原発再稼動において科学的合理性より経済合理性を優先する愚策〜ものごとをすべからく市場原理から見るべしのような考え方はもう耐用年数が切れたのだと思う
関西電力のサイトでは今でも原発のいわゆる「5重の壁」の説明が掲載されています。
ウランが核分裂すると放射性物質がつくられます。そのため原子力発電所では、放射性物質を閉じ込めるため5重の壁でおおい、万が一の異常の際にも放射性物質を閉じ込められるように、安全確保に備えています。
http://www1.kepco.co.jp/bestmix/contents/16.html
設けられた障壁が、内側から「燃料ペレット」、「燃料被覆管」、「原子炉圧力容器」、「原子炉格納容器」、「原子炉建屋」の5つであるためこの名が定着したわけですが、原発の「安全神話」の中核でもあったこの「5重の壁」は福島原発事故でことごとく破られてしまいました。
昨年3月11日の大地震で、まず送電線の鉄塔が倒れるなど大きな被害を受け、十数メートルに達した大津波で非常用電源も働かなくなり、全交流電源を失ってしまいます。
原子炉の冷却ができずに炉心が溶融、いわゆるメルトダウンが起き、第一と第二の壁である「燃料ペレット」と「燃料被覆管」は完全に溶けて、第三の壁である「原子炉圧力容器」の底にたまります。
第三と第四の壁であった、「原子炉圧力容器」、「原子炉格納容器」にも穴やひびが入り冷却水が放射性物質とともに駄々漏れする事態となります。
その過程で発生した大量の水素が爆発して第五の壁である「原子炉建屋」も大きく破壊されました。
原発のいわゆる「5重の壁」が瞬く間といっていいでしょう、あっけなくすべて破られ大量の放射性物質が撒き散らされたわけです。
メルトダウンした燃料がどこにどのぐらいどのような状態で分散したのか、事故から1年余りたっても原子炉内部の様子は満足にわからず、放射性物質に汚染された冷却水が漏れ出す事故もたびたび起きています。
つまり一年たっても福島第一原発事故対策は現在進行形でありなにも収束していないわけです。
福島第一事故対策が現在進行形であるにもかかわらず、つまり事故原因の究明は尽くされていないにもかかわらず、政府は、野田佳彦首相ら関係閣僚の協議で関西電力大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町)の運転再開を妥当と認めました。
政府は大飯原発の「安全性」と再稼働の「必要性」を判断したというのです。
まず政府の大飯原発の「安全性」と判断したことは、科学的合理性がありません。
「安全評価」を科学的に検討する能力は政府にはありません、専門的知見でその妥当性を評価できるのは原子力安全委員会でしょう、その委員長がこのストレステストの結果だけでは安全性が担保されるわけではないと明言しているのです。
現段階では大飯原発「安全」と判断できる科学的合理性がまったくないのです。
あるのは後段の再稼働の「必要性」だけでしょう。
原発を再稼動しないと電力が足らなくなる恐れがある、例え足りても火力に頼れば発電コストが上昇、電気料金を値上げしなければならなくなる、このような電力会社の言い分をそのまま信じているのでしょう。
原発が安いかどうかは、16万人にも上る避難者への保障、風評被害を含めた損害賠償、そして福島第一の1号機から4号機までの完全廃炉費用、崩壊した原子力サイクルのもんじゅや六ヶ所村再処理工場の扱い、そして手段も場所も何も決まっていないしたがってどれだけ費用が掛かるのか見積もりすらできない膨大な放射性廃棄物の最終処理費用、これらを考えれば実は原発の社会的費用は計り知れません。
一歩譲って原発再稼動に短期的に経済合理性があるとしましょう。
科学的合理性には目をつむり、経済合理性のみを優先する政策をとる根拠はあるのでしょうか。
免震棟すら用意されていない大飯原発を再稼動させて、もし直下地震が発生して福島クラスの事態を招いたとしたら安全に復旧作業することは不可能です。
原発事故がもう一度起こればこの日本社会に深刻なカタストロフを招きかねません。
そのとき日本経済は本当に危機に陥ることでしょう。
エネルギー政策において、ものごとをすべからく市場原理から見るべし、のような考え方はもう耐用年数が切れました。
原発のような技術の塊(かたまり)を扱うのに、科学的合理性より経済合理性を優先するのは愚かなことだと考えます。
ソロバンだけで原発を動かすなということです。
(木走まさみず)