木走日記

場末の時事評論

そもそも国家の責任は消えないというのか?

 BBCニュースの大井真理子記者の記事が興味深いです。

BBCニュース
2016年05月26日 17:38
そもそも広島の人たちは謝罪してほしいと思っているのか
http://blogos.com/article/176999/

 世論調査では8割近くの被爆者たちは「原爆投下への謝罪を求めないと回答」していると指摘します。

広島、長崎で被爆した人たちを対象にした共同通信の調査では、78.3%が原爆投下への謝罪を求めないと回答している。特に、謝罪要求が大統領訪問の妨げになるならばという懸念もある。

 そのうえで池田信夫氏の「原爆が投下されたときはオバマ氏は生まれてもいなかったので、彼は何の責任も負っていない」との発言に触れています。

ジャーナリストの池田信夫氏は、「原爆が投下されたときはオバマ氏は生まれてもいなかったので、彼は何の責任も負っていない」のだから、オバマ氏は謝罪しなくていいはずだと書く。さらに、中国や韓国が日本に要求する謝罪についても、「同じことが安倍首相にもいえる」と書いている。

 なるほど、橋下前大阪市長の「今回のオバマ大統領の広島訪問の最大の効果は、今後日本が中国・韓国に対して謝罪をしなくてもよくなること」とのツイートにつなげていきます。

大阪市橋下徹前市長は最近、「今回のオバマ大統領の広島訪問の最大の効果は、今後日本が中国・韓国に対して謝罪をしなくてもよくなること」とツイートした。

 記事自体は、謝罪云々ではなく今回の訪問が「過ち」が二度と繰り返されないよう努力してきた被爆者たちの取り組みにプラスになることを期待しているときれいにまとめられています。

しかし生存する被爆者の多くは、「過ち」が二度と繰り返されないよう努力してきた自分たちの取り組みを補完する訪問になるよう、期待を抱いている。それが誰による「過ち」だったにせよ。

 さて、この問題、大変興味深いのです。

 「自分が生まれる前の過去に祖国(自分が属している国)が行った行為に、現在の自分には責任はあるのか?」
 個人の視点で考えれば、ありえませんよね。

 例が単純化しすぎかもですが、例えば親が犯罪をしたとしてその責任を子供は負わされるのでしょうか?

 そう問われば、そんなナンセンスな主張が通るのは北朝鮮のような不満分子をファミリーごと弾圧してしまうような全体主義国家だけでしょう。

 広島長崎への原爆投下確かにアメリカによりもたらされたが、当時生まれてもいないオバマ大統領が謝罪する必要はないのは当然だと思われます。

 同じ理屈ならば、橋下前知事が指摘しているように、安倍首相をはじめ戦後生まれの日本人は、中国・韓国に謝罪する必要はないのは当然になるわけです。

 当ブログとしても同じ考えです。

 ・・・

 さて、この問題、「責任がある」と主張している人々が国の内外に少なからずおりますことは、まことに興味深いのであります。

 そこでそのような考え方を当ブログなりに考察してみたいと思います。

 ここではまず国を「人格化」いたします。

 人の「人体」に例えて「国体」を考えます(戦前の「国体の護持」の国体と字面が一緒ですがそれほど哲学的意味は持ちません(苦笑)、為念)。

 人体は多くの細胞から構成されていますがひとつひとつの細胞には当然寿命があり細胞は絶えず生死を繰り返しながら、しかし人体は細胞の寿命よりはるかに長く維持されていきます。

 そして各細胞は生死を繰り返しますが、「人体」は固有の意思を持ち固有の行動をし細胞よりはるかに長い時間の人生を歩んでいきます。

 同様に「国体」は多くの国民から構成されていますが一人一人の人間は短命でありますが、「国体」ははるかに長く維持されていきます。

 そして構成される人間は生死を繰り返しますが、「国体」はそれぞれの時代で固有の意志を持ち固有の行動をとり長い歴史を刻んでいきます。

 こう考えると、例えば人が過去に犯罪を犯したとすると、ひとつひとつの細胞には責任はありませんが、人体、すなわち細胞の総体としての人のその責任は相当の期間残るわけです。

 同様に考えれば、国が過去に過ちを犯したとしたら、一人一人の国民には責任はありませんが、「国体」、すなわち国民の総体としての国の責任は相当程度残るという考え方もできるわけです。

 もう一度問題を提示。

 「自分が生まれる前の過去に祖国(自分が属している国)が行った行為に、現在の自分には責任はあるのか?」
 つまり、全体主義国家主義的史観でこの問題をとらえれば、「あり」となるわけです。

 「私」より「国」を優先した考え方で歴史を眺めれば、そして「国家」には意志があるとするならば、「国家」の責任というのは、人の寿命のような短命である理屈は通らないことになります。

 なんか考察していて、全体主義的でいやになってきました(苦笑)が、おおよそこのような考え方が底流にあるような気がします。

 ならば「1000年過ぎても日本を絶対許さない」との憤怒も、少し理解できるのであります。



(木走まさみず)