「コモディティ化」していた電力を「ブランド化」する好機
今こそ電力は「ブランド化」すべきであります。
その発電手段によって電力を「ブランド化」し、選択できるようにすべきです。
そのためには電力市場の完全自由化と電力会社が独占してきた「発電」「送電」「配電」の各事業の分離が有効だと思います。
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■電力という商品は「ブランド化」する好機
米国マーケティング協会によれば、ブランドとは「ある売り手の製品及びサービスを識別し、競合他社のものと差別化することを意図した名称、言葉、記号、シンボル、デザイン、あるいはその組み合わせ」のことであります。
ダートマス大学のケビン・ケラー教授は顧客の立場からブランド・エクイティを捉え、「あるブランドのマーケティングに対応して生じる消費者の反応に、ブランド知識が及ぼす効果の違い」と定義しました。
ブランド価値が生まれる顧客の心理プロセスに着目する、消費心理学者であるケラー教授のモデルでは、ブランド知識(ブランドに関して顧客が持つ知識)こそが重要な概念となります。
消費心理学の研究によってブランド知識の概念は精緻化され、ブランド価値への理解はいっそう高まったのです。
ケラー教授は、顧客から見たブランドの価値構造をピラミッドで表しました。
土台はブランド認知で、そもそも顧客がブランドの存在を知っているかどうかがブランド知識の出発点になります。
ブランド認知は「再認」と「再生」に分かれ、再認はブランドを提示された際に認識できるかという指標であり、再生はあるカテゴリーからそのブランドを想起できるかという指標であります。
その上層にはブランドの「機能」と「イメージ」が、さらに上層には「判断」と「情緒」が、そして頂点には「共鳴」が位置しています。
「機能」は製品の機能・性能やスタイル、デザイン、顧客サービス力などに対する理解を、「判断」は「機能」に基づく品質や利便性、信頼性などに関する顧客の評価・判断を示しており、ともに思考にかかわる左脳系の連想であります。
一方、「イメージ」はブランドの誠実さや洗練度、個性などに関する印象を、「情緒」は明朗感やポシティブ感、満足感といった顧客の感覚を指しており、ともに感性・感情にかかわる右脳系の連想であります。
また、ブランドへの好意や自分との適合感、ロイヤリティ、関心などに反映され、顧客が深く価値観の部分でブランドに共感・同一化している状態を表すのが「共鳴」であります。
このように、ブランド知識とは認識や理解だけでなく、感覚や感情、価値観なども包摂する概念で、顧客とブランドの関係は認知から始まって、共鳴にまで深まる可能性を持っているわけです。
企業は自社ブランドが持つ属性やビジョンなどと摺り合わせながら、顧客とどのような関係性を築き上げられるかを考え、最適なブランド・アイデンティティーを作成することになります。
今、電力という商品は「ブランド化」する好機といえます。
少々高くても再生可能エネルギーを選択する需要家も少なくないことでしょう。
一般家庭だけでなく企業も自社の消費する電力のエネルギー別消費量を公示する義務を設ければ、環境に優しい活動をしているのかという企業「ブランド」イメージに配慮する必要から企業も使用する電源に一定の配慮がでてくることでしょう。
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ある業界分野において、競争商品間の差別化特性が失われ、各商品が没個性化されることを「コモディティ化」と表現することがあります。
一般にコモディティ化が起こりやすいのは、機能や品質が向上してどの製品・サービスでも顧客要求を満たす(オーバーシュート)ようになり、さまざまな面で参入障壁が低く、さらに安定した売上が期待できる市場においてであります。
このようなコモディティ化は絶えずいろいろな市場で見られ、私の属するITなどハイテク産業でも、技術の普遍化・汎用化が指摘されているわけです。
現在の半導体市場がよい例ですがいったん「コモディティ化」が起こると、競争激化によって価格が下落し、企業収益が悪化します。
「コモディティ化」してしまうと、顧客が個別商品に「共鳴」することはなくなり単なる価格競争原理だけが市場を支配してしまうのです。
これに対して企業はさまざまな努力を行うわけですが、その1つが「ブランド化」への回帰であります。
コモディティ化していた市場から、ブランド化に回帰した成功例としたは、かつてコモディティであったコメに、「ささにしき」「こしひかり」「秋田小町」などのブランド米が登場した例などが挙げられます。
自由市場とは別にもうひとつ「コモディティ化」するのは1社独占市場です。
公共サービスなどに代表される独占市場では当然ながらサービスの平等性が重視されますから「ブランド化」は害悪でさえあります。
さて、日本の電力会社は地域独占企業であります。
福島第一原発事故以前、私たち国民は自分達がそれまで毎日当たり前のように消費してきた電力について、それこそ水や空気のように日常生活に必要不可欠なモノであるにもかかわらず、尽きぬ事のないもの、供給されて当たり前のモノとして捉えていました。
自分たちが使用している電力が何によって発電されているのか、そうした観点は公共財として国のエネルギー政策と言った大きな視点では語られても、一般商品なら原材料に当たる、自分の自宅の電力の発電手段の割合はどうなっているのか、関心がなかったのです。
その意味で電力は完全に「コモディティ化」していました。
■脱原発を促進するためには電力の「ブランド化」が必要
しかし、福島第一原発事故とそれにともなう電力不足のためと称される東京電力による計画停電により、首都圏が消費してきた電力の多くが原子力に依存していた現実をまざまざと思い知らされたのです。
日本の電力会社は、発電、送電、配電を独占してきました。
この体制が電力自由化に向けた動きを大きく妨げてきたことは、議論の余地はないでしょう。
脱原発に向けて再生可能エネルギーの普及を進めるために、特に発電と配電において、今こそ電力を完全自由化すべきです。
そうすればドイツなどのように各需要家は、大企業の工場などの大口需要家から一般家庭などの小口需要家まで、電力を「ブランド」によって選択可能になります。
なによりもコスト重視の企業はLPG火力50%+自家発電30%+風力20%、脱原発指向が強い家庭だったら太陽光30%+バイオマス30%+地元小規模水力20%+地元地熱20%といった、エネルギー源の選択をユーザーが能動的にできるような市場にするのです。
お米を買うのに大量に使用する食品会社は安価な「標準米」を、家庭では少し高いがおいしい「コシヒカリ」を、秋田料理店では「秋田小町」を、と自由に選択可能のように企業・家庭は電力を電源によって自由に選択可能にするのです。
そのためには電力会社以外の企業や自治体を含む組織が発電市場に自由参加可能にすることが大前提になります。
そして電力会社が独占してきた「送電」事業は公共インフラとして政府直轄か公社化して切り離し、後発企業の参入をし易くする必要があります。
現在でも地熱発電などのコスト面での最大のネックは送電設備建設にあります。
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今こそ「コモディティ化」していた電力を「ブランド化」する好機なのだと思います。
(木走まさみず)