木走日記

場末の時事評論

やさしき商店街の人たちと『やきにくのおばちゃん』

 私は、東京近郊の小さな商店街で生まれ育ちました。今日はその商店街の話から始めたいと思います。

キヨさんの話

 キヨさんは、私鉄沿線の商店街で小さなラーメン屋を営んでいる。彼女は今年69才。中学を卒業してすぐの昭和25年に愛知から東京に出て働き始めた。

 その後、新潟出身の旦那さんと知り合い、二人でお店を始めたのが昭和29年。以来、50年近く、元気にお店をきりもりしてきた。その間、二人の息子を育て、大学まで入れて、今では孫が5人いる。4年前に旦那さんを亡くされてからは、お店の2階の住居で一人住まいをしている。

 そんなキヨさんの今の楽しみは、週に一度の三味線のおけいこと、やはり週に一回ぐらい、近所のおばさん友達と行きつけのお好み焼き屋さんで飲んで食べておしゃべりすることだ。

 「息子達もそれぞれ親として家庭を持ち生活している。私は働ける限り今のお店を続けたい。息子の世話になるのは、その後でいい」と語るキヨさんは、今の生活に十分満足しているように見えた。明るい朗らかな性格で、商店街のみんなから「おかあさん」と呼ばれている。

 最近、そんなキヨさんの元気がない。あれだけ楽しみにしていた週に一度の三味線のおけいこにも来なくなったし、近所のお好み焼き屋さんにも顔を出すことがめっきり少なくなったという。

 どうしたのだろうと訳を聞くと、ここ数年で駅前に大手チェーン展開のラーメン屋さんが、あいついでできたことで、お客さんがめっきり減ってしまったのだという。

 お店が毎月赤字なので、息子達に何回か資金を援助してもらいどうにか維持してきたが、もう限界なのだそうだ。大好きな三味線のおけいこ代も飲食代も節約するぐらい切りつめて、それでも、赤字だという。

 「働き続けたい。お父さんと二人ではじめて50年続けてきた商売だもの。でも、いつまでも息子達に援助してもらうわけにもいかない。それぞれ家庭をもっているのだから。このままでは店じまいするしかない」

 キヨさんにいつもの人なつっこい明るい笑顔はなく、あきらめきったような寂しげな微笑みがあるだけだ。その目尻のしわに、彼女のどうしようもない絶望感を感じた。

 大手スーパーやファーストフード・チェーン店など大資本の進出・展開が続き、地元商店街の元気がない。家族や夫婦で経営する乾物屋さんや豆腐屋さんが街から姿を消し、そして、今、昨今のラーメンブームの陰で、小さなラーメン屋さんが店を閉じようとしている。

(木走まさみず)

 この拙文は、昨年10月、私が初めてインターネット新聞JANJANに投稿した記事です。

(参考)
『働くということ キヨさんの話』(2004/10/19)
http://www.janjan.jp/living/0410/0410189835/1.php


 キヨさんの店のそばに、子供の頃からよく家族で食事をした小さな『やきにく屋』さんがありました。10坪ほどの小さなお店をおばちゃん(私は『やきにくのおばちゃん』と呼んでました)が、一人で切り盛りしていました。

 炭火焼きで焼くその焼き肉の味は、とても素朴で今にして思えばそれほど高価な肉ではなかったのでしょうが、その店でときどき、家族で焼き肉を食べるのが、子供心にもとても楽しみでありました。

 『やきにくのおばちゃん』は在日韓国人でした。だんなさんとは死に別れ、一人息子はもう独立していました。

 私の父が商店街の理事をしていた関係で、さきほどのキヨさんや『やきにくのおばちゃん』達の、商売上のことやらなにやら相談役のような立場で、親しくさせていただいておりました。

 当時、時々、私の父が『やきにくのおばちゃん』を連れて区役所や公的機関に手続きにいってました。後から知りましたが、お店の更新やいろいろな申請手続きなどを父が手伝っていたのでした。『やきにくのおばちゃん』は、その世代の在日の方にはけっして例外ではないのですが、日本語の読み書きができなかったのです。

 数年前、『やきにくのおばちゃん』が亡くなった時、一人暮らしのアパートで病死(急死でした)していたのを最初に見つけて病院に通報したのは、親しくしていた商店街の人達でした。お店を開ける時間になっても開かないのを心配したキヨさん達がアパートまでたずねてのことです。

 キヨさんから話を聞いた私の母が、すぐに一人息子さんに連絡しました。息子さんはすっかりりっぱになられて某大学の教授になられていました。

 『やきにくのおばちゃん』のささやかな葬儀の席で、息子さんが涙を流しながら、感謝の言葉を述べられたのが、今もおぼえています。

「母はこの商店街が大好きでした。もう年だからいっしょに暮らそうとさそっても最後までお店にこだわっていました。商店街のみなさん、今日まで優しく接していただき本当にありがとうございました。」


 私・木走が、街で働く庶民の人たちや東アジアの国々に関心がある原点は、このあたりの生い立ちにあるのかも知れませんです。



(木走まさみず)

参考ブログ pontakaさんの『コリアと友好を築く意義』(http://blog.goo.ne.jp/pontaka_001/