木走日記

場末の時事評論

一人絶対護憲を前面にせり出す朝日社説〜憲法記念日各紙社説読み比べ

 さて今回は久しぶりに各紙社説を読み比べしてみたいと考えます。

 お題はもちろん5月3日憲法記念日の憲法改正問題であります。

【朝日社説】個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない
http://www.asahi.com/articles/DA3S12339741.html?ref=editorial_backnumber
【読売社説】憲法記念日 改正へ立憲主義を体現しよう
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20160502-OYT1T50121.html
【毎日社説】公布70年の節目に まっとうな憲法感覚を
http://mainichi.jp/articles/20160503/ddm/005/070/034000c
【産経社説】憲法施行69年 9条改正こそ平和の道だ 国民守れない欺瞞を排そう
http://www.sankei.com/column/news/160503/clm1605030001-n1.html
【日経社説】憲法と現実のずれ埋める「改正」を
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO00366810T00C16A5EA1000/+

 各紙の憲法改正へのスタンスが微妙に異なり、なかなか読み応えがありますです。

 一部相変わらず観念論に走りまくりまとめづらい社説もある(苦笑)のですが、そこは強硬に読み比べてまいりましょう。

 当ブログで勝手に解釈するに、憲法改正に積極的なスタンスの順に、産経>読売>日経>毎日>朝日の順となりましょう。

 まず改憲そのものに「歴史の後戻りはさせない」と全面的に反対なのが朝日社説のみ。

 朝日社説に関しては後ほど論評するとして、残りの四紙は憲法のどこから改憲するべきかでスタンスが微妙に異なります。

 「緊急事態条項」、「国会改革」、「九条」の三点に絞り見ていきましょう。

 まず毎日社説です。

 消極的ながら、もし改憲論議をするとすれば、「基本的人権の領域には入り込まず、衆参両院のあり方の見直しなど、代議制民主主義の質の向上につなげる議論に絞ってみるのも一案」と提案しています。

 改憲論議は性急さを避け、社会の広範な同意と納得を目指すのが本来である。憲法の掲げる理念を堅持しながら、多くの国民から理解を得られるものにするのがいい。

 それには、基本的人権の領域には入り込まず、衆参両院のあり方の見直しなど、代議制民主主義の質の向上につなげる議論に絞ってみるのも一案ではないか。自民党改憲の入り口に考えている緊急事態条項の追加は、基本的人権の概念とぶつかる懸念が強く、適切でない。

 「国会改革」に絞り改憲の議論をまず深めようとのことです。

 次に日経社説。

 「緊急事態条項」は「緊急事態は自然災害に限る」と自民党は明言すべきと条件付き賛成であります。

 日ごろから法律づくりに努めても、常に「想定外」はある。緊急事態の際、内閣が法律に準じる効力も持つ命令を発することができるようにする仕組みをつくっておくことは検討に値する。

 一定期間内に国会が事後承認しない場合は失効すると定めれば、三権の均衡は保たれる。

 ただ、自民党が12年にまとめた改憲草案の緊急事態条項は問題がある。緊急事態を(1)外部からの武力攻撃(2)内乱等による社会秩序の混乱(3)地震等による大規模な自然災害その他――と定めるが、範囲が広すぎる。

 自衛隊の治安出動すら実例がないのに「社会秩序の混乱」に超法規的権限が必要なのか。民進党は緊急事態条項の新設をナチスの全権委任法になぞらえ、反対している。自民党は無用な誤解を招かないように「緊急事態は自然災害に限る」と明言すべきである。

 「国会改革」の必要性にも触れた上で、結びは「9条を抜本的に書き直す必要性はかなり薄らいだ」と毎日社説同様九条改正は否定します。

 ただ、憲法解釈を見直して集団的自衛権の行使を限定解除したことで、現在の国際情勢に即した安保体制はそれなりにできた。9条を抜本的に書き直す必要性はかなり薄らいだ。あとは自衛隊をどう法的に位置付けるかだけだ。9条にばかりこだわる不毛な憲法論争からはそろそろ卒業したい。

 次は読売社説。

 優先すべきは「緊急事態条項」であると主張します。

 当面、優先すべきは、大規模災害時などへの効果的な対処を可能とする緊急事態条項の創設だ。

 多くの国の憲法がこうした条項を備えている。日本も、より多くの国民の生命と財産を守り、国会機能を維持する危機管理を強化するため、憲法に明記すべきだ。

 「国会改革」も重要なテーマだとしています。

 国会改革も大切なテーマだ。

 参院選での鳥取・島根などの合区導入を機に、各都道府県で最低1人を改選できるよう憲法に明記すべきだとの意見が出ている。

 地方の人口減少が加速する中、いずれ合区の拡大は避けられず、地方の声が国政に一層反映されにくくなる、との危機感がある。

 で読売社説も、「九条」に関しては「直ちに国会で合意できる状況にはない」と否定的です。

 北朝鮮の核ミサイルの脅威や中国の軍備増強を踏まえれば、本来、憲法9条を改正し、集団的自衛権を完全に行使できるようにすることが望ましい。ただ、直ちに国会で合意できる状況にはない。

 そして産経社説。

 社説は冒頭からエンジン全開です、「極めて残念なことに、安全保障をめぐり、現行の憲法は欺瞞(ぎまん)に満ちている」と現行憲法を憂いています。

 抑止力の役割を理解しようとしない陣営は、「戦力不保持」をうたう9条を理由に、国民を守るための現実的な安全保障政策をことごとく妨げようとしてきた。実情はまるで、日本を脅かす国を利する「平和の敵」である。

 真に安全保障に役立ち、国のかたちを表す憲法のあり方を論じ合うことが急がれる。主権者国民の手によって憲法が改正され、自らを守り抜く態勢を整えなければならない。そのことが、子々孫々まで日本が独立と平和を保ち、繁栄する道につながっていく。

 極めて残念なことに、安全保障をめぐり、現行の憲法は欺瞞(ぎまん)に満ちている。

 「現憲法は侵略国をたたく力を原則として日本に認めない」、「独立国の憲法とは言い難い」とお怒りです、堂々と九条改正を主張しているのであります。

 だが、現憲法は侵略国をたたく力を原則として日本に認めない。法的に、本当の「必要最小限度」の自衛力さえ禁じていることになる。防衛上の必要性を満たさない点で憲法解釈は偽りに基づく。独立国の憲法とは言い難い。

 社説の結びは「緊急事態条項」の必要性に触れた上で、「緊急事態条項を「ナチス」といったレッテル貼りで反対する「護憲派」の論法は誤り」だと断罪して終わっています。

 南海トラフの巨大地震、首都直下地震など想像を絶する被害をもたらす災害に備える、緊急事態条項の憲法への創設も急がれる。天災は待ってくれない。

 政府に一時的に権限を集中させ、場合によっては私権を一部制限してでも国民の命を救うのが緊急事態条項だ。世界のほとんどの国の憲法に備わっている。

 国連総会が採択し、日本も加わっている国際人権規約(B規約)も認めているのに、緊急事態条項を「ナチス」といったレッテル貼りで反対する「護憲派」の論法は誤りだ。

 さすが、我らが産経社説です、全体的に檄文調なのですが、あれ、国会改革には触れていませんが、まあ産経にとっては現憲法は「欺瞞に満ちている」「独立国の憲法とは言い難い」ひどい内容ですから、「国会改革」などは小さい問題なのでしょう。

 ・・・

 さて朝日を除く四紙の社説を読み比べましたが、各紙改憲に対するスタンスが微妙に異なっており、たいへん興味深いのであります。

 憲法改正に関する各紙社説の主張を表にしてまとめてみました。

 ・・・

 さて朝日社説であります。

【朝日社説】個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない
http://www.asahi.com/articles/DA3S12339741.html?ref=editorial_backnumber

 読み比べしづらいんだなあ、これが(苦笑)。

 「緊急事態条項」も「国会改革」も「九条」も全く取り上げていないんですね。

 安倍政権の改憲議論そのものを、極めて観念論的に全否定しているわけです。

 他紙とは論点の次元が違うというか、レベルが違うわけです。

 社説はまず「国政の権威は国民に由来し、権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が受け取る」ことは、「フランス革命など近代の市民革命によって獲得された「人類普遍の原理」」であると力みます。

 国政の権威は国民に由来し、権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が受け取る――。憲法前文が明記するこの主権在民と代表民主制の原理は、フランス革命など近代の市民革命によって獲得された「人類普遍の原理」だ。

 それなのに、安倍さんは10年前から教育基本法を変えて「「個」よりも「公」重視、行政を律する法から国民に指図する法へとその性格が変わった」と、「人類普遍の原理」が危ういと主張していきます。

 憲法と同じ年に施行され、「教育の憲法」と言われた教育基本法が、初めて、そして全文が改正された。「戦後レジームからの脱却」を掲げて政権についたばかりの安倍首相が、最重要課題としていた。

 「我が国と郷土を愛する」「公共の精神に基づき、社会の発展に寄与する」。改正法には、個人や他国の尊重に加え、こうした態度を養うという道徳規範が「教育の目標」として列挙された。教育行政と学校現場との関係にかかわる条文も改められ、「個」よりも「公」重視、行政を律する法から国民に指図する法へとその性格が変わった、といわれた。

 で、自民党憲法改正草案を批判します、「国家が過剰なまでに前面にせり出す」と批判しています。

 自民党が12年にまとめた憲法改正草案は、改正教育基本法のめざす方向と一致する。

 草案では国家が過剰なまでに前面にせり出す。後退するのは個人の自由や権利だ。

 草案前文の憲法制定の目的は「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」だ。現憲法の「自由の確保」や「不戦」とは様変わりだ。

 また、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と規定する。

 一方で、国民の自由や権利の行使には「常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)との枠をはめている。

 「憲法立憲主義だけでなく、国柄をきちんと反映したものにもしたい」(礒崎陽輔首相補佐官)というのが党の考えだ。だが、たとえどんなに多くの人が「道徳的に正しい」と考える内容であっても、憲法によってすべての国民に強いるべきものではない。

 朝日社説の結びは、安倍政権の目指す改憲は、「「普遍の原理」を社会に根付かせてきた歴史の歩みを、後戻りさせることになる」と警鐘を鳴らして結ばれています。

 他国の攻撃から国民を守るのは国家の役割だ。かといって権力が理想とする国家像や生き方を、「国柄だから」と主権者に押しつけるのは筋が違う。

 それを許してしまえば、「普遍の原理」を社会に根付かせてきた歴史の歩みを、後戻りさせることになる。

 ・・・

 ふう。

 このような観念論的「人類普遍の原理」などを振り回して「歴史の後戻りはさせない」などと主張されると、これでは個別具体的な改憲論議などできうるはずはありません。

 せめて毎日社説のように、まずは無難な「国会改革」から議論を進めてみようとか、建設的な議論はできないものでしょうか。

 「前面にせり出す国家」ですか。

 「人類普遍の原理」などと観念論的主張を振りかざし、一人絶対護憲を前面にせり出す朝日社説なのであります。

 やれやれです。



(木走まさみず)