差が潜在的円高要因となっています。

 日本経済は東日本大震災の復興需要がけん引して回復途上にありますが、欧米では減速懸念が台頭しています。

 欧米とも財政出動する余裕は無く、アメリカでは米連邦準備理事会(FRB)が量的緩和第3弾(QE3)に動くといった憶測もあり、先行き日米の金利差が縮小するとの思惑も円買いを促している面があります。

 そしてここ数年、危機のたびに円高の主因となっている「リスク回避のための円買い」の動きです。

 欧州債務危機新興国から投資資金を引き揚げる動きが加速、相対的に安全とみられやすい円が逃避通貨として買われているわけです。

 この動きが対円ドル安、対円ユーロ安だけでなく、新興国の通貨安まで起こしており、結果、円の完全な独歩高の様相をしめしているわけです。

 政府は2兆円規模の「円高への総合的対応策」を考えているようです、安住淳財務相は「必要な場合には断固たる措置をとる」と強調していますが、日本単独介入でこの円高の流れに歯止めをかけられるかどうか、残念ながらはなはだ疑問なわけです。

 今回はこの歴史的な「超円高相場」について、過去40年の円ドル為替レートの推移から長期的視点ですこしマクロ的に考えてみたいと思います。

 1971年から40年間の為替レートの推移をグラフ化いたしました。

 ご覧のとおり、この40年間数年にわたる円安の波はありながら、基調としてはほぼ一貫した円高傾向にあります。

 ほぼ一貫した円高傾向にあるにはあるのですが、グラフにも書き込みましたが、この40年間を便宜上3つのフェーズに分けてみました。 

 1971年のいわゆるニクソン・ショックで戦後の1ドル360円の固定相場制は終焉を向かえ、1ドル308円のスミソニアン体制の後、1973年2月から変動相場制に移行されます。

 1971年の1ドル360円から1990年のバブル崩壊までの19年間で360円から129.22円(90年)、円の価値は3倍に高まります、均(なら)しますとこの期間に円は毎年12.15円平均で高くなっております。

 このフェーズ1では、高度経済成長を遂げGDP世界第二位の経済力を身につけた日本が、360円という固定相場からその経済力ににあった通貨円の価値を高めていった時代だと申せましょう。

 1978年にはじめて1ドル200円を突破、78年年末には一時1ドル180円を突破いたしました。

 アメリカのカーター政権下でのドル防衛政策の他、イラン革命の進行によるオイルショック懸念、ソ連アフガニスタン侵攻で再びドル高となり、1980年には1ドル250円付近まで円安が進みますが、1985年秋のプラザ合意によるドル安誘導政策で急激に円高が進行いたします。

 プラザ合意発表直後に円ドル相場は20円ほど急騰し、1985年初には250円台だった円相場が1986年末には一時160円を突破します、その後も円ドル相場は史上最高値を更新し続け、1ドル120円台にまで上昇いたします。

 日本国内では、激しい円高の影響で、輸出産業が打撃を受ける一方で、超低金利時代を背景に金余り現象が発生し、バブル景気へと向かいます。

 1990年にバブル崩壊するまで円ドル相場は円安傾向となりますが、以上のように細かなアップダウンはありながら、結果としてこのフェーズ1の19年間で日本は、円の価値を3倍に高めてきたのです。

 バブル崩壊の1990年から世界同時株安が発生する前年にあたる2006年までの16年間をフェーズ2とするならば、この期間は1ドル100円を割る円高を経験しますが、結果的には緩やかな円高傾向の時代であったといえましょう。

 1990年の1ドル129.22円から2006年の117.32円まで、円の価値は1.1倍と微増、均しますとこの期間に円は毎年0.74円平均で微増してきたことになります。

 1994年にはじめて1ド100円の大台を突破、1995年4月19日には79円75銭と瞬間1ドル=80円割れを記録いたします。

 その後、超円高から円安へと向かいます、1998年秋には一時1ドル=140円台まで下落します。

 円安が底打ちすると急激に巻き返し、2000年初頭までに103円台まで値を上げます。

 2001年のアメリカ同時多発テロ事件で金融市場は大混乱し、ドルと米株の暴落に連動して円相場も急落、2002年初頭までには1ドル130円台まで値を下げますが、国内ではいざなぎ越えの景気が始まるとともに円相場も持ち直し、2002年下半期までには120円前後まで上昇、2003年5月にりそなグループが公的支援を決定すると一気に円は買われ急上昇、2004年初夏には100円近くまで値を上げました

 2004年以降は円安傾向に移行します、ゼロ金利政策がより拍車をかけ、円キャリートレードの傾向が円売りを加速させた結果だといわれています。

 このフェーズ2の16年間は以上のように短期的には円高局面と円安局面を繰り返しながらですが、長期的には緩やかな円高傾向を示していたといえます。

 そして2006年からのここ5年間、円高の傾向はフェーズ3へと進みました。

 グラフの傾きは明らかに円高傾向が強まっています、このフェーズ3の2006年から2011年の5年間では、117.32円(06年)から、75.78円(2011年10月22日)と、円はわずか5年で1.55倍も価値を高めています、この期間でならすと毎年8.35円平均で円高が進んでいることがわかります。

 過去40年間の推移から考えるに、円という通貨の独歩高の様相を呈しているこのフェーズ3における歴史的円高局面の流れを食い止めることは、相当にインパクトのある経済活動の基礎的要因の変化がなければ難しいと思われます。

 日本の財政事情も決して褒められた状態ではないのですが、このフェーズ3を通じて通貨円はほぼすべての海外通貨に対して円高、独歩高となっております。

 その理由は主として欧米経済側にあり、日本一国ではその流れを止めることは至難であります。

 このフェーズ3の5年間においては「リスク回避のための円買い」の動きが顕著なのであり、よほど欧米経済が回復しない限りは円高基調は変わらないことでしょう。

 ひとつのあってはならない予測としては日本が財政破綻すれば局面は大きく円安と動くわけですが、その場合は円高不況どころか日本経済は大混乱に陥ることでしょう。

 ・・・

 過去40年間の中長期的な為替レートの傾向で見る限り、小手先の介入などでは、この円高局面を阻止することは難しいと思います。

 ならばです。

 長期化することを覚悟の上で、冷静な政策を考えたほうがよろしいと思います。

 円高が輸出産業に痛手なのはそのとおりですが、逆に日本の経済力はドルベース、ユーロベースでこの5年で1.5倍も跳ね上がっていることになります。

 海外の資源確保や企業買収、海外投資には絶好の機会であるとも考えられます。

 円高メリットを最大限生かすような政策が望まれます。


 
(木走まさみず)